2017年5月4日木曜日

憲法70年 朝日社説その2

9条の理想を使いこなす

戦後70年余、平和国家として歩んできた日本が、大きな岐路に立たされている。

台頭する隣国・中国と内向きになる同盟国・米国。北朝鮮の核・ミサイルによる軍事的挑発はやまない。

日本は自らをどう守りアジア太平洋地域の平和と安定のために役割を果たしていくか。

答えに迷うことはない。

憲法9条を堅持し、先の大戦の反省を踏まえた戦後の平和国家の歩みを不変の土台として、国際協調の担い手として生きていくべきだ。

平和主義を次世代へ

安部首相はきのう、憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。

首相は改正項目として9条を挙げ、「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」と語った。

自衛隊は国民の間で定着し、幅広い支持を得ている。政府解釈で一貫して認められてきた存在を条文に書き込むだけなら、改憲に政治的エネルギーを費やすことにどれほどの意味があるのか。

安部政権は安全保障関連法のために、憲法解釈を一方的に変え、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ。自衛隊を明記することで条文上も行使容認を追認する意図があるのではないか。

9条を改める必要はない。

戦後日本の平和主義を支えてきた9条を、変えることなく次の世代に伝える意識の方がはるかに大きい。

専守防衛の堅持を

日本防衛のため一定の抑止力は必要だが、それだけで平和と安定が築けるわけではない。

米国が北朝鮮に軍事攻撃を仕掛ければ、反撃を受けるのは日本や韓国であり、ともに壊滅的な被害を受ける可能性がある。日米韓に中国、ロシアを巻き込んだ多国間の対話と、粘り強い外交交渉によって軟着陸をはかるしかない。

そこで地域の強調に力を尽くすことが日本の役割だ。そのためにも、専守防衛を揺るがしてはならない。

自衛隊はあくまで防衛に徹する「盾」となり、強力な打撃力を持つ米国が「矛」の役割を果たす。この役割分担こそ、9条を生かす政治の知恵だ。

時に単独行動に走ろうとする米国と適切な距離を保ち、強調を促すため、日本が9条を持つ意義は大きい。

中国や韓国との関係を考えるときにも、他国を攻撃することはないという日本の意思が基礎になる。侵略と植民地支配の過去を持つ日本は、その歴史から逃れられない。

一方で今年は国連平和維持活動(pko)協力法制定から25年の節目でもある。

pkoを含め海外に派遣された自衛隊は、一発の銃弾も撃っていない。一人も殺さず、一人も殺されていない。

9条が自衛隊の海外での武力行使に歯止めをかけてきたことの効用だ。その結果、中東などで賠われた日本の平和ブランを大事にしたい。

紛争の起きた国の再建を手伝う「平和構築」は憲法前文の精神に沿う。日本も「地球貢献国家」として、自衛隊が参加できるpko任務の幅を広げたい。朝日新聞は憲法施行60年の社説で、そう主張した。

同時に、忘れてならない原則がある。自衛隊の活動は、あくまで9条の枠内で行われることだ。それを担保するpko参加5原則を緩めてまで、自衛隊派遣を優先してはならない。

日本の「骨格」を保つ

pkoは近年、住民保護のために積極的に武力を使う方向に「変質」している。そこに自衛隊を送れば実質的に紛争に関与する恐れが強まる。

pko以外にも視野を広げれば、災害支援や難民対策、感染症対策など日本にふさわしい非軍事の貢献策は多い。こうした人間の安全保障の観点から、日本ができる支援を着実に実行することが、長い目でみれば日本への信頼を育てる。

安全保障の文脈にとどまらない。戦前の軍国主義の体制ときっぱり決別し、個人の自由と人権が尊重される社会を支えてきたのも、9条だった。

これを改めれば、歴史的にも社会的にも、戦後日本はその「骨格」を失う。戦前の歴史への反省を否定する負のメッセージと国際社会から受け取られかねない。その損失はあまりにも大きい。

軍事に偏らず、米国一辺倒に陥らず、主体的にアジア外交を展開する。国際協調の担い手として、常に冷静な判断を世界に示す。そんなバランスのとれた日本の未来図を描きたい。

9条は日本の資産である。

そこに込められた理想を、現実のなかで十分に使いこなす道こそ、日本の平和と社会の安定を確かなものにする。