2013年2月10日日曜日

「神聖喜劇」を読み始めた

これから綴るのは、読後の感想ではない。

大西巨人の「神聖喜劇」を読み始めて、途中で挫(くじ)けずに読み終えることをここに約束する、そんな宣言だ。この本は、生硬(せいこう)に皇軍の不条理と無責任体制を暴いた力作だ。

原稿用紙4700枚、登場人物がざっと200人、方言、軍隊用語に隠語がたくさん使われ、それに詩から俳句、短歌、古文に漢文が長文で挿入されていると聞けば、多少は尻込みする。格言や諺(ことわざ)、偉人、賢人の発した言葉や文章の引用が多く、又、めったら難しい漢字が多い。それでも、難しい漢字には親切にルビーがふられているし、難しい言葉には「 」で説明を添えられているので、多少は理解の助けにはなるが、それにしても難しい。

理解力の乏しい私だから、遅読も遅読、ゆっくり読み進むしかない。読み終えるのは相当先のことと思われる。

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年末も押し詰まって、この俺だって少しは部屋の掃除をした。20121212、床をいつもより丁寧に拭いて、本棚のほこりを払っていたとき、本棚の野間宏の「真空地帯」が目に留(と)まって、掃除を一時中断。ぺらぺらとページをめくって、数行、数行、飛ばし飛ばしに読んで居たら、私の頭の隙間に、あの大西巨人の「神聖喜劇」のことがどうっと入り込んできた。あれぇ~だ。

大学時代に五味川純平の「人間の条件」、卒業して直ぐに「真空地帯」を読んで、それからいつの頃だろうか「神聖喜劇」を絶対読もうと思い詰めた時期があったが、空振りのまま、読む機会がなく随分日が経ってしまった。大西氏がかって軍隊に所属していた頃の自叙伝的回顧録程度の理解しかなかったが、どうも、そんなものでもなさそうだ。神聖とはどういうこっちゃ、喜劇って?何じゃ、不思議な本のタイトルだと思っていた。3年前にも何とかオフの中古本屋のチェーン店で見つけたが、中古本といっても、全部揃えると6000円以上していたので、簡単に購入を諦めた。月々の可処分資金が細くなっていた時分、私には6000円は高かった。

ところが、今回は、インターネットオークションで廉く買える知恵を身につけたことや、以前よりは時間的に、懐具合も、多少余裕のある生活をしていることもあって、本気で読みいと思った。

ところが数日前に、本を何冊か買い込んで来たところだったので、こんな奴らをやっつけてからでないと、いくら積年の気になる本と言えども、買うわけにはいかない。それで、それらの本を正月を挟んで読みきり、ようやく手を打つ時期にきた。

こんな奴らと言ったその本とは、幸田文の「闘」、井上靖の「流砂」の上下巻、灰谷健次郎の「兎の眼」、佐野洋の「葬送曲」、原田マハの「カフーを待ちわびて」、それに友人から半ば強制的に貸し付けられた卯月妙子の「人間仮面」だ。頭の固い文字人間の私には、漫画が理解できない。これらを約1ヶ月半で読み終えた。前の3冊には大いに感動をいただいた。後日の為にも、読後感想を記せずに端折(はしょ)って簡単に前に進みたくないところもあるが、今回は省く。尻に火が点いてしまった。

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そして、20130206の火曜日、スタッフの長に頼んで「神聖喜劇」全5巻をネットで買ってもらった。翌日の水曜日に発送しますからと言われていたが、当日の水曜日に届いた。送料込みで3270円。

初めの1ページで、今後の苦労が予想できた。さあ~ってと、20130211の憲法記念日が読書のスタート日だ。

この日を、「神聖喜劇の読み始めの記念日」としよう。

AKB 涙の丸刈り謝罪って?

