2012年12月17日月曜日

やっぱり、選挙に行こう

今日20121216は、第46回衆院選の日だ。

昨日から降っていた雨は、未明の3時半には止んだ。政権交代なのか維持なのか、政党の乱立、にわか作りの第三極が政権に加わる程票を伸ばせるのか。それにしても、第三極?ってよく判らん。自民、民主、みんな、公明、社民、共産、他の政党も、それぞれ公約を掲げて選挙戦を繰り広げてきた。そして、明日17日の未明には、大勢が判明する。

私はしらけていた。4日前、自宅近くの駅頭で候補者から握手を求められ、その相手の顔を見てギョットした。大臣になって間もない記者会見で、たった10分間に「はっきり申しまして、はっきり申しまして」と10回以上も繰り返し、肝腎のことについて、いつまでも自らの意見が言えない、私見を持っていなかったのだろう、そして過去の暴力団との交際が発覚して、急遽病気入院、退院後は党の幹部によって口封じされたのか、何のコメントもなしに解任か?辞任した当の元大臣だった。在任期間はたったの3週間。私は手を引っ込めた。鉄面皮、恥知らずのこの元大臣は、よくも立候補したもんだ。神経を疑ってしまった。

それにしても、私の腰は重い。早朝、目が覚めても投票に行こうとする意欲、気力がどうしても沸いてこない。投票日当日20121216の03:00に至っても、このような心境だ。

そんな私の背中を押して、投票に向かうように奮い起こさせたのは、今朝配られてきた新聞記事のおかげだ。記事を読んでキーボードを叩いて、転載させてもらう。

その気にさせた記事は、お馴染みの朝日新聞の天声人語と同紙15面の読書の欄からだ。読書の欄は、フリーライターの速水健朗氏が池上彰さんの著作本に書評を寄せたもので、その一文の後半部分だ。

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20121216

朝日・天声人語

大波のような毀誉褒貶(きよほうへん)の落差が、田中角栄元首相ほど激しい政治家もまれだ。金権政治の元凶(がんきょう)のように見られながら、本紙別刷り「be」による戦後首相の人気投票では吉田茂を抑えて1位になった。その人の、きょうは命日だという。

先輩記者の著書によれば、あのだみ声で、よくこういう演説をしたそうだ。「政治はね、生活なんです。昨日よりも今日、今日よりも明日の生活が良くならなくちゃね。月給が倍増、3倍増、10倍増になったでしょ」。いい時代だった。

それから幾年月、この国はどんより雲に覆われ、政治の仕事は「富の分配」から「我慢の分配」に変わった。内外の難しい舵取りを、どの政党、どの人物にゆだねるか。決めあぐねたまま投票日、という人も多いようだ。

思えば、東西冷戦や高度経済成長の時代は分かりやすかった。無関心でも政治はそこそこやってくれた。そうした「お任せ民主主義」からの覚醒を迫られる中で、迷いは募る。一票の意味はかってなく複雑、かつ多様。

一昨日の紙面に、大学生が選んだ今年の漢字は「乱」という記事があった。政治は混乱し、政党は乱立。そして、次の政権に期待する漢字の1位には「信」がきた。乱から信へ。たとえ消去法でも腐らずに権利を行使したい。

あきらめと冷笑は何も生まない。「悪い政治家をワシントンへ送るのは、投票しない善良な市民たちだ」とある米国人言った。永田町もおなじこと。明日をもっと悪くしないためにも、鉛筆に力をこめて。

 

20121216

朝日・15面読書

売れている本/池上彰(著)の「池上彰の政治の学校」の書評

フリーライターの速水健朗

(記事の一部)

日本人のこれまでの政治選択は「新しいものに期待して」「飛びつく」ということの繰り返しだったという。

「とにかく変えたい」が選挙のテーマになっているうちは、同じことを繰り返してしまう。なぜなら、政策の違いに基づかない選択では、政権は変わっても中身は変わらないからだ。

耳に心地よい提案ばかりを主張して選挙に通ることと、それを現実の政治の場で実行していくことは別のこと。背景となる政治信念や政治の場での鍛錬を重視しなくては成熟はない。

今日は総選挙。「とにかく変えたい」だけに捕らわれてないか。最後に自分に問いかけた上で投票に出かけたい。

2012年12月14日金曜日

豊穣、先ずは土づくりから

我がイーハトーブの果樹園は、開墾を始めて10年経つので、立派に育っているものもあれば、何らかの理由(わけ)があってスクスクとはいかず、苦労している果樹もある。苦労して悩んでいるような果樹を見ると、頭が重い。

