2015年11月14日土曜日

お食い初め

「お食い初め」とは、、、、、

 秋の季節酒!"ひやおろし" 試飲会レポート!】 | SAKELIFE

 

  「お食い初め」の例

20151115(土)は、18:30から「お食い初め」だ。山岡さんちの7番目のお孫さん、よ~く食うな!! 「お食い初め」とは、新生児の生後100日目、または110日目に行われる儀式だ。この儀式から、この孫の大!食感ぶりが始まった。

ここに、孫の顔や体を大きくシェイプアップすると、喜ぶ人は多いにお待ちかねだと思うけれど、今回は、写真を見ずにド~ゾ勝手にご想像してもらおう。だって、父親も母親も、我々祖父母たちも、家がはち切れんばかりの大声で、愁眉壮大!、私は此処権太坂では一番別嬪なんや、そうやろう、横浜でも、私よりも別嬪さんは見たことないよ、なんて叫んだ。本気の本座衛門。

「真魚(まな)始め」または「食べ初め」、初めて箸を使うので「箸揃え」、「箸初め」とも呼ばれるほか、祝う時期が生後100日前後であることから「百日(ももか)の祝い」、「歯がため」と呼ぶ地域もある。

個人差はあるが、新生児の生後100日頃に乳歯が生え始める。この時期に「一生涯、食べることに困らないように」との願いを込めて食事の真似をさせる儀式である。 この儀式は、平安時代から行われてきたものである。

江戸時代には、生後120日経つと、飯や魚、5個の餅、吸い物、酒などの膳部(ぜんぶ:膳にのせて供する食物)をそろえて幼児に食べさせる真似をした

 

また、「歯固め石」は、古くからの習わしでは地元の神社の境内から授かるもので、儀式が終われば再び境内へ納める。小石の代わりに固いクリの実を供する地域もある。また大阪をはじめ、関西地方では小石の代わりにタコを供する風習が存在する。

器は正式には漆器で高足の御膳にしつらえる。器の漆の色も赤ちゃんの性別で異なり、男児は内外ともに赤色で女児は黒色で内側が赤色である。

1円■お酒4合瓶セット■焼酎 泡盛 古酒 7本セット 720ml 未開封

どんな酒を呑んだか忘れてしまった

こんな、目出度いお祝いの儀式に、我々大人は大いにお酒を頂いた。大いにと言ったって、昨年の工事での事故以来飲める量は減ってしまった。そのことに私は悔しが、妻や娘たちは喜んでいるようだ。

2015年11月9日月曜日

深い河


遠藤周作 「深い河」

黒人霊歌『深い河』の歌詞に登場するヨルダン川(Jordan River)は、洗礼者ヨハネがイエス・キリストに洗礼を授けた場所として新約聖書に記述されている神聖な川。

イスラエル、レバノン、シリアの国境が接するゴラン高原やアンチレバノン山脈周辺を水源とし、北から南へ流れ、イスラエル北部のガリラヤ湖を経て死海へ注ぐ。総延長425km。( ネットより)

この数年、遠藤周作の本をめまぐるしく読んだ。晩生(おくて)の遠藤周作ファンだ。「沈黙」を読んだのは、10年前。それから、先月に読み終えた「深い河」。10年前から先月までの間に、「海と毒薬」、「悲しみの歌」、「イエスの生涯」、それ以外にもいっぱい読んだ。そんなことを言うけれど、テレビに映しだされた彼の余りにも剽軽なお喋りや仕種が嫌で、他人様に彼の本の醍醐味を話さなかった。

だが、そんな私に、いろんな中古本を安く買わせてくれるお店がアッチにもコッチにも出没した。その店らを、この私は見逃さなかった。今回の「寒い河」は、以前に読んだ「海と毒薬」、「悲しみの歌」の読後の感想が尾を引いたのだろう。本音の本音を漏らそう、昨年の事故以来、しっかり仕事らしいことができなくて、読書で気を紛らせていたのだろう!!

