2017年5月4日木曜日

5月4日の天声人語


天声人語

日本国憲法のもとになったのは連合国軍総司令部(GHQ)がつくった英語の草案である。外相の側近だった白洲次郎が、翻訳の過程を回顧している。天皇の地位を定める英文の表記をめぐって、外務省の担当者が疑問の声をあげた。「シンボルって何というのや」。

白洲はそこにあった英和辞典を引き、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったという(『プリンシプルのない日本』』。天皇主権の時代を生きてきた人びとの戸惑いが伝わってくる。

出自にかかわらず平等を旨とする民主主義と、世襲の君主制。本来ならば相いれない二つを結びつけたのが、象徴という言葉であった。しかし、「象徴とは何か』について私たちはどれほど考えてきただろうか。

象徴のありようをずっと模索してきたのが、天皇陛下であった。そのあらわれが被災地への訪問であり、病に苦しむ人たちとの対面なのだろう。太平洋戦争の激戦地への慰霊の旅は、大きな犠牲の上に今の平和が築かれていることを思い起こさせてくれた。

もしかしたら、そんな姿に甘えていたのかもしれない。先日の紙面にあった渡辺治・一橋大名誉教授の言葉にほっとした。「将来、別の天皇が、慰霊の旅として、国民の間で様々な意見がある靖国神社や全国の護国神社を回るとしたらどうでしょう」。

退位のあり方にとどまらない議論が必要なのだろう。主権を手にした私たちにとって、象徴とはどうあるべきか。施行されて70年の節目に、問いかけられている。