2013年1月8日火曜日

W大ア式蹴球部 インカレ優勝

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20130106、早稲田大学ア式蹴球部は、平成24年度の第61回全日本大学サッカー選手権大会で、5年ぶり12度目の優勝を遂げた。決勝戦は、東京・国立競技場、九州リーグ1位の福岡大学と関東リーグ3位の早稲田大学というカードで、3-1で早大が福岡大に勝利。

古賀聡監督にとって3年任期の今年が最後の年、絶対、負けられない。1回戦は徳山大学に3-0でシャットアウト、2回戦では札幌大学に2-1の辛勝、準決勝は鹿屋体育大学に5-0で、決勝戦に駒を進めた。

山梨県の塩山に住む後輩のシダ君に、お歳暮をいただいたお礼の電話をかけた際に、ヤマオカさん、今週の日曜日に早稲田が大学選手権の決勝をやるんですよ、私も行けたら行こうと思っているんです、と聞いて吃驚した。徳永や兵働、渡辺が卒業した後は、リーグ戦においても苦戦していると聞いていたので、このビッグニュースは青天の霹靂(へきれき)か?寝耳に水か?正直、驚いた。

恒例の社内に掲示するスローガンを、朝から書いた。この標語は社員に対するもので3枚仕上げた。1枚目は、「慎み深く 感謝して 奉仕する」、これは仕入れをさせていただいた売主さんに、買っていただいた買主さんに対する心構えだ。2枚目の「横浜で一番元気な会社 パラディスハウス」は、弊社に所属する社員の基本的な精神だ。このような気分で働こう、そんな感じ。そして3枚目は「強い意志 広範な知識 大胆な行動」だ。これはスタッフ一人ひとりの日常の行動規範だ。

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この3枚を書き終えて、経営責任者の中さんが作ってくれたお雑煮を食べて、12:00の少し前に会社を後にした。13:30までなら国立競技場の千駄ヶ谷入り口に早稲田関係者にチケットを渡すコーナーがあるので、そこでチケットをもらいなさいと、同輩の工藤が教えてくれた。

工藤は、10年前に膠原病に糖尿病、難病の二重奏?、今はすっかり健康体を取り戻していた。有田さんも一緒だった。有田さんは、アメリカでロッキー青木のステーキハウス紅花の取締役をしていたが、今は、子どもたちと日本で暮らしていている。日韓で共同開催したFIFAワールドカップサッカーの決勝戦の前に中華街でごちそうになりました、そのときのお返しですと、飲み物とカツサンドをくれた。

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同窓の仲間たち

試合は、今までの早稲田のサッカーの試合では観たことのない好ゲームだった。早稲田伝統の百姓一揆ではなく、理知的で聡明、勇猛な戦いを見せてくれた。早稲田は進化していると印象づけられた。観客は、サッカー協会や高校や大学のサッカー連盟が後押しして、動員がかかったのだろう、1万7千人近かった。サッカーを愛する若い人々が集う祭典の雰囲気だ。40余年前、私たちがこの大会で優勝した時は西が丘サッカー場で、観客は千人もいなかった。

古賀監督は「ファイナリストや国立でプレーするだけでは意味がない。ボクたちは年間を通じて日本一を目標に戦ってきた。何が何でも福岡大に勝利を収めて頂点を極めたい」、「準決勝の鹿体大戦は難しい戦いになると思っていたけれど、ぶれずに自分たちのプレーを最初から最後までやり続けることができた」と言っていた。

試合は、前半開始2分に早稲田の白井選手が先制ゴール、優位に立った。2点目は40分、福岡大のオウンゴール、もうこれで安心、と思っていたらPKをとられて、1失点。PKをとられるほどの反則ではなかった。3点目は76分、ペナルティエリア外からの富山選手の左足の豪快なシュートだった。圧巻、ドライブがかかっていた。

試合を観戦しながら、午前中に書いたスローガンを思い出していた。

早稲田は背の高い選手が多い福岡大に対して、粘り強く、「強い意志」を持って勇猛果敢に戦った。福岡大は、身長185センチ以上の選手を先発に4人揃えた。ヘッディングでは決して負けなかった。特にDF陣はお見事だった。DF山地は「セットプレーで競り負けなかったのが勝因」と胸を張った。

それにパスをカットして、攻守の切り替えが早い。ボールをキープする相手に、素早く距離を縮めた。攻撃のボールを多彩にちらし、接触プレーにおける賢い対応、それらが「広範な知識」を活かしたプレーだった。

「広範な知識」が乏しかったのは福岡大だ。密着して負けそうになると手を使って、早稲田の選手を頻繁に捕まえるなど、不用意な反則を繰り返した。又、ロングスローインを繰返した。一度や二度は、ゴール前まで投げられて早稲田は吃驚した、が、繰り返されるともう怖くない。早稲田にとって、滞空時間が長いと守る体制を作り易いのだ。「広範な知識」不足は、悲しい。

そして「大胆な行動」は、繰り返しになるが、上背のある選手とのヘッデイングでの競り合いは恐れを知らぬ、鬼気迫るものがあった。監督から絶対負けるなと指示がでていたのだろう。キーパーの落ち着き払ったプレーも「大胆な行動」だった。私のようにヘッデイングの弱い選手は、絶対、使ってもらえないだろう。

試合が終わって、一息ついた時に日産マリノスのシモジョウを見つけた。彼は相鉄線の緑園都市に住んでいる。時々、電車の中で出くわす。彼の説明によれば、今試合に出ている選手のうち8人は、高校時代に高校のサッカー部やJリーグのユースでキャップテンをやっていた奴なんですよ。だからなんでしょうね、どいつも責任感が強いんです、突出した選手はいないのですが、諦めない、サボらない、ひたすら頑張る連中なんですよ、と説明してくれた。選手としての人格が形成されている。

そして、私は会社のことに思いを馳せた。このようにスタッフ一人ひとりが個性を活かして、「強い意志」で「広範な知識」を駆使して、「大胆な行動」をしてくれれば、弊社も上手くいくのだろう。その際の私の役廻りはどうすればいいのだ。

表彰式を見終わって、栃木のマツちゃん,県立鎌倉高校のバシコ先生と暁星高校のシヤハ先生の4人で、新宿駅の近くの焼肉屋でお酒を飲んだ。シヤハの馴染みの店だった。二人の先生は、教師として、早稲田ア式蹴球部の役員として色々情報を交換していた。私は、みんなの話を聞きながら快く酔っていた。マツちゃんは、休日の野良仕事の話をしてくれた。

横浜駅で相鉄線に乗り換えた。乗った電車にシモジョウが居た。