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20130202の朝日新聞を読んでいて、奇妙な記事を見つけて驚いた。タイトルは、「AKB涙の丸刈り謝罪 そこまでするワケは」だ。スポーツ新聞ではない朝日新聞の記事だ。

何で、こんな内容を朝日が取り上げたのだろう?と不思議だった。私がテレビを観るのは、朝のニュース番組と、特番として組まれる「昭和の歌謡ショー」ぐらいだから、このAKBとやらのグループがいかなる連中なのか知らない。

そのグループの一員の峯岸みなみさん(20)が、動画サイト「ユーチューブ」に丸刈り姿で登場して謝罪したというのだ。

「たくさんの皆様にご心配をおかけしまして、本当に申し訳ありません」。

映像は1月31日午後、同サイトのAKB公式チャンネルで公開された。ロングヘヤーだった峯岸さんが丸刈り姿で冒頭に謝罪の言葉を述べ、約8秒間頭を下げた。

「私がしてしまったことは軽率で自覚のない行動」、「誰にも相談せずに坊主にすることを自分で決めました」と大粒の涙を流し、「AKBをやめたくない」と訴え3分49秒の動画は終る。私も、急いでこの動画を見たが、痛々しかった。画像の真剣さとは裏腹に、私には可笑しさがこみ上げてきた。

峯岸さんはAKB結成時の2005年からの第1期生。AKBのメンバーにとって恋愛禁止は暗黙のルールだったらしい。

その謝罪しなければならない内容というのは峯岸さんが有名なダンスグループの男性宅に宿泊したこと、そのことを週刊誌が報じたので、このような行動をとったということだ。噛み砕くと、外泊したことを謝り、大騒ぎになったことを、「たくさんの皆様にご心配をおかけして」と謝った。峯岸さん、誰にも心配なんかかけていないよ。余りにも大仰過ぎないか、時代がかりの表現に違和感を感じた。事務所が作った原稿を読まされたのだろう。

「軽率で自覚のない行動だった」と謝っている。これって可笑しいよ。二十歳の成人の行動が、軽率で自覚のない行動だったと。何で?「皆様」に謝らなくてはいかんのだ。所属期間中は恋愛がご法度になっているのならば、身内、事務所内の幹部に向かって約束を守れなくてすみません、で済む話だ。彼女が外泊したことを知って、ファンは本当に怒るの? ファンが本当に怒るとしたら、ファンこそ可笑しいと思う。何か罪でも犯したの? ファンは彼女の外泊を責める権利なんてない筈だけどな?

丸刈り頭にしたのは、「自分で決めました」と言うが、年頃の女性がここまでしなくてはならない理由が解らない。ネタ作り?か、やり過ぎだ。謝罪の必死さが、嘘っぽい。女性が突然丸刈り頭で現れたのは、私には出家された時の瀬戸内寂聴さんしか知らない。

AKBの公式チャンネルで公開したのも、臭い。動画をアップする権限をもつ所属事務所がこの件を営業的に利用しているのが、ミエミエだ。

恋愛禁止が暗黙のルールだったというが、これは運営(プロモート)する側が商品であるアイドルをブランドコントロールするために必要な手法だったのだろうが、今時こんな手法もあり得るのか、これも可笑しい。タレントたちはそんなことを承知のうえだったのだろうか、そうではなかったのだろうか? 

そんな記事の下には、大津市のいじめ自殺問題で、第三者委員会自らが聞き取り調査を行ったとの記事がたっぷりのスペースで陣取っていて、上の峯岸みなみさんの丸刈り謝罪の件も一種のいじめではないのか、と新聞社の記事の枠取りを担当する人もそう感じたのだろう。それで、記事が上下に並ぶことになったのだろう。

校内におけるいじめ問題や、体罰問題に共通する要素を、この丸刈り事件も包含しているように思われる。

それにしても、嘘っぽい話だ。

2013年2月2日土曜日

成長と財政再建

鼻息荒い安倍首相が、元気よくいろいろ言動してくれるのは、それはそれでいいんだが、でも、やっぱり心配だ。7月の参院選までは、勢い良く、ボロを出さないように、慎重に舵取りをしようと心掛けているようだ。アベノミクスとか、積極的なことには大きな声を張り上げているが、国民に負担を課す、具体的な案が表立ってこない。

先の衆院選で政権に返り咲いて、先ずは日銀に大胆な金融政策を迫った。金融緩和策だ。そうしたら、市場は、あれよあれよのうちに、株価は上昇し円安が進んだ。ここまでは、まあ、好かった、良かった、だ。何もアベノミクスでなくても、銘柄によってはもっと上がるべくして上がったものもある、円安だって十分円安になるための環境は整っていた。株価や為替相場は市場の心理に強い影響を与えるもんだと今更に驚いた。

