2017年5月7日日曜日

次の高橋和巳は、「邪宗門」だ

この本から、やっぱり、私は身を引き下げれない?
脳髄から抜け切らないのは、高橋和巳作品集のなかでも「邪宗門」だ。

再読、その後、感想を述べないわけにはイカナイ。学生時代を終え、それから10年、大いにこの作家に影響を受けた。
1971年、39歳で早逝した高橋和巳はこの小説を「朝日ジャーナル」に連載した。
私の学生時代、大学3年か4年生だった。

1984年(昭和59年)の「オウムの会」から、2000年(平成12年)に破産するまで、世間の関心がオウム真理教に大いに寄せていた。このオウムとは全然関係なく、私の頭脳構造は苦悩教の始祖・高橋和巳の「邪宗門」に傾いていた。
まさか、このオウム真理教の開祖・麻原彰晃はこの邪宗門を夢にでも見ていたのだろうか。
そんなことは、ないだろう。

「邪宗門」が、新興宗教団体を題材としていたから取り上げたのだろうか。
この小説では、最終的にオウム真理教のようにテロを思わせるような展開になる。
オウム真理教はテロでも、邪宗門は決してテロではない。

オウム真理教と関連したように引き合いに出されたのは、「邪宗門」にとって不幸であった。勝手な者が、身勝手に発想しただけのことだ。
著者である高橋和巳は、後で記す大本教を手本にしたことは事実だ。
オウム真理教と「邪宗門」の関係することは、この程度にして、これ以上話すことも書くこともない。高橋和巳さんにとって、面白くも可笑しくもない話だ。
繰り返すが、「邪宗門」はオウム真理教のような狂気な集団でない。
むしろ、大本教を模した宗教物語のようだ。ちなみに、大本教とは反差別思想や平和主義を掲げる教派神道系の教団だ。

誤解されやすい題名が誤解を招く結果になったのかもしれないが、信仰や宗教にこれほど真摯に取り組んだ文学作品はほかにはない。私にとっても、不思議な文学だった。

高橋和巳が存命ならば、オウム真理教と並べて自作が語られることに毅然とした態度で反論したはずだ。

昭和6年、母を失くし「ひのもと救霊会」を訪ねた少年、千葉 潔は教団に救われた。やがて時代は戦争へと向かって、教団は徹底的に弾圧を受け、教主は投獄される。
それから、分派、転向、独立、壊滅へ向かう教団の運命はいかに?
上記の内容が、この物語の極めて大まかな粗筋だ。


★もう少しまめな粗筋をネット記事より拝借した。

ひのもと救霊会」は、国家権力からの圧力を受け、教団の本拠地である神部(かんべ)の村の神殿を破壊される。

太平洋戦争勃発以降虐げられ続けた教団は、敗戦とともに勢力を取り戻すが、再び弾圧的となり、ついには権力との対決を選ぶ。
この本の最後には、神部を自治解放区に変え、国家からの独立宣言をなした。

小説は大きく戦前、戦中、戦後を時系列に描く三部構成をとっており、教団に関わる数多くの人物が登場する。

高橋和巳の視点は、どの人物にも丁寧に照射されており、壮大な群像劇とも言える。
そして、その中心には常に教主が置かれている。
二代教主は、
開祖・まさとともに「ひのもと救霊会」を立ち上げた行徳仁二郎である。

裁判にかけられ、投獄されても、仁二郎は教団の精神的支柱であった。

仁二郎は、特別に高邁な理論を並べるだけではなく、ただひたすら、日本に土着した人々の普通の考え方、来し方を説くのみだ。
先祖代々の土地を守ろう、そこで一生懸命に働こうと言う教主の言葉は、読者の我々にもしみじみと伝わってくる。
本書より、、、、、、、、
神とは何か。
それは祖霊、すなわち先人たちのなさんとして果たさざりし心の結晶であります。
それゆえに私どもは、その神の意を体し、神の意を受けて、この土地に神の国を築かねばなりません。
それが先祖の業績、その富の文化をうけて生活する子孫の義務であります。

