2011年8月18日木曜日

清武が発したメッセージ

20110810の日本代表と韓国代表とのサッカーの日韓戦は、日本の3-0の大勝利で終わった。

日本は香川(写真)の2ゴールなどで韓国に快勝。ホームで13年ぶりの白星を飾った

(香川は2ゴールを決める)

0814の私のこのブログに、「日本サッカー、韓国に大勝」のタイトルで、朝日新聞、ニッカンスポーツの写真を無断拝借しながら文章を綴った。

その文章を読み直して、その内容といい文章の勢いといい、日本の華々しい歴史的な勝利なのに、歓喜どころか、寧ろ韓国側に対して、どうしたんだろう?こんなことでは困るんダ、韓国さんよしっかりしてくれヨ、そんな筆調だった。文意の力点は、日本よりも韓国に置いていた。韓国は日本にとって、宿敵だが、おこがましくてライバルとは言わしてもらえない、正真正銘の先輩格だ。宿敵が不調では困るんだ。

確かに、日本代表にとってはホームで、やりやすかったこともあるだろうが、ベテランに若手、新人をも加えて新しく進化し続けるチームの姿は、大いに讃えられるべきだ。

でも、日本がスコアー並みに強くなったかと言うと、そう生易しいものではない。そのことを、サッカーをよく知る人は理解している。いい試合を目(ま)の当たりにして感動したい、次も、次の次の日韓戦の応援に参加したい。

そこで、敢えて、前回も今回も同じブログで、煙たがられる内容ばかりの繰言(くりごと)になるが、未だ、私はマスコミが言うほど、それほど日本は進化していないし、韓国はそれほど弱くなっているとは、思っていない。

日本の大勝を、野放図に喜べない私が、居る。

しばし、PCのキーボードを叩くのを休んで、考えてみる。ヤマオカは、今回の試合で途中出場した清武のことを、余りマスコミで騒がれていることに、面白く思っていない、ところがあるようだ。

彼に非凡さを感じるのはパスを受ける能力の高さ、巧みにステップを踏み、相手が嫌がる位置で前を向く。ボールを受ける時にいい体勢を保てるから体格差のある韓国DFも気にしない、と朝日新聞・編集委員の潮智史氏が書いている。私も全く、同感だ。

でも、清武はまだ雛(ひよこ)だ、マスコミが先走って、どうのこうのと言える状況ではない。若い優秀な選手は、もの凄い勢いで成長する。清武程の、ここまでのレベルにまで育った選手は何人も見ている。問題は、これから、どれだけ伸びることが出来るかどうかだ。

2本のアシストだからと言って、清武をそんなに一気に持ち上げるものでは、ございません。

この試合の高評価は、彼の成長過程の1ページに過ぎない。

本人の清武はよく解っていて、次のようなコメントを発している。そのコメントとは。「個人的には、シュートも打ってないし、もうちょっと積極的にいきたかったです。海外組と一緒にプレーできたことは、自分の成長にとってプラスだし、日本代表のプレーはいい勉強になりました」。

謙虚で頭のいい青年だ。もっと、もっと逞しくなって欲しい。

ライバルが豊富に控えている。森本、岡崎、松井、家長、柏木、細貝がいる、宇佐美が宮市がいる。

どうか、海外で、可能性を極めて欲しいもんだ。

2011年8月16日火曜日

民主代表選、候補者ぞろり

菅直人首相の、やっとここにきて退陣する日取りが固まりそうだ。問題は、ポスト菅争いだ。

こんなに人気の低い首相になり下がったのは、菅直人一人が悪かったわけではない。確かに、本人の行動や判断に問題はあったことはあった、が、しかし、大局を見ずもしないで、見て見ない振りをして、政治(事)を政争の具にして、一向に恥じない、与野党の国会議員一人ひとりにも、大いに反省すべきではないか。小沢さん、あなただって、東日本大震災の被災地対策にどのように奔走したのですか。地元が政治を求めて悲鳴を上げている。一兵卒になって頑張ると言っていたあなたには、名誉挽回の絶好の機会だった。鳩山さん、は?まだ母親からの養育費をもらっているのですか、被災者の苦しみがどんなものか解りましたか? 

こんなことまで、言われるようでは、議員を辞めてはいかがですか。

私にとって馴染みのない候補者も含め、我も我もと、足並みが揃ってきた。結構なことだけれど、各候補者の主張することを、党で熟議して欲しい。熟議も経ない自己中心の主義主張を振りかざす首相が登場して、党内再分裂、アホなことを二度と繰り返して欲しくない。とは言え、本気で心配せざるを得ない、今の民主党事情なのだ。

手を上げた候補者はそれぞれに、野党と大連立を積極的に組む、閣内にとどめる、協力し合う関係を作る、連立協力には慎重、消極的、又、立ち位置も、鳩山前首相と組む、小沢一郎元代表と組む、もしくは両方から支持を受けるか、両方の影響力を薄めたく思うグループ、さまざまに動きだした。

