2019年1月12日土曜日

紙おむつ②

「襁褓(むつき)」ーーー語源由来辞典による
おむつは、「襁褓」に接頭語「お」がつき、「き」が略された語。
「襁」の漢字は「衣」と「強」で「大丈夫」「きつく締める」の意味があり、赤ん坊を背負う帯をあらわす。
「褓」は「衣」+「保」で外から包む産衣(うぶぎ)をあらわす。


20190109 朝日新聞・朝刊(社会)
ニュース3Qを下記に転載させてもらった。
おむつのゴミ出しで苦しんでいると言えば、それは赤ちゃん用のおむつだと思われがちだが、私が悩んでいるのは、老人用のおむつのことです。
各家庭からのゴミ出しは、私がこの家事を担ってから、気づいたことなんだが、兎に角量が多くなっていることだ。

誰だって、ゴミ出しをやれば気づくこと。
そんな私だからこそ、気づく新聞記事だったかもしれない。
今回の「紙おむつ②」は前回の「紙オムツ①」に次いで2回目。
今回は新聞記事に従って、「おむつ」と平仮名表示にした。


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紙おむつ 流して捨てる時代が来る?

使用済みの紙おむつを下水道に流して処理できないかーーーー。
下水を担当す国土交通省が本気で検討中だ。
トイレとは別の下水につながる専用装置を設置する。
一部は、早ければ再来年度にも実用化する方針だが、プラスチックごみの海洋汚染が世界的な問題になるなど課題も多い。
実現可能か?

高齢化進んで考案

一見、奇抜にも映るアイデアを初めに考案したのは、官僚や不動産会社、住宅設備メーカーなどで働く女性による研究会だ。
おむつを使うのは、幼児ばかりではない。
2016年12月に公表した報告書で、高齢化が進む現状に言及。
「排泄の自立とおむつは、高齢者にとっても、支える家族や社会にとっても、大きな課題」と問題提起し、おむつを下水道を通して回収するシステムを提案した。

この発想に国交省がさっそく反応した。
人口減で、今後、下水道の処理能力に余裕出てくるためだ。
昨年から大学教授や自治体、業界団体の担当者を招いた検討会で具体策を検討。
昨年3月に公表した「検討ロードマップ」には、
①トイレ内に便器とは別の装置を設置。分離した汚物だけを装置から流し、おむつはごみとして回収
②おむつを装置で破砕し、途中で分離して汚物だけを流す
③装置でおむつを破砕し、専用配管で下水道に流すーーーーの3案を盛り込んだ。

実用化に向けた取り組みも加速させる。
国交省は今年度、最も実現性の高い①案の実証実験を開始。
委託を受けた大手電器メーカー「パナソニック」が現在、試作機を開発中で、年度内に高齢者施設で試用する。
問題がなければ、再来年度からの実用化に踏みきる方針だ。
同省によると、実現すれば海外でも聞いたことのない取り組みだという。

実現なら負担軽減

こうした動きを当事者たちはどう見ているのか。
「おむつから便を分離できればおむつの重さが軽くなり、職員の負担を軽減できる」。
名古屋市の社会福祉法人の担当者はそう期待する。
運営する特別養護老人ホームの場合、1日当たりの紙おむつは利用者20人ほどで多いときが90リットル3袋分。
汚物が付くことで重くなり、運ぶには体力的な負担が大きいという。
「臭いや衛生面でも改善が見込める」とも話す。

おむつの処理は施設に限った問題ではない。
おむつ製造などの業界団体「日本衛生材料工業連合会」によると、大人用のおむつの生産量は一昨年が78億枚。
7年前の1・4倍に増え、高齢化で今後も増加が見込まれる。
国交省は介護関連施設約500施設に加え、介護する市民ら約4500人にアンケートを実施。
紙おむつの下水道処理に対する社会的ニーズや、将来の紙おむつ使用枚数を都道府県別に推計する方針だ。

下水道つまる懸念

ただ、普及に向けた課題は少なくない。
これまでの検討会では、最も利便性の高い③案について「下水道管がつまって浸水の恐れがある」などの否定的な意見も出た。
環境へのリスクも検討する必要がある上、パルプやプラスチックでできている今の紙おむつは分解されず、海や川に流すには新商品の開発が必須だ。

それでも、「実現すれば、介護現場の負担軽減につながる」と同省下水道企画課の村岡正季課長補佐は話す。
「高齢社会の社会インフラとしての役割を果たしたい」

(岡戸佑樹)


テープを使ったおむつ





2019年1月11日金曜日

紙オムツ①

「おばあちゃん ...」の画像検索結果

女房の母、私にとっての義母は4年ほど前に、京都から我が家にやってきた。
何も京都での生活が嫌だった訳ではない、自分の長女の下で暮らすのも気分転換にでもなるだろう、と思ったのだろう。
義母が、自分の健康や生活を思う気持ちや、今後の思惑くというか思慕というか思情なんてものは何なんだろうか、と思うことはある。
何是(なんぜ)お前、そんなことを? と思われるかも知れないが、同居人としては当然のことだろう。
一家総勢で仲良く暮らしたい、まして義母にとっては尚更だ。

小さな子供が日々成長して逞しくなっていく、誰にも嬉しさが込み上げてくる。
逆に、年老いた人は、日々体のどこかから弱っていく。
この弱っていく人を前に、私は何をどう振る舞えばいいのか、どのように付き合っていけばいいのか、頭が痛くなるのも当然のことだ。

そんな生活を何とか楽しくありたい、と思いながら生き続けています。

私の家庭内での仕事と言えば、朝飯前にゴミを所定の集荷場に出すこと、義母のベッドに朝晩のご飯を出すことだ。
「おばあチャン、今日は御馳走やで!」と話しかけると、にこやかな表情で「おおきに、有り難う」と返ってくる。
義母に朝の挨拶をし、ご飯の内容を喋り、ささやかだけれども会話を楽しみたい。

