2012年11月13日火曜日

多摩川駅伝で、痛恨の肉離れ

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会場に向かう次女と孫、武蔵小杉駅で南武線に乗り換えるために移動中。二人の背後にはエネルギーがムンムン!!

20121110、ランネットという会社が開催した「ランネット駅伝多摩川大会」で走ってきた。

南武線の鹿島田駅で下りて多摩川に向かった。突き当たりの多摩川の河川敷には2~3000人ほどが集まっていた。ところでこの河川敷の広場はただの広場ではなくれっきとした名前の「古市場陸上競技場」だった。

色んなパターンの組み合わせの駅伝が次から次にスタートする、そんな大会だった。我らが出場した種目は午後のショートの部で、4人組の混成チームが、1区・5キロ~2区・3キロ~3区・1キロ~4区・3キロのトータル12キロを走破するコースだった。私はこの1区を走った。2区は孫のハル、次女が伴走した。

エントリーされるための条件とか参加資格がなくても、誰でもが参加できる。参加費用は幾分かは支払わなくてはならないようだ。幾らって? 私の分は、次女が払ってくれたので、知~ら~ない。

1週間前に、突然 次女から電話がかかってきて、竹ちゃん(次女の夫)が仕事の都合で参加できなくなったので、代わりに出てくれないか、といつもの有無を言わせぬ迫力だ。

決して走るのが嫌いでない私のことだ。娘や孫の前で、ジジイの偉大さを目(ま)の当たりに見せつけるにはいい機会だと思った。まだまだ廃(すたれ)れてはいないことの実証だ。昨秋、竹ちゃんと箱根の温泉プールで、娘や孫の前で、25メートルをクロールで競って負けなかった。

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わが混成チーム。

 

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走り出すまでは、ジジイは世界記録を目指していた!! 孫は疑いなくジジイを信じていた。

 

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力走する、我がチーム。

 

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世界記録への挑戦は叶わなかった。

 

大会側から渡されたタスキにはチップが仕掛けられていて、個人の成績は正確に記録された。

100~200人が一斉にスタートするために、スタート地点の狭いエリアにギュウギュウ詰めで並んだ。私はこの場所の居心地の悪さを感じた。違和感だ。この雰囲気は昔どこかで感じて、長く忘れていた感覚だ。真剣勝負を前に身を切り裂くほどの緊張感が漂っていて、私には息苦しかった。

私が並んだ位置は全体の前の方で、そこに居並ぶ人たちは、自らの記録を意識した猛者連中だった。順位か記録か。私のように間抜けた服装で緩んだ気構えの連中は居なかった。

スタートした時は、皆には遠く及ばない実力なので、無理をせずに完走さえすれば、それなりの順番でゴールできるのでは、と高をくくっていた。ところが、そんな簡単なものではなく、男も女も、ガンガン走るではないか。抜かれても抜かれても、それでも、自分のペースだけはしっかり守って、孫にタスキをきっちり渡す、計算高いランナーだった、はずが?

スタートして10分後、私の右足のふくらはぎに異常が発生した。10分後というのは折り返し点のずうっと手前だ。おかしいぞと感じてから、急に度を越して痛くなった。肉離れを起こしたようだ。

折り返し点が遠かった。折り返し点を折り返した時には、ふくらはぎの痛さは固まってしまった。膝が曲がらない、足が棒だ。周りを見ず、ひたすら地面だけを見て、何とか歩を進めている状態だ。こんな筈はない。何と、この5キロは長いんじゃ、この距離を呪(のろ)った。

ようやく我がチームの応援団の前を通過した時には、顔面蒼白、否青ざめていたかもしれない。声援に応えるだけの余裕はない。

私の到着を待つ次女と孫組は、ジジイはどうしたんだろう? 逝っちゃったか?と心配していた。まさか、あのジジイのことだから、棄権することは絶対ない、とは思っていてくれたようだ。絶対諦めないのが、このジジイの真骨頂。もう少しです、頑張ってください、と観衆のなかから美しいお婆さんが声援してくれた。