二度と鳩山元首相のように失政しても恥じないような人だけには、首相になって欲しくない。こんな男に、国政を任せられない。

国民の目先に餌をぶら下げて、民主党が大勝した手法を、今度は党員に向かって、媚を売ったり、脅かしたり、そんな手法で支持を求めるような党首選だけはやめてくれ、と。投票資格のある者は、目先だけのこと、自分だけのこと、親分のこと、そんなことにはとらわれずに、清き1票を投じて欲しい。

民主党議員は一人の党員として、次には責任政党として国の政治に携わってもらいたい。

そんな、私のモヤモヤを20110811の朝日・社説では、きちんと整理されていたので、ここにいつものように無断で拝借させてもらった。転載させてもらった。

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社説

民主代表選へ

公約超えた知恵を競え

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菅直人首相が、ようやく退陣する。

東日本大震災への対応に「一定のめど」がついたら引き継ぐと言って2ヶ月余り。赤字国債の発行を認める特例公債法の成立など、「退陣3条件」にめどがつき、首相はきのう条件が整えば辞めると明言した。これで政治が次の段階に進む。

ここでまた混迷を繰り返すわけにはいかない。単に首相を代えるのではなく、政治の出直しの機会としなければならない。

そのために大切なのが、民主党代表選のあり方だ。

これまで、党内の対立軸といえば「小沢か、脱小沢か」だった。小沢一郎元代表に近い勢力はマニフェスト(政権公約)の固守や消費増税反対を唱え、脱小沢勢力は公約の見直しや増税路線に傾くーーー。政争論争の衣かぶった権力争いがずっと続いてきた。

こんどの代表選は、もっと次元の高い戦いにしなければならない。なにしろ次の党代表、すなわち首相は、震災後の日本の再出発を担わなければならないからだ。

震災後の日本は、少子高齢化やグローバル化といった課題に加え、被災地の復興や放射能との闘い、原発稼動の制約に伴う電力不足問題まで抱えた。

それらを乗り切る知恵は、政権交代前にまとめた公約には記されていない。とすれば、問題は公約を守るか否かではなく、公約を超えた知恵のはずだ。

負担増は避けたいという感情論を排し、復興に向けた方策とその財源の確保に心血を注がなければならない。未曾有の原発事故を教訓に、新たなエネルギー政策を築いていかなければならない。

論ずべき課題は山ほどある。代表選にでる候補者はこれまでよりも若返るだろう。どんな知恵を持っているか楽しみだ。

けれども、古い発想の旧リ-ダーが裏で糸を引き、代理戦争を演じたのでは、世代交代の意味がない。これまで党を引っ張ってきた菅、小沢両氏に鳩山由紀夫前首相の「トロイカ」は今回、行動を慎むべきだ。

候補側も彼らのグループに頼って戦うべきではない。各候補がビジョンを示す。議員はそれを見極め、自らの判断で投票する。党の政策を定め直す代表選にしなければならない。

そんな論戦には時間が要る。一方で、政治空白は避けねばならず、9月は外交日程も立て込んでいる。菅首相は特例公債法などの成立を待たず、党代表を辞し、早く代表選をスタートさせるべきだ。

2011年8月15日月曜日

駄獣の群

会社は、夏休み休暇中。

けれど、事情があって、早い目の休暇をとった人や、これから休みをとる人が、2,3人は出勤している。私は、普段と何ら変わることなく会社にいる。会社に居ないと精神の調和が整えられないのだ。

別に特段の仕事があるわけではないが、私には思うところがある。慎み深く、感謝して、会社にいる。

今日は新聞の休刊日。昨日・20110814の朝日新聞を読みながらの出勤途中の電車の中、ザ・コラムの中で、歌人与謝野晶子の詩「駄獣の群」を引用した文章が掲載されていた。

編集委員の根本清樹氏の文章にも共感する部分があって、それはそれは、私には十分タメになったのですが、どうしても、この詩の全体を確認したくて、足早に、会社に着くなり、机のPCの電源を入れた。

苛烈きわまる議会批判の作である。

この作品が読売新聞紙上に発表したのは、1915年12月のことだ。晶子が歯痒く表現した選挙制度も、今では誰もが選挙に立候補することも、投票する権利も認められている。

が、しかし、晶子の時代から、約1世紀経った今でも、議会、政党や政治家に対する不信は、未だに、時代を超えて変わっていない。

変えようと思えば、変えられるはずなのに、何がどうなれば、何をどうすれば、いい政治が行なわれることになるのでしょうか。

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駄獣の群     与謝野晶子

 

