下の文章と写真は、20110131の朝日新聞の記事をそのまま、転載したものです。
(香川⑩らのユニフォームを掲げて喜ぶ日本の選手たち。ドーハのハリファ競技場、西畑志朗撮影)
日本一丸アジアの頂
カタールで行われたサッカーのアジアカップ決勝で、日本は29日、延長戦の末に豪州を1-0で下し、2大会ぶり4度目の優勝を飾った。控えを含め一丸となったチームワークは、ベスト16に進んだ昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会以降、日本代表の色になりつつある。
「ヒーロー次々」
⑧MATSUI ⑩KAGAWA ⑫SAKAI ⑳MAKINO。優勝の歓喜に包まれる会場で、「いないはずの選手」が観客席に走った。
実際に走ったのは出場した選手たち。松井大輔(仏・グランノーブル)、香川慎司(独・ドルトムント)、酒井高徳(新潟)、槙野智章(独・ケルン)の4人はドーハに来ながら、けがで途中離脱した。彼らのユニフォームを身につけ、全員で戦った証を見せた。主将の長谷部誠(独・ウォルフブルク)は振り返った。「総力戦で勝ったことがうれしい。試合ごとにヒーローが代わった。そういうチームは強い」
日本代表は2006年のW杯ドイツ大会で、一つになれず、敗退した。逆に南アフリカ大会は、それを知るベテラン選手の献身があった。W杯後に初代表入りした細貝萌(独・アウクスブルク)は「サブにも役割があることを思い知らされた」と言った。メンバーが南ア大会と半分以上入れ替わっても、変わらない「一丸」への意識。W杯の遺産が受け継がれている。
実際、控え選手の意識は高かった。試合前、控え陣だけで「どうしたら途中からうまく試合に入れるか」、「ピッチにいる選手にどう声をかけるか」を話し合っていたという。初戦で控えだった岡崎慎司(清水)、猪野波雅彦(鹿島)、細貝が、その後の試合で得点。決勝の決勝点も、途中出場した李忠成(広島)が生んだ。李は「出たいという気持ちはずっと抑えて、まずチームのためだった。でもラッキーボーイになってやると思っていた」と話す。
そのチームのスイッチが入ったのは、初戦ヨルダン戦(9日)の後だった。世界ランク29位の日本は同107位の相手に終了直前、辛うじて引き分けに持ち込んだ。
翌10日、アツベルト・ザッケローニ監督が練習前、選手たちをグラウンド中央に集めた。昨年末の大阪合宿でも、ドーハーに入ってからも一度も見ない光景だった。監督は輪の中で約15分間、心構えを話した。「雰囲気が『アジアカップ』になっていない。やるべきことをやっていこう」
W杯は終わったのだ。アジア相手だからと簡単に勝てないのも歴史が証明している。選手たちの表情が変わった。「なめていたわけではないが、自信があった」と香川は反省した。「アジアは難しい」が取材の中でも選手の合言葉になった。選手だけで集まり、話し合うようになった。
戦術面で試合ごとに完成度を高めた流れも、日本サッカーには今後の指標となりそうだ。今回の代表は欧州クラブの所属が半分近い。短い準備期間で公式戦に臨まざるを得ない。多くの代表選手が欧州でプレーする強豪国なら、どこも同じだ。ますます欧州に渡る傾向が予想される日本には貴重な経験になった。
14年のW杯ブラジル大会へ、順調に歩みだしている。
(延長後半4分、左足でボレーシュートを決める李忠成=西畑志朗撮影)
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社説
アジア杯制覇/この勢いでピッチの外も
決勝のゴールを決めた李忠成選手のボレーシュートは、胸がすく完璧な一撃だった。サッカーのアジアカップ決勝で、日本代表が豪州を延長戦の末破り、2大会ぶりに頂点を極めた。
昨年、南アフリカでのワールドカップ(W杯)で16強入りし、日本中を熱狂させた時を思い起こさせる、歓喜あふれる優勝だ。
舞台のドーハは日本サッカー界因縁の地である。1993年の米国W杯アジア最終予選、イラク戦で終了間際に追いつかれ、W杯初出場を逃した。「ドーハの悲劇」と呼ばれてきたが、そんな過去も一蹴した。
14年ブラジルW杯へ向け、チームを勢いづける価値ある優勝だ。
