2011年2月4日金曜日

独居老人の孤独を想う

昨夜は友人と打ち合わせを兼ねた食事会を、居酒屋でした。

私の話す内容に納得できない友人は、私を強く責めた。友人の言うことが余りにももっとも過ぎて、私は追い込まれていく一方だった。相手の気持ちが解れば判るだけ、私は気が滅入っていく。でも、それならば、いっそうの事、なんて自棄糞な気持ちは絶対避けなくてはならない。壊したくない。

私は気分がすぐれなかったのです、体調が悪すぎた。昼ごろから腹痛に苦しんでいた。極度に緊張すると、私はいつも急性の神経性胃炎を起こすのですが、今日はそうではない。友人は、カキのフライ、焼きそばを食って、焼きうどん食って、最後に鮭茶漬けを、目の前で美味しそうに食った。私は、友人の食いっぷりが羨ましかった。不思議な生き物を見るようでもあった、失礼。

腹痛は、朝、牛乳を飲んだときから始まっていたような気がする。牛乳が古かったわけではない。一緒に食った卵もそんなに古くない。牛乳を温めなかったからなのだろうか。友人は、お前の腹の中には、牛乳を消化する酵素がないんじゃないか、ともっともらしい理屈を言ってくれる。そして、ヤマオカ、牛乳は本来子牛が飲むものだよ、お前は何か大きな勘違いをしていないか?と病人に容赦ない。

22:00、帰宅して、着の身着のまま、外出着のまま布団にもぐった。痛みは引かない。新三共胃腸薬を飲んだがそう簡単には痛みは消えない。

私は今個人的な事情があって、一人暮らしをしている。

朝04:30起床と同時に洗面セットを持って散歩にでかけた。お腹がゴロゴロしていて気持ちが悪い。熱はあるのかないのか定かではない。友人にメールで空模様と気温のお知らせをしたのだが、曇っているからそんなに寒くない、と文字を刻んだのは、私の体に熱が少しあったからなのか。途中の100円ショップで、牛乳ではなく、納豆を買った。6個210円也。もう牛乳は買わない。歩数5,990歩、歩行距離3,8キロ、散歩の成果だ。大きな団地の帷子川に面した公園で、歯を磨いて、顔を洗った。いつもは冷たい水ですごく爽快な気分になれるのに、今日はお腹が痛くて気が重い。

それでも、05:15、朝食の準備にとりかかったが、この状態では何も食えないような気がして、粥も、鯵の塩焼きも、納豆も諦めた。そして布団にもぐった。

朝、会社に出社した。社員のA君は一昨日から持病の尿結石で激痛と格闘しているそうです。救急車で病院に行ったそうです。今日も休ませてください、と奥さんからの電話がありました。そんな報告を聞いて、私の腹の痛みも増してきたようで、私も休みをもらって、布団の中にもぐった。それから、4時間熟睡した。昨夜、痛みが激しくて睡眠不足だったのだ。疲れていることもあるのだろう。

昼過ぎ、経営責任者の中さんが、昼飯にと有名なお店のカツ丼を持ってきて、これでも食って元気をだしてください、と差し出されても、視線はそのカツ丼を避けた。カツ丼とは彼らしい。カツ丼を食えば、どんな状態の人でも元気になるとでも思っているのだろうか、不思議な人だ。肉こそが全エネルギーの源だと確信しているふしがある。寒くないですか、ドアーを閉めときましょうか、病院に行かれた方がいいんじゃないんですか、彼はどこまでも優しい人だ。

ありがとうと言いながら、静かに彼が去っていくのを待った。午後も同じように寝入った。

そこで、考えた。私も初老の域に入っている。幸いなことに友人やスタッフに恵まれているものの、一人暮らしを続けるには、絶対健康であらねばならない、と痛感したのでした。痛みが二日も三日も続けば不安は極度に増すだろう。

夕方になって、痛みは少しづつ引いたような気がした。苦しい2日間だった。

明日の朝、腹減った、と叫べればいいなあ。