そこで、先ず気づいて、今後どうなるのだろうと心配していたのはゴミの量の多さと、紙オムツの量が年々多くなっていくことだった。
我が家は、多分2、000世帯以上はありそうな大きな分譲地で、私が住み出してから40年は過ぎている。
だから、分譲当時から住みだした人は、50年から60年は過ぎ去っているから、その人たちは随分の高齢者だろう。
Image
当然、家族の誰かの都合で引越しした人もいるだろう。
私の家の周りは、老人1人住まい、老夫婦2人住まいの家も多く、空き家になったままの家屋もある。
若い夫婦がいないから、小さな幼児、子供が少ない。
以前には、道路に白墨か石などで描いた落書きがあって、見た物に喜びを与えてくれた。
そんな状態だからだろう、大人用の紙オムツの入ったゴミ袋が、段々多くなってきて、それに私の家から出す紙オムツの量も多くなってきて、皆さまに悪いような気がする。
所定のゴミ集荷場の悲惨な未来が見えてくる。
ゴミ集荷場がゴミで溢れたらどうしよう? この数年間、非常に気になり出した。

横浜市では「横浜G30プラン」がある。
これは、平成22年度における全市のゴミ排出量を前年よりも30%削減すると言う行動のことだ。
今後、このプランを本格的に拡大したいと願っている。
減量、リサイクルの行動です。
このプラン通り、果たして、どれだけの家庭用の量が少なくなっているのだろうか、見た目には解らない。

そんなことが頭の中でギュウギュウしている時、年末の12月だったか11月だったか、朝日新聞で「使用済みの紙オムツを下水道に流せるかもしれない」、そんなタイトルの記事を見て、それなりの希望を持っていた。
同じことを心配している女房にも話した。

そして20190109の朝日新聞・朝刊(社会)に「紙おむつ 流して捨てる時代が来る?」のタイトルの記事を見た。
こりあ、紙中のどの選択であろうと、本当に本当ならこの新聞を捨てる訳にはいかない。
次回にその記事の転載をさせてもらう。




2019年1月10日木曜日

「パッドマン」女性を救う

1月の4日(金)、正月の三が日が終わってこれから年明け初出勤の5日(土)まで、俺は何をすればいいのか? 
腰を癒すこと、他に体づくりに何をすればいいのか。
今までのこと、これからのことを考えることだって、いいのだ。
そんなことを考えながら新聞を読んでいた。
頭の隅っこでは、何でも良いから、正月気分をもうひと声好くなるニュースでもあればなあ?とも考えていた。

そこで見つけたのが下にある新聞記事だ。

私だって、母から脱脂綿を買いに行かされたり、母の下着が納屋の裏に干されているのを見て、何だか良く解らないが、不思議な気分でいたことは間違いない。
脱脂綿を買うのは、私が小学生の頃からアルバイトをしていた大辻商店だったが、店主はニンマリ笑いながら商品を渡してくれたことを思いだす。
我が家では女性は母と祖母だけ、他は皆男性だったので、それに関する話は出たことない。

★見つけた新聞記事を、下部にそのまま転載させていただいた。
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1月4日(金)
朝日新聞/朝刊・8・オピニオン
(私が変える)


自身の製造機でつくったナプキンを手にする
ムルガナンタムさん(右)と妻シャンティさん


ムルガナンタムさんの製造機でナプキンをつくる女性たち
=いずれコインバトール
(奈良部健撮影)


インドで衛生的な生理用品を使う女性(15~24歳)の割合
(インドの国家家族健康調査から)



「パッドマン」女性を救う
安価な製造機 働く場広げた
(インド)

女性の生理がタブー視されたインドで、安価な生理用ナプキン(パッド)を開発し、多くの女性を救った男性がいる。
その取り組みは、無知や偏見から通学すら諦めてきた農村の少女に学ぶ場を取り戻しただけでなく、女性の新たな就業機会ももたらしている。



妻の言葉契機に
男性はインド南部コインバトール郊外で金物技師をしていたアルナチャラム・ムルガナンタムさん(56)。
後に「パッドマン」と敬われる挑戦のきっかけは1998年、新婚の妻シャンティさん(42)が自宅で、汚いぼろきれを隠すのを見たことだった。
使い道を尋ね,生理の時に使うとわかって驚愕(きょうがく)した。
「スクーターの汚れを拭く布よりもひどいものだった」

当時市販されていた生理用ナプキンは5枚で30ルビー(1ルビー=1・6円)。
購入して妻に渡すと「家のミルクが買えなくなる。返してきて」。
ムルガナンタムさんの当時の月収は約5千ルビー。
妻の言葉にナプキンの自作を誓ったという。

インドでは生理が不浄なものとしてタブー視されてきた。
政府の調査では、貧困や意識不足から、15~24歳で衛生的な生理用品を使っていない女性は約4割に上る。
古い布や木の葉、灰などで代用するため、感染症の発生率も生理用品の使用者より7割高く、不妊や敗血症で死に至ることもある。
初潮後に学業を諦めたり生理中の通学を避けたりするケースも少なくない。

ムルガナンタムさんは安いナプキン作りには、安価な製造機の開発が欠かせないと感じていた。
ゴミ拾いをしながら女手一つで生活を支えてくれた母親の姿が記憶にあり、製造機の開発で「女性が仕事を得られる。女性が働けば、貧困や教育問題の解決の一助になる」とも考えた。

仕事場の工場でナプキンの試作を始めると、社会の偏見が見えてきた。
試作品を着用して改良に協力してくれる女性は見つからず、村人のほか、家族からも奇異の目が向けられた。
それでも、市販品の仕組みを調べようとゴミ箱で使用済みナプキンを探し、ヤギの血を使って自らナプキンを下着につけて漏れないかを実験。
試行錯誤を重ね、試作開始から6年後の2004年に、ようやく満足できる製造機を完成させた。


大手価格の半分
ムルガナンタムさんのナプキンの価格は現在、大手メーカーの半分の1枚約4ルビーだ。
製造機も10万~30万ルビーに抑え、これまでに国内4500の農村に製造機を無償や安価で配布してきた。
自身は古里で十数人の工場を営みながら、国内各地の学校を訪ね、衛生的な生理用品を使う大切さを講演している。

