イーハトーブの果樹園では、甘夏蜜柑が鈴なりに生った。
私の果樹園の名前を、私の勝手で宮沢賢治さんにつけていただいた。賢治さんは、宇宙の何もかもを愛した人だ。私如きちっちゃな石ころ見たいな人物の素行を許していただける筈だ。その名は誉れ高い「イーハトーブ果樹園」です。
年末に様子を見に行ったところ、実が余りにも沢山生って、何本かの枝は今にも折れそうだった。間引きしなかったことが悔やまれた。いずれも、昨年のものより小粒だ。どの実も、確実に熟す段階に入っていた。一昨年は3個、昨年は14個が採れた。今年は、50個近く生っていた。幾つかは落下していた。落下を見つけたら、収穫の時期にきているのだ。
蜜柑の生態で、実が熟すと落下を促すシステムがきちんとあるんだろうと思う。熟すと実と枝の接合部分に離れやすくなるように、その接合部分に何かが発生したり、消失したりするんだろう。
お隣の方にも声を掛けた。胸を張って、自由に採って食べてくださいねと。いつも雑草を刈って貰っているのです。盆暮れのビールを届けるだけでは、心苦しいかった。
一緒に蜜柑を採りに行こうよと誘ってものってこなかった孫・晴は、私が20個ほどビニール袋に入れて車に戻ってくると、オウーと驚いて見せた。彼の想像の域を超えていたのだろう。
昨年、夏には桃、無花果が生って、秋には栗、柿、ブルーベリーが生った。甘夏蜜柑を採り終えた。金柑がいっぱい生っていて、熟するのを待っている。金柑がとりわけ好きなんです。子供の頃から、「金柑、皮食って、実やろうか」と口癖だった。豊穣じゃ、豊作じゃ。
上の写真は、収穫の途中で写真を撮ることを思いついたものです。
蜜柑を採り終えて、他の果樹をチェックして廻った。寒いとか、風が冷たいとか言いながらも、誰もが春を待っている。梅一輪、一輪ほどの暖かさ、だ。そうだ梅の木も植えなくてはいかん。
栗の木の下に、植えた覚えがない水仙が5,6株、花を咲かせていた。水仙の花に目が釘づけになった。そろそろ、フキノトウでも顔をだすのではないか、今年見つけたら、天ぷらにしてやるぞ、そんなことを考えていたので、水仙の花は不意打ちだった。
ネットで拾った情報を書き加えておく。ギリシャ神話で、美少年ナルシッサスが水面に映る我が姿に見とれ、そのまま花になってしまったのが、水仙だということです。英名はnarsissus。自分の美貌に酔いしれる人をナルシストと呼ぶのもここからきているのでしょう。
水仙は、この果樹園の中で一番最初にに春を告げている。むやみやたらに、嬉しくなった。確実に春が近づいてきているのだ。
ここに居ると必ず、幸せな気分になるのです。今回も、幸せな気分は裏切らなかった。