安倍政権は、負担の分担についての丁寧な説明が不足していて、国民の方は聞き耳を避けている。本当は、消極的ながら聞きたがっている。

20130110の日経新聞の社説で、「成長と財政再建を両立できる司令塔に」と題して、まとめてくれているので、マイファイルした。その内容というのは、それほど難しいことではない、私でも理解できる当たり前の話だ。

世界最大で最強の経済国の米国でさえ、この経済成長と財政再建をどう両立させるか、「財政の崖」をめぐって米政府は議会との調整で苦しんでいる。日本と同じだ。ユーロ圏でも各国が政府関係の債務が縮小する税収に重くのしかかって、財政がピンチだ。

米国は大統領選を日本は衆院選を終えて、民意を施政者たちは理解したことだろう、大いに腕を奮って欲しいもんだ。

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成長と財政再建を両立できる司令塔に

安倍政権の経済政策の司令塔となる経済財政諮問会議と日本経済再生本部が始動した。大胆な経済政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「3本の矢」の具体化が始まる。

忘れてならないのが成長と財政再建の両立だ。双方のバランスを保たないと、本格的な経済再生はおぼつかない。安倍晋三首相が「強い経済」を取り戻したいのならその点を肝に銘じて欲しい。

諮問会議はマクロ政策を統括し、6月に中長期的な経済財政運営の指針をまとめる。ミクロ政策を担当する再生本部は、同じ時期に成長戦略を打ち出す予定だ。

民主党政権には経済政策の司令塔が見当たらなかった。安倍政権が民間人の力も借り、官邸主導の政策決定を目指すのは評価できる。ただ諮問会議と再生本部の役割分担にはあいまいな点も残る。組織の乱立が議論の形骸化や意思決定の遅れを招くようでは困る。

最優先の課題はデフレからの脱却と円高の修整だ。諮問会議には日銀の白川方明総裁も定期的に出席する。この場も生かして、政府・日銀が連携を深め、ともに適切な政策を繰り出す必要がある。

政府・日銀は2%の物価上昇率目標を掲げ、大胆な金融緩和に動くことを検討している。金融緩和の強化は欠かせないが、硬直的な目標が金融政策の柔軟性や独立性を損なわぬよう注意してほしい。

政府は事業規模20兆円超の緊急経済対策を11日にまとめ、日銀の金融緩和と歩調を合わせて景気の下支えに万全を期す。先端的な研究開発や新事業の創出を促す施策はいいとしても、防災対策などの名を借りた旧来型の公共事業が紛れ込んでいるようにみえる。

政府が財政規律を守れぬまま、日銀が国債の購入を増やすのでは、「財政赤字の尻ぬぐい」と受け取られる恐れがある。2014年度からの消費増税に頼るだけでなく、無駄な支出の削減や社会保障費の抑制にも努力すべきだ。

充実させてほしいのは成長戦略である。再生本部は製造業の復活を目指す「日本産業再興プラン」や、企業の海外展開を支える「国債展開戦略」などを策定する。

成長をけん引する企業の活性化に照準を合わせるのはいい。だが聞こえのいい文句ばかりが先立つのでは意味がない。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加や法人税の減税など、民間の活力を引き出す施策に集中すべきだ。

2013年1月31日木曜日

映画「北のカナリア」

吉永小百合主演の最新作だ

原作は、湊かなえの短篇集・「往復書簡」(幻冬舎)に所収された「二十年後の宿題」

 

題名:「北のカナリア」

20130130 10:40~

キネカ大森

監督=阪本順治

脚本=那須真知子

出演者=吉永小百合、森山美来、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平、柴田恭兵、仲村トオル、里見浩太朗

 

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映画を観るなら東京テアトル系の映画館と決めているので、観る映画を決める制約は厳しい。考えた末に、西友大森店5階のキネカ大森で上映中の映画「北のカナリア」を観ることにした。館内は、私の年齢以上のご婦人がほとんどで、男は4分の1で6人だった。

久しぶりの映画鑑賞で、泣いて、泣いて、どこにこれだけの涙が溜まっていたのか、と思うほど涙を流した。この2、3年、何度も泣いたのに、それでも涙を溜め込んでいたようだ。

