2019年11月27日水曜日

山茶花(さざんか)梅雨

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雨にぬれた山茶花の花
上下2枚とも山茶花(サザンカ)
山茶花は年内に咲くが、花のよく似た椿(ツバキ)の咲くのは年明けだ

出勤前、朝飯を食べて朝刊を読みながらテレビを観ていた。
テレビは、香港での激しく燃え盛る学生デモの様子が画面一面に映されていた。
このデモのなかで、24日に行われる区議会選挙が今後どのような結果になるか、興味たっぷりな報道もした。
それから、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇のタイ訪問での活躍ぷりが放映されて、タイが終われば日本に、長崎、広島、天皇、政界、東京スタジアム、上智大学、にやって来る。
日本でもきっと数々の人々に笑顔を、祈りをなさるのだろう、タイで温かく迎えられた教皇と住民との交わりが好感をもって放映された。

それから、天気予報が始まった。
気象予報士が今日から1週間の天気予報をやり出した。
この2,3日雨が続いている。
そして発したのが、この時期にこんなに雨が続くことを「山茶花(さざんか)梅雨」と言うんですよだった。
私には、この気象予報士が次に言うことが何か?なのか直感で解った。
秋から冬にかけて移動性高気圧が北に偏り、前線が本州南海上に停滞して梅雨時のような天候になることから発生する。
年によっては山茶花の咲く頃、晴天が多いはずの11月下旬から12月上旬、太平洋側では雨の日が多くなり、季節違いの長雨の感じになる。
この長雨が「山茶花梅雨」と呼ぶのだそうだ。
長雨は決して皆に喜ばれるどころか、時と場合によっては悲哀にむせぶ雨の感ありだ。
この「山茶花梅雨」の造語は1963(昭和38)年、大野義輝(元気象庁)さんが造語した。
『日常の気象事典』平塚和夫 著(平成12年)

この「山茶花梅雨」の言葉を聞いた時、気象予報士が山茶花梅雨の後に話そうとしていたこと、私の記憶=「菜種梅雨」が頭に浮んだ。
この際、日本における梅雨の一切をネットの力を借りて勉強しよう。
3月下旬から4月上旬にかけて、菜の花が咲く頃に連続する長雨のことだ。
花を咲かせようとする雨という意味で「催花(さいか)雨」とも呼ばれるという、これはネットで今回知ったことだ。

5月下旬からは本格的な「梅雨」だ。
50年前、私は湘南海岸沿いのプールで働いたが、その時には、この梅雨の出現をどれだけ恨んだか? 
会社でのお金の出入金には、十分子どもではなく、大人だった。

秋雨(あきさめ)とは、日本において8月後半頃から10月頃にかけて、降る長雨のこと。秋雨、秋霖(しゅうりん)、すすき梅雨ともいう。
この秋霖の「霖」を使った漢字に霖雨(りんう)があり、たまたま或る本で学んだ。
これは何日も降り続く長雨のことだ。

どの梅雨も地域によって時期に差がある。
1年間を梅雨で辿ってみれば、冬から春は菜種梅雨、春から夏は梅雨、夏と秋は秋雨や秋霖、秋から冬が山茶花梅雨です。

こんなに梅雨のことに拘(こだわ)って、一体全体ヤマオカさん何かあったの? 悲しいことでもあったの? と思われるだろうが、心身共々底の底まで健康でありますので、心配しないでくださいな!
嬉しかったことは。
先週の土曜日14:00~ 母校の大学のサッカー部が専修大学サッカー部に何とか3-0で勝って1部リーグに「歴史的残留」を成し遂げたことだ。
監督、総監督、コーチ、部員の皆さん、出場できた選手だけではなく応援に身を削っていた皆さん、おめでとう。
応援に来てくれた人たちにも感謝したい。
どこに居て何をしている関係者でも、この戦いを歴史的残留と思うだろう。
私は貧困なサッカー学生だった、それだけにこの思いは人並み以上だ。

悲しかったことは。
単に友情(先輩、後輩、同輩)だけではなく、唯の知り合いという関係(文化、演劇、同業)だけではない人を幾人も亡くしたことだ。
愛し愛された人と、もう会えないなんて、どうせ誰もが味わなくてはならないことだろうが、こんなに苦しいことはない。