刑務所の独房に閉じ込められ、ついには出所できないままに果てるのであるが、そんな極限の環境下でも仁二郎は、周囲に圧倒的な影響力を持ち続ける。
特に説教をするわけでもないし、獄中の囚人には発言どころか仰臥する自由さえ与えられていない。
それでも、長年にわたって仁二郎と接触する人々は、いつのまにかその人物の大きさの前に自然とこうべを垂れるようになるのだ


その一方で、高橋和巳は、信者たちに太陽のような存在として崇められるだけの人物を描くわけではない。
教主の姿は仁二郎が意識して作り上げたものであり、その裏側には同時にまた、別の仁二郎がいることをも、冷酷に暴いていく。

幹部の誰かが警察の訊問に屈して開祖まさのお筆先を否定した、という噂が流れる。
ところでこの「お筆先」の意味をネットで調べた。
お筆先とは、神のお告げ。
特に天理教や大本教で教祖が神のお告げを書き記したという文書だそうだ。

仮釈放された仁二郎は、彼が不在の間、妻の八重が教主代理を務めてなんとかやりくりしていた神部の教殿に戻る。
自室に籠ると、仁二郎は妻の八重の前にひれ伏して、慟哭する。

拷問の末、開祖の教義を曲げたのは、ほかならぬ仁二郎であった。
真の宗教家らしくあり、またひとりの人間としての弱さをあわせ持つ仁二郎は、死に際に教団の将来を示唆する遺言を残す。
遺言を引き継いだ者は二人いて、それぞれが受け取った言葉は、正反対のものだった。

長老の松葉幸太郎には、怨みや怒りは持たず何もなかったようにして自分たちの信じる道を歩めという寛恕の言葉が伝えられる。
かたや、青年部の足利正が臨終の枕元で筆記したという文章は、権力を呪詛し、凌辱のはずかしめをあたえよという内容だった。

仁二郎の二面性がそのままふたつの遺書として残ったとき、教団の人々もまた、当たり前のようにしてどちらも正式な遺書として受けとめる。
二者択一はせず、矛盾したものとして非難もしない。
人は必ずしも一貫した精密さで、ひとつの考え方を保ち続けるわけではない。
ましてや、長年の独房生活の末に獄死を覚悟した人の遺言なのである。
未来志向の展望も、度重なる弾圧への私怨もあって当然。
この教主と信者の関係性の幅の広さと信頼の奥深さが、「ひのもと救霊会」の宗教団体としての純粋さをリアルに表現している。
仁二郎が死んだあと三代教主の座につくのは、
千葉潔である。

物語の冒頭に神部の村はずれで、行き倒れているところを老婆堀江駒に救われた少年が、成人となって教団のトップに昇りつめる。
読み取り方によっては、「邪宗門」は千葉 潔の成長物語でもある。

千葉 潔は、東北の貧しい農家の出身。
父親が早くに行方不明で稼ぎがなくなり、母親と二人で放浪しながら乞食生活を送る。
ついに餓死寸前のところ、母親から私の肉を食べて生きのびろと言い渡される。
死んだ母親を食らって生きながらえることの因業。
幼くして孤児となった千葉 潔には既に暗く哀しい将来しかなかったのだ。

千葉少年を引き取って育てることになった堀江 駒の一家は、その過去は知らない。
千葉 潔は素直な働き手とはなっても、誰とも語り合わず交流もせず、ひたすら孤独に神部の村で暮らし始める。

不幸な生い立ちではあるものの、千葉 潔は明晰な頭脳を持ち、他人を惹きつける雰囲気を備えていた。
教団の中で少しずつその存在が馴染んだところで、教団最高顧問加地基博は千葉少年にこう言い渡す。
年端もいかぬ年齢でお前がどういう経験をしてきたか、どういう運命の下にあるか、言わいでも解る。
お前自身もそれは知っていよう。お前は人を愛してはいけない。
この世のすべてが空であるその空に身を寄せて、生涯を孤独に送りなさい。

最高顧問の忠告通り、いちどは千葉 潔は教団から離れるが、戦争が終わって南方の島から復員すると、神部の村に戻ってきてしまう。
そして、再び教団に対する弾圧が始まると、望まざる形式のもとで三代教主になってしまう。

