1月のある夜、友人と食事を兼ねて酒を飲みに行った。行ったお店は、昼は定食を中心にした食事がメインで、夜はその地域の呑ン兵たちの酒場として、貴重な存在感があった。まるで地元呑ン兵たちのサロン、否、ちょっと失礼な言い方かもしれないが飯場の食堂にでもいるような雰囲気だった。店主は多能料理人で、メニューは多彩だ。料理の仕上がりは上々、美味かった、腕は確かだ。許可を得たので、その店の名前を明らかにする、長後街道をちょっと逸れた横浜市泉区中田東、創作料理「くるま坐」さんだ。なんでくるま坐なんですか、と聞いたら別に深い意味がないんです、とトコトン何気ない言い方。オーナーなのに、店の命名には参加してないようで、全く自分の店の名前に関心がないようだった。不思議に思っているので、今度、もう一度確かめる心算だ。
この店のご主人さんは、友人のお客さんだ。新しくお客さんになっていただいたようだ。メジャーのデニーズだとかワタミの展開する居酒屋なんかで金を落とすぐらいなら、地元の頑張っている店を利用する方が、地元活性化のためにも賢明でしょ、まさか私の意見に反対するなんてことはないだろう、と半ば強制的に、その店に連行された。店の主(あるじ)は40歳代、つい最近、晴れて独身になりました、と言っていた。
その店で、私は鍋焼きうどん900円をたのんだ。車で来たので、酒類は禁物。友人はおでんに梅酒(うめざけ)。お酒を飲むことで売上げに寄与、日頃の感謝の気持ちを表したいようだった。テレビでお馴染みのウメッシュとは違って、梅焼酎でもない。一口頂いたのですが、美味しかった。お腹に卵をいっぱい抱いたハタハタの焼き物はサービス。この卵を噛むとコリコリと音がした。ハタハタは漢字で魚偏に雷と書くんですよ、と知ったかぶり。念のために翌日辞書で調べたら、別の漢字で表すこともあるようだ。私が、大学時代に秋田の後輩の実家にお邪魔したときに、後輩のお父さんが雷が鳴る時によく獲れるのでカミナリウオとも言うのですよと教えてくれた。昔の人は雷を神が鳴ると信じられていた。こんなことが記憶に残っていた。
この店に、豪快、不死身オヤジがいたのです。このちょっと変なオヤジさんの話です
「俺も独身だ。俺のお腹か、胃の3分の2は切り取ったんだ。悪いところをを切り取ったんだから、残ったところは丈夫なもんさ。そして、脳梗塞を3回やったんだ。そこの西部横浜国際病院は、俺を三度も助けてくれた。仕事場で頭がくらくらして、おかしくなったので自分で仕事用の車で自宅に戻り、着替えて今度は仕事用でない車に乗って病院に行ったもんだ。そしたら、帰らせてくれなくて、即入院だった」。(三度ともそのようにきちんとされたのか、確かめなかったことにに悔いが残る)。「そんなことで、酒は飲むなと言われているんだ」、と言いながら、真露(じんろ)をストレートでぐうい、ぐい。それから、「俺は肺結核なんだ」、ときたもんだ。「それでタバコは絶対止めないといけないよ、と言われているんだが、そんなもの止められっこないよね」、真っ黒な歯をニタニタさせながら、私に同意を求めてきたが、私は他人の命にかかわりたくないので、ヘラヘラと笑っておいた。ところで、オヤジさん、そんなに沢山病気をしたんだから、恥ずかしい病気には罹ったことはないんですか、と揶揄を込めて聞いてみたのだが、このオヤジあんなに雄弁だったのに、このことには触れずじまい、馬耳東風、ひたすら焼酎を飲んでいた。私の質問は、虚しく空(くう)に消えた。松葉杖は、脳梗塞をやったときの後遺症なのだろう、片方の足は意のままには動かすことができないようだった。
懲りないオヤジは、これからが格好いいことを言ってくれるんだ。これには、俺には叶いっこないと思った。「俺な、六本木と新宿にマンションを持っているんだ。ここからときどきそこへ行くんだ、女がいるんだよ」。え、え、このオヤジにお・ん・な!!が。俺の口から、嘆息が漏れたのを傍にいた友人は見逃さなかった。松葉杖をついて、彼女のマンションを訪れるオヤジの様子を想像して、この真面目なロマンチストに人間味を感じた。それって、滑稽だよなんてふざけたら、血相を変えて、松葉杖で叩きのめされたことだろう。艶福オヤジのこれからますます幸多いことを、この文章を読んでくれた皆の衆、祈ろうではありませんか。オヤジ、酩酊しての松葉杖は注意が必要ですぞ、くれぐれもご自愛ください。
このオヤジ、さすがにこれだけの大病を患ってきたからなのだろう、気の毒なことに、54歳の年齢には老けて見えた。私達が食事を終えて帰ろうとしたときに、地元の呑ン兵が三人連れ立ってやって来た。この店は一段と賑やかになり、今夜も、夜の暮れ行くのを忘れて、兵(つわもの)どもは盃に盃を重ね、重ね、深いアルコール海の底を遊泳し続けるのだろう。羨ましかった。車を捨て置いて、彼らといつまでも一緒にいたい気持ちだった。
創作料理「くるま坐」さんのますますの繁栄を祈る。