2011年2月15日火曜日

ムバラク大統領辞任

20110114、チュニジアのベンアリ前大統領が国外に追いやられるように逃げた。23年間も続いた強権政治を民衆の力がねじ伏せたのだ、見事な民衆革命だ。その民衆革命を国の花になぞって、ジャスミン革命と呼ばれるようになった。民意、民衆の力をみくびった為政者を葬ったのだ。

今度は、20110214、エジプト・ムバラク大統領だ。

各国の民衆革命後、中東の国々、北アフリカ、特にアラブ諸国がどのような情勢に推移していくのか、気になるところだ。混乱するのか、安定するのか、不安は付き纏うが、自国のことは自国の叡智と努力で何とか安定化して欲しいと思う。

アメリカ・イスラエルやイスラム圏の安全保障環境が一時的には混乱するのだろうが、どうか、穏便に民主的な手法で国が、地域が治まって欲しいと思う。

この類のニュースに、私の血は異常に滾(たぎ)るのです。先天的に無謀な私は、後先(あとさき)のことよりも、このような混乱が愉快に感じるのです。でも、そんなことに糠(ぬか)喜びしているわけにはいかない。これからが肝腎。どうか、革命後の政治のリーダーには頑張ってもらいたい。二度と、革命前と同じようなファラオ【国民を虐げる圧政者】の誕生はご免だ。

民族や宗教、主義主張は変われども、誰もが平和を望んでいるのです。平和第一主義でその政治を司って欲しいものです。俺を裏切らないで欲しい!!!

 

20110212の朝日新聞・朝刊の記事から

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(タハリール広場で11日、ムバラク大統領の退陣を求めて気勢を上げる市民たち=越田省吾撮影)

【カイロ=貫洞欣寛、古谷祐伸】エジプトのスレイマン副大統領は11日、ムバラク大統領が辞任し、軍の最高評議会に権限を渡したと発表した。ムバラク氏は10日夜(日本時間11日朝)にテレビ演説し、大統領としての権限をスレイマン副大統領に移譲すると発表。同時に、大統領としての地位にはとどまる意向を示していた。だが、即辞任を求める大規模デモが11日も起き、激しさを増したことなどから、辞任を決断したとみられる。

中東の地域大国エジプトで5期30年にわたり強権支配を続けてきたムバラク氏が大衆行動によって追いつめられ、退陣したことは、今後の中東各国の情勢に大きな影響を与えることになるとみられる。カイロ市内では発表直後、一斉に車のクラクションが鳴り、タハリール広場のデモ隊は歓声を上げて大騒ぎになった、

一方、エジプト軍最高評議会は11日、声明を発表し、①混乱収束後直ちに非常事態令を解除 ②総選挙の結果に関する不服申し立て受理 ③憲法改正 ④自由で公正な大統領選挙の実施 ---を保証するとした。さらに、権力移行が完結するまでは市民の要求に真剣に向き合い、デモ参加者を訴追しないことなどを確約した。

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(タハリール広場で10日、演説するムバラク大統領がスクリーンに映し出された=越田省吾撮影

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中東壮大な実験始まる

中東アフリカ総局長/石合 力

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サダト大統領暗殺、湾岸戦争、そして米同時多発テロ。「1」のつく年は中東世界で大乱が起こるといわれる。2011年が始まったとき、エジプト国民には9月の大統領選で二つの選択肢しかなかった。ムバラク氏の6選か、次男ガマル氏への権限委譲かーーー。わずか40日あまり後、民衆は自らの力で、どちらでもない選択肢を手に入れた。

チュニジアでベンアリ独裁体制を崩壊させた「ジャスミン革命」に続くエジプト民衆革命は、フェイスブックやツイッターや携帯電話でつながった「ネット力」が強権政治を突き崩す武器になることを改めて証明した。失業、腐敗、人権抑圧に対する若者らの「理由ある反抗」は世代を超えて国民を巻き込んだ。

一連のデモの間、タハリール広場は、縁日のようなにぎわいだった。即席のスクリーンでテレビに見入るひと。焼け焦げた治安車両の脇でサッカーに興じる少年。20代の女性は携帯電話で記念撮影をしていた。被写体は「これがムバラク政権の墓場だ」と書かれたゴミの山だった。

ジャスミン革命は、権力に従順だった中東アラブの民衆意識を決定的に変えた。自由と権利を求める人の波は戦車にも治安部隊の銃にも勝てる、という自信を与えた。

30年前の大乱以来、「現代のファラオ」となったムバラク氏は、その意識変化に最後まで気づかなかった。ネットと携帯を遮断し、治安部隊で一度は強制排除したが、力で抑え込もうとすればするほど、デモは広がった。「携帯電話の女性」はもう、怖がってはいなかった。

中東アラブ諸国に限らず、強権支配を続ける国の指導者は、ネットを活用した民衆革命の波がいつ来るのか、気が気でない日々が続くだろう。

「ムバラク後」のエジプト政治は、与党の翼賛体制からムスリム同胞団を含む複数の野党勢力が参加する新たな形を模索する。

だが、その行方は必ずしもバラ色ではない。長年の抑圧で、ただちに政権を担える野党勢力は存在しない。イスラム勢力の政治参加が突出すれば、アルジェリアやパレスチナ・ガザ地区の二の舞になりかねない。強固な治安組織が解体されなければ、新たな独裁が顔をもたげてくる。

親米アラブ穏健派の代表格だったエジプトの激変が、地域の安全保障環境に影響を及ぼすことは間違いない。民意が新政権にストレートに反映されれば、従来の親米路線が維持されるとは限らない。イスラエルは、安保政策の見直しを迫られるだろう。イランは「イスラム革命」輸出の好機とみている。権力の空白に乗じて、国際テロ組織アルカイダなど過激派の動きが活発化する恐れもある。

一連の政変は、口先で民主化を促しながら、過激派の伸張を防ぐという名のもとに強権支配を容認してきた欧米各国の矛盾も浮き彫りにした。人びとが訴えた自由の拡大や、貧富の解消をどう側面支援していくのか。日本には、どのような役割があるのか。

エジプトのジャスミンが、本当に花開くかどうか。それは、中東世界の今後を左右する。強権を崩したネットの破壊力を、民意をくみ取る創造力に転化できるかどうか。大乱の年は、中東全体の壮大な実験が始まる年でもある。