ああ、此国の

怖るべく且つ醜き

議会の心理を知らずして

衆議院の建物を見上ぐる勿れ。

禍(わざわい)なるかな、

此処に入る者は悉く変性す。

たとえば悪貨の多き国に入れば

大英国の金貨も

七日にて鑢(やすり)にて削り取られ

其正しき目方を減ずる如く、一たび此門を跨げば

良心と、徳と、理性との平衡を失はずして

人は此処に在り難し。

見よ、此処は最も無智なる、

最も悖徳(はいとく)なる、はた最も卑劣無作法なる

野人本位を以て

人の価値を最も粗悪に平均する処なり。

此処に在る者は

民衆を代表せずして

私党を樹て、

人類の愛を思はずして

動物的利己を計り、

公論の代りに

私語と怒号と罵声とを交換す。

此処にして彼らの勝つは

固より正義にも、

聡明にも、大胆にも、雄弁にもあらず、

唯だ彼等互に

阿附(あふ)し、

模倣し、

妥協し、

屈従して、

政権と黄金とを荷(にな)ふ

多数の駄獣と

みづから変性するにあり。

彼等を選挙したるは誰か、

彼等を寛容しつつあるのは誰か。

此国の憲法は

彼等を逐(お)ふ力無し

まして選挙権なき

われわれ大多数の

貧しき平民の力にてはーーー

かくしつつ、年毎に、

われわれの正義と愛、

われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は

最も醜き

彼等駄獣の群に

寝藁の如く踏みにじらるるーーー

ーーー

文中のふりがな、以下も山岡が記入した。

阿附(あふ)=おもねりついて、人の気に入るようにつとめる。/禍(わざわい)

悖徳(はいとく)=背徳/鑢(やすり)/荷(にな)う/逐(お)ふ/寝藁(ねわら)

2011年8月14日日曜日

日本サッカー、韓国に大勝

20110810 19:00から日韓戦が、札幌ドームで行われ、日本代表は韓国代表に3-0で大勝した。

(下2枚の写真は、朝日新聞20110811のスポーツ面より無断拝借した)

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(前半35分、先制ゴールを決め喜ぶ香川。左は李=杉本康弘撮影)

 

4日に急性心筋梗塞で他界した松田直樹元日本代表DFの追悼試合にもなった。日本選手は上腕に黒い喪章を巻いて戦った。

日本は韓国戦に、ホームでは13年ぶりに勝利、また韓国から3点を取ることも、3点差以上の勝利も37年ぶり。この試合で2点を入れた香川は、韓国戦で2点以上を決めた日本代表の釜本邦茂氏に次いで2人目になった。

この試合は、親善試合だったが、9月から始まるW杯3次予選を前にした最後の実戦だった。双方にとって、その状況は同じだ。それに、日韓の両国にとって、サッカー史上の永遠のライバル同士、宿敵のライバルだ。

両国の誇りを賭けての試合は、いつのどの試合においても、深くて重い歴史を刻んできた。その意味では今回も同じだが、私にはちょっと違う何かを感じていた。

私の中では、韓国と戦うということは、他の国と戦うのとは意味が違うのだ。

世界ランキングでは日本が16位で、韓国が28位と差はついたけれど、そのランク差ほど力に差があるわけではない、と私は考えているし、多くの日本人の実感だろう。

そのように考えていた私にとって、今回の試合は想像以上の結果に終わった。韓国に対して、ちょっとがっかり。日本の大勝をぬか喜びできないでいる。試合前から、日本チームがそれなりにやるだろうとは、容易く予想できたが、結果、余りの韓国の元気なさに落胆した、と同時に心配もしている。韓国が元気でないと、日本の切磋琢磨力が弱まるのでは、と危惧するのだ。若い人は、日本はもっと新しい世界に突入しているんだよ、と言うかもしれないが。

私にとっても韓国は特別、近しいのだ。40余年前W大のサッカー部に所属していた時は、毎年W大と韓国の高麗大学とは定期戦を行なっていた。両校が隔年で、行ったり来たりした。朝鮮大学校ともしばしば試合を行なった。そして、大体がヤラレた。負けた。そんな過去がトラウマになっているのかもしれないが、韓国のサッカーを油断大敵、心のどこかで畏敬している。

だからこそ、韓国は頑張らないとイカンのや。

今回の私の興味は、日本のサッカーが若い海外組とJリーグ組が、ザッケローニ監督の下、どのように機動するのか、それと、いつも感動を与えてくれる韓国の熱い動的なパワーサッカーがどう変わっているのかを見極めたかった。

韓国のKリーグでは、昨年八百長事件が露見、約50人が起訴された。まだまだ残り火がくすぶっているようだ。そんなゴタゴタでパワーまで削がれてしまったのだろうか。

かっての体力をギリギリまで酷使して、タフに走り回るサッカーから、日本と同じ緻密なパスサッカーに切り替えようとしている端境で、混迷しているのだろうか。そんなことを何かで知った。韓国の監督は完敗を認めた。思わぬ怪我で中盤の主力選手が退場して作戦通りにはいかなかったこと、海外組と国内組みが巧く機能しなかったことが、敗因だとコメントした。

私は、我が目を疑った。韓国のチームは最初から動きが鈍(にぶ)かったのだ。試合が始まって、しばらく見ていて、アウエーということもあるのだろうが、余りにも、日本の動きがいいのに比べて、韓国は動きが鈍過ぎた。変だぞ。こんな韓国を見たことはない、ちょっと可笑しいぞ、と思っていた。前半、本来、あんな局面で、絶対怪我などしないチームなのだ。