果樹と果樹の隙間を耕した場所に、この1年間野菜を育ててきた。にわかに野菜作りを始めた。毎週水曜日に野良仕事のお手伝いをしている山田農園の農園主におだてられ、余った苗をどんどんくれるものだから、当初は植えれば何とかなるだろうと、そんな安易な気構えだった。安易過ぎた。でも作柄によって、無世話、無農薬、無肥料でも成長する親孝行モンもいるが、大概、細々過ぎる収穫量に失望した。私だって百姓の小倅(こせがれ)、多少の知恵はある、唯の粋狂として済まされない。

3週間前、タマネギの苗を植えたが育ちが悪過ぎる、その理由を当然のように土にあると判断した。将来のことを考えて、ここは一念発起、土壌改良をやるしかない。

この土地は元々は住宅の敷地だった。庭先だったところは狭いがそれなりの土壌なので作物には耐えられる。それ以外の表層には草は生えているが、20センチも掘れば粘土で、その粘土は岩のように固い。

この粘板岩に近い土は、耕しても耕しても細かくサラサラにならない。ネバネバして水はけが悪い。そこで思いついたのが、落ち葉を集めてきて、米ぬかと牛糞を混ぜて、ビニールシートで覆(おお)って発酵させる、その発酵が終わったものを、深く掘り起こした粘土質の土をなるだけ細かく砕いて混ぜることで改良できるのではないかと。その知恵の出どころは山田農園主だ。歴史的な大事業だ。

会社の近くの公園の落ち葉を掃き集めたものが、ゴミの収集場所に置いてあるのを見つけてこっそり頂いてきた。又、近所の街路に落ちたイチョウの葉も集めてきた。精々と作業をこなしている。

無人の精米所を見つけては、米ぬかを収集しよう、来週は牛の糞を牧場に貰いに行こう。

2012年12月12日水曜日

五島うどんを土産にもらった

20121118

長男の嫁が子ども二人を連れて里帰りした。土産に海藻ふりかけと五島うどんをくれた。

嫁は、長崎県の五島列島の宇久島出身で、長男の海外出張中に宇久ジジと宇久ババの許でしばしの骨休めだ。ジジやババにさどかし歓待されたことだろう、想像に難(かた)くない。実家は長崎県佐世保市宇久町だ。

もらった五島うどんは、実は1週間前から私の机の上に置いたままだ。昨日20121211の帰途、天王町駅で貰った「相鉄瓦版第208号」(毎月、相鉄ホールディングス株発行)が「そばとうどん、からまる思い」を特集していた。その特集の中で私がよく行く讃岐うどん屋のH店の店主が、会社を辞めて讃岐うどん店を開くまでの苦労話、讃岐うどんに対する熱情やテレビ番組のコメンテーターとして活躍している勝谷誠彦(かつや・まさひこ)氏の讃岐うどんへの思いを文章にしていたのを、読んだ。

帰宅して机の上の五島うどんをまじまじと見つめ、讃岐うどんのことはよく判ったが、五島うどんはどうなんだ?そして、キーボードを叩きだしたのだ。

五島うどんを包装したビニール袋に印刷されている文章を読んで、俄然、このうどんに拘(こだわ)った。美味しくいただく前のインナートリップだ。

まず「手延べうどん」の手延べという奴だ。そうめんの手延べは、子どもの頃から見聞きしていたので良く知っているが、うどんでの手延べは知らなかった。二本の棒を使って延ばしていくのも、細いそうめんだからできるのであって、太いうどんでは想像できなかった。五島うどんでは、小麦粉と塩水を合わせた生地に椿油を塗りながら二本の棒に綾がけして延ばす手法だそうだ。そして天日干し。

実際に、私は以前に配合したうどん粉を買ってきて、うどんを作ったことがあるが、団子のように丸めてしばらく寝かせ、踏みつけて目覚めさせ、板状に延ばして細く切った。

それに五島うどんが誇りにしているのは、その昔五島列島は遣唐使の寄港地であり、また元寇で捕虜になった中国人が住みついたことによって、中国人から最初に教わった、麺ロードの拠点であったということだ。

それから驚いたことに、うどんの世界にも毎度お馴染みの日本三大?ウンヌンカンヌンの「日本三大うどん」というのがあるらしい。何が三大なのかよく判らないが、そのことは横に置いて、ネットで調べてみたら、秋田の稲庭、香川の讃岐が当確で、三番目には長崎の五島か群馬の水沢か、富山の氷見か名古屋のきしめん、、、、、どうも三番目は早く名乗った方が勝ちのようで、この場は五島うどんがその地位を確保したことになるようだ。

そろそろ明日20121213、土産の五島うどんをキッチリ食うぞ。それにしても、どうして食おうか? 味はどうなんだろう?