コインバトールにある障害児家庭の支援施設は3年前に製造機を贈られ、女性6人がナプキンを作る。
10年前に夫を亡くしたプレミラさん(50)は知的障害がある息子を連れて働き、月2千ルビーを稼ぐ。
「最初は人前でナプキンを触ることや、生理の話をすることができなかった。でも今は恥ずかしがることが間違いだと思っている」と話す。
同僚女性と家々を訪ね、試供品を配って回る日々という。

ムルガナンタムさんの半生は18年にインドで映画化され、日本でも公開中だ。
取材に対し「インドには課題が多いが、課題があるから頑張れた」と振り返った。
ナプキンや製造機の普及を優先して特許を取らなかったこともあり、手元に残った金は多くない。
でも、その製造機はケニアやバングラデシュなど発展途上国を中心に約40カ国にまで広がり、10万人の女性に仕事をもたらしている。



生理中女性「不浄」の地域も
インドでは女性を男性より低くみる考えが今も残る。
11年の調査では、男女別の人口比で男性1千人に対する女性は940人にとどまる。
6歳以下の女児に限ると914人とさらに少ない。

胎児の性別判断は禁じられているが、秘密裏に医師の診断を受け、女児だった場合に人工中絶を選ぶ例が後を絶たない。
生まれた後に殺害するケースも報告されている。

また、長年の慣習などから整理中の女性と食卓を囲まなかったり、屋外で就寝させたりする地域も残っている。

(コインバトール=奈良部健)





2018年12月29日土曜日

日日是好日(にちにちこれこうじつ)

今日(20181229)11:00~12:50、映画「日日是好日」を観て来た。

映画館はジャック&ベティ

監督・脚本=大森立嗣(たつし)
キャスト=黒木華  樹木希林  多部未華子  原田麻由  川村沙也
制作=東京テアトル株式会社

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茶道教室に通った約25年について記した森下典子のエッセイを映画化した人間ドラマ。

正確には、森下典子さんが通った茶道教室での日々を綴ったもの
「お茶」が教えてくれた15のしあわせを映画化したのが、正確なこと。

下部の文章においては、主人公の女子大学生を黒木華、従姉の女子大学生を多部未華子、茶道の先生を樹木希林さんとして著した。
黒木華の母親も父親も立派な役者のようだが、私には語ることを持ってはいない。

随分、お世話になった東京テアトルが創ったと言うならば、3日後に元日が来るというのに、万難を排してでも観に行かなくっちゃならねえ、そうだろう。
私の心の秘められた処にテアトルが在る、そんな私です。

母親の勧めで茶道教室へ通うことになった大学生の黒木華が、茶道の奥深さに触れ、成長していく姿を描く。

監督は「ぼっちゃん」などの大森立嗣。

私が観た映画のなかでは初めての監督さんだが、「ケンタとジュンがカヨちゃんの国」「さようなら渓谷」など数々の作品で好評を得ている。
今後、機会ができたら観るべきだろう。
監督の父は舞踏家で「大駱駝艦」の創始者である麿赤兒さん。
この父親は大森監督の作品では常連の俳優さんで、脇役としてはたびたび出演している。
主人公は黒木華、彼女と一緒に茶道を学ぶ従姉を多部未華子。
茶道の先生は、今年9月に他界された樹木希林さん。

黒木華が二十歳の春のこと。
自宅で、母から「武田のおばさん」=樹木希林は茶道教室の先生であることを告げられた。
そのタダものではないと噂の「武田のおばさん」(樹木希林)の、丁寧なお辞儀のさまに驚いたと話す。
娘は、真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょい。
黒木華は大学生活を送っていたが、本当にやりたいことを見つけられないまま、悩んでいたところだった。
たまたま遊びに来ていた多部未華子にも、一緒に茶道を習うことをすすめた。
多部未華子は、お茶を習うことに乗り気になり、黒木華は誘われるまま流されるように通いだした。
見たことも聞いたこともない「決まりごと」だらけのお茶の世界に触れた黒木華は、それから20年にわたり武田先生(樹木希林)の下に通うことになった。

多部未華子は貿易会社に入り、茶道を止めた。
その会社も辞めることになって郷里へ帰り、お医者さんのお嫁さんになり幸せな家族を築いた。
黒木華は正社員として出版会社には入れず、文章書き屋さんの立場で入社、そして失恋、大事な父親を亡くし、お茶や人生における大事なことに気づいていく。

この映画は、内なる自由と生きる喜び、そしてかけがえのない”今”を描く物語。
黒木華と多部未華子、武田先生(樹木希林)に、黒木華の父母によって描き出される時の流れは、美しく、儚(はかな)い。
とは言うものの、時間の経過は、色んなことを人に知らしめる。

粗筋とは懸け離れた話になるが、この9月に亡くなった樹木希林さんの映像を観られたのが、何よりも嬉しかった、などと発言すれば、この野郎とぶん殴られるかもしれないが、
そんな気分でもあった。
私の自宅・保土ヶ谷区権太坂から映画館のある中区若葉町までの往還、歩いた。
総歩数は2万4千歩、所要時間は片道1時間40分*往復=3時間20分。
翌日の散歩には影響が大なり、緩やかな少になった。





2018年12月27日木曜日

22日は冬至、柚子湯だ

22日は冬至だった。

我が家の浴槽には、この権太坂地区で、どこの家(うち)にも負けないほど、大量の「柚子(ゆず)」が入っていた。
柚子の数が多いから、当然と言えば当然だが、うっとりするほどの好い香りが、浴室いっぱいに漂っていた。
今井町の畑=イーハトーブのお隣のオジサンが、自前の柚子をいっぱい呉れたので、こういう結果になった。
道理で、私の体の肌は誰よりも綺麗な筈なんだが、その気配(けはい)はどうも感じられない。
柚子湯だけではなく、2升の柚酒も仕掛けた。
来年の2月以降、私は酒乱になっているかも。
この楽しみは私だけのものなので、声を潜めて吐露したまでです。


これより下部の文章は、全てネットで得たものです。
折角得た文章なので、ここらで、もう一度冬至を正しく知りたいと思った。
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冬至とは、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなり、日照時間(日の出から日没)が最も短くなる日。
冬至はいつかというと12月21日頃ですが、固定ではなく毎年変動します。
冬至の日の日照時間を、太陽の位置が1年で最も高くなる夏至(6月21日頃。同)と比べると、北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があります。

冬至の日の食べ物には、よく知られるかぼちゃの他、「冬至粥」や、地方によって小豆とかぼちゃを煮た「いとこ煮」を食べるところなどもあります。
 

冬至の食べ物は「ん」がつくもので運盛りを
かぼちゃは「南瓜(なんきん)」とも呼ばれ「ん」がつく

「南瓜(なんきん)」だから「ん」のつく運盛り!
冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれています。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……など「ん」のつくものを運盛り といい、縁起をかついでいたのです。
運盛りは縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵でもあり、土用の丑の日に「う」のつくものを食べて夏を乗りきるのに似ています。

また、「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、「ん」には一陽来復の願いが込められているのです。

 

かぼちゃが冬至の日の食べ物なのはなぜ?

