2018年4月6日金曜日

考古学者が、湿原「発掘」し再生


発生が進む葦毛湿原を語る贄(にえ)元洋さん

2018年3月17日の朝日新聞の夕刊より。その新聞記事をそのまま、転載させてもらった。
こんなことがどうして成り立つのか、科学知識不足の私には、熟読しなければどうにもならん。
まして、科学に弱い私のこと、当ったり前だのこと。
60年前なら、当ったり前のクラッカーだよ、とテレビでは賑(にぎ)わっていた。
世の中には不思議なことが、私には理解できないほどいっぱいある、それはそれは愉快なことなんだけど。



新聞記事の題字は、考古学者の手法応用
湿原「発掘」し再生だった

貴重な動植物の宝庫でありながら、減少や環境悪化が進む湿原。その再生手法として、近年注目される試みがある。考古学の発掘のノウハウを応用し、植生回復に成果を上げた。湿地っを持つ各地の自治体が導入の検討を始めている。

1月末、愛知県豊橋市にある葦毛(いもう)湿原。豊橋湿原保護の会と豊橋自然歩道推進協議会の30人が木々の伐採に励んだ。市文化財センターの(にえ)元洋所長(59)が「動植物の活動が少ない冬こそ植生回復を促すチャンス」と説明する。面積約3万2千平方メートルに広がる葦毛湿原は県の天然記念物。かっては植物220種、昆虫410種が記録され、「東海の尾瀬」と呼ばれた。1970年代以降森林化が進み、2010年代には湿原部分の広さは半分以下に。葦毛湿原調査員の吉田雅章さん(63)によると、20種を超す稀少植物が姿を消した。

14種が復活
贄さんが再生に関わるようになったのは8年前。保全活動は20年以上続いてきたのに、「植生回復がうまくいっていなかった」。

贄さんの専門は埋蔵文化財。その発掘調査では事前に土地の一部に溝などを掘り、土の堆積(たいせき)状況を確かめる。基本に立ち返り、湿原でも発掘した土の層を観察すると発見があった。

多くの場所で、わっずかな表土の下に厚さ2~5センチの「土壌シードバンク」が埋もれていた。地表で植物が絶滅したかに見えても、種子が保存されている層だ。

雑木やササを刈り取り、根を引き抜き、シードバンクを露出させて発芽しやすい環境を作る。「土を見分ける考古学者の目と地層を掘り分ける技術が必要」と贄さん。13年からこうした手法で新たな試みを始め、県絶滅危惧種の植物など14種が復活。10輪程度だったカザグルマの花は300輪に、ヒメミミカキグサはゼロから58株に、ミカワバイケイソウは群落をつくるまでになった。

視察相次ぐ
葦毛湿原の再生事業は2月、日本自然保護協会の自然保護大賞に入選。導入を検討する自治体関係者や研究者が視察に訪ねてくる。

国天然記念物の成東・東金食虫植物群落がある千葉県山武市でも、発掘に使う機械を用いて掘削や湿生植物の種子検出に成果を上げてきた。同市職員として携わった平山誠一さん(61)は「土地に習熟した文化財担当が再生に関わるのは自然な流れ」と話す。

中央大学の藁谷いづみ教授(保全生態学)は「土壌シートバンク」の活用はその土地の過去の植生を『発掘する』ようなもの。考古学の専門家が成果をあげているのは心強い」と話す。

(編集委員・宮代栄一)

「湿原発掘」の画像検索結果

「湿原発掘」の画像検索結果
葦毛(いもう)湿原



(ウィキペディアより)

概要

石巻山周辺の山域とともに、愛知県の石巻山多米県立自然公園に指定されている。
 一帯は、標高75mから60mくらいの小高い山の緩やかな斜面にあり、広さは、約5haである。木の遊歩道が作られており、湿原を1周することができる。
湿性の植物が250種類ほど、その他にトンボカエルその他の昆虫、動物などが見られる。
尾瀬などの、植物が長年にわたり堆積してしっかりとした水量を蓄えた湿原とは異なり、チャートの基盤岩の上にあり、岩盤から湧き出してくると思われる水がその上を流れていくような湿原で、渇水の季節には水枯れのようになることもある。

