2011年8月15日月曜日

駄獣の群

会社は、夏休み休暇中。

けれど、事情があって、早い目の休暇をとった人や、これから休みをとる人が、2,3人は出勤している。私は、普段と何ら変わることなく会社にいる。会社に居ないと精神の調和が整えられないのだ。

別に特段の仕事があるわけではないが、私には思うところがある。慎み深く、感謝して、会社にいる。

今日は新聞の休刊日。昨日・20110814の朝日新聞を読みながらの出勤途中の電車の中、ザ・コラムの中で、歌人与謝野晶子の詩「駄獣の群」を引用した文章が掲載されていた。

編集委員の根本清樹氏の文章にも共感する部分があって、それはそれは、私には十分タメになったのですが、どうしても、この詩の全体を確認したくて、足早に、会社に着くなり、机のPCの電源を入れた。

苛烈きわまる議会批判の作である。

この作品が読売新聞紙上に発表したのは、1915年12月のことだ。晶子が歯痒く表現した選挙制度も、今では誰もが選挙に立候補することも、投票する権利も認められている。

が、しかし、晶子の時代から、約1世紀経った今でも、議会、政党や政治家に対する不信は、未だに、時代を超えて変わっていない。

変えようと思えば、変えられるはずなのに、何がどうなれば、何をどうすれば、いい政治が行なわれることになるのでしょうか。

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駄獣の群     与謝野晶子

 

ああ、此国の

怖るべく且つ醜き

議会の心理を知らずして

衆議院の建物を見上ぐる勿れ。

禍(わざわい)なるかな、

此処に入る者は悉く変性す。

たとえば悪貨の多き国に入れば

大英国の金貨も

七日にて鑢(やすり)にて削り取られ

其正しき目方を減ずる如く、一たび此門を跨げば

良心と、徳と、理性との平衡を失はずして

人は此処に在り難し。

見よ、此処は最も無智なる、

最も悖徳(はいとく)なる、はた最も卑劣無作法なる

野人本位を以て

人の価値を最も粗悪に平均する処なり。

此処に在る者は

民衆を代表せずして

私党を樹て、

人類の愛を思はずして

動物的利己を計り、

公論の代りに

私語と怒号と罵声とを交換す。

此処にして彼らの勝つは

固より正義にも、

聡明にも、大胆にも、雄弁にもあらず、

唯だ彼等互に

阿附(あふ)し、

模倣し、

妥協し、

屈従して、

政権と黄金とを荷(にな)ふ

多数の駄獣と

みづから変性するにあり。

彼等を選挙したるは誰か、

彼等を寛容しつつあるのは誰か。

此国の憲法は

彼等を逐(お)ふ力無し

まして選挙権なき

われわれ大多数の

貧しき平民の力にてはーーー

かくしつつ、年毎に、

われわれの正義と愛、

われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は

最も醜き

彼等駄獣の群に

寝藁の如く踏みにじらるるーーー

ーーー

文中のふりがな、以下も山岡が記入した。

阿附(あふ)=おもねりついて、人の気に入るようにつとめる。/禍(わざわい)

悖徳(はいとく)=背徳/鑢(やすり)/荷(にな)う/逐(お)ふ/寝藁(ねわら)