そんなチームの流れに、孫・晴が気づいたのか、偶然なのか、「ジジイ、韓国は朴智星(パクチソン)がいないから、弱いんだよ」と言うから、「晴、そんなことはないよ、一人のスーパースターだけではサッカーできないのは、晴が一番よく知っているだろう」の返答に彼は納得したのだろう、しばらくテレビ観戦して、それから「ジジイ、水は、炎を消しちゃうんだよ」ときた。ジジイは「でも、少しぐらいの水では、大きな炎を消すことはできない。少しの水なら、逆に炎を勢いづかせることだってあるんだよ」と振り向けた。彼は黙っていた。

この敗戦は韓国側にとって大きな波紋を国内にもたらしたのではないだろうか。今回は分らないが、いつもなら、監督の責任問題は避けられないだろう。国技のサッカーで、隣国、それも何かと気になる(憎っくき)日本、目の上のたんこぶ、に負けたのだから、そのショックは余りにも大きい。

日本が成長の貌を見せて勝ったことは嬉しい、そやけど、、俺には何故か物足りない、、、。韓国の捲土重来(けんどちょうらい)、奮起に期待する。

 

得点は次のように生まれた。

前半35分、遠藤が相手陣内の右サイドでボールを奪うと周りの選手たちが即座に反応した。遠藤のパスはゴール前の李へ。すかさず、ワンタッチで李がヒールパスで中央に流すと、走り込んだ香川が右足でゴールを決めた。この李のヒールパスが絶妙だった。相手ディフェンスはこのワンタッチで、マークの距離を広げた、そこにマークを外して後ろから走りこんできた香川が、スピードに乗ったまま、もう一人のディフェンスを外して、余裕をもって蹴った。

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(後半10分、香川の得点をアシストする清武)

 

2点目、3点目は、初陣清武がアシストをした。ロンドン五輪を目指すU22代表の主力は、前半35分、岡崎の負傷で急遽2列目の右サイドに入った。

後半8分、駒野が左から相手ディフェンスをかわしてシュート。キーパーがはじいたこぼれ球を清武は本田につないで、本田のゴールをアシストした。本田は左インサイドキックで、狙いすましてゴール左隅っこに入れた。本田ならではの力強いインサイドキックだ。本田はゴールしたことを確認した後、両手を広げて大はしゃぎ。指を天に突き上げて、先日亡くなった元日本代表DF松田直樹選手にゴールを捧げた。

その2分後、後半の10分。今度は香川と清武とのワンツーで、香川は右足で左隅に、この試合2点目を決めた。

ザッケローニ監督が選んだシステムの布陣は、3バックを使わないで、慣れ親しんだ4-2-3-1だった。先ずは、来るべきオリンピック予選を前に、このシステムの成熟に努めた。

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以下の資料は20110811のスポーツニッポンの紙面より無断拝借した。

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サッカー評論家の金子達仁氏が20110811のスポーツニッポンに寄稿している文章が、全てを巧く表現されているので、ここでもヤマオカ、お得意のパクリをさせてもらう。

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金子達仁の「春夏シュート」

こんな美しい日本 生まれて初めて見た

人間とは、サッカー選手とは、そしてチームとは、かくも短期間に、かくも大きな変貌を遂げることができるのか。わずか1年と少し前、手も足も出ずに、いや、出そうともせずに敗れた選手たちは、完膚なきまでに宿命を叩きのめした。韓国に勝つ日本を見るのは初めてではないが、こんなにも強く、美しく、翻弄して勝つ日本を見たのは生まれて初めてである。見事な、本当に見事な勝利だった。

何より驚かされたのは、攻撃面における意識の変化である。

思えば、日本のサッカーは長く「アシスト至上主義」に毒されてきた。玄人と言われる層は、ゴールばかりに目を向ける素人を嘲笑い、アシストこそがサッカーの華であるかのように振る舞ってきた。「点をとるだけがストライカーの仕事ではない」という言葉もよく聞かされた。

なるほど、嘘ではない。だが、ストライカーにとって最大の仕事は点をとることにあるのだという点を、長く日本人はボヤけさせてきた。献身的な守備をしていたから、確実にポストプレーをこなしていたからーーーーそんな理由で、ストライカーが点を取れなくても温かい目を向けていた。

だが、岡崎慎司は知ったはずである。点を取れないストライカー、特に外国から来たストライカーにドイツのファンはなんの価値も見いだしてくれないということを。李忠成も痛感したはずである。たった一つのゴールで、人生が激変することもあるということを。

岡崎しかり、李しかり、香川しかり。ゴール前に侵入した彼らがまず第一の選択肢として念頭においていたのは、ゴールだった。仲間のための美しい献身ではなく、自分が輝くためのプレーだった。ボールをもらう瞬間から、いや、もらうためのアクションに入った段階から、彼らはフィニッシュで終わるイメージしたプレーをしていた。そこが、目標なくプレーし、やたらバックパスを連発していた1年半前の日本代表との決定的な違いだった。