葦毛湿原の植物

ここで見られる植物には、環境省レッドデータブックにおいて絶滅危惧種II類に指定されているミカワバイケイソウカザグルマシラタマホシクサ、トウカイコモウセンゴケミミカキグサなどがある


2018年4月5日木曜日

サッカーと桜とお芝居巡り

『ビーダーマンと放火犯たち』


事務所内での読み合わせの風景

●最初は、グラウンドでの巻き。
グラウンドに着いたのは13時。
午前中に練習を終えた選手たちが、思い思いの練習を、勝手気ままに楽しんでいた。
50年程前には、俺だって奴らと同じことをしていた。

正規の練習を終えた後の、自分勝手な練習ほど楽しいことはなかった。
誰彼の視線を気にすることなく、走ったり、ボードにボールを蹴り当てたり。
ポールから垂れ下がったボールを、ボレーキックにヘッディング。
そんなことをしていたら、早稲田実業高校のサッカーがやってきて、私は彼らの一員として練習に参加した。その練習が終わると、私の一日も終わりになる。
練習の定休日である月曜日は、私にとっては特別の日。
寮から井の頭公園、善福寺公園まで、走ったり歩いたり、突然猛烈にスピードを上げて走ったり。ウサギ飛びもやった。こんなに楽しい休日はなかった。

総監督のKOがやってきて、応援席で並んで観戦。
「KOよ、お前が年賀状でも、暫らく前に電話で話した時も、言っていたなあ」「ガツガツ、走らせますよ」と。
そんな事を話したら「ヤマオカさん、今しばらくは様態を見ているんです。イザという時には、がっちりやりますよ」言葉に勢いがあった。

「ヤマオカさん、今は昔ほど、3時間も4時間もがちがち練習をしないのですよ。練習は1時間半ほど。後はみんなが、勝手に好きなことを、やるんですよ」。
そうか!そうなんだ。
時間の経過と共に、何もかもが違ってきているんだ。

「高校のサッカー部を去年の年末まではやってきたんでが、そんなことも知らないで、、、、、総監督になっちゃんたんですよ」。
東伏見駅の近所にアパートを借りたこと、1週間に1度は藤沢の家に帰ることも話した。

15時より。
対戦相手は、室蘭大谷高校。
35分*3回、試合は当然我が大学が勝ったものの、試合そのものは面白くなかった。激しさも、厳しさも足りない。
寧ろ、相手チームの方こそ頑張っていたと褒めたい。
大学のチームには新入生も沢山いて、彼らの腕試しでもあったのかもしれない。

試合が終わって、我がサッカー部の連中が全員、50人程が一緒くたに私ともう1人の人間に対して、よくぞ観に来てくれましたね、と挨拶に来てくれた。
全員で深く腰を曲げての挨拶だ。
私ともう一人は、恥かしいなあと声をかけた。

KOは、暫らくの間、選手たちに気づいたことを話していた。その光景は、私にとっても嬉しかった。
昔々に、私の身や心、血脈までもが戻りかけていた。


●KO総監督も観劇に同意した。
私は招待されているので無料でよかったが、KOの観劇料は私が負担した。

東伏見の早稲田のグラウンドを通り越した。私たちが過ごした約50年前とは何もかも変わっていた。
何種類ものグラウンドや室内の競技場が真新しくなっていた。私は目を魚の鱗のようにバタバタ潤ませて見回した。
昔を懐かしむのではなく、何処か知らない所へ来たような感慨に耽った。

私はKOに余計なことを嘴(くちばし)ってしまった。
30年か?40年前に、彼が恋していた女性の話をしてしまってからの、彼の挙動はただ者ではなかった。
彼女は、この芝居、東京演劇アンサンブルの社長さんの娘さんだ。
芝居のことよりも、頭の九分九厘が彼女占めになってしまった。
これ以上に狂われても困ると、私は恐々(こわごわ)だった。
話しかけてくる彼に、俺の身の毛は逆立った。
これ以上、話すまいと決心した。

