先日、神奈川県平塚市の西部に中古住宅の現場調査に出かけた。
私は車の後部座席で、うつらうつらしながら、何気なく車窓越しに風景を眺めていた。車の揺れが心地いい。毎度不思議なことに、運転するスタッフには申し訳ないんだが会社をスタートして直ぐに寝付いてしまう。恐縮、目が醒めても、ぼや~んとした時間が有難い。スマンなあ。
そんなとろ~んとした状態なのに、視神経が交差点の交通信号機に書かれていた東雲橋の名に反応した。信号のあった道路に平行して、金目川が流れていたから、平塚の大磯寄りの辺りらしい。
それをし・の・の・め・ば・しと読むことは出来たけれど、しののめって何だっけ? 確か、東の雲なので、朝陽か、夜明けに関することだったようだ、と高校古文の勉強を思い出していた 。
今読んでいる出久根達郎著の「御書物同心日記 秘画」の主人公の名前が東雲丈太郎(しののめ じょうたろう)だということもあって、偶然にして縁があるわいなと、この東雲って奴をもうちょっとだけ、正確に知りたかった。丈太郎は、紅葉山御文庫の最大行事である御風(おかぜ)干し(書物の虫干しである)に精を出していた。御書物方同心にとって一番忙しい時期に、丈太郎の身の回りで面白いことが次から次に起こる、そんな物語だ。
帰宅してPCの前に座った。
早速、Wikipediaのお世話になった。
東雲とは、日本の古語で闇から光へと移行する夜明け前に茜色に染まる空を意味する。本来は夜半過ぎから、夜が明けるまでの間を「あかつき」(暁)、「しののめ」(東雲)、「あけぼの」(曙)と細かく区分している。
また、別のWikipediaに、明け方は、明け(あけ)、夜明け(よあけ)、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)、黎明(れいめい)、彼誰時(かわたれどき)などがある、とあった。
彼誰時(かわたれどき)=彼(かれ)は誰(だれ)と見分けのつかぬ時、の意。(講談社・日本語大辞典による)