しかも、いい意味でのエゴイズムを身につけた選手たちに交ざって清武のような「典型的な日本人」もいた。素晴らしく美しかった本田のゴールは、いわば、欧米と日本の美学が合体したことによって生まれたものだった。なでしこがそうだったように、男子の日本代表もいま、未知なる段階に足を踏み入れようとしている。

いままで、そんなことは考えたことはなかったし、考える日がこんなに早く来ようとも思わなかった。だが、これほどまでに素晴らしい試合を見せられてしまうと、つい考えてしまう。スペインと戦ったらどうなるのだろうか、と。

(スポーツライター)

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2011年8月12日金曜日

チラシ配り、笑話

この稿は、1ヶ月前に書いたものです。それから、私の思惑とはちょっと違って、購入希望者は狙いどころからは発生しないで、外れの地域にお住まいのお客さんに買っていただくことになった。それにしても、嬉しい誤算だ。

この稿は、弊社ではこのような仕事もしているんだという、業務紹介ですぞ。

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弊社では、週末の土、日には、必ず中古住宅の現地販売会を、2、3ヵ所で行なっている。

その販売会の告知のために、社員は手分けして周辺住宅に広告チラシを配る。チラシの投げ込みの対象は、主に賃貸住宅だ。賃貸住宅から脱出して念願のマイホームを弊社から購入していただくことが、我々の最大の目的なのだから。

私は、今までの経験上、物件にふさわしい顧客が住んで居そうな場所を嗅ぎ取る知恵を身に付けている。物件ごとに、購入予定者がどのようなヒトか、ある程度は想定できるのです。だからと言って、ずばり、当たったということは、正直少ない。

今回の物件は、藤沢市石川の中古住宅だ。この石川は、湘南ライフタウンとして40年ほど前(開始は1974年)から藤沢と茅ヶ崎の両市が開発が進めてきた大型の区画整理事業の一画だ。340、74ヘクタール、計画人口45、000人。藤沢市と茅ヶ崎に市にまたがっている。交通のアクセスがそれほどよくないので、当初、販売は遅々として進まなかったが、それでも、今では住宅が密集し始めてきた。学校、スーパーマーケット、銀行、その他生活に必要なものは、何でも揃っている。

私は、チラシ配りのメンバーの一人として、毎回、欣喜雀躍として参加する。

適度に体を動かさないと、体が鈍(なま)るのではないかと、怖いのだ。来月で63歳になる。これから20年は働ける体を維持したい。今回のこの物件を買っていただけるのは湘南ライフタウン駒寄、第一第二住宅に住んでいる人だ、と狙いを定めた。この団地は、一部に2階建てのテラスハウスもあるが、大半が5階建ての日本住宅公団特有の作りだ。各棟、2,3ヵ所の階段がある。その一つの階段には各階2戸づつあって、その階段を利用するは10所帯だ。

全部で51棟あるので、多分1、000所帯近くはあるのだろう。この公団住宅の住戸の全ての玄関ドアの郵便ポストにチラシを入れることにした。

1階の集合ポストには投げ込まない。弊社のチラシは、そんじょそこら(これって、関西弁?)のチラシとは違って、独自な内容が込められている、誰もが読み取って喜んでくれる情報なんだから、ゴミを捨てるような1階の集合ポストには絶対入れたくなかった。弊社の玉のような極上の情報を、石ころのような情報の中に混淆させちゃ、堪りませんよ。

住宅の購入を考えている人ならば、このチラシの内容に心を動かされる筈だ、と私ら社員は確信をもっている。

弊社が商品開発した物件は、緻密な市場調査に基づき、心憎いほどの繊細なリフオーム工事を施してるのですから。見ていただければ、間違いなく気に入ってもらえると確信している。客観的な事実で、決して自己満足ではない。

そこで、駒寄住宅は5階建てが多く、5階までは65段の階段を上り、下りすることになる。1段の蹴上(けあ)げを約20センチとする。この団地内の総階段数を、ざっと5、500段としたら、5、500(段)*0.2(m)=1、100(m) となる。水平移動の距離のことはさておき、この団地を一通り終えると1、100メートルの垂直移動したことになる。

昨年、富士山に登ったが、頂上が3、776メートルなので、富士山の第7合目(標高2、770)から頂上まで登ったことになる。

ここまでのことは、これから話そうとするための地ならしで、このチラシまきで面白いことが幾つもあったので、そのことの紹介が主目的なのだ。

 

その1

この団地の住民と思われるオジイちゃんが、団地のツツジの生垣を、尻を地面にこすり付けたまま葉や茎などを間近に凝視しては、何やら摘み取っていた。何をしているんですか? 躊躇うことなく訊ねた。彼は、よく聞いてくれましたね。私は、樹木については何でも知っているので、何でも聞いてくださいな、ときたもんだ。

所どころに、飛びぬけて枝が伸びている茎を見つけては、その茎を他のと同じ背丈に切ったり折ったりしていた。その切るか折るかする辺りに芽がある場合は、その芽を残すのです。背伸びしている奴だけが養分を吸ってしまうので、それを避けるためなのだそうだ。

