2011年8月21日日曜日

高校野球の監督は、生徒に

昨日20110820、第93回全国高校野球選手権大会は終わった。決勝戦は、西東京代表の日大三高と、東北勢初の優勝を目指した青森代表の光星学園が対戦して、日大三高が11-0で破り、優勝した。

神奈川代表、地元横浜高校は0815の終戦記念日に、3回戦、和歌山県の智弁学園に9-4で負けた。

智弁学園vs横浜

私が卒業した京都府宇治市の府立城南高校を応援しようにも、統廃合で5,6年前になくなった。京都地区での予選では、毎年、精々2回戦までだった。娘や息子が通っていた横浜市内の高校は、今夏、応援もむなしく早々に敗退して、この学校ならどこまでも応援してやろうと思う学校が出てこない。今回の横浜高校も、そりゃ、名門で優秀な選手が揃っていることぐらいは知っていても、熱く応援する気にはなれない。

私は、高校野球の春夏の甲子園に、今一つ熱くなれないのだ。何故かって、それは又の機会に話そう。

そんな、神奈川県代表の横浜高校は、和歌山代表の智弁学園に9回2死から逆転負けした。8回裏まで、4-1で横浜がリード、横浜のペースで進めてきたが、9回にまさかの8失点になった。最終結果、4-9。屈辱的なスコアーで、横浜高校は敗退した。

選手や、チームの関係者はさぞかし、辛い思いを味わったことだろう。

ここでだ、私は、横浜高校の渡辺監督が、試合の結果を問われて応えたコメントが気に食わないのだ。朝日新聞の記事によると、「柳のスピードが落ちていたから継投の決断に迷いはなかった。同点まで柳でいけばと、反省している。選手に申し訳ない」、と。なんで、こんなことを言うのだろう?

私は思うのだが、監督も生徒がやればいいのではないか、と。日々の練習メニューや、野球そのものに関する指導とマネージメント、教育的指導は監督が担って、試合が始まってからのことは、全て、生徒に任せるべきではないかと思っているが、諸賢人の意見を賜りたい。

野球は攻撃と守備が交互に巡ってきて、その試合の最中に、重要な局面で指示を出すのが監督だ。生徒はその指示に従うだけでは、真の意味で高校生による競技だと思えない。もっと、監督の仕事を、生徒に譲ればどうだろう。

選手兼任の監督でも、1塁や3塁にコーチを兼ねた生徒の監督が居てもいいのではないか。

監督が私の判断が過ちだったとか、生徒に悪いことをしてしまったとか、こんな言葉は聞きたくない。監督は主役ではなくて、主役は、あくまでも生徒だ。まして、高校生たちの野球大会だ。

今日20110821の朝日新聞にも、こんな記事が出ていた。日大三高が06年の夏、西東京大会決勝で、斉藤(現・日本ハム)を擁する早稲田実に延長の末、4-5で屈した。この時の日大三高の小倉監督のコメントだ。

監督は負けたことが悔しくて、「力のあったチームなのに、自分の采配ミスで勝てなかった。情けないけど『早く負けてくれ』と思ってテレビを観ていた」と言っている。

可笑しいではないか、この監督の発言。高校生を預かって、指導する監督さんの言葉だと、思えますか? 

教育者、指導者の言葉として、異常な発言だと思うのは、私だけだろうか。