近くのスーパーで売っている生めんの歯ごたえのない奴、味も素っ気もない奴、小麦粉の塊のような、そんな奴らでも美味く感じる私が、どうして味についてのコメントをできよう。至難だ。

今まで長崎の麺といえば、なんとかハットという名前の全国展開しているお店で食う、皿うどんに長崎ちゃんぽんばかりと思っていた。

日本にも、予算管理法

「財政の崖」とは聞き慣れぬ言葉だが、使われている崖という文字が衝撃的で否応なしに関心を持った。この言葉は、アメリカの大統領選とともに露出度が増えた。ここらで、私も少しは知っておかねばと、新聞記事などを注意して読むようにして、やっと少しは理解できるようになった。

生半可な理解でも、勉強することに越したことはない。

調べていて、アメリカには予算管理法という法律があって、連邦政府の債務残高上限額を法律で規定していることを知った。肝腎な内容は、債務残高が法定上限を超えると、国債の新規発行を行うことができなくて、歳出や国債の元利払い等に支障が生じることとなる。

EUにおける各国の政府債務の超過問題が騒がられていたときに、ドイツには国債発行できる限度を、GDPの何%かに抑えなければならないと、憲法?か何とか法で決められていると聞いたことがある。

ファイル:National Debt of Japan.svg

そこで、日本のことを考えた。上のグラフは日本の国債残高の推移を表したものだ。国の借金は、国民一人当たりに換算すると約730万円以上。

毎年毎年、国家予算を編成される際に、当たり前のように国債が上積みされていく。国債の債権者が国内資産(95%が国内、5%が海外の債権者)であるためか、話題になるのを政策的に避けているのか、余り問題にされない。でも、やっぱり政府債務が増加するのを止めなければならないのは当然で、先にも述べたEUのドイツを除いた各国がいい見本だ。

ブッシュ前大統領の時代に、あの大国がデフォルトを起こしかねない状態に陥った。各国には各国のお家の事情があろう、その国の事情を日本にそのまま当てはめられないのは当然至極だが、それにしても、いち早く健全な財政を確立する必要があるだろう。

そこで、素人の私が思ったのは、日本も米国らに真似て、予算管理法なるものを制定したらどうなんだろう? そんなことを思いついて、この稿を綴った。

会社を経営していくには、先を見通す力と、商品の開発、それに財務を盤石にすることが肝要だ。

 

★財政の崖とは=ブッシュ前大統領が始めた所得税などの大型減税の失効と、予算管理法による強制的な歳出削減の開始が今年末から年明けに重なり、あたかも崖のような急角度で米連邦政府の歳出が減り、歳入が増えること。最大で5600億ドル(約46兆円)の財政引き締めになるとされ、米議会予算局(CB0)は最悪の場合、来年前半の米経済は3%近いマイナス成長に陥ると警告している。(日経新聞の記事より)

2012年12月7日金曜日

衆院選 最多1504人立候補

第46回衆院選が4日に公示され、各党首は16日の投開票に向けて一斉に舌戦の口火を切った。

野田佳彦首相(民主党代表)は政権継続のために比較第1党の確保を訴え、自民党の安倍晋三総裁は政権復帰に向けて公明党と合わせた過半数獲得に意欲を示した。勢力拡大をうかがう第三極は、日本未来の党の嘉田由紀子代表や日本維新の会の石原慎太郎代表らが独自政策をアピールし、政権を懸けた戦いが始まった。

争点は、経済再生や原発・エネルギー政策、消費増税や環太平洋経済連携協定(TPP)などだ。

ーーーということなんだが、大言壮語、威勢のいい演説は大いに結構だけれども、威勢がよければよいほど、私の周りにシラケ鳥が飛び交う。手をつけて欲しい政策に、1番2番と順番はつけずらいが、税と社会保障の一体改革はどうするんだ?財源が縮小している状況の中で給付の抑制策はどのように立案するのか。派手な争点になってはいないが重要な問題だ。