★下の文章は、ネットで得たものです~~~。誰の文章なのか解らないまま採用させていただきました。私の文章ではない。「深い河」は1993年の作品。毎日芸術賞を受け、映画化もされており、氏の作品群の中では「沈黙」とともに知名度の高い作品である。舞台になっているインドのベナレスを、私も以前訪れたことがあって、読み始めると、当時のことを思い出し、目の前に懐かしい情景が広がってくる。


 この本が発売になった時と、その後にも読んでいたが、今回もう一度読みたくなった。折に触れ、読み返したくなる本は、やはり心に深く残るものがある証である。
 実をいうと、私は若い頃、三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の中の「暁の寺」に出て来るインドの描写を読んで以来、その混沌としたインド世界に妙に惹かれていて、いつかインドへ行って、三島が「神聖が極まると共に汚穢も極まった町」とか「華麗なほど醜い一枚の絨毯」と表現したベナレスの地が、本当にそうなのかどうか確かめたいと思っていた。


 その後サタジット・レイのインド映画「大地のうた」三部作をみる機会があり、インドが醸し出す精神的な世界、風土に魅せられ、その思いは強まっていった。第二部「大河のうた」に映し出される、ベナレスの川岸の沐浴場の傘の風景を、食い入るように見つめていた記憶がある。


 心で長く思い続けていることは、いつかは回りまわって実現するものらしい。漠然と遠いインドを思った日から年月が流れ、私の身辺にもいろいろのことはあったが、気がつくと、多くのものを捨て、孤独に一人旅をするめぐり合わせになっていた。そして密かに思い続けていたベナレスにも、貧しいさすらい人として滞在した。引き寄せられるように、三度ほどベナレスを訪れ、それぞれの季節の情景の中で、河を見つめて日を過ごした。
 帰国後、何年かたって生活が落ち着いてみると、インドでのそういう漂泊の日々を懐かしく思うようになった。ある日、ふと目に入った「深い河」を手にとって読み出すと、もう止まらなくなり、夢中になってページを繰っていた。


 でも最後まで読み終えたとき、遠藤氏には大変失礼で申し訳ない言い方だと思うのだが、非常に優れた作品とは感じるものの、インドの部分があまり表現されていないような印象を持った。
 特にベナレスの描き方は、私にはどこかもの足りないものがあった。タイトルから受けるイメージは、ベナレスやガンジス河のことが多く入っている小説かと、読み手に大きな期待を抱かせるが、読んでみると、実際のインドの部分は、全体の分量に対してその比重が少なく、あくまで背景としてのインド、舞台装置としてのインドにとどまっているような気がしてならなかった。
 舞台地がインドであり、背景がベナレスである後半、本当にこの地と遠藤氏が、心の底で深く切り結んでいたのだろうかと疑問を感じた。テーマから言えば、ベナレスでなくても、他の地でもこの小説が成立するような気もしてくる。
 あえてインドの地というなら、むしろマザー・テレサの活動拠点のあるカルカッタ、あるいはボンベイやデリーの中の、汚れ切った路上が舞台地であるほうが、大津の最後に取った行動などの点から、より自然であるような気がしてくるのだった。
 それでもこの作品が、大層秀でたものであるということに、変わりはないと思うし、晩年の氏のこの作品に対する並々でない気迫や集中力、筆力には終始圧倒され続け、また随所には心に染み通るものがあった。


 氏の筆に触発されたのだろうか、私もインドのことを作品にしてみよう、と非力をも省みず思い始め、そして属している同人誌に、分割して発表するという形で、書き進めていくことになった。
 回を重ねていくうちに、私の中のインド体験が、時を経ても鮮明に蘇ってくるのを感じ、それは稚拙ながら具体的な言葉になって次々押し寄せてきた。そしてそれまでにもインドについて何かを書いてみたいと願い、綴りかけては停滞していたものに、一挙に形を与えてくれた。


 何はともあれ、私が自分なりにインドを描こうと試みる直接の動機になったのが、この「深い河」という作品であった。書きたい気持ちはあったのに、なかなか踏み出せないでいた時、背中を押して頂いたという、そういう意味でも感慨深いものがある。
 氏はこの作品を執筆時、既に腎臓病や糖尿病などで、体調が相当悪化していたらしい。病苦と闘いながら、最後の気力を振り絞り、心血を注ぎ込んだ作品であるということを、後になって知った。そういう点も踏まえ、内容をみていきたいと思う。

