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チュニジアのジャスミン革命の次はエジプト革命だった。いずれの革命も、主役は市民だが、大いに活躍したのはインターネットだった。市民デモの中核メンバーは幾人もいるのでしょうが、ネットを駆使しての仕掛け人、二人のことが紹介されていたので、20110215の朝日・朝刊の記事をダイジェストさせてもらった。
これは革命だ 確信した。
エジプトデモ、呼びかけた30歳
思いもしない大群衆
その一人、アフマド・マヘルさん(30)。
1月25日のエジプトの祝日「警察記念日」にデモをしようと計画したのは、昨年12月のことだ。「威張って国をだめにしている張本人が警察官。その記念日なんてお笑いぐさだと訴え、失業問題や貧困に関心を集めようと思った」という。大学で土木工学を学んだ。就職口はなかなか見つからなかった。選挙は不正ばかり。友人らと3年前、賃上げや民主化などを訴える「4月6日運動」を立ち上げた。インターネットの交流サイト・フェイスブックなどで呼びかけ、デモを始めた。だが、デモをしても警官の方が参加者より多かった。
1月25日のデモも「二、三千人くればいい」と思っていた。フェイスブック上の別のグループも、この日のデモを呼びかけていた。
そこに同14日、チュニジアでベンアリ政権が倒れた。デモ呼びかけへの賛同者が突如として増え始め、7万人を超えた。ネットの威力に、改めて驚いた。
25日。1万人は優に超える市民がカイロ中心部タハリール広場に集まった。最初の「若者に仕事を」「汚職を追放」といったシュプレヒコールは、いつの間にか「独裁政権打倒「ムバラク追放」に変わった。
26日、27日とデモを続けながら次の手を打った。イスラム教金曜礼拝がある28日の大規模デモの呼びかけだ。政権側は携帯電話とインターネットを遮断したが、メンバーが各地に走り、デモのことを知らせた。午後1時過ぎ、金曜礼拝を終えた人々が、各方面からタハリール広場に向かった。「ガルベーヤ」という伝統的な服を着た貧しい農民や労働者、ジーンズ姿の若い女性、家族連れ。その多くは、これまでのデモで見かけたことのない顔ぶれだった。
マヘルさんは腹をくくった。「チュニジアを見て、人々の勇気に火がついた。これはもはや抗議活動じゃない。革命だ。この流れは、だれにも止められない」
今月11日午後6時過ぎ、ラジオでムバラク退陣を知った。
マヘルさんは言う。「デモは、まだ続けるよ。エジプトが自由で民主的な社会になるまで、僕らは闘う。あきらめない。これまでも、いつか変化はくるとずっと信じていたのだから」
(ひび割れたムバラク大統領のイラスト 越田省吾撮影)
(戦車に上り写真を撮る子供たち 越田省吾撮影)
青年の涙 ネット世代動く
もう一人、インターネットを通じて決定的な役割を果たしたのは、ワエル・ゴネイムさん(30)。
検索サイト「グーグル」のドバイ駐在社員としてインターネット技術に精通。匿名で立ち上げたフェイスブック上のグループ「ハレド・サイード連帯」で1月25日のデモを呼びかけてエジプトに帰国したところを、拘束された。
「ハレド・サイード連帯」は、昨年6月に北部アレクサンドリアのネットカフェで身分証明証の提示や所持品検品を拒否したために警察官の暴行を受けて死亡し、圧制による理不尽な犠牲の象徴となった28歳の青年の名を冠した。フェイスブック上の賛同者は70万人を超えている。
ゴネイムさんは、釈放された今月7日夜、テレビ局のインタービューで、自分の呼びかけたデモで命を落とした若者たちの写真を見て絶句。「僕は安全なところからキーボードを叩いただけだ。英雄は街頭にいるあなたたちだ。権力にしがみつくやつらが悪いんだ」と泣きながら語った。
これが共感を呼び、映像サイトのユーチューブに転載され、フェイスブックでは「僕らはゴネイムを信じる」という新たなグループができた。参加者が減りつつあったデモが、匿名をかなぐり捨てた青年の涙で、息を吹き返した。