離合集散、合従連衡、にわか作りの党、党の代表と代表代行がチグハウな発言を繰り返す。

党首は、立候補者は張り切り勇み足、有権者は投票日を前に浮かぬ顔。誰かが当選して、どこかの党がどこかの党と政治の枠組みを構成、どのように政治が動き出すのだろうか、不安だ。今度こそ、信頼される政治を期待したい。

みんなみんな冷静になってよく考えてみてくれよ、という内容の記事を、20121205の日経新聞に見つけた。

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20121205 日経新聞・朝刊

「明日の日本」判断を

論説委員・芹川洋一

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なにかがすっぽり抜け落ちているような気がしてならない。政党がしのぎをけずる選挙だから、原発をはじめ、おたがいに異なる点を、ことさら強調して、ぶつかり合うのはしかたがない。だが、今、本当に問われているのは、ちょっと違うのではないか。

「豊かさを保つには」

経済力がどんどん落ちて、もはや二流国家になりさがろうとしている日本。ぎりぎりのところで立ち直すにはどうしたらいいのか。政党に求められているのは、国の力をみなぎらせるための政策のきそいあいだろう。

「反」 「脱」 「卒」ーーいろいろなものを否定ばかりしていて、その先をどうするつもりなのか。たしかに脱近代で、つつましやかに生きていくのもひとつの考え方かもしれない。しかし、子や孫の代まで豊かで自由な生活を営むためには、一流国家で踏みとどまろうとする頑張りがいるにちがいない。

将来の経済社会のすがたを全体として示す必要があるはずだ。政党には、明日の日本をたしかなものにするための大きな物語を語ってもらわないと困る。

そうしないと有権者は判断をまちがえる。ひとつの争点だけで選挙をやった結果、何がもたらされたかは過去2回が教える通りだ。

有権者の側にも、チェックポイントが少なくとも3つはいる。

第1は、過去の業績評価である。3年3ヶ月にわたって政権をになった民主党は、マニフェスト(政権公約)をどこまで達成できたか当然問われる。

辛い点がついて進級がむずかしいとなっても、それがマニフェスト選挙というものだ。

第2は、将来への期待である。各党の選挙公約に盛り込まれた各論の点検だが、その時大事なのは、政策を個別にみて比較するだけでなく全体としてとらえることだ。

それは前回の民主党マニフェストの教訓でもある。子ども手当てなどそれぞれは評価できても、それらをトータルに実施しようとして、しくじった。部分最適ではあっても、財源が限られている以上、全体最適ではなあかったからだ。

第3は、政党のあり方である。にわか仕立てをふくめて政党が乱立した今回、ここでも、民主党の教訓が生きる。理念や価値観がちがったメンバーが、選挙を目的にあつまったら、必ずどこかでつまずく。

利益の分配がもっぱらだった時代は理念を横においても、まとまっていけたかもしれない。不利益をどう分配するかの説得が政治の仕事となっている今日、もはや無理だ。

そのうえで、「決められる政治」に向けた政権の枠組みができるかどうかが焦点となる。

「政治の立て直し」

ところが、民主党政権が続いても、自公政権か、自公+第三極の政権になっても、参院の構成は同じだから、いずれも過半数には届かない。衆参のねじれ状況が続く。衆院選をやっても政治の局面は転換しない。

それが変わるのは民主党と自民党が組んだときだけだ。日本が二流国家なろうかという瀬戸際で、政治リスクを解消するには来年夏の参院選までは民・自公の協力政権のかたちを探るほかない。

おかしな話だが、今回の衆院選は準決勝でしかない。決勝は参院選だ。新しい連立や政党再編で、政治のかたちをととのえるのは、おそらくそのあとになる。

そうしたとしても、機能不全におちいった日本の政党政治を立て直すための選択は、この選挙からはじまる。

2012年12月5日水曜日

ゴン、感動をありがとう

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笑顔で記者の質問に答える中山雅史=松本康弘撮影

20121205 朝日新聞・スポーツ

元サッカー日本代表の中山雅史(札幌)が、現役を引退すると表明した。

「中山ゴン、箪笥にゴン、権太坂のゴン」、中山ゴンは中山雅史のことだ。これって?、私のオリジナルのフレーズ。

権太坂のゴンとは我が家の亡き賢犬ゴンのことだ。このフレーズを、テレビ画面の前で、ビールの勢いに駆(か)られて何度も繰り返し、日本代表の中山雅史を応援した。家族は呆れていたが、ゴンだけは私と目を見合い唱和に応じた。