原作が「告白」の湊かなえさんで、吉永小百合さん主演と知れば、決心に弾みがつく。浪人中に進む学校を決めたのは、サッカーの一番強い学校だった。そしてその学校には先輩として吉永小百合さんが在学中だった。陰でお慕いする影武者サユリストだった。それでも映画を観たのは「愛と死をみつめて」だけだった。同病者?は私以外にも大勢(おおぜい)居た。ライバルはコマキスト(栗原小巻)だった。

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映画の粗筋を、映画館でもらったパンフレットをもとに、もっと詳細に感想もまじえて加筆した。それにしても、あれだけ感涙に咽(むせ)びながら観た映画なのに、その感想を文章で著すとこの程度なのかと、筆力の乏しさを実感している。

その前に、この映画を理解するのに、「北のカナリヤ」の作中歌「唄を忘れたカナリア」の歌詞を書き出してみた。そして、今まで何度も口ずさんできたのに、今回初めて歌詞を吟味した。

 

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアはは背戸(せど)の小籔に埋(い)けましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す

                  

(詩・西条八十)

 

主人公・川島はるは、余命6ヶ月と医師から告げられた夫と共に、北海道の離島の教師として赴任してきた。彼女が受けもつことになったのは、6人の生徒だった。彼らの歌の才能に気付いたはるは、合唱を通して生徒たちの心を明るく照らしていく。生徒たちは子ども心にも、それぞれに悩みや苦しみを抱えていた。先生が来るまでは学校がつまらなかった、と言う子どもたちに笑顔が溢れ、村の大人たちをも大自然に響き渡るその歌声が優しく包み込んでいった。

そんな時に、心に傷を抱えた警察官が島にやってくる。人知れず悩みを持っていたはるは、陰のある警察官と自分を重ねるかのように心を動かされていく。

夏の或る日、合唱の練習に行き詰まって生徒たちがギクシャクしていると話すはなに、夫は、バーベキューで気晴らしをしてはどうかと、助言をする。その準備に勤(いそ)しむ夫婦と、その様子を陰でうかがう警察官。警察官は、心、ここにあらずの体(てい)で、夢遊病者のように、街を彷徨(さまよ)う。

そのバーベキューの最中に、夫は、警察官がこの島を今日、出て行くことをはなに告げ、はなに警察官とのしばしの逢瀬を示唆する、そして警察官に会って抱擁する。かたやバーベキューの現場では、独唱を指名された生徒がみんなから嫌がらせを受け、その反発にみんなを困らせようと試みたところ、不意に崖から足を滑べられせて、海に落ちてしまった。それを見ていた夫は、助けようと咄嗟に飛び込んだが、夫は死亡して生徒は助かった。

村では、夫が海で藻掻いている時に、はなは男と密会していたと噂が広がった。はるは島にいたたまれずに去った。

教師をしていた離島の分校時代に、担任していた生徒の一人が殺人事件を起こしたと、警察官が突然訪ねてきて告げられた。島を追われるるように去ってから20年後のことだ。

20年前に教師を辞めて、東京で図書館司書として勤めていたが、定年を迎えようとしていた時で、温泉にでも行って、のんびりしようと考えていた矢先のことだった。

はるは、真相を知るために、6人の生徒たちとの再会を心に決め北に向かった。久しぶりに再会した生徒らの口から語られるのは、20年間言えずにいた想いだった。それぞれが抱えていた後悔が大きな傷となり、今も心に残っていることを、はるは知らされる。そして、自身もまた、心に閉じ込めていた想いを明かすのだった。

はるは電話をかけてきた殺人犯の元生徒に、分校のある島に来なさいと勧める。殺人犯は昔の住み慣れた自宅に身を潜めていたところを、同窓生の警察官に見つかり、高い煙突を逃げるように登っていく。旧友から自分の名前を呼びかけられ、顔を見合わせた瞬間、煙突から落ちて気を失う。

妻と幸せに暮らしていたアパートに、突然やってきた妻の前夫の卑怯な行動に抵抗して、殺すハメになってしまった。

意識が覚めて、待っていたのは分校の仲間たち、5人の同窓生と担当のはな先生だった。

そして大団円。

殺人犯は警察の温情で手錠を外されて、懐かしい教室で同窓生たちに囲まれる。はな先生の指揮で「唄を忘れたカナリア」を合唱した。誰もが、面貌や体つきは随分変わったけれど、仲間を気遣う気持ちや友情、先生への思慕は20年前と何も変わっていなかったことを証明するかのように、澄んだみんなの歌声が、雪の山野に響き渡る。