かぼちゃを漢字で書くと南瓜(なんきん)
つまり、運盛りのひとつであり、陰(北)から陽(南)へ向かうことを意味しています。

また、かぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富なので、風邪や中風(脳血管疾患)予防に効果的です。

本来かぼちゃの旬は夏ですが、長期保存が効くことから、冬に栄養をとるための賢人の知恵でもあるのです。

 

かぼちゃ以外の冬至の食べ物「冬至粥」って?

かぼちゃなどの運盛りのほかにも、冬至の日の食べ物には、小豆(あずき)を使った冬至粥があります。
昔から小豆の赤は邪気を祓うと言われていますから、冬至粥で邪気を祓い、翌日からの運気を呼び込もうというわけです。

 

かぼちゃと小豆のいとこ煮って?

【いとこ煮】かぼちゃ400g、小豆100g、砂糖大さじ4、醤油小さじ2(4人分) ※甘いゆで小豆を使えばおやつになります。

1:小豆を水煮しておく。
2:小豆とかぼちゃに水を加えて20分煮る。
3:砂糖と醤油を加えて味を整え5分煮る。
4:火を止め、しばらく置いて味を含ませれば出来上がり!
冬至には小豆とかぼちゃを煮た いとこ煮 を食べるという地方もあります。
本来、いとこ煮とは硬いものをおいおい(甥)入れて、めいめい(姪)炊き込んでいくことから いとこ煮 と名付けられた料理なので、小豆とかぼちゃ以外の場合もあります。

 

冬至に こんにゃく?

冬至にこんにゃくを食べる地方もありますが、これを「砂おろし」といい、こんにゃくを食べて体内にたまった砂を出すのです。
昔の人は、こんにゃくを「胃のほうき」「腸の砂おろし」と呼び、大晦日や節分、大掃除のあとなどに食べていたことの名残りでしょう。


なぜゆず湯(柚子湯)に入るの?

【ユズ】ミカン科の常緑植物。耐寒性に優れているので東北地方でも栽培。表面がでこぼこしていて大きなオオユズ、小ぶりのハナユズがある。
柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」
こうした語呂合せから、冬至の日にゆず湯に入ると思われていますが、もともとは運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)だと考えられています。
昔は毎日入浴しませんから一陽来復のために身を清めるのも道理で、現代でも新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。
冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。
端午の節句の菖蒲湯も同様です。

また、柚子は実るまでに長い年月がかかるので、長年の苦労が実りますようにとの願いも込められています。

もちろん、ゆず湯(柚子湯)には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防したり、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果があります。
さらに、芳香によるリラックス効果もありますから、元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。


ゆず湯のやり方

銭湯などでは、かなりたくさんの柚子を丸ごと入れています。
ゆず湯の方法も各家庭によって違いますので、幾つかご紹介します。
柚子湯に入りながら「一陽来復」と唱えると、さらにハッピーになれるそうです。

●丸ごとお風呂へ……柚子1個や2個では香りを感じるほどにはなりませんので、たくさん入れたほうが良いでしょう。

●輪切りや半分にカットしてお風呂へ……柚子は香りもよく、成分も出やすい方法です。
ただし、だんだんグシャグシャになってきて果肉や種がお湯に浮いてくるため、お掃除がちょっと大変かもしれません。

●柚子を輪切りや半分にカットし、袋に入れてからお風呂へ……ガーゼなどで袋を作り、中身が出ないようにします。
柚子が見えないのが残念ですが、香りや成分も出やすくお掃除も楽。洗濯ネットでもOKです。

●このほかにもゆず湯には様々な方法があり、複合技にする場合もあります。
・皮を何ヶ所か削いで、丸ごと入れる。
・浅く切り込みを入れてから、丸ごと入れる。
・皮だけしか入れない。
・液をしぼって入れる。
・半分に切って熱湯でよく蒸らしてから、お風呂へ入れる。

曹洞宗大雄山・最乗寺

今日(20181226)は大雄山・最乗寺に行ってきた。



Daiyuzan Saijoji Temple 04.jpg

 

大雄山最乗寺(道了尊)



何故、最乗寺かと言えば、それはそれなりに理由がある。
鶴見にある曹洞宗の大本山の「総持寺」では、子供の教育においてお世話になった。
そのお寺でも、曹洞宗の良さを大いに感じさせてもらった。

弊社では、昨年(2017 10)に神奈川県南足柄市怒田(ぬだ)で、和風造りで太陽パネル付き、オール電化の中古住宅の販売をした。
怒田は、「ぬた」ではなく「ぬだ」だ。
屋内は大黒柱・梁が丸見え、1階の玄関を入った辺りの土間の広大だったこと。
お客さんが百人ぐらい同時にお見えになっても、靴の置き場所は足りなくなかった。
広々としていて、何だか面白くないなあと、感じる人も居るだろうけれど、私には申し分なかった。
私のような田舎臭さが好きな人間には、堪(たま)らないモノ!だった。
仕事を離れて、私が買える物ならば、きっと、誰其(だれそれ)そっちのけにして私が買っていただろう。
お父さんが大工で、自分の娘用に創りあげた貴重な物件だった。
その物件は、買っていただいたその人の好み通りだったようで、購入できたことを凄く喜んでもらった。
我々の目論見通り。