サッカーボールを高校のサッカー部員として蹴り始めてから夢中に過ごした10年、それから40年も経っているのに、この熱だけは冷め切らない。Jリーグの発足が日本のサッカー界に大きな活力を生み、アジア、世界にもその影響を及ぼしつつある。目を瞠(みは)るばかりだ。サッカーファンにとって、この上なく嬉しい。現役の賞味真っ最中の選手や将来有望な選手たちの素晴らしいプレーに固唾を飲んで楽しんでいる。だが、私の飛躍を求める欲望はこんなもので留まらない。

名選手が引退宣言する度に、懐古、サッカーの歴史に名を残した素晴らしい選手を回顧するようになった。何故?年のせい?か。ベルリンオリンピックの日本代表が、優勝候補のスウェーデンに勝ったときの日本の代表選手の一人が、恩師、私の大学時代の監督、故・堀江忠男教授だ。私のサッカーの歴史はここから始まる

以後の名選手は大体理解している。今回現役引退を表明した中山雅史も燦然と、数々の記録もさることながら、プレーヤー・ゴンの人となりの強い印象をサッカーファンの心に刻んだ。Jリーグを発足初期の頃から大いに盛り上げ、ステップアップさせた功績は偉大だ。日本サッカー史における名選手として記憶されるだろう。指導者を目指すと聞いて、嬉しい。

「中山引退」の知らせを受けた日本代表FWとしてともにプレーした45歳で同じ年のカズこと三浦知良(横浜FC)は、「本当は、暗いヤツなんですよ」と記者を笑わせ、目に涙を浮かべたとネットで知った。この涙の意味は、はて、さて、、、私にも解るような気がした。

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以下は20121205朝日新聞・スポーツからダイジェストさせてもらった。ゴンの筑波大学・サッカー部の先輩、朝日新聞の潮編集委員が後輩のことに熱筆を揮(ふる)っている。

 

45歳中山 笑顔で幕

現役引退表明  指導者へ意欲

サッカーの元日本代表FWで、Jリーグで157得点の歴代最多記録を持つ札幌の中山雅史(45)が4日、現役引退を表明した。札幌市で記者会見し、「勝負するステージに立てないと感じた」と語った。今後は未定だが、「コーチライセンスはとりたい」と、指導者への意欲を見せた。

「ドーハの悲劇」で知られる1993年のワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選で活躍し、「ゴン」の愛称でファンに親しまれた。日本代表として国際Aマッチ53試合で21得点。94年にJリーグに昇格した磐田の主力として、J1のリーグ戦354試合に出場。157得点に「色んなゴールを決めさせてもらった。その一つ一つが、僕の財産」と胸を張った。

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大胆にして繊細な点取り屋

編集委員・潮智史

「うまい選手、才能のある選手はたくさんいたと思う。彼らに打ち勝ってきた武器、支えは何だったのですか?」。記者会見で質問して、名指しで答えが返ってきたのは初めてのことだ。

「負けず嫌いという気持ちだけ。うまい人、強い人を目標にいて、ライバル関係であっても尊敬の念を持ってしっかり見る。対抗するにはどう自分を構築したらいいかを考えてやってきた。一番最初に壁にぶち当たったのは大学1年生の時。4年生のDFに大きな存在がいた。それが潮さん!」

最後の会見でもサービス精神は全開だった。大胆にして繊細。そして、有言実行。筑波大で3年後輩だったゴンのそんな生き様はずっと変わらなかった。

天性の明るさよりも、悩み、静かに思いを巡らす姿が残っている。

1993年のW杯米国大会最終予選に負けて帰国すると「感動をありがとう」という大合唱が待っていた。傷心をいやす間もなく、正当な評価をされる機会もなく、「この大騒ぎは何ですかーー」と戸惑いを口にした。

「勝ったわけでも、勝ち点を取ったわけでもない。W杯まで来たら欲張りになりました」。そう話したのは98年のW杯フランス大会で初得点を決めたジャマイカ戦のあとだった。骨折した右足にギブスを巻いた車いすで悔しさを押し殺して未来を語った。