20年、それぞれの人生を駆けてきた。

 

 

ネットで見つけた文章をここに転載させていただきます。

『心に響く聖書の言葉』

(唄を忘れたカナリア)

童謡というのは大正時代に、鈴木三重吉、北原白秋など唱歌に飽き足らぬ文学者や詩人がたちが、「子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むような歌と曲」を与えようと立ち上がって作られた子供のための文学なのです。

西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。会堂内に華やかに灯されていた電灯のなかで、彼の頭上の電灯が一つポツンと消えていたのだそうです。その時、幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげに喋っている中に、ただ一羽だけ喋ることを忘れた小鳥であるような感じがしみじみしてきた」と言います。

子供は子供なりに孤独や悩みを抱えているものです。それは昔も今も変わりません。身を以ってそのような子供の心を知る西条は、そのように傷つきやすい子供らの心に希望を与えようとして、この「かなりあ」を作詞したのでした。唄を忘れたカナリアも、自分の居場所を見つけることができれば再び美しい声で歌いだすーーーーー現在の子供にも、ぜひ「かなりあ」を歌って欲しいものです。

2013年1月30日水曜日

元横綱 大鵬死去

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大相撲で歴代最多となる32度の幕内優勝を果たし、一時代を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが、20130119、死去した。72歳だった。

下に20130120の朝日新聞・朝刊の記事をそのまま、転載させてもらった。私が中学生だった頃から大学を卒業する頃まで、テレビに映る大鵬を家族や友人たち、みんなで観てみんなで応援した。負けて悔しがり、勝っては喜んだ。立居は傲然として寡黙で、強かった。昭和のスーパーヒーロー、みんなの憧(あこが)れだった。眉目秀麗な顔立ちが印象的で、立ち姿が恰好好かった。

記憶に残るのは、誰もが口を揃えて語る柏戸との一戦だ。柏戸の物凄い体当たりを大鵬が受ける。私はその体当たりのたびにお腹に痛みを感じた。土俵の上には火花こそ散らなかったものの腹には電光が走った。怖かった。

横綱として賜杯を抱いた時期は、1964年に開催される東京五輪のために、東海道新幹線が開業し首都高速道路が整備され、地下鉄工事、ホテルやビルの建設ラッシュだった。日本の国民総生産が当時のドイツを抜いて世界第2位になった。日本は、経済成長まっしぐらだった。そして、私が抱いていたささやかな青雲の志は、東京に向っていた。

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1963年の名古屋場所で土俵入りをする横綱大鵬=名古屋市の金山体育館

 

以下は、全て新聞記事からのものだーーーーー。

1面

1940年、樺太(現ロシア・サハリン)で生まれた。56年に二所ノ関部屋に入門し、同年秋場所で初土俵。身長187センチの体で頭角を現し、60年初場所で新入幕を果たした。3度目の優勝を果たした61年秋場所後、当時では史上最も若い21歳3ヶ月(現在は北の潮の21歳2ヶ月に次ぐ歴代2位)で、48代横綱に昇進。ライバルの横綱柏戸と名勝負を繰り広げて「柏鵬時代」を築き、68年秋場所から昭和期以降で当時歴代2位(現在4位)となる45連勝を記録した。

71年夏場所で当時の小結貴ノ花(元大関)に破れ、引退した。全勝優勝8度は最多タイで、横綱在位勝利数622は歴代3位、幕内勝利数746は同4位、その功績から現役時の名前で親方になれる「一代年寄」となり、大鵬部屋(現大嶽部屋)を創設し、元関脇巨砲らを育てた。

77年に患った脳梗塞の後遺症で左半身が不自由になったが、日本相撲協会理事として相撲教習所長などを務めた。

2005年に協会を定年で退職した後は、08年まで国技館にある相撲博物館・館長を勤めた。09年には相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。

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評伝 抜井規泰 

「心の上に刃」 努力の大横綱

昭和の大横綱が、逝った。

ウクナイナ出身の父と日本人の母の間に生まれた。端正な顔立ちと無類の強さで、絶大な人気を集めた。取り組みが近づくと、銭湯の湯船から人が消え、テレビのある脱衣所がごった返したという。