あらすじ
 インドの仏跡を巡るツアーに参加した人たちの、それぞれの人生の陰影が描き出されるという形をとっている。
 主人公は美津子。彼女は学生の頃、大津という不器用で純朴な青年を誘惑し、捨てた。大津はフランスの神学校に去り、美津子は別の人と愛のない結婚をした。新婚旅行先で修道院にいる大津を訪ねていくが、ニヒルな無神論者である美津子と、美津子に捨てられて惨めであったときに、始めて神のコーリング(召命)の声を聞いたと告白する大津の話は噛み合わない。美津子は帰国後程なく離婚し、「愛の真似ごと」で病院のボランティアをするが、大津がベナレスの修道院にいると聞き知ってツアーに申し込む。


 磯辺はがんを患った妻が、死の直前に言い残した言葉に手繰り寄せられて、インドツアーに参加した。妻の看護をしてくれていた、ボランティアの美津子とは顔見知りであった。妻は「必ず生まれ変わるから、私を探して」と彼に遺言し、彼は外国の文献で知った、ベナレス郊外の村に住むという、前世の記憶を持つ少女が、妻なのではないかと期待を持った。


 童話作家の沼田は、動物や鳥に強い愛着を持っている。それは孤独な少年時代の記憶に基づいている。言葉を介さないゆえに、深く心と心で結びついたと感じられる小動物との交流が、彼を内面から支えているのだった。手術を受けている時に死んだ九官鳥を、自分の身代わりになってくれたと信じている。


 木口はビルマ戦線で、死線をさまよった過酷な経験を持つ。倒れた木口に部下が勧める肉は、死んだ戦友のものだった。それを食すことによって生き延びた部下は、その悪夢と自責の念から逃れられず、アルコールに溺れ、体を壊して自滅していった。罪の意識に苦しむ木口は、慰霊の旅をしようとインドに来る。
 インドに深く通暁している添乗員の江波は、寺院にツアー客を案内して、醜く萎んだ病苦に苦しむ姿で、なお人間に乳を与え続けるチャームンダー女神を熱っぽく紹介し、客たちの心に共感と感銘を与える。
 大津は美津子に裏切られて打撃を受け、宗教に救いを求めてフランスに渡ったが、本来人間関係を円滑に保てない性格のため、行く先々で周囲との摩擦や軋轢を生み、居場所を無くしていく。
「さまざまな宗教があるが、それらは皆同一の地点に集まり、通じる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」


 大津の心の底にあるこの根強い考え方は、キリスト教の考え方と根底で相容れないものがあり、彼は異端とみなされて、一旦は帰属した神学校や修道院から追放されていくのだった。
 彼はインドに来て、ベナレスの教会で奉仕活動を続けるが、路上に横たわる死体をガンジス河に運んであげたことを知られて、そこにもいられなくなり、ヒンズー教のアシュラム(道場)に身を寄せる。
 教会からたとえ非難されようとも、彼は放置された死体や、行き倒れになった瀕死の不可触賤民や、娼館で息絶えた娼婦を負ぶって、彼らが望むガンジス河に連れて行くという行為を止めない。


 ツアー客はそれぞれの思いをインドに投影して、自分の旅をした。
 磯辺は郊外を探し回るが、結局妻の生まれ代わりという少女に会えず、その存在すら怪しいとわかり、懐疑的になって空しさを抱え込む。沼田は買い求めた九官鳥を、かつての身代わりのお礼に、空に放してやる。木口は急病に倒れるものの、美津子の看護に助けられ、河に向かって慰霊の経を読んだ。美津子は探していた大津と再会し、対話を通して、その無償の行為の底にあるものを感じ取る。


 折しもインディラ・ガンジーが暗殺されるという大事件が起こり、治安は悪化していく。騒然とする町で、トラブルに巻き込まれかけた、ツアーの愚かな日本人の若者を庇って、大津は怪我を負う。帰国しようとする直前、美津子は大津の死を知らされる。
 あらすじ紹介はいつもより長くなった。多くの登場人物があり、それぞれの視点で、多彩で印象深いエピソードが次々展開されていくためである。