タスキを外して渡そうとしても、次女たちがいる所までのただの10メートル、5メートル、3メートルが異常に遠い。観衆が居なければ、間違いなく泣いていた。

やっとの思いでタスキを渡し終えて、地面にひれ伏した。ふくらはぎに手を当てても感覚がない。30分後、立ち上がったが右足は地面を踏みつけられない。

64歳と50日のジジイの記録は、412名中、405番。タイムは32分21秒という惨憺(さんたん)たる成績だった。20121110、我が人生、痛恨の日になった。

帰途。牛歩ならぬ亀のようなノロノロ歩きでは我がチームに迷惑になるので、一人、早い目に鹿島田駅に向かった。競技場を、このような格好で去るのは実に惨(みじ)めだった。でも敗者ではない、痛恨の挑戦者だった。

来年は、今日の屈辱を必ずはらす、再起を期す。

2012年11月12日月曜日

オバマ米大統領再選

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20121107 米大統領選で、民主党のオバマ大統領(51)が共和党のロムニー前マサチューセッツ州知事(65)を藪って再選を決めた。同日未明(日本時間同日午後)、オバマ氏は地元シカゴで勝利演説を行い、共和党との党派対立を乗り越えて経済の再生に取り組む姿勢を示した。この稿は全て20121108の朝日新聞の記事そのままを転載した。

 

天声人語

洋の東西を問わず、有言実行の政治は難しい。ケネディ大統領のスピーチライターだったソレンセン氏が、歴代米大統領の就任演説をすべて調べて、こう皮肉っている。「史上最低の大統領たちが最高に雄弁であることが判(わか)った」。負けていたらオバマ氏も、その仲間入りだったかもしれない。

むろんオバマ氏は最低の大統領ではないが、雄弁が独り歩きしてきた印象は否めない。米大統領は2期目を任されてようやく一人前ともされる。次の4年でアメリカをどう舵(かじ)取りするか、真価を問われることになる。

人種も文化も多彩な3億人が暮らす国に、大統領選挙は4年に1度の求心力をもたらす。人々は候補者に言葉を求め、胸に響く言葉によって連帯を含め合う。「民主主義の祭り」と呼ばれるゆえんだ。

しかし、今回は史上最悪中傷合戦と言われた。民主と共和、二者択一を迫る悪口のシャワーを浴びて米社会の分裂は深い。勝利宣言で「激しい戦いは国を深く愛すればこそ」と語ったオバマ氏だが、祭りのあと、傷をふさぐのは容易ではない。

オバマ氏の雄弁に戻れば、日本人の胸をゆさぶったのは「核兵器なき世界」だった。もう次の選挙の心配がない2期目には、思った行動がしやすいという。ぜひ広島と長崎を訪れてもらえないか。

就任前から「情けない大統領ならいくらでもいる。真に偉大な大統領になりたい」と語っていた。その願望も昨日の勝利で首がつながった。雄弁という木にみのる果実を、見せてほしい。

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社説

オバマ米大統領再選

理念を開花させる4年に

米大統領選で民主党のバラク・オバマ氏が再選された。

グローバル経済の荒波か、退場を迫られる現職の指導者は少なくない。オバマ氏に与えられた、さらに4年の任期は貴重だ。大胆に指導力を発揮してほしい。

現職有利とされる2期目の選挙だが、、共和党のミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事に激しく追い上げられた。

社会保障を手厚くし、政府主導で景気回復を図る「大きな政府」のオバマ氏か、自由な経済競争を重視する「小さな政府」のロムニー氏か、という理念のぶつかり合いだった。

米国の閉塞状況を打破するのはどちらか。米国民は迷いつつも、社会の連帯に重きを置くオバマ氏の路線の継続を支持したということだろう。

この接戦が象徴する「分断」された米国社会を修復することこそが、オバマ氏にとって急務である。

 

「分断」修復急げ

 