1960年代、子どもの好きなものとして、「巨人、大鵬、卵焼き」と称された。大鵬自身は、そう言われることを誇りに思いつつ、抵抗も感じていた。

2010年末、鼻から酸素吸入をしながら取材に応じ、誇らしそうに言った。「長嶋(茂雄)さんや王(貞治)さん全部で『巨人』。『大鵬』は私1人」。

反面、「天才」ともてはやされたスター選手と並列されることには、違和感もあった」。私は天才ではない。努力だけで、ここまできた」。

その猛稽古を弟弟子の二所ノ関(元関脇金剛)はこう話していた。「毎日1時間近く土俵を占領していた。若い俺の方が先にへばっちゃうんだから」。

大鵬は、1961年に横綱に同時昇進した柏戸と「柏鵬時代」を築いた。「剛の柏戸、柔の大鵬」と評された通り、2人は好対照だった。山形の豪農に生まれ育った柏戸に対し、大鵬は極貧の少年期を過ごし、納豆を売り歩いて生計を支えた。ずば抜けた運動能力で「角界のサラブレッド」と評された柏戸に対し、ひたすら努力をして番付を上っていった。

強さの秘密は「やせていたからね」。入門時は身長184,5センチ、体重75キロ。「細い体で勝つために、何でもやった」。

横綱までの5年で約60キロ増やした後も、相撲勘の鋭さや多彩な技が生き続けたのは、技を駆使して活路を切り開いた新弟子時代があったからと話していた。同じく細身で入門して綱を張る白鵬を「似ている。私の優勝回数を超えられるはず」とかわいがった。

引退後に一代年寄となり、部屋をおこした。脳梗塞で倒れ、リハビリに励んだ。しかし後を継いだ娘婿の大嶽親方(元関脇貴闘力)が、2010年の野球賭博問題で日本相撲協会を解雇された。

現役時代から慈善浴衣などの収益金で献血運搬車「大鵬号」を日本赤十字社に贈り続けた。「70台も贈れたのはファンのおかげ」と語っていた。

自身は「忍」という字を愛していた。「心の上に刃(やいば)を載せて生きていく。必死に生きてきた私の人生を、この一文字が表している」。部屋の稽古場には「夢」と揮毫(きごう)した書を飾った。「みんなが書けというから。本当は『忍』と書きたかった。夢は、忍び続けた人生の末に訪れるかどうか。そうじゃないのかね」。

アマチュア相撲に励む孫たちが関取に出世し、いつか部屋を継ぐ。「それが最後の夢かなあ」。穏やかな笑顔で、そう語っていた。

 

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人々が共有できる価値観の象徴であったと思う。

1960年代、野球と相撲は大衆が好むスポーツ娯楽の中央にあり、子どもの弁当には卵焼きが添えられていた。巨人はプロ野球の盟主として存在し、大鵬は大相撲の中心にいた。

巨人には阪神、大鵬には柏戸という好敵手がいた。それでも、巨人、大鵬を卵焼きと並べることで、ライバルとは関係なく万人が認める価値を共有したいという空気があった。

高度成長期という時代背景。長嶋茂雄・元巨人監督がこう話していた。「時代がヒーローを要求し、その波動が長嶋茂雄を作っていったんですねえ」。横綱・大鵬も間違いなく時代が生んだスターだった。勝ち続け、成長し続ける未来が、国民の前に広がっていた。

今、私たちは共通の価値を見いだすことが簡単ではない時代に生きている。だからこそ、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉に郷愁を感じ、懐かしさを覚えるのだろう。

1人の大横綱の死去による喪失感は大きいが、それだけではない。大鵬を失って、時代の残り香のようなものが、すっと消えていく。そんな寂しさを禁じ得ない。

(編集委員・西村欣也)

 

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還暦記念の赤い綱を締め感慨深い大鵬親方=2000年5月31日、東京都江東区の大鵬部屋

 

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朝日・天声人語

敗戦5日後、ソ連軍が南下する樺太から最後の引き上げ船が出る。1500人がひしめく船内に3人の子を連れた母がいた。船は稚内経由で小樽に向かう途中で、魚雷で沈んだ。母親を船酔いにし、稚内で下船させたのは相撲の神様なのか。色白の末っ子は名横綱大鵬になる。

納谷幸喜さんが、72歳で亡くなった。母が生地の北海道から樺太に移り、ウクライナ人と出会ったのも縁だろう。その父親とは戦中に離別、少年時代は道内を転々とし、重労働で家を支えた。

