経営の最前線から一歩後退して、経営責任者の中さんのサポートをする立場になって2年、気分に余裕ができたのか、望郷の懐(おも)いに度々駆られることがある。その懐いとは父母や祖母、若かりし頃の私を可愛がってくれた今は亡き人々のことだ。そして、この秋のお彼岸に墓参りを思いついた。が、仕事の都合で果たせなかった。
父母は16年ほど前、祖母は40年前に亡くなった。母が癌で亡くなった同じ年に父も癌で亡くなった。父は、棺の中の母に向かって、迎えに来てくれよと叫んだ。そんなことを言うものではない、と戒められても意に介しなかった。父の葬儀の日、親戚のおじさんたちに、よっぽど二人は仲が好かったんだねと冷やかされた。
墓参りを思いついてからは、何度も何度も、田舎での活気に溢れた生活を懐かしんでいる。懸命に野良仕事に精を出していた父母、留守を守り家事を担当していた祖母。母の毎年の藪入りに一緒に連れて行ってもらった際には、女主人の伯母と伯母の母(母の母)はいつも温かくもてなしてくれた。中学生のときから大学に行くように進めてくれた吉岡先生。酒を飲んだ勢いで、タモツ、タモツと大きな声で話しかけてくれた叔母の夫。そして、私と杯を交わすのを楽しみに、帰郷する私を待っていてくれた妻の父。彼らが、天界で私の墓参りを待っているような気がするのだ。
冬の夜、お湯割りの焼酎の酔いと仕事の疲れで、ボヤ~ンとしていると、田舎の風景が頭に浮かんでは消える。横浜の私の貧しい部屋の窓から、鷲峯山が吹き下ろす冬の冷たい風や、夏の田畑の草いきれ土の臭い、製茶工場の窓から新茶の香りが、漂ってくる。そんな気がするのだ。
タモツ少年は、真っ赤な夕焼けを背に、野原で牛の散歩をしている。紐を放たれた子牛は、草を食(は)む親牛の周りをじゃれている。父と母は、仕事の手を休めて私や牛たちを眺めている。
今度こそ、墓参りを決行しようと、20131212の深夜バスに乗って帰郷することにした。