朝日新聞 遠藤啓生撮影
アメリカの新しい駐日大使になったキャロライン・ケネディ氏(55)が、20131115、着任したとの新聞記事を読んだ。にこやかに報道陣に囲まれ、軽やかに堂々としていられるのは、やはり血筋の為せる技か。1963年に暗殺されたジョン・F・ケネディ元大統領の長女で、女性初の駐日米大使だ。成田空港に到着後、声明文を読み上げた。そこには、父は米国大統領として初めて訪日することを望んでいたこと、日米両国の緊密な関係の強化に取り組めることは、私にとって特に名誉なことだ、と。
彼女の外交官としての力量は解らないが、オバマ大統領に近しい人だ。19日、着任挨拶を兼ねて天皇陛下にオバマ大統領の信任状を奉呈するために皇居に向かった。沿道には、今までには例のない大勢の人出があった。彼女は沿道の人々に笑顔を、カメラの放列に手を振って応えた。
父親のジョン・F・ケネデイ元大統領が暗殺されたのは、1963年11月22日のこと、そして今日は50年後の11月22日だ。葬儀の日、父の棺を見送る幼いキャロラインのスカート姿が痛々しかった。
今回は、キャロラインさんのことでもなく、元大統領の死でもない。光陰、矢の如し。ケネデイ元大統領が銃殺されたその日、私は何をしていたかをよく憶えている。ボヤ~ンと生きてきた私だけれど、この日のことは本当によく憶えている。
当時、私は15歳、京都府の宇治田原町立維孝館中学校の3年生だった。
従兄弟のなかで一番年上の清市さんが、私も良く知っている農協のマドンナのサッちゃんと結婚した。50年前のことだ。私たちの田舎では、新郎側から、結婚したカップルが新婚旅行から帰ってきた数日以内に、結婚に際してお世話になった人や、お祝いをくれた人たちに、お礼返しをする習慣があって、私はそのお礼返しの品を配達していた、その日に、事件が起こった。お返しの品は紅白の餡入りのお饅頭で、100軒ほどに届けた。このような仕事をあてがわれるのは、昔から大体子どもで、配達先で寸志を包んでくれるのをいただけたのだ。いただいた寸志の総計は2万円にもなった。大金を稼いだことになる。
このような役をそつなくこなせるのは、新郎の周辺では、私だったのだ。品物を3回に分けて配ったのだが、2回目に清市さんの家に戻ってきたときに、テレビのニュースがただ事ではない取り扱いをしていることに、気になった。サッちゃんは、アメリカの偉い人が殺されたそうなんや、と冷静だった。その時代には衛星放送などなかった筈だから、どのようにその映像はアメリカから日本のテレビ局まで届いたのだろうか。