参謀役として信者を細胞化させ全国に広めることに成功した千葉 潔は、教主になると、抜群の記憶力をベースに次々と通達を繰り出す。
混乱する教団を理論で導き、組織人事を固め、ひそかに武装化を進める。
  
しかし、怜悧な戦略家ではあっても、彼は所詮、宗教家ではないのだ。
ただ千葉 潔の場合はそうではなかったのだ。

もし一切の宗教が自らに生命を与え、外気に触れながらもただ泣きわめくことしか知らぬ自分を育ててくれた者への感謝、そして今ひとつ死すべき存在としての人間の死の恐怖に発するものなのなら、彼にはまさしくその宗教的感情の基礎が欠けていたのだ。

結局、教団は予期せぬ事故をきっかけとして、千葉 潔が準備していた武器弾薬を使用することになる。
すなわち、神部を自治解放区に変え、国家からの独立を宣言したのだ。

当然のことであるが、戦後すぐの日本の支配者はGHQ、アメリカ占領軍であり、ちっぽけな一地域の武装蜂起などすぐさま鎮圧してしまい、教団の存在もろともなかったことにされてしまう。

信者と神部の土地を失った千葉 潔は、開祖まさのお筆先の通り、餓死の道を選ぶ。それは、母親の肉で飢えをしのいだ彼にとって、宿命づけられた死に方だった。
そして「お前は人を愛してはいけない」という最高顧問の言葉は、忠告ではなく千葉 潔の運命を予言したものであったのだ。
三代教主千葉 潔を同時に愛する二人の女性は、ともに二代教主仁二郎の娘でもある。

姉の阿礼は、気高く傲慢な精神と豊満な肉体を持ち、千葉 潔を小間使いとしてこき使う。いじめることが他の誰よりも愛することなのだとは、本人さえもわかっていない。

かたや、妹の阿貴は、小児麻痺から片足が不自由となり、幼くして堀江駒の家に預けられた。
自然の成り行きとして、駒が拾ってきた千葉少年が阿貴の面倒をみることとなり、無口な阿貴は千葉にだけはなつくようになる。

その千葉 潔が教団を去る場面。汽車を見送って、歩くこともままならない阿貴が走り出す描写は、ドストエフスキーの『虐げられた人々』のネリーを彷彿とさせる。


この二人の女性、阿礼と阿貴は、その立場を逆転するようにして、父であり教主である仁二郎不在の教団を支えることになる。

阿礼は、教主代理として自分を捨てて戦中の教団を支える。
ついには物資の調達に行き詰まった教団の困窮を救うため、救霊会から分離独立してファシスト集団化した皇国救世軍の子息のもとに嫁ぐ。

一方で、阿貴は、父の死と姉の嫁入りの後、教団の継主、すなわち次の教主を指名する権限を持つ最高責任者にすえられてしまう。

戦争が終わり、右翼団体から出戻りした阿礼は、妹の阿貴にかしずく立場となる。
昼間から酒を浴び自暴自棄になった阿礼は、復員した千葉 潔が神部に戻ってくると、阿貴になりすまし、偽の手紙を書いて千葉を三代教主に指名してしまうのである。

ただ遠くから千葉に思慕の念を抱き続ける阿貴と自分付きの下男として千葉を直接的に使い倒してきた阿礼。
どちらが男と女の関係に行きつくかは明白だ。
阿礼は三高生となって成長した千葉 潔と契りを結び、教団が占領軍の手により滅ぼされる直前にも再び千葉と閨を共にする。
誇り高い阿礼と虚無的な千葉の交わりは、具体性の乏しい、極めて詩的な表現で描かれている。

原本より。
すべてが完全な沈黙の中に行われた。
寒々した部屋。
彼女の健康を気づかう人々もさすがに疲れて寝静まった夜半。ただ月のわずかな青さだけが流れこむ部屋に、二人は向い合い、そして阿礼は長襦袢の襟をはだけて横たわった。
雨が降っていたのだろうか。
ぽとぽとと雨だれの音がする。
いや、それは枯葉が庭に散る音だったろうか。
人影は動かず、もの言わず、じっと彼女を見おろしている。