植木屋さんがバリカンのようなでかいもので、一律に切り揃えるのは、そりゃ見た目には奇麗でしょうが、樹木の枝葉の細かいことには何も配慮されていないのです。あれでは、駄目なんです。

それに、表面だけを刈り揃えただけでは駄目で、中の方に隙間を確保してやらないと、虫が巣食ったり、風通しが悪いために病気になることが多いのです。その為に細い枯れ木などもとり除く。そのようにしてから、表面を刈り揃えるといいのです、これが大事なことなんですよ。

う~ん、何か他に聞きたいことは、ないの? 何でも教えて上げられます、と畳み掛けてくる、くる。

現在、私は自分の果樹園・イーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)で、果樹の剪定に頭を悩ましているが、柿、栗、桃、スモモ、夏みかん、金柑、無花果、それらをどうしたら、いいのか、この場で聞きたかったが、聞くにも材料がない。今度、彼のような人に会う機会が生まれるかもしれないので、当方としても、何かと準備をしてこなくちゃイカンわ。

教え上手な人に、そう簡単には巡り会えるものではない。

 

その2

階段の途中で擦れ違った、きっと住民だと思われるオジさんに声を掛けられた。ニイさんよ、1枚幾らで配っているんだ、と聞かれた。階段の所を配るには、単価を上げてもらわなくっちゃ、たまらんわな。オジさん、これはうちの会社の仕事なんですよ。人に頼んで配ってもらうのではなく、社員が自ら配っているんです。

他人(ひと)に頼んで、金だけ取られて、どぶにでも捨てられたら、目も開けられないサカイに、自分たちの手で配っているんです。その場を離れようとしている私に向かって、オジさんから、暑いけど頑張ってよ、と励まされた。あのオジさんとおニイさんと呼ばれた私と、どちらが年長者なのだろうか、ふとそんなことを考えた。

いったい俺はいつまでこのようなことができるのだろうか。

 

その3

暑い。暑い日だった。今年は梅雨が明けるのが記録的に早かった。梅雨が明けたと同時に真夏に一気に変貌。太陽が怒ったように照りつけている。毎年、真夏になると急に埼玉、熊谷の名が、テレビやラジオで騒がれる。この二三日、熊谷が40度近くになった、と叫んでいる。そんな暑い日だった。

私は自分に妥協を許さない強い意志を持って、1階、2階と数えながら、各戸の郵便受けにチラシを入れていた。移動の際は、大体下を向いて歩いている。コンクリートの階段には、汗の滴りが、黒い点になって続く。

3階に辿りついて、ハッと頭を上げたら、そこは玄関ドアーが全開されていて、たたきの所で、パンツ一丁になったオジさんが、小さな椅子に座って、団扇を片手に涼んでいた。たたきの部分を独り占めするほどの巨漢だ。分厚い毛むくじゃらの胸には、大粒の汗が浮かんでいた。私が、ぎょっとした。熊のような人間を目の当たりにしたのだ。

私の驚いた仕草を見て、オジさんはそれでも、にっこり、暑いんだもの、しょうがないよなあ、余程体に堪(こた)えているようだった。節電しろと言われるし、金も無いのでどこにも行けないし、ここで涼むしかないよ。今日は、ここが一番涼しいんだ。このオジさん、それでもご苦労さんと、チラシを受け取ってくれた。いい家が近所に出たので買ってください、と言うことを忘れなかった、が反応はなかった。

彼には、この場では涼を取ることが、何よりの関心事だったのだろう。

 

その4

チラシを投げ込もうとしている最中に、突然玄関ドアが開いて、家から出ようとした人も私も、お互いに吃驚した。瞬間、顔が引きつった相手に、すみません、チラシを入れさせてください、と了解を求めた。彼女の顔に、鈍く緩(ゆる)みが走った。近所にいい家が出ましたので、買ってくださいというチラシなんです、と言いながら、手渡した。住民は老いたオバアちゃんだった。彼女は、私のチラシを何かご褒美でも貰う時のように、恭(うやうや)しく両手で頭を下げて受け取ってくれた。

去り行く私に、ご苦労様、有難うございました、とお辞儀で見送ってくれた。僭越です、恐縮しました、私、改めて敬老の念を深くした。

 

その5

私は上の方の階段から下りてきた。下の方から新聞配達のお嬢さんが上がってきた。彼女は俯(うつむ)いたまま、体を移動することに必死の様子だ。彼女が右に寄るので私は左に避けた。そのうち彼女は左に寄ってきたので私は立ち往生、避けられなくて待機、彼女の動きを確認していた。下を向いたまま気づかずに進んできた彼女は、真ん前の私の足元を見て、ハッと顔を上げて腰を抜かさんばかりに驚いた。

貴女がそんなに驚くほど、怖い人間ではないんだけどなあ。

その後、両者はニッコリ笑って、頑張りましょうとエールを交換して、次の行動に移った。

新聞配達のお嬢さんのことがあって、玄関の郵便ポストに入っている新聞の種類について気になりだした。彼女の配達の様子から想像してみたのですが、階段ごとに購読している新聞の紙名が偏っているように思われた。郵便受けの新聞に注意を払った。例えば、A階段ならば読売新聞、B階段は朝日新聞とかのように。

A階段の或る人から読売の購読の申し込みがあったら、読売の配達所からは、どうせこの階段を上り下りするならば、効率よく、もう1軒とばかりに、営業をかけた結果が、このようになったのだろう。

階段ごとの新聞社の寡占化が進んでいる。

2011年8月10日水曜日

東雲(しののめ)って?