選挙には両陣営がこれまでにない巨額の資金をつぎ込み、大量のテレビ広告で中傷合戦を繰り広げた。社会に残した傷跡は深いが、歩み寄るときだ。

米国では来年初め、政府の支出が大きく減らされ、ほぼ同時に増税される「財政の崖」が待ち受ける。

こうした事態に至れば、国内総生産(GDP)を5%近く押し下げるとされる。世界経済に与える影響も大きい。

まずは共和党との間で回避策を探り、協調の足がかりを得る必要がある。

オバマ氏は1期目、大型の景気対策や、国民皆保険に近い医療保険改革を導入して、財政負担の増加を嫌う保守派の猛反発を招いた。

厳しい財政削減を求める保守運動「ティーパーティー(茶会)」が勢いづき、2年前の中間選挙で共和党が下院で大勝した。同党は徹底して政権に非妥協的な姿勢を貫き、政治が動かなくなっていた。

大統領選と同時に行われた連邦議会選では、上院では民主党が過半数を確実にしたが、下院は共和党が多数を占めた。「ねじれ」は続くことになり、超党派での協力が不可欠だ。

共和党も大統領選で示された民意を受けとめるべきだ。「茶会」のような急進的な主張は、国民的な支持を得ていないことがはっきりした。協調すべきは協調しなければならない。

ロムニー氏は、オバマ氏の医療保険改革の撤廃を訴えた。だが、しっかりしたセーフテイーネットの存在は、経済にも好影響をもたらす。共和党も改革を受け入れるべきだ。

 

カギ握る中間層

 

選挙選終盤、オバマ、ロムニー両氏がともに強調したのは中間層への配慮だった。中間層が活気を取り戻してこそ、米国の再生につながる。

また、それが分断修復のカギとなるのではないか。

オバマ氏が苦戦した最大の原因は、経済の低迷だった。

失業率は8%を超える高い水準で推移し、就任時に約10兆ドル(800兆円)だった財政赤字の累積は、約16兆ドルに増えた。

希望の兆しもある。

選挙の直前になって、失業率は2ヶ月続けて7%台に下がり、9月の住宅着工件数も4年2ヶ月ぶりの高い水準だった。回復の軌道に乗りつつある、との見方が強い。

この流れが続けば、政権基盤が安定し、社会のぎすぎすした空気も和らぐだろう。

 

対中関係をどう築く

 

財政的な制約もあり、世界に軍事力を振り向ける余力が少なくなるなか、米国が外交・安全保障でどういう役割を果たすのかも問われている。

4年前、アフガニスタンとイラクの二つの戦争で米国の威信は大きく傷ついていた。

そこに、オバマ氏は全く違う米国の姿を示した。

「核なき世界」を唱え、米国とイスラム世界の新たな関係を求める力強い言葉に、世界は喝采を送った。

だが、いずれも道半ばだ。

中東は「アラブの春」後の秩序作りで揺れている。内戦状態のシリアでは多数の死者が出て、暴力がやむ気配はない。イラン核問題も緊迫している。

紛争の拡大を防ぎつつ、どう解決に導くのか。国際社会をまとめる指導力も試されている。

アジア太平洋重視を打ち出しているオバマ政権にとって、習近平(シーチンピン)・新体制の中国とどう向き合うかは最大の2国間問題だ。

経済面の相互依存が増すなか、実利的な関係を進めると見られるが、大国化した中国が周辺国と摩擦を起こす場面が増え、米国は警戒を強めている。

尖閣諸島をめぐって中国との緊張が続く日本としても、オバマ政権の対中政策を見極め、連係を深める必要がある。

外交、内政両面で、理念を開花させることができるか。オバマ政権の真価が問われる4年間になる。

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変革、これからが本番

アメリカ総局長=立野純二

 

7日未明、シカゴ。再選を果たしたバラク・オバマ大統領は、1万人の聴衆に、かれ声で語りかけた。「経済は回復している。10年の戦争は終ろうとしている。そして、長い選挙戦は終った」

未曾有の経済危機や、イラク、アフガニスタンでの戦争終結にも並ぶ苦難。それほど激烈をきわめた選挙だったと吐露した。「一つのアメリカ」を唱えて歴史に名を刻んだ黒人大統領の再選演説として、実に皮肉な言葉だった。

争点は最後まで経済復興だった。

ミット・ロムニー氏の武器はビジネス経験。最後は逆にその過去が災いした。特にオハイオなど自動車産業の拠点州では、市場に破れた企業や工場を切り売りした投資家よりも、逆に産業を救った現職大統領への信任が上回った。

