2011年1月31日月曜日

友達の友達は、友達だ

先日(20110126)、友人の51歳の誕生会のときのことだ。

会場は、本日の主役である友人のお客さんが経営する料理屋さんだった。この宴は、主役の知り合いがこの料理屋で、宴会の予約を入れていたのですが、都合が悪くなってキャンセルになり、そのキャンセルを残念がる料理屋のマスターのために、それならばと近づく自分の誕生日に、ちょっとでもこの料理屋さんの売り上げに寄与できるならばと、誕生会を思い立った。誕生会?なんて、年甲斐もないと笑わないでください。私らは真面目なんです。

料理は、河豚(ふぐ)と鮟鱇(あんこう)の2種類の鍋と、河豚の刺身、はまちの兜(かぶと)煮、はたはたのから揚げ。主役の自作自演の宴会だ。こんな料理が私の席の目の前に、そして私が箸をつけていい河豚や鮟鱇がこれほど並べられたのは、何年ぶりのことだろうか。友人に感謝。それが、1月26日の夜だった。参加者は、主役と私、主役がかって勤めていた会社の前の前の会社の同僚、その会社の下請け会社の社長さんの4人だった。

当然のように私は招かれた。だって、友人にとっては、頭数が多ければ多いほどいいのだ、売り上げを伸ばしてやりたいのだから。マスターびいきの友人のことだ。友人の実家はこの料理屋さんの近所だったので、その幼少の頃の友達が来るかもしれない、と言われていたので、内心楽しみにしていた。幼少の頃の友人の「裸」を聞かせてもらいたかった。友人が子供だった頃、どんな子供だったのだろうか、他人の口から、遠慮のない口述を期待していたのですが、生憎夜は老母の看護のため家を出られないとのことだった。

その代わりと言えば失礼だが、友人の前の前の会社の元同僚が呼び出された。元同僚とは5,6年前に同じ会社で働いていた。この元同僚とはいい具合に打ち合わせをしなければならないこともあったようだ。こいつが面白かった。元同僚は、私の知らない友人の一面を屈託なく話してくれた。

元同僚の話は、友人が貧乏な暮らしをしているのを見るに見かねて、ちょっとした仕事を仕掛けてやるので、その話に乗らないかということだった。生活が苦しんだろう、お前は貧乏だからな、老(ふ)けたし、と元同僚は歯に衣着せぬ口ぶりは止まない。なんだよ、偉そうに腕組みなんかしやがって。いいんだよ、ちょこっと、ぺっぺっとやればそれでいんだよ、松さんにちょんちょんとやらせて、この社長に渡しさせすれば、この社長さん何でもかんでもちゃんと後始末をつけてくれるからさ、怒られたら始末書を誰かに書かせれば、それでいいんだよ。あなたが、始末書を書いてくれるんでしょ、と友人が聞き返すと、そんなこと俺は知らんよとあっさりすっ呆(とぼ)けられた。

社長さんはすっかり白髪なのですが、顔のつやはてかてか、まだまだ若いのだろう。喋るしゃべる、顔全体をよくもこれだけ動かせるものだと感心していた。私のところまで、どうにかしてもらえれば、そりゃなんだって一生懸命やりますよ、でも、内部でああだ、こうだ、と言って私のところに、後2時間とか、後1日とかで持ってこられては困る。しかるべき時間がちゃんとくだされば、何だってびしっとやりますよ。それと、何かあったときに、私の責任でしたと名乗れる人をちゃんと用意しておいてくださいね。この社長さん、自分の会社を守るために必死だ。この気持ち、私はよく理解できます。

元同僚と友人との約3時間半にわたるやり取りを聞いていて、友人に対する元同僚の気遣いが、横に座っている私にも伝わってきて幸せな気分になれた。その人を知るには、その人の友人を知るのが早道と言われているが。アイツはいいやつだなあ、と不用意に友人に言ったら、友人は俄然力を込めて、お前は騙(だま)されているんだよと百、千もの語句が返ってきた。この二人は、どこまでも平行線なのに、憎めない者同士だ。

帰途、友人に俺はアイツが好きだな、又会いたくなりそうやと言うと、お前はアイツをよく解(わ)かってないんだよ、と説明しだしたので、その剣幕に怖気づき、私は解かった判った、と逃げた、、、、、。

友達の友達は、みな友達だ。坂本 九ちゃんにそんな歌があったような気がする。