先日、神奈川県平塚市の西部に中古住宅の現場調査に出かけた。

私は車の後部座席で、うつらうつらしながら、何気なく車窓越しに風景を眺めていた。車の揺れが心地いい。毎度不思議なことに、運転するスタッフには申し訳ないんだが会社をスタートして直ぐに寝付いてしまう。恐縮、目が醒めても、ぼや~んとした時間が有難い。スマンなあ。

そんなとろ~んとした状態なのに、視神経が交差点の交通信号機に書かれていた東雲橋の名に反応した。信号のあった道路に平行して、金目川が流れていたから、平塚の大磯寄りの辺りらしい。

それをし・の・の・め・ば・しと読むことは出来たけれど、しののめって何だっけ? 確か、東の雲なので、朝陽か、夜明けに関することだったようだ、と高校古文の勉強を思い出していた 。

今読んでいる出久根達郎著の「御書物同心日記 秘画」の主人公の名前が東雲丈太郎(しののめ じょうたろう)だということもあって、偶然にして縁があるわいなと、この東雲って奴をもうちょっとだけ、正確に知りたかった。丈太郎は、紅葉山御文庫の最大行事である御風(おかぜ)干し(書物の虫干しである)に精を出していた。御書物方同心にとって一番忙しい時期に、丈太郎の身の回りで面白いことが次から次に起こる、そんな物語だ。

帰宅してPCの前に座った。

早速、Wikipediaのお世話になった。

東雲とは、日本の古語で闇から光へと移行する夜明け前に茜色に染まる空を意味する。本来は夜半過ぎから、夜が明けるまでの間を「あかつき」(暁)、「しののめ」(東雲)、「あけぼの」(曙)と細かく区分している。

また、別のWikipediaに、明け方は、明け(あけ)、夜明け(よあけ)、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)、黎明(れいめい)、彼誰時(かわたれどき)などがある、とあった。

彼誰時(かわたれどき)=彼(かれ)は誰(だれ)と見分けのつかぬ時、の意。(講談社・日本語大辞典による)

2011年8月9日火曜日

ミスターマリノス 松田逝く

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2010年12月4日 サポーターに横浜マの退団あいさつをする松田直樹選手=日刊スポーツ

以下の文章は、20110805 朝日新聞・朝刊の記事を基に、そこに一部私なりのコメントを入れて作成した。

JFL松本山雅の松田直樹選手(34)は、急性心筋梗塞のため練習中に倒れ、心肺停止で意識不明のまま長野県松本市の信州大医学部付属病院に運ばれ、懸命の治療も虚しく、意識が戻らないまま、20110804午後、死去した。

松田選手は、2日午前の練習に数分遅刻し、ランニングに2周遅れで合流。その後、ストレッチしている時に、「やばい、やばい」と言いながら倒れこんで、そのまま意識不明になった。現場にも、救急車にもAEDがなく、心臓マッサージを繰り返し、病院に到着した。その間の救急対応に、もう少し知恵があっても良かったのではないか、と悔やまれる。

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今年7月9日の松本山雅ー佐川印刷の試合前、整列する松田選手

彼の肉声は、You-Tubeで初めて聞いた。今、テレビのないアパート暮らし、気が付いた時にはYou-Tubeのスポーツコーナーのあれこれにウツツを抜かしていることが多い。半年前のことだろう、マリノスの退団の挨拶をサポーターに向かって、何をどのように喋ればいいのだろうか、とスタジアムに向かう車中、自ら運転しながら悩む姿が映されていた。自分で撮影できないから、助手席から、誰かが撮ったものだろう。

俺、人前で何を喋ればいいんだ?何も喋れないから、有難うございましただけでいいだろう?そんなことを真剣に悩んでいる様子の動画だった。それは、まるで中学生か高校生のようなあどけない子どもっぽさだった。そして、本番。マイク片手に、マリノスのタオルを首にかけて、胸に垂らしていた。俺はマリノスが好きで、サッカーが好きなんだ、と叫んでいた。確かに、整然として喋れていなかった。溢れる感情を抑え込めない、浮かんでくる言葉をそのままサポーターにぶつけていた。

松田は、戦う男だった。純真だった。

私は学生時代フルバックやセンターバックを専門的にやっていて、技術的に高度な技術を駆使するプレーヤーではなく、守るだけ、徹底的なマンツーマンで、相手攻撃の芽を摘み取る、刈り取ることだけに専念した。無骨に働き者だった。私ができるのはこれしかなかった。潰すことさえできれば、先ずは危機から逃れられる、それが、攻撃の起点に絶対になる、と信じていた。だから、相手に対するプレーは容赦しなかった。