「素晴らしい団結力だ。成長しながら、団結しながら勝利をつかんだ」。ザッケローニ監督がこう話した通り、日本代表には、主力も控えもない強固な連帯感と厚い信頼感があった。
李選手は延長戦からの出場で、決勝点は代表初ゴールだった。彼に象徴されるように、代表経験の浅い選手の働きも主力に劣らなかった。李選手ら4人が今回、代表初得点を挙げている。
全選手に気を配る指揮官のこまやかさと的確な采配。そして監督の意をくみ、準備を劣らない選手の高い意識がかみ合っての栄冠と言える。
王座に返り咲くまで、楽な試合はひとつもなかった。退場者を出すゲームが2度、相手を追う展開が3度あった。準決勝ではここ5年半、5度の対戦で1回も勝てなかった韓国に対し、PK戦の末、勝利をもぎとった。
W杯で苦しんで得た自信と、まだ高みを目指せるという向上心。今の代表に満ちている前向きなベクトルが、苦闘を勝ち抜いた原動力だろう。
サッカーの本場欧州から見ても「遠いアジア」ではない。南アW杯で日本と韓国が16強入りしたように、躍進する国が増えている。アフリカが優れた人材供給源と目されたように、熱い視線がいまアジアに注がれる。
今大会、欧州のスカウトがこぞって有能な選手の動きを追った。中でも、日本の選手は小柄ながら俊敏で技量が高く、団結力にも優れる。そんな個性を改めて印象づけた。日本への注目は今後、従来以上に増すだろう。
ピッチ上で躍動した日本だが、大会直前に開かれたアジアサッカー連盟選出の国際サッカー連盟理事選で、田嶋幸三・日本協会副会長が落選した。22年W杯招致失敗に次ぐ敗戦で、サッカー界での発言力低下は必至だ。
東京五輪招致にも失敗したように、日本スポーツ界の国際的な影響力低下が著しい。世界での発言力が落ちている日本を象徴するようだ。
再度目指そうとしているW杯招致に向け、芝の外でも存在感を増す戦略が日本サッカー界には求められる。
(後半、好セーブを見せるGK川島。中央は岩政)
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李、決勝弾 鮮烈ボレー
サッカー アジア杯 29日
最終日は決勝があり、日本は延長戦の末に1-0でオーストラリアを下して、2大会ぶり単独最多となる4度目の優勝を遂げた。2013年にブラジルであるコンフェデレーションカップの出場権を手にした。
日本は高さのある豪州の攻撃に押し込まれながら、GK川島の攻守など粘り強い守備で対抗。延長後半4分に、途中出場の李が永友の左クロスを左ボレーで合わせて決勝点とした。ザッケローニ監督は就任後、5勝3分け(引き分けに1PK戦勝ちを含む)で、最初の公式戦で初めてのタイトルを獲得した。
大会最優秀選手に本田圭が選ばれ、得点王は韓国のMF具滋哲(クジャチョル)が5点で獲得した。
MVPは本田圭
守勢に回ったときほど、本田圭の存在感は増す。接触プレーに強い豪州相手にひるむこともなくパスを受けては攻めの起点となった。「サッカーは『一番』が一番いい。でも個人的には悔しさの方が残った。個人でチームを救える存在になりたい」と話した。MV受賞については、「個人的にはヤットさん(遠藤)だと思う。ああいう人がいなかったら勝負は紙一重だった」。その遠藤とは常に会話をもち、「優勝でみんなに箔(はく)がついた。自立したいいチームになる」と期待感を示した。
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流れ変えた「5分後」の交代
オーレ
延長の李のボレーシュートが試合のハイライトなら、ザッケローニ監督が後半最初に切ったカードが決勝点へつながる分岐点だった。
それは珍しい光景だった。後半の立ち上がりを見極めて、ベンチは動きの悪いMF藤本を外してDF岩政を入れようとした。ところが、ピッチの中で盛んにやり取りをした選手たちが、タッチライン際に立った岩政をベンチへと押し返す。5分ほど待って、結局、同じ交代が告げられた。
その5分で、交代の中身と意味合いはまるで変わった。最初の時点で監督が考えたのは「MFに厚みを持たせるために今野をDFからMFに上げよう」。布陣の4-3-3への並び替えを決断していた。しかし、今野自身が長くMFから離れていたことへの懸念を示した。選手の意を受けて、大会を通して効果的な采配を見せてきたイタリア人は柔軟に手を打つ。