 まず主人公である美津子と大津の重く宗教的な対話や、精神的な絡み合いが物語の中心にあるのだが、背景は日本、フランス、インドと移っていき、周囲に幾つもの小さな物語が織り込まれているので、読み手はどれも目が離せない。エピソードはなかなか読み応えがあるし、細部にまでいい表現が工夫されて散りばめられているので、つい引き込まれてしまうのだ。

 この作品を読み解く上で参考になると思われるので、氏の死後刊行されたという、日記を引用してみよう。これはこれで氏の作家としての創作の舞台裏やら葛藤がひしひしと読み手に迫ってくる、切なくてある意味では凄い内容なのだが、ここでは主に主題についてみていくことにする。氏はその中でこのように言う。


……書棚からルオーの画集をひきずり出し、頁をめくっていたら、思いがけなく、昔書いた私のルオー論が出てきた。イザヤ書の次の言葉をそのなかで引用してあった。
彼はみにくく威厳もない。みじめでみすぼらしい。
人々は彼をさげすみ、見捨てた 
忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人に侮られる 
まこと彼は我々の病を負い 
我々の悲しみを担った 
 この詩篇の言葉が、今の私の小説の主題であることはいうまでもない。
             (九十二年八月二十六日)
 また別の日にはこんな記述もある。
 グリーンの「ヒューマン・ファクター」の一節……主人公、カースルの言葉は私の小説のなかで積極的な主題になる。
「おれは基督教の神もヒンズーの神も半分信じる気持ちになった。大事なのは宗教の形ではなく、イエスの愛を他の人間のなかで発見した時だ。イエスはヒンズーのなかにも仏教信者のなかにも無神論のなかにもいる」
             (九十二年一月二十六日)
 おそらくこの辺りを核にして、氏はこの小説を構想したのだろう。キリスト教世界に属しながらも最後にはヒンズー世界に身を投じ、宗教を超えて最も惨めなものに向かってその愛の手を差し出そうとする大津、戦友の悲惨な罪を自分のこととしてわが身に引き受け続け、許しを乞い、霊を慰めるために、川辺で読経する木口、彼らは作者のまさに意図した通り、ヒンズーや仏教世界の象徴的存在として、その宗教世界を体現してみせる人物であるだろう。


 大津は宗教の枠を超えて無償の愛を実現する存在として描かれるが、そのプロセスは不遇と挫折と悲哀に満ちている。
 妻をひたすら恋い続け、輪廻転生を心の拠り所にして余生を生きようとする磯辺、身代わりになってくれた九官鳥に拘り、インドまでやって来た沼田、彼らは二人とも宗教的に生きてきた人間とはいえないだろうが、愛するものを喪失したことによって、その悲しみの中から宗教により近づいたとはいえるだろう。


 彼らもまた人を愛し、生命を愛おしむという、一途でひたむきな姿勢を持った象徴的な人物として描かれている。磯辺にとっての唯一無二の存在は、長年連れ添って自分を支えてくれた妻であったろうし、沼田にとっては、命を代わって自分を救ってくれたと感じられる九官鳥が、それこそ神のようにも思われただろう。彼らのプロフィールは、真の愛とは何かを問いかける、このような聖地行の物語にふさわしい。


 そして神の存在をきっぱりと否定し、冷たく虚無的に一人で生きるかにみえる無神論者の美津子でさえも、その内面の意識の深い所では、大津と屈折した係わりを持ったことによって、本当は誰よりも大津を思い、大津を永久に失うことによって、逆に大津への愛に一歩ずつ近づいていくようにも感じられる。
 この作品の発表は1993年で、氏は1996年にこの世を去っている。氏にとっての最後の純文学長編となった。氏はこの作品中に、既発表の自作から、愛着の深い懐かしい人物を拾い出してきて、再登場させている。


