「第2の政治改革」構想を
政治システムとは機械仕掛けの時計のようなものだろう。
優れた全体設計が求められ、繊細なバランスの上で歯車やバネが役割を果たさなければ、針は狂い、故障してしまう。
「安部1強」の下で、日本の政治システムの歯車が狂いつつあるのではないか。不自然な国有地払い下げに端を発した森友学園の問題を見るにつけ、そう感じざるをえない。
首相への権力集中
安部首相は本人も妻昭恵氏も関与していないと繰り返す。政府は事実究明に後ろ向きだ。
一方、政府の監視役であるべき国会は、国権の最高機関としての役割を果たせないでいる。
野党は国政調査権の発動を求めるが、与党の反対で実現しない。財務省資料の国会提出は宙に浮いたままだ。
政府・与党を掌握する首相への権力集中という政治状況が問題を解明しようとする歯車の動きを止めているのだ。
首相の1強は、1980年代末から進められてきた「政治改革」の帰結ともとれる。
金権政治への国民の怒りを受けた一連の政治改革は、自民党一党支配を元凶と見立て、政権交代可能な政治をめざした。
勝敗をより際立たせ強い政権をつくるため衆院に小選挙区制を導入。政党助成金制度で、政治家個人や派閥より政党に政治資金が集まるようにした。
その後も省庁再編、国家安全保障会議や内閣人事局の設置など、歴代政権がバトンをつなぎながら「政治主導」「首相官邸機能の強化」を追求した。
人事権、公認権、カネ、情報ーーー。権力の源泉が首相に集中する一方で、国会による監視機能は相対的に低下した。
確かに、小選挙区制は政権交代をもたらした。政治とカネの大きな疑惑も減った。
だが、政権交代を繰り返すことで、権力チェックの機能が強まる。そんな好循環は旧民主党政権の挫折によっておぼつかなくなっている。
抑制と均衡の回復を
政治改革の成果は生かしながらも、行き過ぎた権力の集中がないかを検証し、統治機構のバランスを回復するメンテナンスが必要だ。
立法府と行政府の間に抑制と均衡の緊張関係を取り戻す。そのための「第2の政治改革」と言ってもいい。
例えば森友学園問題で俎上にのぼった国政調査権。ドイツでは行使の権利を議会の少数派に与えている。同様の制度を日本でも導入できないか。
憲法に書き込む方法もあろうが、国会法などの改正で実現することもできる。
「強すぎる首相」の一因である、首相の衆院解散権を抑制すべきだという指摘もある。
衆院憲法審査会では「解散理由を国会で審議するなど解散手続きを法律で定める方法と憲法を改正して解散の条件を明記する方法がある」という具体的な選択肢も議論された。
政治の歯車が狂うのは権力の集中によってだけではない。衆参の多数派が異なる「ねじれ」現象で国会が停滞し、「決められない政治」と批判を浴びた。再び衆参がねじれた場合に、国会がどのように合意形成をはかるのかという問題にも答えを出しておく必要がある。
三権の全体構想から
似通った選挙制度と権限をもつ衆院と参院という二院制の役割分担をどう整理するかは、政治改革で積み残された大きなテーマでもある。
衆院のコピーではなく、参院独自の果たすべき役割とはなにか。「再考の府」か。それとも「地方の府」か。
憲法学者の大石眞・京大名誉教授はこう指摘する。
「衆参それぞれの役割をイメージしたうえで、選挙制度や権限はどんな組み合わせがよいのかという統治機構全体を構想する議論を始めるべきだ」
まずは司法を含む三権全体のあり方を点検する議論から始めたうえで、今の不具合は国会の規則や慣例の変更で対応できるのか。国会法、公職選挙法、内閣法など「憲法付属法」の改正が必要なのか。統治機構の基本枠組みを定めた憲法の改正が避けられないのかーー。
そうした整理を進めることこそ、あるべき道筋だろう。
自民党からは「衆院選の合区解消」「緊急時の国会議員の任期延長」など統治機構の一部をとらえた改憲論も上がる。手を付けやすいテーマでとにかく改憲をという思惑が透ける。
求められるのは、このような改憲ありきの局所的な手直しではないことは明らかだ。
日本国憲法は施行から70年の時を刻んだ。自由や人権、平和主義といった憲法の核心といえる理念を守り、次の世代に引き継いでいくには、健全な政治システムが必須となる。
その針と歯車は狂いなくしっかり動いているか。主権者である国民一人ひとりが絶えず目を光らせる努力が欠かせない。