布陣はそのままに、岩政を予定通り中央でケーヒル封じに専念させ、今野を左DFに長友を左MFに移して、手を焼いていた豪州の右サイドを二人掛りで封じ込める。左から右に回った岡崎はそれまでの守備の負担から解放された。一つの交代にいくつもの意味を持たせた。
後半に回り続ける悪い流れを断ち切った。押し込まれながら、日本は息を吹き返す。落ち着いた粘り強い守りから本田圭を経由して、左右の長友、岡崎が長い距離を走り始めた。カウンター攻撃から好機は増えていった。決勝点は左をしつこく突き続けた長友のクロスから枠をとらえたわずか3本のシュートから唯一のゴールが生まれたのは必然でもあった。
きめ細かい分析と約束事の多さの割りに、イタリア人の懐は深い。「最終的に決めるのは監督。でも選手のいうことを受け入れてくれる」と遠藤は話した。ピッチでの感触を優先させた選手の主張と、それを尊重した監督。大会を通じて築き上げた信頼感が王者の座を手繰(たぐ)り寄せた。(編集委員・潮智史)
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あんなきれいなゴール 一生とれない
自分自身でも驚く。美しいゴールだった。左サイドの長友からのクロスにあわせ、ボレーシュート。李は韓国から国籍を変えて4年。幼い頃から夢見た代表初得点は、優勝を決める決勝点だった。
日本代表で2試合目。延長前半、出番は初戦のヨルダン戦以来20日ぶりだった。試合に出てなくても「良いプレーをしている。気持ちを保ってくれ」とザッケローニ監督から言われ、「もう一度チャンスはある」と信じていた。
延長後半4分、ほんの一歩の小さなフェントで豪州のDFが大きく振られ、マークが空いた。ベンチで「相手は疲れている。ちょっとの動きで外せる」と分析していた通りだった。左足を振り抜くと、シュートは一直線でゴールへ。GKは一歩も動けなかった。「あんなきれいなゴールは一生取れない」
在日韓国人4世。国籍を替え、「イ・チュンソン」から「り・ただなり」になったのは2007年2月。北京五輪を目指す22歳以下日本代表の反町監督から興味を示されたのがきっかけだ。幼い頃から日本代表にあこがれ三浦(横浜FC)の得点後のパフォーマンス「カズダンス」をまねていた、普通の日本に住む少年。日本代表を目指すのは違和感はなかった。
国籍を変えても、日韓両国を大切にしている。日本の通名「大山」があってもあえて名字(みょうじ)で「李」を残したし、準決勝の韓国との対決は「(韓国代表にもあこがれていただけに)心が痛んだ」という。
「日本に生まれ、日本の文化で育ってきた。だから日本代表のメンバーとして優勝できて最高の幸せ」。この日は「日本人」としての喜びを爆発させた。(河野正樹)
長友、縦横無尽 完璧クロス
まさに獅子奮迅の活躍だった。左サイドを激しく上下動していた長友だった。後半11分の交代策に伴い、DFからMFに位置替え。持ち前のスピードを生かしてタッチライン際を駆け上がった。同21分には岡崎の頭にクロスを合わせ、もう少しで先制点という場面を作った。
決勝点を導き出したのは延長後半4分。ステップを踏んで抜け出し完璧なクロスを李に送った。0-0が続いた緊張感にも「これが僕らの成長。ぎりぎりの戦いをしてきた」。試合後、けがでチームを離れた香川のユニフォームを掲げた。「試合前に本人から電話があって、優勝したら持ってと頼まれていた」と明かした。W杯後にイタリアに渡り、進境著しい。30日にそのセリエAの舞台に戻った。「また厳しい戦いが始まる」と話した。
川島、好セーブ連発
20本のシュートを浴びて、水際で危機を救ったのは川島だった。絶体絶命のピンチは次から次にやってきた。
前半19分、CKから頭でつながれてキューウェルがシュート。枠に飛んだ球を右手指先に当ててかき出す。後半27分は、再びキューウェルの至近距離からのシュートを右足でセーブ。前に出たときの勝負強さを発揮した。