●桜の巻き
関町公園を歩いた。
池の周りの桜の花が満開だ。家族連れや恋人同士たち。
公園を出て武蔵駅へ向かう線路づたいは、桜の古木の花が満開だった。
この古木たちは余程老齢なのだろう、幹は大人2人でも抱きかかえられないほどの物だった。
どの公園にも桜の見学に人が溢れていることを告げてはいたが、私には、皆さんほど関心が向かなかった。が、流石(さすが)にこの桜には驚いた。
50年前には、第二の田舎のつもりで過ごしていた、筈だったのに。

●お芝居の巻き
武蔵関駅の前で、カツを食ってビールを飲んで、腹ごしらえ充分、劇場に向かった。
劇場にはいつもの係りの人が愛想よく応えてくれた。
共同経営者の入江さんは、劇場に関係或る書籍の売場に、いつものようにいた。書名は馴染みのある物ばかり。
微笑が可愛らしいと言えば、叱られるだろうか。

共同経営者の志賀さんは、気丈夫さを遺憾なく発揮、客間でお客さんに丁寧な挨拶をしておられた。
彼女とも付き合いが長くなったなあ、と思わず嬉しくなる。
彼女の劇団、お客に対する心配りには、頭が上がらない。

ファイル:Swiss-Commemorative-Coin-2011a-CHF-20-obverse.png
       マックス・フリッシュ

演出は小森明子さん。
『屠畜場の聖ヨハンナ』で演出デビューを果たした。

テキストの読み込みに定評があり、大胆で小気味よいテンポのある舞台が好評だった前回から、さらに磨きのかかった演出が期待されている。
芝居の案内書には、ブレヒト生誕120年となる2018年、東京演劇アンサンブルの新しい仕事に注目してくださいとあった。

キャストというか俳優さんたちとは、もう長い付き合いになる人々なので、その人たちと会うのも喜びだ。
胸襟を広げてくれた牛さんがこの劇団を教えてくれた。この牛さんから、文学のことやいろんな作家のことを教えてもらった。
それの成果か?結果か、幸か不幸か!私は変な文学好みになってしまった。
それから45年位経つ年月の速さに驚いた。

最初に劇団の社長さんに会ったのは、私が大学4年生の時だ。
それから、この劇団のためにちょっとでもなればと思って、小さい力で申し訳ないが、応援団の一人だった。
脚本家の牛さんが亡くなり、牛さんの娘さんとは仲良く付き合っているけど、息子は俺の顔を見れない程迷惑を懸けてくれた。

劇団の様相を変えようとしたときにも、微力ながら協力できた。劇団さんとも引き下がりのない付き合いになってしまった。



▲芝居の内容は、パンフレットにあった記事を読んでもらえば解ってもらえるでしょう

放火による火事が頻発しているある町
行商人が家にあがり込んで火を放ち
街の広範囲を焼き尽くしている
いつも同じ手口
それなのに止められないーーー
連日の報道に怯えながら
人びとは消防隊を組織した
さて、ビーダーマン氏は
毛生え薬で儲けた会社社長で
共同経営者を解雇したばかり
ある雨の晩
そのビーダーマン宅に
元レスラーが訪ねて来るーーー

消防隊のコーラスとともにおくる
エンターテインメント・ブラック・コメデイ
スイスを代表する作家
マックス・フリッシュの代表作



●作=マックス・フリッシュ 
訳・ドラマトゥルク=松鵜功記 
演出=小森明子

●2018 3/23~ 4/1
開演23金24土25日26月2728水29木30金31土4/1日
14:00
19:00
 ★はLow Price Day 2500円

音楽 国広和毅
舞台美術 入江龍太
照明 真壁知恵子
音響 島猛
映像 三木元太
振付 町田聡子
衣裳 仙石貴久江・永野愛理
舞台監督 浅井純彦
制作  志賀澤子・辻尾隆子
●キャスト
ビーダマン         公家義徳
バベッテ          洪美玉
アナ            山﨑智子
シュミッツ         小田勇輔
アイゼンリング       松下重人
警官            大橋隆一郎
学者            篠原祐哉
クネヒトリング       坂本勇樹
クネヒトリング夫人     志賀澤子
コロスのリーダー      原口久美子・竹口範顕・永野愛理
コロス           雨宮大夢・上條珠理・坂本勇樹・篠澤寿樹・関英雄・仙石貴久江・永濱渉・奈須弘子・町田聡子・真野季節・三木元太・和田響き