10日のデモが初参加だった医師タレク・ワヒドさん(26)は「ワエルさんのような有能なエジプト人が母国を愛して行動している。デモに参加して殺され、けがをした人々もいる。自分も何かしなければと思った」と話した。
無党派の若者主体の民主化運動グループ「4月6日運動」もデモ動員の土台を作った。2008年4月6日、北部の工場であった賃上げストに連帯したフェイスブックなどで呼びかけたのを原点とする。中心となる学生らはその後、複数のデモにかかわり、一定の経験を積んできた。賛同者の多くは「ハレド・サイード連帯」と重なる。
治安当局に拘束された大学生(23)は「どこの国にカネをもらった」「お前はイスラム過激派か」と尋問を受けた。「ネットでデモを知り、加わった普通の若者が中心だということを、体制側は理解できていなかった」と話す。
「エジプトは、本当の民主主義を知らずにきた。僕らの世代は、こんなことができるなんて想像すらしなかった。世界に通じる価値観を求め、それを実現する知識も持つ若者たちの新しい精神は、宗教や世代の違いを超えて伝わったよ。多分、最後にはムバラクにもね」
カイロ=貫洞欣寛、古谷祐伸
(タハリール広場でムバラク退陣を祝う人たち 越田省吾撮影)
(犠牲者になった人たちの写真が立てかけれている 越田省吾撮影)
20110213
朝日・朝刊
社説/エジプト革命
自由と民主主義の浸透を
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若者たちが立ち上がり、それに市民が合流した。20年続いた強権支配は18日間で崩れた。民衆の支持を失った権力者の哀れを印象づけたエジプトのムバラク大統領の辞任だった。
前夜に演説し、辞任を否定した。ところが翌日、副大統領から退陣を発表されることになった。
100万人の市民が連日、カイロのタハリール広場に集まって「大統領の辞任」を求めた。デモが全国的に広がってはもつはずもない。20世紀末の東欧を思い起こさせる民衆革命である。
強権支配の下で言論の自由はなく、政府批判には秘密警察が目を光らせていた。政府に腐敗が広がり、若者たちは、有力者のコネがなければ満足な就職もできない。
若者たちの希望を奪ってきた体制だった。それだけに、大統領辞任に歓喜するエジプト国民の思いは世界に伝わった。しかし、辞任させて終わりではない。大変なのはこれからである。
軍が全権を握ることになった。
民政への移行が火急の課題となる。民主国家として生まれ変わるために、憲法の改正と総選挙が必要だ。
そして新しい政府では、軍が政治に介入したり、軍人が大統領や閣僚になったりするこれまでの仕組みを、改めなければならない。
憲法や選挙法などの整備に若者を含めて国民の幅広い参加が必要である。
国民の間に、自由と民主主義を浸透させる作業が必要だ。選挙ひとつとっても、これまではテレビは与党の選挙運動だけを放送し、野党の選挙運動に様々な制約が課された。金権選挙が横行し、議会の圧倒的多数を与党が占める一党独裁体制が続いた。
民主化支援で、欧米の国々は政府や非政府組織(NGO)が草の根的な取り組みまで積極的にかかわっている。
日本も及び腰にならず、準備段階から専門家を派遣し、エジプトの民衆とともに民主化に取り組むNGOの活動を支援するなど、積極的な取り組みを進めたい。
カイロには、アラブ連盟の本部がある。エジプトはアラブ世界の調整役であり、中東和平の仲介でも重要な役割を担う。エジプトの民主化の達成に国際社会が支援すれば、アラブ諸国や中東にとってもモデルになる。
チュニジアで1月に始まった民主化の動きは1ヶ月でエジプトに及んだ。強権支配が横行する中東で、この動きは止めることができない。
民主化に抵抗し、権力にしがみついたムバラク大統領の見苦しい姿は、中東の指導者たちに、直ちに民主化にとりかからねばならぬという教訓を与えたと期待したい。
(タハリール広場で投石に使われた石を片づける市民たち 越田省吾撮影)