2019年5月25日土曜日

誤審はしないこと!! 選挙でも。

20190525(土)
朝日新聞・朝刊 13面オピニオンにあった記事を下記に転載させていただいた。

何故、今、私がこの記事にそんなに興味を持つのかと、このブログを読まれた方は思われるかもしれない。
著されている3つの事件を、私はいつも以上に興味を持っていたからだ。

卓球についてはこの大会のこの勝負をテレビで見採(と)った。
夕食後、酔いにとろとろしながら、脳の中枢ははっきり反応した。
出場者の伊藤美誠、早田ひなのペアよりも、ビール瓶の置かれているテーブルを蹴散らした私の方が怒り狂っていた。

サッカーのJリーグ、浦和ー湘南のゲームの肝心要(かんじんかなめ)の部分だけはスポーツ報道で知った。
解説者も言っていたけれど、担当する線審がボールの進んでいる方向近くまで走ってチェックしていたのなら、例え誤審があったとしても、留飲(りゅういん)はちょっとだけ下げられたかもしれない。
ところが、線審ははるか遠くに居て、テレビ画面はクッキリハッキリ、ボールがゴールラインを飛び越え、ネットを突いていたのをキャッチしていた。
私も高校・大学とサッカー部に所属、専業の守りをやっていた者だから、その誤審には激しい反応をした。
きっと、グラウンドでその場面に遭遇していたら、このキチガイのような頭は目も当てられないように狂っていただろう。

サッカー日本代表の長友佑都が所属するトルコのガラタサライの下部組織での善行については、ネットで知った。
長友氏もこの行為について、感激したとのことも知った。
内容については、下記の文章で理解してもらいたい。

悲しい誤審のことだけではなく、こういう善行と言っても憚らない行為もあるんだよ、と著者は言いたのだろう。
だが私は、また違った誤審問題で怒っている。
丸山穂高衆院議員に対してだ。
こんな国会議員を選ぶ選挙において、投票する側はこんな誤審をしないでくださいね、と言うことだ。

報道関係の全てが、北方領土問題を巡り、領土を戦争で奪い返す是非などに言及した丸山穂高衆院議員(35)に対し猛烈批判した。
憲法において、戦争は絶対やってはいけないと決められている。
一方、丸山氏はこの日、衆院議院運営委員会が求めた理事会での事情聴取を欠席。
2カ月の休養が必要とする診断書を提出した。
関係者によると、病名は「適応障害」だという。
この適応障害とは、どんな病気なのだろう?
ネットで調べると下記のようだ。
適応障害とは、生活の中で生じるさまざまなストレスにうまく対処することができず、抑うつや不安感などの精神症状が現れて日常生活に支障をきたす病気のことです。

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多事奏論
編集委員・稲垣康介

誤審騒動 矛先、審判に向けるだけではなく
あの「誤審」が来年の東京五輪で起きたとしたらーーーー。
騒ぎはもっと炎上するだろう。
五輪は人々の愛国心をたぎらせる着火装置になる。
五輪憲章が国家間ではなく、「競技者間の競争」だと強調しても、事実上は国別対抗戦の色彩が、かなり濃い。

4月に開かれた卓球の世界選手権女子ダブルスの決勝だった。
伊藤美誠、早田になのペアは中国ペアと競い合っていた。
ゲームカウント2-2で迎えた第5ゲームの9-9から早田のサーブを相手がレシーブミスをして得点が入った、はずだった。
ところが、審判はサーブがネットに触れたとして、やり直しの判定。
会場に流れたスローモーションに触れていないのが確認できたが、審判は見なかった。
日本ペアはこのゲームを10-12で失い、結局、笑顔なき銀メダルに泣いた。

その代償で、私たちメディアが大好きなリベンジに向けた因縁は生まれたけれど。
誤審を糧に東京五輪で雪辱!の台本だ。

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「誤審」騒ぎといえば、サッカーのJリーグでも先週起きた。
浦和ー湘南で湘南の選手が放ったシュートはサイドネットを揺らして入ったが、審判はゴールを認めなかった。
ワールドカップと違い、Jリーグではビデオによる判定補助は採用していない。
義憤に駆られた湘南の選手たちが奮起して劇的な逆転勝利につなげたから、サポーターは留飲を下げたけれど。

こうした「事件」は、ネットですぐに拡散する。
決定的な場面の映像が簡単に探せて視聴できる時代だ。
審判の名前が特定され、パッシングを浴びる。
ミスを犯さない完璧な人間なんていないのに。

誤審の運、不運は巡り巡って行き来する。
そんな人間臭さを許せるおおらかさがスポーツにあっていい。
そうした慈悲深さを盾にテクノロジーの介入に懐疑的な論調もあるが、私は導入に大賛成だ。

テレビの視聴者があらゆる角度のカメラで決定的瞬間を目撃できるのに、審判が肉眼だけで瞬時に判断するのはハンディがありすぎる。
ましてやSNS全盛の時代。
コスト面と運用技術が整えば、テクノロジーとの共生をためらうことはない。
審判に誤審の十字架を背負わせるのはむごすぎる。

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誤審への批判の矛先は審判に集中しがちだが、少し視点を変えてみたい。
人間の良心、スポーツの価値を学ぶ題材にある。

誤審が起きたとき、その間違った判定で利益を享受した側の選手の自己申告に期待できないだろうか。

実話の美談を紹介したい。
サッカー日本代表の長友祐都が所属するガラタサライ(トルコ)。
その下部組織の選手の善行がSNSで広まり、世界で共感を沸き起こった。
14歳以下チームの主将がドリブルし、ペナルティーエリア内で自らバランスを崩して倒れた。
主審は相手選手に倒されたと勘違いしてPKを宣告した。

その主将は自らPKをけり、わざとゴール枠を大きく外れるキックをした。
その行為がネットで拡散し、喝采を呼んだ。

少年チームの試合とプロリーグ、さらには世界選手権や五輪の金メダルがかかった試合を同列に論じるつもりはない。
私自身、自分なら審判に真実を告発したり、わざとPKを外したりするかは、正直怪しい。
逆に言えば、そんな自分だから少年の行為が一服の清涼剤のように、胸に響く。

大人の世界、例えば世界では地球規模で利己主義が幅を利かし、多国間主義への疑念が渦巻く。
協調の精神がかすむ。
だからこそ、爽やかな利他主義が稀少さを増す。

この少年のフェアプレーは、欧米メディアなどが動画投稿サイトに配信し、映像は爆発的に再生された。
「真のスポーツマンシップ」「だから彼は主将なんだ」「プロ選手も見習うべきだ」と賛辞があふれた。

心が洗われたのは、私だけじゃない。