民意が首相を見限る条件とは


2018 4 1の朝日新聞朝刊の総合3 日曜に想う
編集委員・曽我 豪

民意が首相を見限る条件とは
29年前の今日、平成元(1989)年4月1日、政治部に異動して竹下登首相の総理番を命じられた。

首相と大蔵省の悲願だった消費税が始まった日でもあった。だが初日から、首相を追いかけ回す番が探るのはただひとつ、「いつ辞めるか」だった。既に前月半ば内閣支持率は15%に急落していた。

未公開株を巡る贈収賄に司直が切り込んだリクルート事件が政権を激しく揺さぶっていた。前年昭和63(88)年から首相は幾度もリセットを試みた。関係者の証人喚問に応じ、自民党に政治改革の立案を命じ、内閣を改造した。だがふたが出来ない。株譲渡問題で宮沢喜一副総理・蔵相が辞任した12月、支持率は30%の大台を切った。明けて2月の参院福岡補選で自民党は大敗、3月にかけリクルートとnttの前会長、労働、文部両省の元事務次官らが次々と逮捕された。

国会対策の第一人者だった首相と権力派閥竹下派をして野党共闘を突き放せない。新年度予算は4月半ばを過ぎても参院はおろか衆院も通過していなかった。

とどめは首相自身の疑惑だった。リクルート前会長からの5千万円の借り入れ疑惑が発覚、首相は4月25日、退陣を表明した。それでも終わらなかった。翌26日、疑惑の渦中にあった首相の元秘書が自殺した。26、27両日、朝日新聞が実施した世論調査した衝撃の結果だった。

内閣支持率7%、不支持李84%、安保扮装に倒れた岸信介内閣、狂乱物価と金脈問題で退陣した田中角栄内閣のそれぞれ末期の12%を下回る新記録だった。
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不沈と思われた巨艦がきしみ、船底の穴を塞ごうとして、新たな穴が次々開く。平成の始めの年、総理番だった実感だ。だが、自民党の傷は一内閣の退場にとどまらなかった。調査の政党支持率が予言していた。

自民党の支持率は70年代の与野党伯仲時代の後ほぼ一貫して50%台を維持、野党は30%台を低迷していた。それがその調査で自民党は42%に落ち、社会党など野党合算の44%を下回った。

参院選が夏に迫っていた。自民党では清廉(せいれん)の士で知られた伊東正義氏らが後継に浮上していたが、世論はいち早く、政権批判の受け皿として野党を認めていたのだ。事実、自民党は宇野宗祐首相を担いで臨むも参院選で惨敗、衆参は大きくねじれた。それはやがてすぐ訪れる戦後の自民党長期単独政権時代の終わりを強く予感させたが、その後も、橋本龍太郎政権下の98年、第一次安倍晋三政権下の2007年に自民党は参院選に大敗、ねじれに苦しむ時期が断続的に続いた。

支持率が1桁に落ちた政権はもう一つある。01年2月の森喜朗内閣だ。

理由は首相自身の言動だった。「日本は天皇を中心とする神の国だ」といった発言が批判をを浴び、支持率は1月に19%になっていた。さらに米原子力潜水艦事故の際に一報後もゴルフを続けたことが発覚。直後の調査で支持率9%、不支持率79%を記録した。だが内実は竹下内閣時と異なる。

同じく夏に参院選を控え、無党派が50%を超えるようになってはいたが、自民党の支持率は2ポイント減じるも24%で、期待を呼び込めず12%のままだった民主党の倍あった。他方、自民党支持層の内閣支持は47%から21%へ、連立与党公明党に至っては40から13%へと激減していた。

既に与党内でポスト森への期待が醸成され、いち早く首相を見限る空気が支持率に顕在化していたのだ。事実、「森おろし」は水面下で進み、総選挙を4月に前倒しして小泉純一郎首相に交代、参院選をしのいで自公政権は命脈を保った。
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今日の安倍政権は、抱え込む事件の性格も違えば、予算は成立し参院選も1年以上先など政権の危機の様態も違う。だが、支持率1桁の二つの自民党政権の顛末(てんまつ)から引き出せる教訓はあるはずだ。