DFとの連係の悪さは決勝でも見られた。カタールとの準々決勝では位置取りを誤るなど安定感に欠けた。「ミスを引きずっていたら前には進めない。1点が試合を大きく左右すると思った。ゼロで終わらせてよかった」。常に強気の守備陣がほっとした笑顔を見せた。大会を通じて、監督から「信頼している」と声をかけられ続けた。「こういうタフな経験は実際してみないとわからないものだった」。実感のこもったひと言だった。
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(長谷部と抱き合う)
「日本のため頑張り 在日の新しい歴史を」
背中押した父との約束
サッカーアジア杯 李選手「人生最高の1ページ」
試合ごとにヒーローが生まれ、アジア王者に返り咲いたサッカー日本代表。決勝で貴重なゴールを決めたのは、交代出場の李忠成(25)。東京都西東京市出身の在日コリアン4世だ。活躍の陰に、父と交わした約束があった。
「お父さん、やったよ!」貿易業を営む父・鉄泰(チョルテ)さん(53)の携帯電話に李選手から電話がかかってきたのは、試合終了後まもなくだった。
興奮がおさまらない様子の息子を、父はねぎらった。「頑張ったかいがあったな。神様がボールくれたな」
李選手は今大会、初戦に交代出場したが、その後は出番がなかった。韓国との準決勝の前、李選手から鉄泰さんに電話があった。焦りをのぞかせる息子に、父は「頑張らんと、次呼ばれへん。あいつがいたらプラスになるって仕事しないと」と励ました。そして念を押した。「難しく考えるな。簡単にプレーしろ」。
鉄泰さんが「頑張れ」というのは、サッカーだけの意味ではない。日本と朝鮮半島の間で生きてきた者としての思いがある。「我々は周りと同じレベルでは認められない。いい時はいいが、だめだと必要以上に批判される」
李選手は以前、鉄泰さんと同じ韓国籍だった。韓国のユース代表の選抜合宿に参加したこともある。だが言葉は通じず、壁も感じた。日本国籍を取得したのは4年前だ。
北京五輪の日本代表入りを目指して日本国籍を選んだ時、親子は話し合ったという。「堂々と本名を名乗りながら、日本のために頑張る在日がいてもいい。一つでも在日の新しい歴史をつくろう」。
少ないチャンスをものにした息子を、鉄泰さんは誇らしく思う。「簡単にプレーを」というアドバイスを実践した決勝点。「ボールをいったん止めたりしたら入らなかったな」。
勝利の後、李選手は朝7時まで眠れなかった。パソコンの動画サイトで自分のゴールを繰り返し見続けたという。
ブログも書いた。「正直眠れません。僕の人生において最高の1ページを築けた日だったから」「『俺がヒーローになるんだ!』と、自分に言い聞かせながら常に自分を信じ続けピッチに入りました」
そして、スタッフやサポーターとともに「僕を常に支え続けてくれたアボジ・オモニ(韓国語で父母の意味)」に感謝の言葉を贈った。
「みんなの想いを乗せたシュートでした」 (舟橋宏太)
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李投入「論理とひらめき半々」
ザッケローニ監督一問一答(記者会見)
*よく眠れたかーーー
試合を振り返ってしまって寝付けなかった。優勝したから不満や後悔を言いたくないが、体調面でもっと準備してボールを保持するサッカーをしたかった。
*李を投入した判断はーーー
論理的な部分と感覚的なひらめきと半々。前田にセットプレーの守備で長身のジェデイナクをマークさせていた。それを外していいかという判断。チームのコンセプトと同じ勇気そのものだった。
*ーーー遠藤と長谷部を使い続けた。
先発を変えなかったのは土台を築きたかったから。代えがきかない選手はこのチームにはいない。ただ、二人はチームがどうあるべきかを早くから理解して周囲に伝えてくれた。さらに控え選手がここまで結果を出す状況は記憶にない。
*ーーー練習でも頻繁に選手に声をかけていた。
もともと私はコミュニケーションを取るタイプ。お互いにもっと分かり合いたいと思っていたからだ。
*ーーーアジアから世界に出て行く上で何が必要か。
勇気とバランスというコンセプトは同じ。あとは相手の特徴を踏まえて対策を立てていく。異なるタイプとやることで経験値は上がる。欧州にいる選手も多いので、海外で合宿、試合をやるのも悪くない。