最も痛々しかったのは磐田を離れる時だった。11位に終った09年のリーグ最終戦を終えて、「僕の力でチームは立て直せない」とぽつりと言った。世代交代が待たれる中、挑発しても向かってこない若手を見て、さみしげに話した。

いつも共通していたのはチームや仲間への温かいまなざしだ。器用な技術はなかったが、最後まであきらめずにボールを追い、体でゴールに押し込み続けた。「ボールを渡せば、必ず決めてくれる」と誰からも信頼された。技術や戦術とはまったく違った次元で、ストライカーとして何が大切なのかを語りかける選手だった。

 

山岡

記者会見においても、偶然居合わせた先輩の質問にサービス精神大盛りの言辞を駆使できるゴンはさすがだと感心した。

2012年12月2日日曜日

久しぶりに蜂に刺された

セイヨウミツバチの大量死が世界的に話題になっているなか、日本在来の野生種であるニホンミツバチが注目を集めている。病気やダニに強く、湿度が高くても低温でも活動する。スズメバチに襲われても集団で立ち向かい、逆に殺してしまう技ももつ。日本で養蜂といえばこれまではセイヨウミツバチだったが、ニホンミツバチで産業化を目指す動きがある、という半年か1年前の朝日新聞の記事(編集委員・大久保真紀)を読んでいて、この夏、痛い目に合わされたスズメバチのことを思いだした。

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スズメバチ

今年の夏は例年以上に蜂が多かった。

弊社の生業は、中古住宅を仕入れて、間取りの変更や耐震の強化、設備の変更、内外装を新しく仕上げて、希望する購入者に買っていただくことだ。仕入れた物件のなかには、暫くの間空家だったものや、老人だけの住まいだったために、蜂が軒裏や庭の樹木の中に巣を作っていることが多い。今年は特に多かった。

弊社のスタッフで、私以外にも刺された者がいる。彼が刺されたのは頭部だった。工事担当の協力会社のスタッフも刺された。これらの蜂はどれもスズメバチだ。工事会社の人が言うには、今年は何処の現場でも蜂の巣を見かけるんです、とのことだ。

私が刺されたのは201209の中頃、横浜市泉区の中古住宅で、隣家の庭に飛び出している樹木を根元から、チェーンソーで切っている時だった。刺された場所は、耳の後ろの首の部分、頭髪の生え際だった。蜂は黒色の部分を襲う傾向があるらしい。その時、私は白い作業衣を着ていたが、黒い服を着ていると襲われる可能性が高いと聞く。化粧の匂いがするとか香水などをつけていると、襲われやすい原因になる。留意しておこう。

幸い針が深く刺さらないうちに身を引いたため、ダメージは軽かった。瞬間的に5、6メートルは後(あと)ずさった。大きく手を振って自分を防御したり、蜂を脅かすようなことはしなかった。地面に跪(ひざまず)いて上体を折り曲げた。威嚇しないことが、自分の身を守ることだと知っていたからだ。

子供の頃から蜂に刺されたらオシッコを塗りつけるように教えられていた。アンモニアが効くんだと。でも、この初老の私が、立派な家並みが続く高級住宅街の庭先で、そんな破廉恥なことは、さすがにできなかった。後で知ったことだが、この処方は全く効果がないらしい。

刺された部分に口を当て、毒を吸い出せなかったので、手の指で搾り出せるだけ搾ってみたが、結果、どれだけ搾り出せたかは不明だ。10分も経つと、指で触っても分かるぐらい膨らんできた。

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蜂の巣

今此処で、蜂に刺されて困ったような文章を綴ってはいるが、子供の頃の私は逞しかった。真夏でも衣服を全身にくるんで素肌を隠した。月光仮面のように覆面をして手袋をして、蜂を巣から追い払い、巣を棒で地面に叩き落とした。そして巣の中に居る幼虫(ハチノコ)を引っ張りだして食った。このときの蜂の巣はアシナガバチのものだった。大きい幼虫は、噛むと牛乳のような白い液体が、口の中にこぼれ出た。嫌な味や匂いはしなかった。長野の友人は、子供の頃炒めて甘辛くしたものを食っていたと言う。

大人から滋養になると聞かされていた。小さな幼虫は、魚を釣るときの餌にした。