自由競争にゆだねる社会か、それとも格差の是正を重んじるべきか。低成長と財政赤字に悩む先進国共通の問いに、米国民は後者の「大きな政府」路線を選んだ。リーマン・ショックを招いた市場の暴走の記憶が生きていたともいえるだろう。だが、それは決して論争の決着ではない。

むしろ、社会の対立がこじれているのは、経済格差だけではなく、人種間の分断も深まったからだ。台頭する新移民層と、旧権益層の保守層とのあつれきを背景に、白人の「オバマ離れ」が鮮明になった。議会下院の共和党支配は変わらず、オバマ政権は2期目も内政に悩まされるだろう。

今回ほど米国が世界を論じず、内向きに終始した選挙は珍しい。つい10年前、民主化の旗を掲げてイラクの独裁を力ずくで倒した米国が、隣のシリアで3万人が殺されてなお傍観するのはなぜか。両候補はその答えで一致した。「再建すべきは我々自身だ」

米国はもはや一極支配の覇権国ではない。核なき世界。グリーン・エネルギー革命、イスラムとの対話。オバマ氏が掲げた崇高な目標の大半が道半ばながら、多くの国々は再選を歓迎した。欧州経済が揺れ、中東が混迷し、アジアの秩序が変わる動乱の時代、むしろ4年前より今こそ世界は変革の旗手を渇望している。

「世界は困難にあふれているが、私たちは運命の囚人ではない。我々の行動で歴史を正しい方向に向けられる」(3年前のノーベル平和賞受賞演説)。あれから理想の語りが消えた姿に夢がしぼむ思いがしたのは米国民だけではない。世界が信じた「オバマ伝説」の本番は、初当選の酔いが覚めた今から始まる第2幕にこそあると考えたい。

2012年11月9日金曜日

「W・ローズ」公演

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開演=19:00 

 

作=マーティン・シャーマン

訳=堀 真理子

演出=高瀬久男

出演=志賀澤子

会場=ブレヒトの芝居小屋

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久しぶりのブレヒトの芝居小屋だ。今年2度も招待を受けながら、観劇に行けなかったことが気になっていた。そこで、今回はどんなことがあっても行くぞと決め込んでいた。さて、誰と行くかが問題だった。

今回は、毎週水曜日の午後に農作業の手伝いをしている山田農園の農園主と行く事になった。農園主はご婦人だ。農園に向かう或る日の車中、ひょんなことでお芝居のことを思い出し、唐突に誘ってみた。農園主は、じっくり私とこの劇団とのお付き合いのことを聞いて、同行を決意してくれた。

演出は、紀伊国屋演劇賞などの多くの賞に輝く高瀬久男氏が担当。東京演劇アンサンブル代表の志賀澤子氏がプライベートユニットで制作した。いただいたパンフレットには、志賀氏本人が、俳優人生の総決算として挑むなんて大袈裟なことを言っておられる。まだまだ、先輩には頑張ってもらわないとイカンのですゾ。

今回、芝居小屋に行くまでに、何らの理論武装もせず、予備知識を持たないままの観劇だったので、その場では、話の進んでいく具合を多少理解できても、肝心な部分が解っていなかったので、浮かぬ顔をしながら帰ることになった。

志賀さんの独り芝居だ。

舞台の中央に設置された木のベンチに座って、80歳になるローズが、波乱に満ちた自らの人生を語る作品だ。胸が苦しくて、水を飲み飲み、自分の生い立ちから今に至るまでの人生行路を、語る口調は、時には涙し、笑を浮かべて静かに語られていく。

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話の筋はーーー

ローズはウクライナのユダヤ人たちが住む集落で生まれた。兄を頼ってポーランドに出かけた。ちょうどその時、ワルシャワにナチス・ドイツ軍が目の前を侵攻してきた。それからゲットーでの生活を余儀なくされる。

第二次世界大戦後、ローズは「エクソダス号」に乗ってパレスチナを目指した。しかし、運命のいたずらからアメリカのアトランティックに渡ることになる。そこで、知り合ったアメリカ人と結婚し、子供をもうけ、ホテル経営を軌道に乗せた。

