2013年1月22日火曜日

野菜にも命がある

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公的な機関から雀の涙ほどの振込があることを知った今日20121213は、巾着(きんちゃく)の紐(ひも)を少し緩めて、経営責任者の中さんとインド料理店でカレーを食うことにした。今日は私がお勘定を払って、今までのお世話になったほんの一部だけれど、返済気分だ。

2年前に経済ショックを受けた私は、生活の全てにおいて慎(つつ)ましく、切り詰めた暮らしをしている。着るもの、食事、光熱費をギリギリまで節約している。来春には、晴れてそのショックから脱出できそうだ。

日頃、中さんとは行動を共にする機会が多くて、昼飯時に食うメニューについては、最少の費用で満腹を得ることを最優先に検討する。その努力は痛ましいほど真剣だ。そして食事を終えた二人は、摂った食事が好かったのか、良くなかったのかと必ず検証して、その満足度を測るのだが、でも今日はいつもとはちょっと違って、どこか変調気味だ。

運ばれてきたカレーやサラダを前に、何だか神妙な気分になって仕舞ったのだ。食べ物を大切に食べなくてはイカンと決めて来た。このカレーにはどんな食材が使われているのか、サラダは何処で栽培されたのだろうか、思いを馳せた。いかに腹がいっぱいになったかではなく、どれだけ食べ物のことを考え、感謝して食べたか、これが問題なのだ、と。神妙だ。実は、昨日の山田農園主の言葉が影響している。

昨日は休日の水曜日。いつものように山田農園での手伝いに精を出した。私は百姓の小倅(こせがれ)、なまじっか、田舎での野菜作りの経験のせいか、作業全般にゾンザイなのだ、作業中、ややもすれば乱暴になりがちな私の仕事っぷりに、農園主の山田女史は気分を害したようだ。

ほらほら、踏んづけちゃってるよ、土をかけると病気になるんだ、雑なんだから、もう!、、、、小言はダラダラと絶えない。その声が、耳から消えない。

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野菜にも命がある。

山田女史は、「いい加減にやってれば、いい加減なものしか作れない」、これを金科玉条とする。ごもっともだ、尊敬する御仁なり。