友人のブログで「めぐりあい」という歌を知った。ニッコリ、意味深な表情で「いい曲ですから、聴いてください」と言われた。友人にも友人なりの交際の世界がある。その世界でめぐり合った人のことを、何らかの理由で私に何かを知らせたかったのかもしれない。その意味は後日、本人から聞かせてもらうことにしよう。
友人は学生時代、音楽を専門的に勉強した。ピアノが弾ける立派な音楽人だ。私はと言えば、ドミソもドファラも、シレソもみんな同じように聞こえる先天的な音痴だ。カラオケで、ヤマオカは音痴やなあ!無茶苦茶や!と感心されて、そのような非人道的、非文化的な発言を浴びせられても、一向に私の心は乱れない。中学校の2年生のとき、梅田先生がマンツーマンで和音の聞き分けテストを最後まで付き合ってくれたのですが、どうしても聞き分けができなかった。梅田先生は我が家の親戚にあたる人だったから、熱を込めて一所懸命教えてくれたのですが、先生の苦労は無駄骨だった。50年前の記憶が鮮明だ。
そんな私が、今、「YouTubeめぐりあい」を福島県 郡山市立第二中学校のコーラスで聴いている。音楽がよく解らないが、なんだか凄くいいように聞こえる。2007(平成19)年、第74回NHK全国学校音楽コンクールで、中学校混声合唱の部で銀賞を得たときのものだ。このコーラスのよさについては、私には何もコメントできないが、実際に聴いてみてくださいな。作曲者は高嶋みどりさん。
国語人間の私は、コーラスでさえも言葉を優先して、先ずは歌詞を追ってしまうのです。元々音楽を語る資格はない人間なのでしょう。耳で歌詞を追って、頭で文字にして、想いをめぐらせた。歌詞はいい。この歌詞に曲が巧く乗っかったのだろうか、曲があって、それに歌詞を考えられたのだろうか。
作詞は、重松 清さんだ。流石(さすが)だ。最近、彼の本を大量に読んだので、彼の本質を私なりに理解していて、彼なりの言葉を綴っているな、と感心したのです。
ところで、友人はこの合唱歌をどうして、私に関心をもたせようとしたのだろうか。
友人の真意は何だろうか、と歌詞をじっくり確認しながら聴き入った。