その現場に行く度に使う電車の終着駅・大雄山駅では、曹洞宗大雄山・最乗寺の案内板を見つけた。
伊豆箱根鉄道大雄山線・大雄山駅からバスで10分とあった。
今日は、小田原駅から大雄山駅までの電車賃と、大雄山駅から最乗寺(道了尊)までのバス賃を、割引された乗車券(中学生以上 1,030円)で買った。
スイカは使えず、現金払いだった。

自宅を7:00に出て境木中学校前でバスに乗ったが、JR東戸塚駅でも、小田原駅での大雄山駅までの乗り換え、そして大雄山駅から道了尊までのバス、全ての乗換えがスムーズで、道程時間は測ってはいないが、最短だった。
「道了尊」については、後の方で、ネットよりいただいた文章をお読みくだされば、了解されるでしょう。
道了尊へのバスの運転手さんは女性で、私以外には客は居なく、一番前の座席に座らせてもらった。
確実なドライブ捌(さば)きで、運転のお手本のようだった。

道了尊から、最乗寺の境内の隅々まで歩き出した。
参道は前も後ろも、当然右左も杉の巨木に囲まれて、澄んだ空気も加わり、静かな趣が何故か私の心までじっくり。
仏さまの静寂というものだろう、私の今の生活とは違うものを感じた。
杉が巨木だと簡単には言い終われない。
高さが20から30メートルほどもあるかと思われる。
人間が5~6人、両手を広げないと1本の幹を囲めない、そんな太さの木も多かった。
だって、2階建ての住宅が10メートルとすると、3階から4階建て並みだ。
数々の石碑があって、いつ誰がどの位寄進したのか、そんなことが書かれていた。
大正のある時期に5千円とか3千円とか、差し入れのお金のことだろう、銘入ってあった。
東京の何とか講が、大正の時代に杉の苗を何万本、というのもあった。
何の資料で見たのか、樹齢600年の杉が2万本もあるとあったので、総計では大変な本数になるのでしょう。
寺を囲む山林には、この杉の苗も使われたのだろう、私にはどうしても数えられない。
こんな山奥にこれだけ多くの石材を使っての寺の杜、どこから持ち込んで来たのだろうか、それとも、この山の中から集材したのだろうか。

最乗寺は箱根外輪山・明神ヶ岳の山林の中腹に存在する、境内で見る頂上辺りからの湧き水の清らかしには驚いた。
私だって田舎育ちの本当の田舎育ち、もっともっと誰にも文句言わせないほどの田舎育ちだ。
こんな処で、グチャグチャ言うつもりはないが、一滴の水、一葉の落葉、小さな虫にだって、感無量になったものだ。
その綺麗な水を頼って、富士フイルムが工場を設置し、アサヒビールだって負けじと工場を作った。
日本企業の創造主の頭の中は凄かったと感心させられた。

帰り道は、来た時に通った道を戻った。
境内と帰り道で歩いた歩数は8千歩、毎日自宅から会社までが7千歩なので、少し多く歩いたことになる。
1時間近く歩いたので、この最乗寺に来る時に乗せてくれたバス、それもあの時の女性運転手さんとも、すれ違った。
運転手さんも、私のことをきちんと確認していた。
大雄山駅で昼飯にしようとお店を探したが、大雄山臭(ぐさ)さのメニューはなく、いつものようにラーメン屋さんに入った。
お品書きにあるサービスラーメンには、何か特別なサービスしてくれるのかと思ったが、何てことはない、普通のラーメンだった。
お汁(つゆ)が生温(ぬる)く、不愉快だったので、主人に悪く思われないように、穏かな口調で不平を言った。
主人さんがどのように思われたかしらんが、言わなくてはならんことは、必ず言うことだ、と大阪にいる私の大学時代の友人の決めごと。




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20181221の朝日新聞・朝刊を転載させていただいた。

旅人と語る 富士・伊豆・箱根
大雄山最乗寺

座禅純粋な心と向き合う
箱根外輪山・明神ヶ岳の山林を抱く大雄山最乗寺。
板の間の壇上に畳を敷いた参禅道場で、オランダ人芸術家たちに、若い僧侶が滑らかな英語で語りかけた。

「背筋を伸ばし、深くゆっくりと呼吸する。ひたすら座り、あなたの純粋な心と向き合う。何かのイメージや考えが浮かんだら、心にとどめず、そのまま消えていくようにする」

十数人が神妙な表情で座った。
数分後、座禅は鐘の音と合掌で終わった。

画家らの訪問団は11月、オランダのティルブルグから来た。
最乗寺のある南足柄市と姉妹都市で、ともに富士フィルムの工場がある。
座禅と写経の後、元富士フイルム社員で南足柄市長を2期務めた沢長生さん(71)が境内を案内した。

曹洞宗の最乗寺は1394年開創。
境内山林の約128ヘクタールに巨大な杉並木が広がる。
箱根の山塊の伏流水・金剛水が湧く水屋を前に沢さんが英語で話した。

「山と森が雨水を濾過し、大量の清水が街まで流れ下る。
だから、80年以上前、富士フイルムが工場を建てた。
市内にアサヒビールの工場もできた。
この金剛水を美しい人が飲むと、もっと美しくなります」。

どっと笑い声が起きた。
中高年の日本人ならば「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに(写る)」と、フジカラーのCMを想い出すだろう。

伝説の天狗 見守る

御真殿への入り口にあたる結界門は、両脇の天狗の像が訪れる人を見下ろす。
「伝説の天狗が門を守り、邪悪な心の人間の侵入を許さない」と沢さん。
オランダ人女性は「私たちは座禅と写経で純粋になったから大丈夫」と応じた。

男性団長のヤン・ファン・ライセンさん(63)は、「美しく穏かな環境で座禅を体験し、世界への新たな洞察力と霊感が私たちに与えられた。
ティルブルグ市民の心に響く、新たな芸術活動につながるかもしれない」と話した。

南足柄市の「最乗寺と杉林」や湧水地・清左衛門地獄池は2016年、箱根ジオサイトになった。
20年春までに市と箱根町仙石原が新県道でつながらい、東京五輪で訪れる外国人も増えるだろう。

