2017年11月25日土曜日

コバルトーレ女川に激励

20171124の朝日新聞・夕刊を読んで、今、この「コバルトーレ女川」を無性に激励したくなってしまった。この記事を下に転載させていただいた。
どんなスポーツでも気を抜くことなく愛したいと思っている。
どんな部もどこのどんなクラブでも、他人には言えない苦しみは持っている。それぞれ悩みや苦痛や辛いことはある。
それでもお悧巧さんだから、何とか遣り繰りしながら、明日に向かって頑張っている。
だから? なのザ。目を瞠っていたい。私の心身供の健康のために。

そんな私の心眼に刺さった記事だ。

後日思いたつように。
どんな部でもクラブでも私が一度見たチームのことは、一生忘れない。一度見てしまうと、私のセンチメンタルな想いがどちらのチームに対してもはびり込んでしまうようだ。
双方のチームにひと目惚れする。
こんな惚れっぽい俺を、いつまでも付き合ってくださいな。



仮設住宅(後方)に隣接する練習場でミニゲームに汗を流すコパルトーレの選手ら=宮城県石巻

宮城県牡鹿郡女川町をホームタウンとするサッカークラブである。
東日本大震災で被災した宮城県女川町のサッカークラブ「コバルトーレ女川」が、日本フットボールリーグ(JFL)昇格にあと一歩まで迫っている。
選手らは避難所生活を経て活動を再開。東北リーグを制して24~26日、各地の覇者との決戦に挑む。

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女川サッカー全国リーグ目前
寮全壊 選手ら避難所経験

「震災復興見てもらえる」

「走れ」「パスをもっと早く」ーーー。女川町の隣の石巻市。人工芝のピッチに選手たちの声が飛び交った。練習場のネットを隔てて仮設住宅が今も残る。「住民の応援があって初めてサッカーができる」。震災前から在籍する主将の成田星矢選手(31)はそう語る。

東北リーグ2部だった2011年、津波で女川町の中心部は壊滅し、選手寮も全壊した。難を逃れた選手たちは避難所で暮らしながら、水や食料を配るなどのボランティアに奔走した。成田選手も避難所や勤め先の蒲鉾会社に寝泊りし、1か月ほどしてボールを蹴り始めた。近くの公園で子どもたちと一緒に遊ぶ程度だったが、「子どもの笑顔を見て頑張ろうという気持ちがわいた」と振り返る。同じく震災時かあら残る吉田圭選手(30)は勤め先の水産加工場で津波に襲われ、命からがら高台に上った。「毎日その日のことを考えるので精いっぱいだった」

チームの練習場だった町営グラウンドは自衛隊の支援拠点に変った。それでもチーム運営会社の近江弘一社長は「サッカーで私たちを元気づけて」という住民の声に押され、「1年間の休部後に再開する」と決意した。近江社長は「石巻日日新聞」の社長として、震災時に輪転機が止まりながら、手書きの壁新聞を作り続けた人物だ。

チームは震災半年後に練習を再開。翌年、東北リーグ2部から1部に昇格し、昨年、初優勝を果たした。JFL入りを懸けた「全国地域サッカーチャンピオンズリーグ」(地域GL)は、昨年1次ラウンドで敗退したが、今年も東北リーグ1部で優勝、地域GLで勝ち上がり、宮崎、千葉、京都のチームとともに、決勝ラウンドに駒を進めた。

4チーム中2位に入れば、JFL入りの夢がかなう。24日は千葉県市原市のグラウンドで、テゲバジャーロ宮崎と戦う。阿部裕二監督は「JFL入りすれば、全国から観戦に来た人に女川の復興ぶりも見てもらえる。この好機をものにしたい」と話している。
(加藤秀彬、森治文)
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これからの文章は、「コバルトーレ女川」のホームページより。

コバルトーレ女川は平成18年4月にアマチュアサッカーチームとして誕生しました。女川町を拠点地として活動し、平成29年のJリーグ加入を目指しています。そもそもなぜ東北の人口1万人に満たない小さな町にJリーグ入りを目指すサッカーチームが生まれたのか。
女川町は、漁業を中心とした港町。しかし近年は高齢過疎化が進み、若者がいないことで、主産業である漁業も衰退し、町から活気が失われていくことが懸念されていました。
チームには「地域貢献」という大事な使命があります。サッカーを中心とする活動で町を元気づけることが、クラブの存在意義です。また、選手たちは日中地元の企業で仕事をすることで、地域に貴重な労働力を提供することも期待されています
チームは平成18年度に石巻市民リーグに参戦すると、2年後には東北社会人リーグ2部に昇格、21年度には東北社会人リーグ1部昇格を決めるなど大躍進を遂げました。しかし、翌年1部リーグでの戦いは主力メンバーの負傷など不運も加わり成績は振るわず、結果は8位。わずか1年で2部に降格することになりました。
再び1部昇格を目指して臨んだ平成23年度。しかし、この年はリーグ開幕の直前に東日本大震災が発生してしまいました。
「とにかく活動してほしい」。震災後、サッカーをすることに後ろめたさを感じていた選手たちに、サッカーをするよう後押ししたのは女川の人たちで、「活動を再開することが町の元気につながる」と言ってくれました。
そして2012年4月22日。コバルトーレ女川はリーグ戦のピッチに再び立つことができました。
復帰戦となった開幕戦は5-0で快勝。その後もリーグ戦で快進撃を続け、24年度はリーグ2位の成績を収め、再び1部昇格を掴み取りました。


震災以降人口が1万人から7,500人まで減少した女川町に計り知れない恩恵をもたらすはずです。

設立当時から描いていたJリーグ入りという目標。それは、未曾有の震災を経ても崩れることはなく、今や女川町が一体となって目指す大きな目標となりつつあります。