保有していたホテル・ローズは繁忙から衰退、そして老人ホーム・ローズになる。そして年老いた今はマイアミにいる。

このお芝居を観ている時に、気になってしょうがない言葉があった。時々志澤さんの口から発せらる台詞(せりふ)の「シヴァ」、だ。

自宅に戻ってネットで調べてみたら、シヴァとはユダヤ教の信徒たちの葬式にかかわる習わしのようだ。葬式が終わると、遺族はシヴァと呼ばれる7日間の喪に服する。この期間、遺族は亡くなった人の友人や親戚の弔問を受ける。心身を鎮める。亡き人を語り遺族を心からいたわる。そのようにして、ユダヤ教の信徒は絆を深めていく。

シヴァの7日間が終わると、遺族はこれからの1年間の喪に服することになる。両親や兄弟姉妹が亡くなった場合は、1年間はお祝いごとや、お祭りに参加しないし、パーティーやコンサートにさえ行かない。楽しむことや浮かれることは厳しく戒める。

回顧話の中にシヴァが度々訪れ、話は進行する。

ストーリーを完全に理解できていないので、後日、本を読んでみたいと思っている。頂いた資料を添付した。

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2012年11月7日水曜日

フ~ラフ~ラ、帰途の楽しみ

仕事を終えて、会社を出て、駅前のコンビニでお酒を買って、チビリチビリ飲んで帰るのが楽しみの一つになった。

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1ヶ月程前のこと、帰途の電車の中で、掌(てのひら)に隠すようにして缶ビールを飲んでいたら、かって20年ほど前に私の会社に融資してくれていたノンバンクの担当者だったケイさんに会った。私が乗客のなかに見つけた。

缶ビールをコンビニを出て直ぐに飲みだし、電車がホームに着くまでに飲み終え、空き缶を自動販売機の傍にある缶入れに入れ、そして電車に乗るようにしていたが、この日は携帯電話がかかってきて、飲み終えるまでに電車が来てしまった。

久しぶりに会った彼に、ご無沙汰していることを詫びた。彼は転職先の名刺を差し出し、互いの仕事の現状を話して、頑張りましょうとエールを交換した後、私の手元の缶ビールを見てニンマリと、ヤマオカさんは相変わらず飲んでるんですね、と冷やかした。

そんなことはないんですよ、家に帰ってがっちり飲むのは以前と変わっていませんが、今日は、ちょっと暑くて、外で木を切る作業をしたもんですから、特別なんです、それに直ぐに電車が来たもんだからと嘘をついた。私は、この何十年、毎日、会社か居酒屋で飲むか、コンビニで買った酒を飲んで家に帰っている。

春から夏の終わりまでは第三のビール・発泡酒を、それから果汁の入った缶酎ハイに変えた。そして、2週間前から日本酒にした。日本酒にも色々あって、1合100円の紙パックに入ったものから、200ミリリットル200円前後のものが、各メーカーの社運を賭けた品が並んでいる。

1週間前に200ミリリットル130円のワンカップ酒を見つけた。その名は男山という。これが、値段の割にはなかなか美味いんだ。

そして、一昨日20121102の金曜日の電車の中、今度はケイさんの方がワンカップ酒を飲んでいる私を見つけて、やっぱり飲んでましたね、と近寄ってきた。きまりが悪かった。酒を飲んでいるオヤジがいるなあ、と思ってよく見たらヤマオカさんだったんですよ、1ヶ月前に会ったときには、確か、その日は特別の日だと言ってませんでした? 彼は、私を問い詰める。口調が堅い。私は、今日もちょっと疲れちゃって、と独り言で誤魔化した。

今夕の彼は前回とは違って乱調気味。そりゃそうですよね、疲れちゃいますよね、頭にくることが多くて、やってられませんよ、いい加減疲れました。顔はまるで鬼。面白くないことをやらされてますわ。今日会社で、彼に何があったんだろう? 事情の解らないまま、私はウンウンと頷(うなず)くばかり。私より一駅前に下りたが、彼の背中は淋しげだった。