境内の階段は700段を超え、週末には多くの人が最も高い奥の院へ黙々と上がる。
その階段の近くで今月8日、英国出身で秦野市在住のトム・ラプシーさん(44)がカメラを巨木に向けていた。
「最乗寺は5回目。色づいた落ち葉で林床がこうして彩られるのを待ち望んでいた。
里山の風景が好きなんです」。
最乗寺は紅葉の名所でもある。

もうすぐ初詣。
参拝客が境内を埋め、天狗の神通力を受ける「パワースポット開運守」や階段の効用に通じる「足腰健康守」のお礼に新年の願いをこめる。

(村野英一)





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★以下はネットよりいただいた文章です。
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最乗寺は、室町時代の応永元年(1394年)に了庵慧明(りょうあんえみょう)が創ったとされています。
了庵は曹洞宗大本山の總持寺(そうじじ)など様々な寺の住職を勤め、50歳を過ぎて故郷の相模国(神奈川県)に帰り、最乗寺を創建しました。
優れた禅僧として名高く、弟子も多かった了庵の下に集った一人が、道了です。


大雄山最乗寺は、曹洞宗の寺院です。今から600年以上前、了安慧明(りょうあんえみょう)という禅僧の袈裟を1羽の大鷲が掴んでそのまま足柄山まで飛んでいき、大きな松の枝に袈裟を引っ掛けて飛び立っていきました。
高い位置にある袈裟は、了安慧明禅師は坐禅をしたところ肩に落ちてきました。これを何かの前兆であると感じた了安慧明禅師は、ここに寺を建立することを決意しました。

了安慧明禅師が寺を建立するという話を聞いた弟子で修験道の行者であった妙覚道了は、空を飛んでやってきて神通力を使い、了安慧明禅師が寺を建立する手伝いをしました。
妙覚道了はひとりで500人分の力を発揮したと言われており、妙覚道了の助力で寺は1年あまりで完成したと言われています。
これでできたのが大雄山最乗寺です。

了安慧明禅師の死後、妙覚道了は大雄山最乗寺を守るために天狗となり山中へ飛び去ったと言われています。

現在、大雄山最乗寺の境内には天狗の像がいくつもあり参拝者を見守っています。
また、天狗と関連性のある高下駄も数多く奉納されていました。
現在高下駄の奉納は行っていませんが、境内には世界一といわれている。


まずは「かながわ美杉50選」の総門へと続く小径へ!
写真:木村 優光
神奈川県西部の最大都市である小田原駅から、伊豆箱根鉄道大雄山線に乗り、目指すは終点の大雄山駅。
そこから西へ約3km、鬱蒼と覆い茂る杉林の坂道をひたすら上り切ると、両側にお土産店、真正面に写真のような「大雄山最乗寺」の入口が見えてきます。

ここから先は徒歩専用の小径へ!この小径は「かながわ美杉50選」に指定されていて、非常に背の高い杉の木が林立しています。
まるでどこか遠い過去へと通づるかのような雰囲気に、一度は通っておきたいところ!また、小径沿いにはアジサイがたくさん植えられているため、梅雨時は美杉とともに素晴らしい光景となります。
参道をアジサイ参道とも言われている。
まずは「かながわ美杉50選」の総門へと続く小径へ!
写真:木村 優光
小径を歩くこと数分、目の前には「大雄山最乗寺」の山門が出迎えてくれます。
山門の周囲にはモミジの木がたくさん植えられているため、春の新緑と晩秋の季節は見応えあり!この山門は平成15年建立とかなり新しいもので、内部には放光菩薩、四天王菩薩、十六羅漢像が安置されています。
まずは「かながわ美杉50選」の総門へと続く小径へ!
写真:木村 優光
山門を抜けて参道をゆっくりと上って行きましょう。
緩やかな階段でつい足早に進んでしまいますが、この先の境内には沢山の階段があるため、ここはゆっくりと進んで体力を温存しましょう。
しばらくすると、目の前には境内へと続く立派な入口門が現れます。

写真の入口門は「瑠璃門」で、南隣にも同じように境内に入ることができる「碧落門」があります。
どちらをくぐるかは貴方次第!なお、「瑠璃門」の手前の参道にはモミジの木が沢山覆いかぶさっており、晩秋の季節は真っ赤なトンネルと化しますが、春から初秋にかけての青モミジのトンネルも非常に素晴らしいですよ。

入口門をくぐり境内に入ってみよう!

入口門をくぐり境内に入ってみよう!
写真:木村 優光
入口門をくぐるとすぐ目の前に飛び込んでくる建物は書院。
背後に青々とした木々を従えた書院は、「大雄山最乗寺」の代表的な建物で、堂々たる佇まいは格好の被写体!撮影後はこの書院にて手を合わせてから次へ進みましょう。
入口門をくぐり境内に入ってみよう!
写真:木村 優光

書院の左横には本堂があり、その手前は広場となっている境内。
ここが「大雄山最乗寺」のメインステージともいえる場所です。
「大雄山最乗寺」の代名詞的な本堂と書院を同時に見るには、尚宝殿入口あたりに立つと良いでしょう。
尚宝殿前には沢山の自動販売機があります。
水分補給も忘れずに!

なお、本堂は1954年に再建されたもので、中にはご本尊の釈迦牟尼仏、脇侍の文殊・普賢両菩薩が祀られています。
書院と同様に手を合わせてから次へ行くと良いでしょう。

書院と本堂を参拝したら境内のさらなる奥地へ!

書院と本堂を参拝したら境内のさらなる奥地へ!
写真:木村 優光

本堂を背にしたら今度は境内を南へと進んでみましょう。
やがて右手に不動堂が見えてきますので、不動堂と真正面で向き合える石橋の上に立ってみましょう。
すると、まるで不動堂の建物下から滝が流れ下ちているかのような構図が!この滝、「洗心の滝」と名が付けられており、その名のごとく心を洗ってくれるもの!しばし見ていると本当に心が洗われるかのような効果抜群のパワースポット!
書院と本堂を参拝したら境内のさらなる奥地へ!
写真:木村 優光

洗心の滝から流れ落ちた水は、自分が立っている石橋の下を流れていきます。
水の透明度も高く、まさにお寺の中にある渓谷!滝で発生する水しぶきとともにマイナスイオンが石橋の周辺を囲んでくれます。

境内最高峰の奥の院道了堂へアクセスしてみよう!

