ダグラス・マッカーサー、第二次世界大戦後の日本を占領した連合国軍の最高司令官が、GHQに命じて日本国憲法の草案を作成させた。この作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんが、ニューヨークで12月30日に亡くなったことを20130103の朝日新聞で知った。89歳だった。
国際的なピアニストだった父のレオ・シロタ氏が東京音楽学校(現東京芸大)教授に招かれたために、両親と共に1929年来日し、約10年間滞在。その後、渡米して米国の大学を卒業した。45年末に再来日。彼女はGHQ民生局のスタッフとして人権小委員会に所属、人権条項の作成に携わった。起案した内容が14条(法の下の平等)、24条(婚姻における両性の平等)につながった。
1946年に日本国憲法に携わったころのベアテ・シロタ・ゴードンさん=遺族提供(朝日新聞)
彼女が語って残した言葉に、真摯に耳を澄ます必要があるのではないか。
学生時代に憲法の草案作成の経緯を著した本を読んだが、記憶は薄い。でも印象的だったのは、人権に関する部分がうら若き女性任せだったことを、それをややもすれば、GHQは少し軽々しく考えていたのではないか、と、そんな筆致で書かれていた。そんなことはない、と、うら若き私はその著者を唾棄した。私とは相性の合わない、嫌な著者だったのだ。
彼女はその時、まだ22歳。彼女は幼少期に日本で過ごし、日本の社会、とりわけ女性の権利が守られていないことをよく知っていた。この若さで草案作成に携わったことは余りにも重大だった、と百も承知していたようで、半世紀近くも憲法誕生への自らの関与を語らなかった。90年代になって、彼女は発言するようになり、自伝も出版した。80歳になって日本でも講演した。
昨年、年末の衆院選で政権の座に返り咲いた自民党の安倍総理は、今のところ大いに鼻息が荒く、戦後レジームからの脱却とか言って、確かに脱却は大いに結構だけれど、再三、改憲を唱えている。押し付けられた憲法ではなく、自らの国民の意思に基づく憲法を作りたいとの主張だ。その主張には一理ある。先の選挙の結果だけをみると、大多数の国民が、求める内容は兎も角、変えたいと望んでいるようだ。
私は護憲の原理派ではないが、このままでいいと思っている。安倍首相は、日本の同盟国に対して、集団自衛権の行使を認めるべきだとの信念を、解釈だけではなく、法案化を考えている。最も重要な同盟国、米国を視点にいれてのことのようだが、日本国憲法は米国が求める日本国像を条文にしたものなのだ。時代が変わって情勢が変わって、今度は米国が日本の集団自衛権の行使を望んでいる。
以下の文章は、当日の朝日新聞から、彼女の発言を抽出して転載させてもらった。彼女の想いを理解したい。
平和と女性の権利訴え
ゴードンさん死去
改憲の動きに警鐘
亡くなる直前まで気にかけたのは「平和」と「女性の権利」だった。
先の衆院選で女性議員が38人にとどまったことについては「大変気がかり」と憂えた。
「若い女性には、日本の女性の歴史的境遇や、その権利の進歩について学んで欲しい。そうした若い女性が政治や経済の分野で積極的に活動することが必要です」。
改憲の動きに対しては「日本の国会議員の多くが改憲に賛成であることは非常に残念です。憲法9条は世界にとってのモデルで、逆戻りしたら大きな損失」と懸念していた。
「草案者たちは民主主義社会の実現を目指しながらも日本の文化や懸念にも非常に敏感でした。日本側の発言によって、草案が変わった部分もあります」。
20130103の朝日新聞・天声人語より
「日本の憲法は押し付けられていた」「いや、そうじゃない」と戦後68年の今も論議は続く。その憲法の草案作りに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、いつもこう語った。「日本の憲法はアメリカよりすばらしい」。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた。
憲法24条は男女の平等をうたう。草案の人権小委員会の一員として22歳でそれを書い彼女の訃報が、米国から届いた。89歳。ただ書いただけではなく、戦後の日本を見つめ続けた人だった。
戦前に一家で日本へ来た。少女時代を東京で過ごし、二・二六事件にも遭遇する。開戦前に単身渡米して学び、戦争が終ると、両親を捜すために連合国軍総司令部の要因に応募して日本に戻った。
憲法施行の年に離日(りにち)したが、その後も訪日を重ねた。各地での講演は100回をゆうに超す。かって同僚の取材に、草案を書いたことを「ちょうど私がそこにいただけ」と答えていた。さりげない言葉の向こうに、だれが書こうが平等は普遍の原理だという信念が感じられたものだ。
社会にも会社にも女性の力が求められて久しいのに、この国での進出は今もおぼつかない。企業や官庁に幹部は少なく、首長も議員も一握り。ある調査では男女の平等度は135カ国中の101位とお寒い限りだ。
ベアテさんの最後の言葉は、日本国憲法の平和条項と女性の権利を守ってほしい旨の願いだったという。元気を欠きがちなリベラルへのエールのように、それは聞こえてくる。