こんなことがありましたと、日記のつもりでこのブログを綴った翌々日の今日20121104、朝日新聞・生活面に、「電車内化粧 中3が考えた」のタイトルの10月14日付け新聞記事に対して、漫画家の伊藤理佐さんが書いた「やめなよ、電車内での化粧」の記事に、色んな意見の投書があったことを報じていた。

概(おおむ)ね、伊藤さんの意見に賛意を表したものが多かったようだが、そんな記事に己(おのれ)は一体どうなんだ?と矛先を我に向けて考えてみた。車中、缶ビールに缶酎ハイやワンカップ酒を飲んでいるサマは、女子の中高生が化粧しているのと大差ないではないか、余り褒められたことではない、よ~だ。

新聞記事にあったように、「いいじゃないですか。迷惑にならないならOKです。公共の場だけど、自分の範囲だけのことなので」と、この私も言えますか? と自問して、それはどんなことがあっても、言えないことだ、と今更ながら納得した。

電車内でのお酒は遠慮しよう。

銀杏 その③弾

この1ヶ月、銀杏と大いに戯れた。

経営責任者の中さんが集めてきたイチョウの実から種子である銀杏を取り出して、作業は最終工程、乾燥中だ。

イチョウの実を中さんから受け取ってからの作業は、私の担当だ。

我らが深く付き合った銀杏のことを、朝日新聞・天声人語は取り上げた。敬愛してやまない宮沢賢治の文章も交えてくれた。ジョバンニ、カムパネルラと俺の銀河鉄道はそろそろ走りだす。歴史の歴史を、愛の愛を見つけるための旅だ。天声人語氏の珠玉のこの文をやはり、キープしたいと思った。

 

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朝日・天声人語

早起きの身に、よく晴れた晩秋の夜明けは気分がいい。きのうは藍色の天空に居待ち月が浮かぶ。明けの明星が皓々ときらめいていた。暁を覚えぬ春とは違って、眠気はすっきり心と体から抜けていく。

そんな澄み切った明け方、丘の上の一本のイチョウから、銀杏が一斉に飛び降りる童話を宮沢賢治は書いた。木をお母さん、黄金(きん)色の実をあまたの子に擬し、落下を「旅立ち」と描く筆はやさしい。

子らは靴をはき、外套をはおって旅の支度をする。冷たい北風がゴーッと吹くと、「さよなら、おっかさん」と口々に言って枝から飛び降りるーー。黄金(きん)の雨が降るような描写を読み直すうち、ふと読者から頂いた便りを思い出した。

去年の今ごろ、作家の故三浦哲郎さんの文を拝借した。郷里の寺の銀杏が、「毎年十一月のよく晴れた、冷え込みのきびしい朝に、わずか三十分ほどで一枚残らず落葉してしまう。これを文学的誇張であろうと書いたら、そういうことは他でもあると、何人かが教えてくださった。

ある人は「すさまじい光景だった」と表し、ある人は「解脱するかのように」と例えていた。裸になった木の下には厚み10センチほどの絨毯が敷かれたそうだ。風もなく、憑かれたように散る光景を思えば、樹木の神秘に粛然となる。

立冬が近く、けさは各地で一番の冷え込みになるらしい。豪壮な黄葉は今日はどの辺りか。夜はぎんなん坊やをつまみに、深まる秋に浸るもよし。おっかさんの銀杏の木に、感謝を忘れず。

銀杏、その②弾

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中さんが収穫してきたイチョウの実は、出勤時に会社に持ち込まれ、バケツとビニールプールとビニールのゴミ袋に入れて水に浸け、テラスに並べた。イーハトーブの果樹園にも埋めた。

そのような状態にして数日(7~10日間)、様子を見た。イーハトーブに埋めたのは、外からは目視できなくて、中の様子を時々掘り起こして見た。果肉がほぐれてきたのを見計らって、次の行動に移った。

今後の処理方法の知恵をネットで得た。画期的なアイデアに思われたのは、実を洗濯機に入れて、果肉を剥(はが)し取ることだった。私たちは、実を網状の袋に入れてから洗濯槽に入れた。これは、私たちのオリジナルな知恵だ。この方が後の処理が迅速にできる。