負の連鎖を首相自身の努力でリセット出来ない限り、政権が国民の信を取り戻すことは望めない。だが同時に、民意が最終的に首相を見限る条件は、受け皿としての野党ないしは自民党のリーダー交代の確かさにあることも教えている。


2018年3月22日木曜日

少雪にくたばった


3月20日、昼ごろからずうっと雨が降っていた。
出勤時には降ってなくて、横浜公園を突っ走る通勤路、それなりに痛快な足取りだった。
昼、我が儘(まま)仕舞繰(しまく)りの手製スパゲッテイを食べて、昼過ぎに会社を出た。
美味いとか、不味いとかの問題ではない。食べないと、腹が持たないだけのことだ。
雨が降っているのでバスで帰った
自宅に帰っても、雪の降っている状態は変わらなかったが、この程度の雪ならば、いつものヤマオカ農園=イーハトーブ観察に傘を差さなくても平気だ。
自転車で、往き20分還り20分。ちょっとした作業が1時間。
大根を2株抜き取り、ジャガイモ(メークイン)の発芽の確認。大根の根は当然だが、葉っぱに拘った。葉だって、美味いのだ。
メークインは、19日には11株から芽が出ていたが、今日は14株から小さな芽が出ていた。たった1晩だけなのに、このメークインは次代を目指して成長している。
不思議なんだ、こんなちっぽけな現象が、私を嬉しくさせる。生きるっと言うことの意味に拘る。
芽の周りには、頑張って大きくなってくれと願いながら、鶏糞を撒いた。
たかだか、鶏糞を撒くだけのことなのに、何是、これほど私の頭が集中するのだろうか。
空いた時間は果樹の根っこの周りの草を切ったり引き抜いたり、これだって、楽しい仕事なのだ。
大根はまだ38株が残っている。小松菜は1センチほど芽が大きくなってきた。
畑の各所、小さな草も千切り取った。

春雨じゃ!濡れて行こう、、、。
昔の若武者(わかぶしゃ)気分ざ。 濡れたままで帰っても、そのまま風呂に入ればそれでエエではないか?
服装は洗濯機。
だって、明日は休みなんだから、今日は無理をしよう。靴は履かいで草履でいい、靴下も身につけない。草履は庇の下に陰干し。
自宅には大根2株を持って帰った。ただ、それだけだった。


そして、明日、21日は春分の日。
「春分の日」のイラスト文字
帰宅してテレビを観ながら、明日はプールに行くぞと決意した。
なんぼなんでも、明日になれば今日以上に雪が強くはならないだろう、と楽観した。

孫と三女夫婦は品川にある水族館に出掛けた。長女の娘も参加。
一行4人の勢いは大型爆弾のように迫力満点。
通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日がこの春分の日になる。
菜の花が咲く3月中旬から4月にかけての長雨を「菜種(なたね)梅雨」と言い、春霖(しゅんりん)とも呼ぶ。
私は長年、「昼と夜の長さが等しくなる日」と思っていたが、実際には昼の方が少し長いらしい。
同じことが9月22,23日頃の「秋分の日」についても言える。
朝早くの雪は少なかった。
プールの開場が10時なので、そのうち雪の量は減るだろうと気楽にしていた。水着とタオルを入れたバッグを手元に置いた。
が、が、なかなか雪の降りがおさまるどころか、ちょっとずつ強くなってきた。

負け惜しみに弱い私でも、いつまでもいつまでも行こうと決心できなかった。
それでも、もう少し、もう少し待とうと思い続けた。
そして4時になって、5時になって降り止まなかったので、本日のプールは諦めた。

大学時代のサッカー部時代は、どんなことでも、こんなに容易(たやす)く諦めることはなかった。
クラブの正規の練習が終わったら、大半の部員がグラウンドを去ったが、私は自分の練習をするために、真っ暗になっても、前が見えなくなってもグラウンドにいた。
定例の休みの月曜日は、僕にとって特別の日。
誰もいないグラウンドで、多彩な練習を勝手にした。
一人で、井の頭公園や善福寺公園まで、走ったり、歩いたり、ジャンプをしたり、気ままに時間を過ごすことが嬉しかった。
お前みたいな奴は、幾ら練習したって試合には出れないよ、と言われたけれど、そんなこと馬耳東風、先輩たちの言辞に見向きもしなかった。
俺は俺の道を行く、これしかなかった。

