201101中頃、外回りから帰ってきて、会社の自分の机についた。疲れていた。もう一仕事してから、今日の仕事を終えよう、と思いながらビジネスバッグの中を整理していたら、名刺入れが出てきた。
名刺入れが、視野に広がって懐かしさが込み上げてきた。久しぶりに手にとってじっくり眺めた。20年以上は使い古したもので、表面に小さい傷がいくつもできている。鶯(うぐいす)色が少しくすんでいる。見飽きたほど、見慣れた。掌中、すっかり馴染みの手触りだ。形崩れはなく、凛としたその姿は美しいままだ。気品は維持されていて、まるで高貴な老婦人を偲ばれる。これって、ちょっと言い過ぎか。
今日は、こんな名刺入れに、なんでこんなにセンチメンタルになるのだろう。営業の前線で、誇り高く名刺を差し出す機会が減ってきたことに、一抹の不安や戸惑で、感傷的になったのだろうか。62歳という年齢のせいだろうか。私のセンチメンタル中枢が揺らいだ。
今までどれだけの人と、名刺交換をしたことだろう、その際、常にこの名刺入れから私の名刺が出ていって、新しく知り合った人の名刺がこの名刺入れに納まった。知り合って、恩人になった人、私に強烈な印象を与えた人、好きになった人、亡くなった人も多い。終生の良きライバルになったり、知り合ってそれからずうっと酒飲み友達になった人もいる。知り合った最初の儀式に欠かせない役割を果たしてきたのがこの名刺入れだ。
この名刺入れは、友人から貰ったものだ。私が以前の会社の代表取締役になって、一つの会社を任されたとき、友人がそれを祝って、プレゼントしてくれたものだ。私が尻のポケットや財布のなかから無造作に名刺を引っ張り出すことに、その友人は見ていて嫌だったらしい。それまで他人からこのようにプレゼントされたことは初めてで、嬉しかったよりも驚いた。恥ずかしかった。
今後も、どれだけこの名刺入れは活躍してくれることだろうか。この名刺入れとともに、私の活躍の場を広げたいと切に思う。