大量の薪を割り、ツルハシで道を直し、スコップで砂利をすくう。険しい山に苗木を植え、柄が背丈ほどある鎌で下草を刈った。腰を入れて体全体で鎌をひねる動作は、得意技のすくい投げにつながる。

32回の優勝は別格だ。ライバル柏戸の剛に対して柔、自在な取り口で受けて強かった。対戦相手は「柏戸は壁にぶつかる感じ、大鵬は壁に吸い込まれる感じ」と振り返る。その姿、その所作静止画にたえる横綱だった。子どもが好きなものを並べて「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた全盛期、巨人と一緒は面白くなかったらしい。「有望選手を集めれば勝つのが当たり前。こっちは裸一貫なのに」と。晩年、若手の没個性や、稽古量の乏しさをよく嘆いた。「日本は豊かになりすぎた」

貴乃花が土俵を降りて、きょうで10年になる。大鵬、貴乃花、白鵬。美しく強い綱の系譜はまだ伸びるのだろうか。相撲を取らずとも、ただ見とれていたい力士が少なくなった。

 

 

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日経・春秋

「大鵬さんは、最初から大きくて強かったのでしょう」「天才ですね」。そう持ち上げられるたびに、とんでもないと思ったそうだ。32回の最多優勝記録を持ち、柏戸とともに相撲の黄金期を築いて「柏鵬時代」と呼ばれた。その元横綱・大鵬が、72歳で亡くなった。

自分は天才ではなく努力の人間だと本紙連載「私の履歴書」で語っている。戦前の樺太(現サハリン)で生まれた直後は体の弱い子供だった。貧しさの中、小中学生のころから水くみ、まき割り、もっこ担ぎ、道路工事、さらに営林署に就職後は山中での雑草刈りと、生活のために働く中で体がだんだん鍛えられていく。

16歳で角界に転身したころは183センチ、70キロ弱の体で電信柱と呼ばれた。大学卒の力士に負けたくない一心で稽古に打ち込む。出稽古で初めて戦った柏戸に全く歯が立たず、以後の目標とした。横綱になってからもケガや病気に悩まされるが、再起不能説を何度も跳ね返す。入院中も病室を抜け出し、夜の公園を走った。

むしろ大ケガの後、以前より「淡々とした相撲」を取れるようになったと喜んだ。目の前に現れる困難や壁を常に自分の力に変えてきた。「勝つために稽古し、努力の過程で精神面も鍛えられる。最初から精神ができているわけではない」。なにくそっという根性を最近の力士に感じない。晩年の取材にそう嘆いている。

2013年1月23日水曜日

カルチョはサッカーの起源

下の記事は、2012の或る日の日経新聞のものだ。サッカーを愛して止まない私にとって、読み捨てるわけにはいかない内容だったので、そのままここに転載、マイ・ファイルさせてもらった。

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カルチョはサッカーの起源

伊 フィレンツェ

古代蹴球 市民に脈々

乱闘排除「お祭り」守る

 

イタリア中部の古都、フィレンツェ。ルネサンス期の絵画や彫刻があふれる文化の都は毎年6月後半、あるスポーツに熱狂する。その名はカルチョ・ストーリコ。訳せば古代フットボールで、イタリアではサッカーやラグビーの先祖とされている。存続の危機を乗り越え、その伝統は市民の手で受け継がれている。

青組のリーダー、ガブリエレ・ツェケレーリさん(56)がボールを手にじりじりと前進する。赤組の選手がこれを阻もうとすると、あちこちで殴り合いや取っ組み合いが始まる。ツェケレーリさんはこの間に中央を突破し前線にパス。受け取った味方が敵陣ゴールにボールをたたき込んだ。

1チームは27人。ボールを蹴ることもできるがラグビーのように持って走ったり、パスを回したりする場面が多い。ボールを持たないプレーヤーへのタックルやパンチも反則でなく、集団格闘技のようにも見える。

市内の教会前の広場がこの時期だけスタジアムに一変し、約5千の観客席は満杯になる。青いシャツ、青いカツラをまとったモニカ・カルブーティさん(40)は「旦那がいる青組が絶対に勝つ」と興奮気味だ。