大学時代から今まで、腰痛、ぎっくり腰、ヘルニア痛に何年苛(いじ)められてきただろうか。
何年かの節目を作ってやってくる腰痛にだって、悩みはしたけれど、全ての機会に、私は最善・最郊・最好の療養に努めてきた。
そんなことをここで、どうのこうのと言ってもしょうがないことは分かっている。
これほど頑張ってきた私が、こんなちっちゃな降雪で、頑張れないのが歯痒(はがゆ)いだ。

そんな私なのに、今日のプール行きをこのように簡単に諦めていいものか?
たった少し降った雪なのに、こんなヘッチャラじゃ、如何なあと実感した。








2018年3月20日火曜日

忖度(そんたく)とは

この1年間以上も、国会でよく使われる言葉に「忖度(そんたく)」がある。
今回は、この忖度ざ。

日常的には、何となく分るのだが、この忖度をちょっと真面目に調べなくては、如何(イカン)と思った。
財務省が森友学園との国有地取引に関する決裁文書を改ざんした問題だ。

振り返れば、国会は改ざんされた文書をもとに質疑応答に明け暮れ、長時間何をやっていたんだと思われる。
国会で一番大事なものを棒に振って、ニセモノ文書を盾に自民党・公明党は、権力を守り通し、昨年秋の解散総選挙で与党は大勝した。
「国難突破」だとか、「森友・加計疑惑逃れ」の本音が見え隠れした選挙だった。

今の国会で、本物とニセモノのこと、誰=どこの省が、誰に指示を受けて、何の目的でそのようなニセモノを作ったのか、喧々諤々(けんけんがくがく)やりあっている。
国会では、特に野党のなかでは、改ざん時に財務省理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官がことの真実を一番知っているわけだから、国会への証人喚問を求めている。

財務相さん首相さん、一人の官僚だけに責任をなすり付けて、それで、終わりチャンチャンというわけにはいかないヨ。

此処からが肝腎(かんじん)要(かなめ)の問題だ。麻生太郎財務相、安倍晋三首相、あなたたちは無責任を貫くの。
責任はどうなるの? 「行政全体に対する最終的な責任は私にある」と言いながら、知らんプリなんて、私には理解できない。

公明党幹部は、「国民は一連の森友問題を、安部首相と昭恵さんだとみている」と指摘し、納得できる説明が尽くされない限り、政権の窮状は続くとみる。

本人たちは、自らの責任をどのように感じているのだろうか。


そこでじゃ、この1年とちょっとの間、よくぞ「忖度」という言葉がよく使われてきた。
忖度とは何ぞやと考えた。邪念のない忖度のことだ。
ネットでは下記のようだった。
●「忖度」の漢字それぞれの意味と語源を説明します。
「忖」は「はかる」という意味の漢字。
字源は「心」と「寸=長さを測る」という漢字の組み合わせ。
「心を測る」とい意味になり、他人の気持ちを推測するような意味になります。

「度」は「ものさし、はかる、たび、わたる」という意味の漢字。
字源は「席(むしろ)」と「手で広げる」という漢字の組み合わせ。
席とは藁(わら)などを編んで作った敷物のことです。
その席を広げて長さを測ることを表します。

二つを合わせると、「基準となるもので他人の心をはかる」という意味になります。
心をものさしで測る(調べる)ようなイメージです。

●真宗高田派の正福寺のblogでは下記のように記されていた。
テレビ放映などでは、随分悪い意味として使われているが、本来は相手のことを思いやるやさしさのこもった言葉であり、行脚中の僧侶をもてなすために門前で湯茶を提供する無償の行為を意味します。




20180318の朝日新聞・総合3/日曜に想う、編集委員=福島申二に、忖度を使った記事があったので、下にそれを転載させてもらう。

忖度の親戚筋の言葉には「おもねり」や「へつらい」のほか「太鼓持ち」 「茶坊主」などとあって多彩だ。「事なかれ」や「物言えば唇寒し」も遠縁にあたる。古今東西、権力の周辺ではこうした空気が高じて王様を裸にしてきた。この手の追従が昨今あまりに臭うのは、長期の「一強政権」の弊害に思われる。