「木口の場合」の章で病室の患者と苦しみを分かち合おうとする、ボランティアのガストンが出てきたとき、ああ、あの「おバカさん」に出てくる人のいい外人さん、と顔を綻ばせた読者も多かったことだろう。
「私が・捨てた・女」の純朴な森田ミツは、この作品でも、時に大津の顔と二重写しになって、その面影の一端を垣間見せてくれる。
 その意味では、まるで寄せ植えの見事な植木鉢をみるようである。物語を彩る新旧複数の登場人物たちは、あちこちから作者の手によって、愛情をこめて移植されてきたのに違いない。このように多くの人物を、美津子と大津の周りにぎっしりと配置する必要が本当にあったのかどうか、よく分からないが、氏はおそらく自分の体調の悪化による不安や、体力の限界を感じたときに、未来に書くつもりの作品用にと取り置いていた、例えば磯辺や木口や沼田などのような登場人物たちを、この際思い切って動員したのではないだろうか。


 最後に日記と対談集から少し抜粋しておこう。
 心身共に自信を失う。小説についても同様なり。遅々として不進。挫折感しきりなり。(九十二年三月六日)
 何という苦しい作業だろう。小説を完成させることは、広大な、余りに広大な石だらけの土地を掘り、耕し、耕作地にする努力。主よ、私は疲れました。もう七十歳に近いのです。七十歳の身にはこんな小説はあまりに辛い労働です。しかし完成させねばならぬ。(七月三十日)
 この小説が私の代表作になるかどうか、自信が薄くなってきた。しかし、この小説のなかには私の大部分が挿入されていることは確かだ。
                    (八月十八日)
             「『深い河』創作日記」より
「深い河」という作品は、三本の小さな川が、大きな生命の河に合流する話です。三本の小さな川というのは、自分のやっていることが偽善ではないかとか、偽悪ではないかとか、そうやってこだわっている小さな自分です。そういうものがやがて、大きなものに委ねられていく自分に変わってゆく……。
         対談集「『深い河』をさぐる」より

2015年10月30日金曜日

俺の頭は戻らない!!

遺跡
タキシラの都市遺跡を構成するストゥーパの遺構(パキスタン)
画像
クレオパトラの海底宮殿
上記の写真はネットからいただいた。

家族や友人、会社のスタッスと話をしていて、話題に出る事象や登場人物のアレやコレやの名前や様子が、共有できなく、相手に会話の面白さを接(は)ぐんで仕舞って、嫌なおもいをさせることが多い。申しわけないと思う。

旅に出た時などに、徒歩で出歩く、目に触れた遺跡のなかに配置されたモノ、眼光は血走る、あっちこっちの山海や野原に川、畑に田が懐かしい。水の中に手や足を入れて、敏感な肌で感じ知ったモノ、巨木や低木、日陰や水の中に聳える木、遙か上空を彷徨(さまよ)う大中さまざな鳥や右往左往する不思議なモノたちに、心が騒ぐ。

人間だって、高所低所、暖かい所や寒い所、それぞれに違った顏顏が見られる。街で見かけた人々や、人里寂しい山村で会った人々にも違いがよ~く解る。その違いが愉しい。喋り言葉だって喋り方だって、それが、能天気な私でもワクワクする。味わう食べ物だって飲み物だって、微妙に千差万別。
このような違いが、一気に私の旅心を豊かにしてくれる。

2015年10月19日月曜日

雪虫って、何だ?

20151019の2、3日前の朝日新聞。北海道で雪虫が砂霰のように流布したことを、社会面で知る。霰のようだ。瞬間、脳に矢が刺さった。何だこれは? という疑問だ。こんなに稀有なことを、面白、可笑しいと思って文章にしてみたが、いつものヨウな普通の程度?だ!

嵐のような激しさで視界を狂わせ、道を行きかう人々や自動車の往来が大変だったという内容だ。

ネットで知った「雪虫」に関連する写真をここに掲示させてもらった。体長5ミリ程度で綿で包まれたように見える。白腺物質を分泌する腺をもっている。雪虫という呼び方は北国での呼び名だ。満67歳まで生きてきたのに、こんな生き物を見たのは初めてだ。


雪虫が肩で休憩 4.11.2013 雪虫 境内で撮影した雪虫 雪虫

          境内で撮影した雪虫  雪虫

雪虫   雪虫  実家なう。こいつは雪虫っぽいなー

 

