鍋に入れる前の、カットを済ませたさつま芋の蔓
先の大戦の終わりごろ、日本は苦戦を強いられ戦況に歩調を合わせるように酷い食料事情に陥った。終戦直後の都会は全くの飢餓状態だった。
それでも私の生家は農家だったので、都会での深刻な状態など露知らずだったようだ。私たちが住んでいた村は、交通の不便な人里離れた辺境の地だったのに、そんな村にまで、京都や大阪から農作物の買い付けに、人々がやって来たらしい。
庭先に、干し柿を作るためにむいた渋柿の皮を干しておいた。柿の皮は、糠漬けに入れると芳醇な香りを出すためのもので、漬物作りには欠かせない。そんなものでも、分けて(売って)くれませんかと頼まれたよ、と話してくれた。
大学に入って、東京育ちの学友の父から、戦中、戦後、私らはよく「すいとん(水団)」を食いましたよと聞かされた。米がなくその代用食としてすいとんを食ったのです。小麦粉が不足していたので、小麦粉を水で緩く溶いて、汁、または熱いお湯に直接落とし込んで団子状態にしたものを食いました。まあ、よく食わされました。当然、汁には充分な味付けなどはしていないので、いくらなんでも美味いとは言えなかった、よ。
そして、この夏、2013の終戦記念日、私はすいとんを作って、食った。往時を偲(しの)ぶつもりだったが、立ち寄った友人から、そんなのすいとんとは言わないよ、すいとんはもっと貧しいものだよ。これは、野菜のごった煮に小麦粉の練ったものを入れただけじゃないか、とにべもなかった。
そのような話をしたり聞いたりしていると、私は私の田舎でのことを思い出した。私の故郷のほとんどの家は田畑を多かれ少なかれ持っていた。でも数軒は家の庭先しか耕作地を持たない家もあった。そのような家庭の働き手が、現金収入を得られる仕事につけなかったら、その生活は大変だった。
遊びに行った友人の家(うち)の食事を見て、吃驚したのだ。さつま芋の葉を細かく切って鍋に入れたのを見た。芋はなかった。さつま 芋はおやつとして、ふかしたものや焼き芋を食ったことはあっても、蔓も葉も捨てていた。その光景を母に話したが、ふう~んと言っただけだった。
できあがったさつま芋のキンピラ。
それから約55年後の今、イートハーブの果樹園の隅っこで芋(安納芋)を作っている。来週あたりに、孫と一緒に掘れたらいいなあ、と思っているが、孫も忙しいようで、どうなることやら。このさつま芋を植えた時から葉を食ってみると決意していた。そして、昨日、山田農園主の手伝いの最中に、さつま芋の葉を食おうと思っているんだ、と話しかけたら、農園主は「芋の葉ではなくて、蔓をキンピラにすると美味しいよ」と教えられた。
早速さつま芋の蔓を、山田農園からもらって帰った。作った、食った、美味かった。キンピラ作りはオテノモノ、美味しく頂きました。
ところで、葉っぱを食うことはどうなったんだっけ? 肝心なことが先延ばしになってしまった。