2018年3月16日金曜日

綸言(りんげん)汗のごとし

毎朝生家に配られる新聞は、私にとって、それも朝食後のしばらくは、どうにも抜け欠けできぬ大切なものだった。スポーツ面をあらかじめ読み通さないと元気な今日!がスタートしない。
この習性は、小学校の高等部あたりから。
新聞では、知らない漢字や普段着用の言葉以外もよく使われる。が、そんなことで読むのを嫌になることはなかった。
恥ずかしながら、興味が不知を薙ぎ倒した。
兎に角、昨日の野球の成績を、全て確認したかった。
全球団の勝敗を知り、順位の上げ下げと勝率(ゲーム差)が知りたかった。
我が家に配られるのは、朝日新聞と京都新聞。
どちらの新聞も、父の友人が配達屋さんなので、仕方なかった。読んだ新聞は、父が京都新聞、私は朝日新聞だった。

こんな私に、鍬(くわ)づけ?釘(くぎ)づけにした選手が現れた。南海ホエールズに入団して、ゴッツイン野球人になった野村克也のことだ。
我が生家と同じ京都府、竹野郡網野町の出身。
貧しい家に育ち、新聞配達をしながら家計を助けた。小学校卒業と同時に兄の後押しを受けて、峰山高校に進学。そして、南海へテスト生として入団した。
それから、南海での成果は目を瞠るべきもので、私は野村=惚れっぺになってしまった。私もその後、東京の大学を経て、都内で働くことになったが、この野村の頑張りが、私にとっても大きな影響を与えた。

何故、今日此処で新聞の話を仕出したかと言うのには理屈があった。大学受験の浪人時代、英語と生物、世界史と日本史については、よく勉強した。
英語にしても世界史、日本史にしてもやるべきことは、憶えなくてはならないボリウムが決まっていたので、勉強に苦は要らなかった。
理科は生物のみ。
但し、現代国語、古文、漢文については、教科書で学ぶこと以外はやらなくて、やることは新聞に出てくる漢字や何字熟語であろうと、それ以外の言語も全て読めること、書けること、それらの言語を間違いなく知ることだった。
国語については、それが勉強の全てであった。
だから、新聞を大学の入試当日まで真剣に読んだ。

そんな私を、2018,03,15の朝日新聞が、新たな「ことわざ」に巡り合わせた。
それが、この稿のタイトルにした『綸言汗のごとし』だ。
先ずはその意味を知るために、ネットに出ていたものを下に記した。





綸言汗の如し



出典:『礼記』

[意味] 

汗が一度出ると再び体内に戻らないように、
天子のことばは口から出ると訂正したり取り消したりすることはできない。
一度口に出したことばは取り消せないという意味でも用いる。

[解説]

 「綸言」は、天子のことばのことで、『礼記(らいき)』緇衣(いし)篇に
「王の言(こと)は糸の如くなれば、其(そ)の出(い)づるや綸(りん)(組み糸)の如し」
と見えている。すなわち、王のことばは初めにはひと筋の糸のような軽いものが、
しだいに組みひものような重みをもつようになると語っている。
これが「綸言」の由来であり、
そこから後世「綸言汗の如し」の句ができたのである。

(『成語大辞苑』・主婦と生活社)による






2018 3 15(木)・朝日新聞/総合4
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ともに政権批判

小泉氏「適材適所 あきれた」
山崎氏「麻生氏辞任は当然」

森友学園の国有地取引に関する決裁文章改ざんをめぐり、自民党の山崎拓元副総裁と小泉純一郎元首相が安倍政権批判を繰り広げた。2人は故加藤紘一元幹事長とともに「YKK」として、政界で一世を風靡した仲。国政を退いてなお、「共闘」が実現した格好だ。

口火を切ったのは小泉氏。13日のBSフジの番組で、改ざん問題の渦中にいる財務省の佐川宣寿・前国税庁長官起用について、安倍晋三首相が「適材適所」としていたことに対し、「あきれた」と批判。「私や妻が(国有地売却に)関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」との首相答弁が改ざんの始まりとの認識も示し、安倍首相への厳しい姿勢を見せた。

一方、14日に開かれた自民党石破派の勉強会で講師を務めた山崎氏。記者団に「事態の収拾のため、責任をとって辞めることは当然」と語り、麻生太郎財務相の辞任論を主張した。

さらに「綸言汗のごとし」とも述べ、安倍首相夫人の昭恵氏が関与していた場合は、首相も責任をとるべきだととの認識を示した。


2018年3月6日火曜日

カエルを見た!