 境内で撮影した雪虫 境内で撮影した雪虫  雪虫

今年は雪虫くん達の様子から暖冬らしい('-'*)           雪虫   

雪虫     雪虫 

 

以下の文章はネットで得たものです。

雪虫の一種(トドノネオオワタムシ) 雪虫(ゆきむし)の具体的な種としては、トドノネオオワタムシリンゴワタムシなどが代表的な存在である。

アブラムシは普通、のない姿で単為生殖によって多数が集まったコロニーを作る。しかし、秋になって越冬する前などに羽を持つ成虫が生まれ、交尾して越冬のために産卵する。この時の羽を持つ成虫が、物質を身にまとって飛ぶ姿が雪を思わせるのである。アブラムシの飛ぶ力は弱く、風になびいて流れるので、なおさらに雪を思わせる。 北海道では初雪の降る少し前に出現したりする(と感じられることが多い)ことから、冬の訪れを告げる風物詩ともなっている。

2015年10月16日金曜日

デットマール・クラマーが逝く

誰にも悲しいことはある。社会からいろいろ学ぶが、困苦をよい師友として学ぶことが最も有益である、とミラーは言った。

父母、母、子供や孫など身内に近い人の逝去や隣人、友人、お世話になった恩師が亡くなることほど悲しいことはない。今年、スポーツ界についても、いいこと悲しいことが多く報道された。私などは、天賦の才によって、女性遍歴に身狂いしたわけでもない。苦しいことに、私にだって穏やかに済まされないこともある。

今日は、クラマーさんが亡くなったことを、我がブログで触れたい。

今日は20151015。後2か月過ぎれば今年も終わる。来年のことを考えましょうよ、こんな具合に日が過ぎている。余り言いたくないことだけれど、悲しいこともあった。この稿では、元日本代表コーチ クラマーさんの死去のことを取り上げたい。現在までのサッカーの入り口を、力を込めて作り上げてくれた。日本のサッカーの父。私の中学から高校時代のことだ。

虚ろな頭をジュワジュワいじりながら今年1年を思い出した。スポーツ好きの私にとって、好(い)こと、嬉しいこと、やった!! ことは多い。でも、流石にそれだけでは収まらないのが世の中だ。高校時代、勉強する前に、先ずはクラマーさんのサッカー教本を読んだ。私には難しかったけれど、技術的にはそんなに無茶なことはなかった。基本技術、戦法が多かった。その彼のことだ。サッカー関係者が彼のことを、ナンダ、カンダと敬意をもって語るのに、つられてしまったのかどうか? 私までクラマー信者になっていた。ドイツにはゲルマン魂がある。君たち日本人にも貴重な大和魂があるではないか、と励ました。

以下は、朝日新聞から~(朝日新聞の田中基之氏の記事)=日本のサッカーは今、世界の舞台で戦えるようになった。男子はワールドカップ(W杯)と五輪に2大会連続出場。女子は,2011年の(W杯)で優勝。その始まりはクラマーさんの来日だった。日本代表のコーチになったクラマーさんは基本技術を徹底的に教えた。選手がうんざりするほどインサイドキックを繰り返させた。日本代表の指導では精神性や人間性の大切さも説いた。「大和魂」という言葉を使って選手たちを鼓舞した。

Ryuichi Sugiyama and Dettmar Cramer 1964.jpg

東京五輪でアルゼンチンに勝ち、杉山隆一選手(左)らと喜ぶクラマーさん(右)=1964年10月14日、駒沢競技場 没年月日2015年年9月17日(満90歳没)。

日本代表対ベトナム代表でのクラマー(右側)、左は長沼監督)

1964の東京オリンピックでは、日本代表はアルゼンチン代表を破るなどでベスト8の成績を残した。任期を終えたクラマーは、帰国にあたって5つの提言を残した

  1. 強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
  2. コーチ制度の確立。
  3. 芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
  4. 国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること
  5. 高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置く

2015年10月12日月曜日

気難しい!! 憂愁な秋

ヒガンバナ・ヒガンバナ科の多年草

記事はネットよりいただいた=高さ約40センチ。田の畔や土手などに生える。葉は線形。秋に、花茎の頂部しべの長い赤花が多数咲く。白花のものもある。鱗茎は有毒だが、薬などに利用。