市内の4地区がそれぞれチームを持ち、この日は準決勝。東部地区の青組はその後も攻め続け、11対0で圧勝した。青組は過去に何度も優勝したことがある強豪。最年長のツェケレーリさんは「カルチョは私の人生そのもので、チームメートは家族同様」と話す。普段は雑貨店を営み、息子もチームにいる。

歴史家でフィレンツェ市顧問のルチャーノ・アルトゥージさん(80)によると、カルチョは約2000年前にフィレンツに進駐した古代ローマ軍の玉を使った訓練に源流がある。13世紀ごろに現在の形で市民に定着。1530年にはフィレンツェを包囲した敵軍が砲弾を浴びせるなか、平然と試合が行われたことが史実に残っている。

サッカー発祥の国は英国というのが通説だが、アルトゥージさん「欧州各地に進出したフィレンツェ商人が英国にカルチョを伝え、足だけを使うサッカーに変化した」と断言する。イタリアでは今もサッカーをカルチョ、サッカーくじをトトカルチョと呼ぶ。ルネサンス期の装束をまとったパレードが試合に彩を添える。よろい、かぶとの騎士団を先頭に約600人が市内を練り歩き、選手とともに入場する。鼓笛隊で太鼓をたたくのは細川泰利さん(49)。市内に住むオペラ歌手で、外国人として初めて参加を許された。「大変な名誉で、ずっと続けたい」と意気込む。

選手からパレード隊、会場の係員まで全員が市民のボランティア。カルチョは市民による、市民のための「お祭り」だ。しかし、最近は観戦目的の観光客も増え続け、経済振興に一役買う。

そのカルチョは2006年、存続の危機に立たされた。大乱闘で試合が続行不能となり、警察が捜査に乗り出す事態となった。07年、08年と試合は中止に追い込まれたが、再開を願う市民がルールを厳格化し、チームは粗暴な一部選手を追放。審判委員長のアレッサンドロ・アルジェールさん(53)は「騎士道に反する行為はなくなった」と話す。

試合は09年に再開され、広場には市民の歓声が戻った。各チームは集団で献血したり、OBがチャリテイーマッチを開いたりして社会貢献活動にも力を入れ始めた。

(フィレンツェで、藤田剛)

2013年1月22日火曜日

野菜にも命がある

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公的な機関から雀の涙ほどの振込があることを知った今日20121213は、巾着(きんちゃく)の紐(ひも)を少し緩めて、経営責任者の中さんとインド料理店でカレーを食うことにした。今日は私がお勘定を払って、今までのお世話になったほんの一部だけれど、返済気分だ。

2年前に経済ショックを受けた私は、生活の全てにおいて慎(つつ)ましく、切り詰めた暮らしをしている。着るもの、食事、光熱費をギリギリまで節約している。来春には、晴れてそのショックから脱出できそうだ。

日頃、中さんとは行動を共にする機会が多くて、昼飯時に食うメニューについては、最少の費用で満腹を得ることを最優先に検討する。その努力は痛ましいほど真剣だ。そして食事を終えた二人は、摂った食事が好かったのか、良くなかったのかと必ず検証して、その満足度を測るのだが、でも今日はいつもとはちょっと違って、どこか変調気味だ。

運ばれてきたカレーやサラダを前に、何だか神妙な気分になって仕舞ったのだ。食べ物を大切に食べなくてはイカンと決めて来た。このカレーにはどんな食材が使われているのか、サラダは何処で栽培されたのだろうか、思いを馳せた。いかに腹がいっぱいになったかではなく、どれだけ食べ物のことを考え、感謝して食べたか、これが問題なのだ、と。神妙だ。実は、昨日の山田農園主の言葉が影響している。

昨日は休日の水曜日。いつものように山田農園での手伝いに精を出した。私は百姓の小倅(こせがれ)、なまじっか、田舎での野菜作りの経験のせいか、作業全般にゾンザイなのだ、作業中、ややもすれば乱暴になりがちな私の仕事っぷりに、農園主の山田女史は気分を害したようだ。

ほらほら、踏んづけちゃってるよ、土をかけると病気になるんだ、雑なんだから、もう!、、、、小言はダラダラと絶えない。その声が、耳から消えない。

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野菜にも命がある。

山田女史は、「いい加減にやってれば、いい加減なものしか作れない」、これを金科玉条とする。ごもっともだ、尊敬する御仁なり。