キングといわれた元W大監督、元全日本代表コーチを務められた工藤孝一さんが、右足の不自由な体で、私の所までやって来て、杖でグラウンドに線を引いた。ヤマオカ、この線の中では、絶対、相手を自由にさせるな。必ず、潰せ、と厳命された。私もその通りだと考えて、これこそ、チームに貢献できる全てだと思った。

そんな私にとって、松田のプレーは実に快かった。自分もこのようにプレーできていたら!ひょっとして、とアホなことを空想しながら、心を奪われた。好きなプレーヤーだった。日本サッカーの戦うディフェンスの原型を作ったのではないだろうか。

日本代表が史上初めてW杯でベスト16に進出した2002年日韓大会では、フラット3と呼ばれる3バックの不動の右サイドDF。厳しい指導でならしたトルシエ監督が「試合に出さなければただじゃおかないぞ、という迫力を感じる選手」と評していた。

当時のチームのDFには、1対1の強さに加え、攻撃の起点になる力が求められていた。中学までFWだった松田はパスセンスにも自信を持っていた。

ジーコ監督の日本代表では、また違った「戦う姿」を見せた。連覇を果たした04年アジアカップ。出場機会は準々決勝の延長後半途中からだけだったが、控えの立場からレギュラー陣をもり立てた。川渕三郎日本サッカー協会名誉会長は、この時の松田を「縁の下の力持ちとしてチームを支え、控えだったにもかかわらず懸命に練習に励んでいた。彼が練習の先頭に立ってチームを盛り上げたことが優勝につながった」と功績をたたえた。全試合に出た中村俊輔が「あの優勝は松田さんのおかげ。W杯経験者がベンチでチームに尽くす姿を見て、力を振り絞ろうと思わない選手はいなかった、と話していた。その後、日本代表からは、声がかからなくなった。

この中村俊輔は、松田が倒れて亡くなるまで、2度も足を病院に運んだ。忙しい中村が、よくもこの短い間に足繁く見舞ったものだ。松田を思う中村の心痛が偲ばれる。

W杯南ア大会の予選が佳境を迎えていた09年、「02年が最高の自分だったと勝手に勘違いしていたが、もっとうまくなれると気づいた。もう一度、W杯に出たい」と話すのを聞いた。

「丸くなった」と言ってはいたが、ぎらぎらした目は変わっていなかった。しかし、2010年は怪我をして出遅れ、16年在籍した横浜マから戦力外を告げられた。

昨季最終戦、横浜マのサポーターの大声援に涙した後、「マリノスを愛しているが、ここでサッカーを辞めるわけにはいかない。僕はサッカーが好き。もっとサッカーをしたい」と宣言。今季はJFLで最も応援が熱いと言われる松本山雅でJリーグ昇格に向けて戦っていた。もう一度咲かせる花があるはずだった。

松田の人柄のことは、松田と関わった各氏が彼を偲んで語っているコメントを聞けばよく分る。そんなコメントを新聞、その他で入手したものを下に書き揃えた。

☆横浜マ・中村俊輔=「すべてにおいて、豪快な人。厳しいことを言ってくれる兄貴分でした。」「以前、『松本山雅をJ2に上げるの?』と聞いた時、『馬鹿じやん。J1に上げるんだよ」と怒られたことがあった」

☆横浜マ・栗原=「負けず嫌いな人で『いつになってもお前には負ける気がしない」と言われた」

☆横浜FC・三浦=「『カズさんが辞めるまでは(自分も)辞めない』と彼らしい強気なことを言ってくれた。刺激にもなったし、自分も頑張ろうと思っていたので残念」

☆神戸・宮本=「同じ時代をプレーしたマツ。日韓W杯のロシア戦で勝利し、抱き合って喜んだことは忘れられない」

☆名古屋・楢崎=「いつまでも手のかかる、周りを心配させるヤツですよ」

☆名古屋・三都主=「逝って欲しくなくて、止めたくて、呼びかけたけれど届かなかった」

☆横浜マ元監督・前日本代表監督・岡田武史=「マツは2年連続でJリーグ年間王者になった時に一緒に戦った仲間。自分にとっても、とても思い入れの強い選手だった」

☆ガンバ大阪・前アトランタ五輪日本代表監督・西野朗=「規格外のインターナショナルな選手だった。(五輪代表)では一番若かったが、年代の違いを感じさせなかった」「メンタルティも強かった。(そのタフさが)高じることもあった」、そして揉めたことだろう。

アトランタ五輪代表メンバーにはオーバーエイジ枠を使わずに当時19歳の松田を選出し、全3試合をフル出場させた。マイアミの奇跡だ。西野監督は、意見の違いさえ頼もしく感じていた。

「将来は指導者としても魅力のあるサッカー人だった」

☆ガンバ大阪・明神=「ヤンチャでワガママで気分屋なところもあったけれど、僕ら下の世代には、ああいう生き方がカッコいいと映った」