2013年11月26日火曜日

猪瀬都知事さん、あなたまで?

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20131123 朝日新聞・朝刊

定例会見で徳州会からの5千万円受け取りについて説明する猪瀬直樹都知事=22日午後、東京都庁、飯塚晋一撮影

猪瀬さん、やっぱりあなたも、黒い闇に巣食う政治屋に堕(お)ちましたか。

東京都の猪瀬直樹知事(67)が昨年12月の知事選前に医療グループ「徳洲会」側から現金5000万円を受け取った問題で、東京地検特捜部が、現金提供の経緯について複数の同会関係者から任意で事情聴取していることが、関係者への取材で分かった。

この件は、徳洲会グループ創業者の徳田虎雄・元衆院議員(75)の次男・徳田毅(たけし)衆院議員の、前回の衆院選挙における公職選挙法(運動員買収)違反容疑の取り調べのなかで、発覚したというか、露見されてしまったのだろう。その後、徳田議員の捜査はどうなっているのか、と気になっていたら、特捜部は既に小者(こもの)の徳田議員の容疑は固まって、主たるネライは猪瀬都知事に向ったようだ。この方が捕物としては力が入る。

猪瀬都知事は、私よりも2歳先輩の昭和21年(1946年)生まれの67歳、私は2年浪人後の入学なので、大学4年間は同じ期間を過ごしたことになる。私はサッカー部に所属しながら、クラスの友人に誘われて、大学の構内外でのデモ、国際反戦デーと佐藤首相訪米阻止闘争に過激なデモの一員として狩り出され機動隊と衝突した。1969年、2年生のときだ。2つのデモでは、同じように最榴弾を背中に受け、濡れネズミになって、高田馬場の後輩のアパートに寒さに震えながら逃げ帰った。

一方、猪瀬都知事は信州大学の全共闘議長として、同じ時期に同じ場所で、私と同じようにデモっていたことを知った。それに彼の著作だ、私が就職した西武グループと堤家(当時の社長は堤義明で、創業者は父・堤康次郎)らを皇族と絡めて著した「ミカドの肖像」を楽しく読んだ。その著作で、私が気にかけている第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したものだから、尚更、私は勝手に親近感をもっていた。

先の東京都知事選においては、都の財政が破格に豊かだからこそ、耄碌ジジイの石原慎太郎が大いにサボっても無駄遣いをしても、批判はさほどに起こることもなかった、が、さすがに批判の波が押し寄せてきたと察知した狡(ずる)いジジイは、自ら演出して映画「ロッキー」のテーマ曲をバックに、都庁から追い払われるように去った。悲しい男だ。そして猪瀬副知事が都知事に当選した。

そこで、やっと、行政の実務家としての猪瀬直樹氏の登場を、私は好ましいものと喜んでいたのだ。ところが、どっこい、ここにきて、やっぱり、お前までもか、やっぱり、そうだったのかとガッカリさせられている。この元全共闘も腐ってしまったようだ。

徳洲会グループ創業者の徳田虎雄氏に知事選への支援を要請した後、今や豚小屋(ブタバコ)行き寸前の徳田議員から議員会館で5000万円を現金で受け取った。今どき、5000万円を現金で手渡すなんて、そんな前近代的なことは一般社会ではしない、非常識、異常だ。「選挙資金ではなく、個人的な借り入れだ」と言うが、無利子無担保、返済期限が決められていない借り入れなんてこの世の中にあり得ない、異常だ。もらったのでは、ないの? 借用書が本当に存在するのか。

その金は、手をつけずに、妻名義の貸し金庫に保管しておいたところ、徳田議員への強制捜査が入った直後、返済したという。こりゃ、マズイと泡を食ったのだろう。

選挙のための借り入れだったのか、個人的な借り入れだったのか、それとも、選挙のための寄付金だったのか?

徳州会側からのあらぬ目的のため?に、、、そして徳州会の事業に配慮する。いつまでも返済しなくてもいいですよ、と甘言され、、そして、時を経て自分のものにする、そのような双方の語らず、書き残さずの了解があったのだろう。 

学生運動を共に闘った同志と、勝手に思い込んでいたのです、、が、、、、。

 

 

20131123

日経・春秋

闇に埋もれた事実を暴くノンフィクション作家・猪瀬直樹がこの席にいたら、果たしてどんな質問をぶつけたのか。そんな想像をしつつ、きのうの猪瀬直樹東京都知事の記者会見を見ていた。知事選前に猪瀬さんに徳州会側から5千万円わたっていたことの釈明である。

行きつ戻りつした説明はこうだ。選挙に出ることを決めた昨年11月、徳田虎雄氏に挨拶に行った。初対面である。しばらくすると徳田氏側から5千万円貸そうという申し出があった。「厚意で貸してくれるなら」と借用書を書いて個人名で受け取った。そのまま妻の貸し金庫に保管した。すぐにもう不要だとわかったーーー。

初めて会って5千万円? などなど、筋の通らぬところはいくらもあるのだが、わけても不思議なのは、「選挙のことを知らなかったし、これから何があるか解らないので借りたが、選挙とまったく関係のない金だった」という部分である。投票日の1ヶ月ほど前の大金だ。よもや本人もこれで世が納得するとは思うまい。

猪瀬さんは駆け出しライターだった30代のころ、仲間と飲んでどんなに座が盛り上がっても午後10時には店を出て仕事場に戻った。自分と向き合うためだという。「酒の席を適当に切り上げる習慣は今も変わっていない」と最近も書いている。二人の猪瀬直樹が向き合って、知事は作家を丸めこむことができるのだろうか。