2011年8月28日日曜日

幸せになるんだ、ba-bi チャン

ネコ

今年の梅雨に入る前のことだった。

或る朝の通勤時のこと。毎朝、通勤につかっている最寄の駅の斜め右前に、コンビニがある。その隣は銀行のATM、その脇にはこの建物の階段があって、その階段下で、仔猫がニャオ~ン、と鳴いていた。

仕事を前にした私には、仔猫の鳴き声は、それ以上耳の奥までは届かない。全身に仕事モードのギアーが入っている。今日は、忙しいのだ。私は、彼にお構いなしに素通りした。その後は、電車がくるのを列をなして待ち、乗っては、いつものように昨日の新聞を読んでいたのだろう。その後は、あれやこれや、走り回って仕事をこなした。

そして、仕事を終えて帰宅途中。コンビニの前を、朝のことはすっかり忘れたまま、通り過ぎようとした時、聞き覚えのあるニャオ~ンが聞こえた。今は心に余裕がある。街路灯のほの暗い明りが、疲れた体を癒してくれる。会社で飲んだ缶ビール2本の酔いが、疲れた体に気持ちいい。ささやかな解放感だ。一日の仕事が何とか、終わったのだ。夕方の少しは涼しい風が頬を撫(な)ぜては過ぎていく。

階段の下の仔猫に近づいてみた。

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彼は、私が近づいても動こうとしないで、ただ、ニャオ~ンと鳴くだけ。朝、見たのは7時40分ごろ、今が夕方の7時20分ころだと、約12時間、この炎天下に居たことになる。生後1ヶ月ぐらい。そんな、生まれたての子猫がよくも耐えられたものだと思った。この2週間、季節は夏本番前なのに、すでに各地で35度が観測されたとか、36度とか騒がれていた。私の部屋にはエアコンがなくて、電気量販店の安売りチラシで、一番廉いものを買ってやる、と遅ればせながら、意気込んでいた頃でもあった。

私が、手を差し伸べても、動こうともしなかった。お尻を軽く触っても動かなかった。丸く小さな目で私を見た。愛くるしい。その美しい緑色の目を見て、ハッとした。この仔はもう死にそうなのではないかと思って、少し遠ざかりかけた。私は、急に怖くなったのだ。そんな彼に、私は何もしてやろうとしなかった。可愛いと思っても、可哀相だとは思わなかったのだろう。じゃあなあ~、その場を離れることに、多少後ろ髪を引かれる思いはしたが、結局、何もしなかった。

その足で、野菜炒めの材料を求めに、スーパーに行った。猫よりも、俺の方が大事とでも自分に言い聞かせていたのだろう。

野菜を炒めながら、焼酎を飲み、ご飯が炊けるのを待っていた。昼間の仕事疲れの体に、焼酎がどんどんと、沁み込んでいく。酔いは酔いを呼び、体と心は、ヘベレケ。それでも、きちんと料理してきちんと食事することが、私の再出発の第一歩なんだ。

そんなヘベレケ、クッキング、アンド、ドリンク状態の私のアパートに、友人が突入、腹減ったと入ってきて、いきなり、野菜炒めに箸を突っつきだした。箸がやけに進む友人。作り手にとっては、美味そうに食ってくれる奴は、それなりにイイ奴なんだけれど、美味そうだとか、食ってもええかとか、感謝の口上の果てに食ってくれると、ちょっとは違った気分を味わえるのに、この野郎!っの言葉を胸の中にしまった。

野菜炒め大皿盛り、大判の冷奴2個、キュウリとナスのお新香、トマト2個、ご飯1合を食い終わろうとした頃、友人にさっきの猫の事を持ち出した。朝のこと、夕方の猫の状態を、何回目かの最後の焼酎を、今度こそは最後の最後にしようと覚悟して飲み干して、それから話した。

そうしたら、友人は急に立ち上がった。ダンボール箱はないか、と言われてメーターボックスにしまってあったのを出してきた。友人は、その箱を切ったり折ったり加工しだした。ガムテープはあるか? と怒るように言われ、緊張していたので、ヘイとしか言えなかった。引き出しから出して渡した。

それから、一緒に行こう、と急(せ)かされた。私は、彼の言うことに従うしかなかった。

夕方、見た時から2時間は経っていたのに、仔猫は先程と同じ場所で同じ格好で、ニャオ~ンと鳴いていた。鳴けるのは、まだまだ元気のしるしか、と内心はほっとした。友人は猫の前に餌を置いて、ダンボール箱まで呼び込もうとしたが、呼び込んでも、動こうとはしない。友人は、猫が遠くへ逃げ去ることを怖れていたようだが、それほど体力はなく、友人が手を差し伸べるままに体を預けてきた。友人にとって、珍しく容易(たやす)い捕獲だったようだ。この時に群集の中から漏れ聞いたのだが、この仔猫は、2,3日前からここに居たようだ。よく頑張った。今日ぐらいが、生きられる最後の救出の日だったのかもしれない。

捕獲作業を見ていたご老人が、保護した友人に向かって、嬉しそうに、「ありがとう、よかった」と言って、頭を下げてお礼を言っていた。近所の人なのだろう、この老人は、この子猫のことが気になっていたようだ。自分では、捕獲、保護してあげたくてもできない事情があるのだろう。

友人は自宅に子猫を連れ帰って、その夜は、一睡もしないで様子を見ていたと思われる。極限の脱水状態だった筈だ。翌日の病院での検査の結果は、OKだった、と連絡があった。そして、3ヶ月が経って、体も二周り以上大きくなって、そして20110811(水)、晴れて平塚の有志がこの仔猫の里親になってくれることになったのだ。その移動の手伝いをした。

この仔猫と保護してこれまで世話してくれた友人を、その里親の所に届ける、その運び屋さんとして協力させてもらった。里親さんは、若くて可愛い女性だった。既に、一緒に暮らしている猫は居るのだが、独り(一頭)では寂しいのではないかと思えたので、声掛けさせてもらった、と言っていた。末永く幸せになって欲しいと思う。

友人が話してくれたことによると、この仔は保護した後、元気になってからは俺に付き纏うんだ、足元にいっつもくっつくので、踏みつけそうで危ないんだよな、と言うほど、人懐っこい仔に育った。野に放されて暮らす猫たちにとっては、本人以外は全てが敵で、神経が荒々しくなるものだが、この仔はそんな環境に慣れないうちに保護できたので、人間との暮らしは協調できる。よかったよ、と言っていた。

それにしても、私には生きものに対する愛情を、果たしてどれだけ感じているのだろうか。友人に比べて、なんとも恥ずかしい限りだと思う。