「啓蟄」の画像検索結果

自宅から会社までの徒歩中、丁度神奈川県立広陵高等学校の正門前の道路上に、大型のカエルの死骸を見つけた。

会社に着くまでの約1時間、春夏秋冬、目につく物、悲しいことだけではなく楽しいこともいっぱいある。啼(な)けることだって、ある。
今は梅の花の時期だ。
ここにきて、私の心身共の健康が蘇ってきたのだろう。小さな花だけれど、その多さだけで、私の心は嬉しくなって足音が軽くなる。頭だってスッキリ爽やか。心なしか声音も澄明になってきた。

冬眠から覚めて、何処かに散歩にでも出かけたのだろう。

長い激寒での冬眠、頭の隅々までが、人間様の無情を忘れてしまったのだろうか。
死骸になったカエルに、悪意はなかった筈だ。
久しぶりの人の世、散歩の往きか還りの道すがら、容赦ない車にでも曳かれたのだろう。

私だって、このカエルほどじゃないけれど、永い冬眠生活だった。

高い木の枝から落下、後頭部を強く撃って、リハビリを含めてほぼ1年間の入院生活。
体の痛さよりも、脳作用の調整乱発・狂乱に気が狂わんばかりに悩んだ。
そんな私だからか、春めいてくることが、堪らなく嬉しい。
この嬉しさは、足の裏から頭のてっぺんまでまで感じた。血の1滴1滴まで、筋肉の裏表の隅々まで、輝くのだ。

今日のことは、カエルと言えども、哀しい物語だ。
腹が破れ、臓腑が乱れたように体にくっついていた。よく見かけた光景と言えども、命が果てた様子は、どうしても哀しくなってくる。
「大きい蛙」の画像検索結果
ウシガエル

そう言えば、啓蟄の頃、よくこのような光景を目にしたものだ。

今回、私が見かけたのは「ウシガエル」だった。アメリカ東部で産まれたカエル。大正時代に日本に輸入された。食用であったため、「食用ガエル」と呼ばれている。

啓蟄をネットで調べた。

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「 開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。 現在広まっている定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から約76日後で3月8日ごろ。 期間としての意味もあり、 この日から、次の節気の春分前日までである。

今日は3月6日だ。前記の3月8日ではない。カエルだって極めた個性動物で、そう簡単に、人間様が考えたようにはいかないものだ。カエルだって、カエルの考えがある。

「蛙の子は蛙」=(大辞林第三版)

子供はたいてい親に似るものだ。また凡人の子はやはり凡人になる、の意とも。

ところで、私が二日に一度は顔を出す今井町の畑「イーハトーブ」を思い出した。

今年だって、蕗(ふき)の薹(とう)を3度収穫した。
この蕗の薹の天ぷらが格別に旨い。

その蕗が密集して花を咲かせるコーナーに、毎年、蛇(へび)が出る。ニシキヘビだと思われる。

畑と道路との境は急な斜面になっていて、必ず、その斜面を乗り越えてどこかへ行く。
そのどこかを見届けてはいない。
帰ってくるのを見届けた訳ではないので、真実は分からないままだが、毎年、同じ蛇なのかそれも分かってはいないが、見かけることは、私のことだから間違いはない。
どんな動物にも愛着は感じるのだが、万に一つ、蛇だけは苦手なのです。
イモリもヤモリもへっちゃら、ゴキブリだってお友達だ。

啓蟄と聞いて、今年もきっと私の畑に、カエルや蛇の姿がきっと見せるのだろう、と思いをはせた。

今朝見かけたカエルと我が畑・イーハトーブの蛇にとっても大事な季節がやってきたのだろう。
この啓蟄をどれだけ多くの動物たちが、首を長くして待っていたことだろう。

そっと我が胸を見る。
私にもここらで、啓蟄の季節がやって来たのではないか、と。