境内最高峰の奥の院道了堂へアクセスしてみよう!
写真:木村 優光

広い境内が特徴的な「大雄山最乗寺」には、最高峰の奥の院道了堂があります。
本堂から西へ250mと、距離的にはさほど遠いイメージはありませんが、最終地点にはなんと300段を超える階段が!

写真のように奥の院までまっすぐ伸びているため、ここでくじけてしまう人も多いです。しかし、ここまで来たからにはラストスパート!ゆっくりでもいいので頑張って約300段の階段を上がり切ってみましょう。

なお、階段のスタート地点近くの両脇には天狗の銅像が置かれています。
これは、「大雄山最乗寺」が天狗の里にちなんでいることから設けられたもの。
寺の建設に携わった了庵慧明禅師が亡くなると、寺の守護神として天狗に化けたことから天狗伝説が始まりました。
以後、境内のあちこちにはたくさんの天狗の銅像が置かれています。
境内最高峰の奥の院道了堂へアクセスしてみよう!
写真:木村 優光
約300段の階段を上がり切ると、目の前に奥の院道了堂が現れます。
「大雄山最乗寺」の中でも一番のパワースポットでもある「奥の院」ですので、階段を上がり切った疲れなんて吹き飛んでしまうかもしれませんね。
なお、奥の院には道了尊の化身とされる十一面観音菩薩が祀られています。
境内最高峰の奥の院道了堂へアクセスしてみよう!
写真:木村 優光

奥の院から下山する場合、順路に沿って下りてくると、大雄山道了尊の脇に出ることができます。
この大雄山道了尊の横には大変珍しいものがあります。
それは様々な大きさの下駄!一番大きいものは1ヶ月以上もかけて造られたものも!まさに天狗がお召しになる下駄ということで、迫力は満点!インスタ映えもしますので、様々な角度から写真を撮ってみると面白いでしょう。

2018年12月25日火曜日

さようなら 銀河鉄道




今日(20181223)は14:00からの「さようなら 銀河鉄道」を観に行って来た。
今までの「銀河鉄道の夜」に「さようなら」がついて、正式の演題は「さようなら 銀河鉄道」になった。
よくぞ付き合っていただいた! 東京演劇アンサンブル殿。

芝居小屋の改札口を入場すると、何はともあれ、代表の入江洋祐氏、共同代表の志賀澤子さんに挨拶した。
師走にあること、今日は劇団ご自慢の「銀河鉄道の夜」の上演、そしてブレヒトの芝居小屋の今後のことに就いてのお伺いもあって、代表らとは目を見入って話した。
何よりも「銀河鉄道の夜」を、私の脳波にガツ~ンと大量の知血を巡らさせてくれたことに、感謝。

作=宮沢賢治
脚本・演出=広渡常敏
音楽=林光
ブレヒトの芝居小屋=西武新宿線、武蔵関駅より歩いて10分
全席自由/当日4500円/前売一般3800円 
前売学生3000円
開場/12:30  開演/14:00


劇団のお陰で、これまでどれだけ愉しませてもらったことか、代表の入江さん、感謝しています。
代表の息子さんの龍太君にも感謝している。
私は長女と長女の子供(小2・女)と一緒に行った。
我が家に同居中の三女の子供は、未だ3歳なので、ちょっとお芝居を観るのは難しいだろうと考えて、200メート側に住んでいる長女と二人の娘を連れて行こうと考えた。
長女の二人の子どもは、姉が小6、妹が小2。
が、小6はお勉強があって無理、長女と小2だけを連れて行くことにした。
小2の観劇料は、ジジイの私が負担すると言って、その気にさせた。

予期しなかったが、入江さんの長女(ツム)と劇場でばったり会えた。
私が大学生だったころ、中学生だったり高校生だった。
大学を卒業後、東京演劇アンサンブルの劇団員になった。
その前からのお付き合いになるから、50年前後の付き合いになる。
この劇団とも仲の良かった脚本家の牛島さんの家で、ツムに始めて会った。
そういうことで、私と牛島さん、ツムとツムのお父さんである入江さんと劇団が、一串のダンゴ虫になってしまった。

飯尾昌克家族(奥さんのトンガさん、次女と三女、次女の夫)とは、偶然、西武新宿線・武蔵関駅で合流した。
昌克とは短期間だったけれど、同じ大学のサッカー部で練習した仲だ。
何がどうなって、どうしたのか、二人の仲はいつまでも睦まじいものになった。
昌克は、私に簡単に逃れられない支障が発生した時などには、必ず傍に来てくれた。

昌克とツムとも長い付き合いになったが、会えば、流石に嬉しいものだ。

これからも何度か、劇団に来させて貰うと思うが、今日のお芝居「銀河鉄道の夜」が、私と劇団の縁を作ってくれたようなものだ。
その時のジョバンニ役の入江さんの長女(ツム)も、縁結びの別格のもう一人だった。
座席ではツムと学生時代から今に至るまでのことを、アッチ行ったりコッチ行ったりしながら、話をした。
彼女は、元この劇団のスタッフだったせいか、何か物思いなところを端々見せながら、芝居のことも話してくれた。

この劇団がやるお芝居の題名に「さようなら」が付くだけで、何故こんなに私の心はセンチメンタルに揺らぐのか。
劇団と付き合い出して、40年以上経っただけで、頭の芯にブレヒト菌でもほじくられたのか。
怪我の後遺症なのだろうか? こんな心情に陥るのは、やっぱり可笑しくなりだしているのだろう。