鱗茎には有毒な分子が含まれていて、それを食した人は中毒を起こすことが多い。私の田舎では、無縁仏の周りにはこの花が多く植えられ、小動物たちの人骨への侵入を防いだ。

 

この写真はネットでお借りした。無数に並ぶ無縁仏。

 

秋、秋、、立秋そして晩秋へ。  楽しい秋であって欲しい。

初秋、私には楽しいばかりではなく、憂愁なモノもある。昔から、女心と秋の空とよ~く言われてきた。秋の天気は、女の気持ちと同じように移り気だという? 娘さんを前に、ここまで言って、いいのか?

男は、恋心(?)が変化しやすいというが、これは、言い換えれば、先天的に色好みなんだよ、尻の何処かと?鼻の下?が長いだけのことなんだ。だから、、、浮気や不倫に手も足も滑りやすい。

 

秋の夜、女は情緒的って言うが、これも本当なのか。女は情報を気分でキャッチする。それから、本能的に行動する。頭を使ってこねくり回す前に、女体(にょたい)が自然に動き出す。それって、私には解りにくい。危険だ、ぞ。ヒガンバナの花言葉に教諭される言葉があるかもしれない、が、浮かばない。

 

男からデートの声がかけられた時、「好きでもない奴だけれどオーケーしちゃった」、そんなことが女にはよくあるらしい。

これに対して、男は「お前のことが好きだから、デートしたいんだ」であり、「二人きりで遊びたいなあ」、これは女を恋人にするのが夢だと言うことだ。直接的、直覚的、強制的、果てには獣客的だ。

だから、男は「好き」という前に、メールや電話などでアプローチする。

 

この男が、本物かどうかを確かめるためにデートの求めに応じる。自覚自省の秋時雨(しぐれ)。そのデート中、その男がどうこうよりも、胸騒ぎがしたか? 愉しかったか? 笑わせてくれたか? を評価する。

女はちょっと可笑しいのかも、シレン、ワ。

2015年10月8日木曜日

想起したのは、田舎の池?

 

今は秋を想う。昨夜、うたた寝(ね)の果てには郷里の池だった。

ネットで得た写真を使わせてもらった。

昨年の事故の高次脳機能障害か? 秋を彷彿することは少なくなってしまった。先天的に貧しい頭脳のせいか!!、、、、矢張り、秋に思いつくのは、生まれ故郷での聖なる?「池」だった。それまでは、東京の学校に通うまで過ごした京都府綴喜郡宇治田原町での生活のささやかなことが、私の心と体を支えてくれた。

生家は2代続きの茶と米を作る専業農家だった。昨夜、頭に浮んだのは、風に靡く豊富な稲穂と赤蜻蛉(とんぼ)、広大な丘陵を空のように海のように茶芽をとぞろかせる畑、その中を、思いっきり走りまくった。働き者の父は祖父から得た農地を借金をして、2倍近くに膨らませた。

これから筆記するのは、そんなことではない。繰り返す。私の頭脳は誰よりも誰よりも悲器だ。その結果、1回の入試で受からず2回でも駄目で、それでも、3回目で高田馬場に通うことができるようになった。

田舎では、用水池の3年から4年に一度の競(せ)りがあった。その競りの目的は、雑魚を採りつくろうこと、それに合わせて清掃をやってもらうためのものだった。初秋の寒さを感じながら、2000坪ほどの池の水を全部放水して、中の魚を採るのが楽しみだった。この競りの入金額が、池や用水路の整備金やその他に遣う重要な資金源でもあったようだ。

この入札者に私の兄が勤めていた会社も参加して、見事に落札。能天気な私も参加させてもらって、楽しんだ。どこまでももぐって進むので、膝から腰まで、挙句の果てには胸くらまで、泥に身を弄びながら魚を追った。目の前を魚が足掻いた。鮒、鯉、鰻、ウグイ、ゴリ、泥鰌、魚の種類は多彩だ。その魚を我が家にも一部を置いてくれた。こんなことが、私には嬉しいことだった。

ちょっと違った吟秋の楽しみを、書いてみたかった。