洗濯槽から網に入ったまま取り上げて、ザルに広げ、ゴミを取り除き、水をたっぷりかけてぬめりを洗い落とした時には、イチョウの実は身包(みぐる)みはがされ、白い裸身の艶(なまめ)かしい銀杏になっている。

ウンコ臭の身包みはゴミ袋に入れて封をした。やっとここで、親しみまで覚えるようになった臭いとおさらば。スタッフに嫌な思いをさせなくなることに安堵した。

裸身艶かしい銀杏を、現在、会議室の窓際に干している。保存をするためには水っ気をなくすることだ。私は、一日に一度は確認に行く。見る度に嬉しくなる。

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試作中

片や管理の和さんは、目下、小分けして人様に差し上げるための梱包を考えている。あの手この手を駆使して見栄えよく、考慮中だ。

銀杏 その①

銀杏を作りに繁忙中だ。

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収穫直後のイチョウの実

 

弊社の経営責任者の中さんが、早朝5時頃、散歩やジョギングをしているときに、コースの道々に銀杏が落ちていることに気づいた、と私に話しかけた。

そう、そんなに落ちているの、と返答しながら、私は私で、今年は銀杏をどうしようかと考えていた。去年、仕事の都合で立ち寄った横須賀のJR田浦駅のロータリーで偶然拾ったイチョウの実は大きかった。が、沢山は拾えなかった。小さい実のものは会社のすぐ近くの帷子川沿いで幾らでも拾えるが、もう少し大きな実を拾いたかった。そんな場所さえ見つかれば、直ぐにでも、出動するつもりでいた。

そして数日後、ヤマオカさん、こんな実なんですがどうでしょう、と見せられたその実がどれほど価値のあるものかは、学習済みの私には、即、理解できた。お歳暮の時期にあわせて、銀杏作りをしよう、と中さんと合意した。二人は、お世話になっている人に年末のご挨拶に差し上げたいと思った。あなたが採って来てくれたら、後は俺に任せろ、銀杏については、中さんより一日の長がある。

問題は、果肉の中の銀杏を取り出しやすくするために水に浸け置くスペースの確保と発する臭いにどれだけ耐えられるかだ。露骨にウンコ臭に渋面するスタッフもいたが、スマン、悪いな、とその度に謝った。

それから、中さんは義弟と、たまには奥さんも交(まじ)えて、収穫作業を加速させた。義弟はスー君だ。彼は、奥さんの弟で家事の手伝いにフイリッピンから来ている。

毎日それなりの量が会社に持ち込まれた。初日は水を入れたバケツに浸(つ)けたが、持ち込まれる量が多くなってきたので、我がイーハトーブの果樹園に埋めることにした。昔、私がそのようにしていた。

それでも足りないので、思いついたのが子供のビニールプールに浸けることだった。物分りの早い中さんは、早速、自宅用のプールを持ってきたが、それにも直ぐにいっぱいになった。今度はビニールのゴミ袋に入れたまま水を注いだ。

収穫する方法にも日々、漸次、イノベーションが図られた。最初は通行人を装って、イチョウの樹の下や、垣根の中に顔を突っ込んで拾っては、小さなビニール袋に入れていた。

落ちている実が多くなってきたので、チリ取りやスコップのようなもので、ごそっと掬(すく)ったらどうだろう、とアドバイスした。が、これでは、玉石混淆。

そのうち、中さんは大きい実がなっている樹と小さい実がなっている樹があることに気づいた。そして生っている実を棒や竹竿のような物で叩き落としているオジサン、スー君がエネミー(敵)と叫ぶ敵を目撃、それからオジサンの手法を素直に見習った。落ちるのを待っていられない。この方が、良質の実を集中して採集できる。

落とした実を一つひとつ拾うのではなく、ビニールシーツを広げておいて、それをまとめて一網打尽(ちょっと違う、が)?に実を集めた。

次は棒で叩き落とすのではなく、樹に登って枝を手で揺らして落とした。落ちる前の良質な実だけを選んで収穫できた。それも、大量に。樹に登るのはスー君だ。木登りが上手い。

この収穫場所のことは、口が裂けても言えません。企業秘密ですから。良質な材料の仕入れの重要さに、業務上痛感させられている。

 

このように収穫された銀杏の運命は、第2弾にご期待してください。