お芝居の内容については、下記に転載させてもらったものを読んでいただければ、大体は解かってもらえるだろうから、触れていない。


★パンフレットより。
ケンタウルス祭の夜、ジョバンニは不思議な旅をする。
宮沢賢治の幻想四次元の空間へ、ジョバンニとともにぼくらは旅立つ。
銀河の夜の空をはしる軽便鉄道の彼方に、人間の愛の愛が、歴史の歴史が、
そして生命の生命が燃えているかもしれない。
現実世界は銀河の夜の彼方に広がる世界の世界の影らしいのだが・・・・・・
語り手 奈須弘子
ジョバンニ 山﨑智子
カンパネルラ 冨山小枝
車掌 浅井純彦
ザネリ 永濱渉
灯台守 川邊史也(劇団銅鑼)
赤ひげ 竹口範顕
尼僧/母 上條珠理
青年 篠原祐哉
男の子 藤廣果歩(イッツフォーリーズ)
女の子 重田めぐみ(イッツフォーリーズ)
サソリ 洪美玉
信号手 大橋隆一朗
影たち 雨宮大夢
 
スライド 三木元太
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2018 12/22(土)
19:00~
ブレヒトの芝居小屋

no,126
 a letter From the Ensemble(2018 1030)

「さようなら 銀河鉄道」




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★さようなら 銀河鉄道
入江洋佑(劇団代表)

1982年、宮澤賢治作『銀河鉄道の夜』初演から毎年年末クリスマス公演と名付けて36年間連続上演してきた武蔵関「ブレヒトの芝居小屋」の『銀河鉄道の夜』が、今年でついに終わることになってしまいました。
タイトルの「さようなら」はその想いです。
「さとうなら」とは「そうならねばならぬなら」という辛い別れの現在形だそうです。

もうご存知の方が多いと思いますが、地主さんの諸々の事情によってこの東京演劇アンサアンブルの「ブレヒトの芝居小屋」は来年3月の『クラカチット』を打ち止めにして閉じなければならないです。
勿論『銀河鉄道の夜』はアンサンブルの大切なレパートリーですから芝居はまだまだ、劇中のせりふのように「どこまでも、どこまでも」続けていくのですが。

「さようならブレヒトの芝居小屋」でもあるのです。

そして次なる新しい空間を決めるのも大変なことです。
そのための各委員会はもう動きだしているし、データも集め始めています。
でもその費用として皆様に「劇団移転・応援基金のお願い」をお知らせしている次第なのです。
よろしくご高配ください。

芝居は舞台上における俳優の精神行為なのだと僕は考えています。
俳優が舞台上で気を抜くことなど、どんなコンデションの時でも絶対にありません。
でも、ひとつうまくいかなかったなあという実感の日も事実あります。
俳優にとって公演は連続でもお客様はその日一回の出逢ひなのです。
でも今年の五回の最後の芝居はアンサンブル全員にとって、まして出演しているメンバーには特別ななにかが芝居の空間で閃くとぼくは思います。その一回限りの芝居に是非立ち会っていただきたいとお願いします。

『銀河鉄道の夜』は生きていく中で「ほんとうの幸いはいったい何だろう」を問いかける芝居だと思います。
その生きているジョバンニの問いに死者でありいまや天上に旅立つカンパネルラは答えず、空の孔石炭袋の闇を指して消え去ります。
その真っ暗などおんとした闇を責めてジョバンニは心の中で叫びます。
「あの闇の中にほんとうの幸いがつまっているかも知れないんだ」
そうかも知れないのです。
かも知れなのです。
宮澤賢治が妹とし子が亡くなった時、死というものを、そしてその死の自分に対する問いかけを考え続け、その闇の中から何かが見つかるかも知れない。
何かが生まれてくるかも知れない、かも知れないと考え続ける修羅が『銀河鉄道の夜』を生み出したのでしょう。

いま、ぼくたちの周りの世界は真っ暗闇です。
でも人間である以上何かが変わるかも知れないと仕事をつづけていきましょう。
変るかも知れないのです。






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★東京演劇アンサンブル版
『銀河鉄道の夜』の魅力
池田逸子(音楽評論家)



「’82 都民芸術フェスティバル/東京アンサンブル/76銀河鉄道の夜/1982年2月9日→22日/朝日生命ホール」と記された大判のプログラムが、いまも手元にある。
音楽=林光の名にひかれて、初日公演を観た私は、当時、発行していた手書きの同人誌に感想を書いた。
「音楽劇と呼んでもいいくらいに、全編、音楽が流れる。‐--『銀河の底でうたわれた愛の歌』は、ほんものの沖縄民謡かと錯覚させられるほどで、美しい。
『サウザンクロスの彼方で聞えた父が息子にあたえる歌』は――――心にしみるソングと。
以来、ブレヒトの芝居小屋で上演され続けて、ことしで36年目になる。

東京演劇アンサンブル版『銀河鉄道の夜』の魅力、それは何はともあれ広渡常敏の脚本と演出の素晴らしさであろう。
原作を大胆に整理し、語り手を登場させて、光と影、音楽を巧みに用いる演出が、異次元を行き来する幻想物語を可視化、可聴化した。

この広渡演出を支え、補強しているのが林光の音楽(広渡作詞の9曲のソング)である。
それらは時にの物語を中断して観客(あるいは演者たち自身)に問いかけ、語りかけつつ、メリハリをつけて場面を切り拓いてゆく。
音楽はこの劇の胆と言ってもよいだろう。

林光は少年時代から宮澤賢治に親しみ、”ケンジニア”を自称していたほどだが、82年当時はまだほとんど賢治ものの作曲に手を染めていない。
70年代に賢治詩をテキストにした歌曲(室内楽曲)を書き、1981年にオーケストラのための童話『セロ弾きのゴーシュ』を作曲したが、その『ゴーシュ』のオペラ化までにはさらに5年を要した。

『銀河鉄道の夜』の音楽はこのような歩みの中で書かれたのだが、賢治のオリジナル詩ではない分、緊張(?)せず、かえって愉しんで作曲したのではないか。
「歴史の歴史のうた」なんて、ぜったいに面白がって書いたにちがいない。
そのほか、林光の独自な作曲語法となる沖縄旋法による「銀河の底でうたわれた愛の歌」、クルト・ヴァイル風なリズムを伴奏に用いた「傾く銀河のうた」、舟歌のリズムに乗せて林光的抒情をたたえた「サザンクロズの彼方できこえた父が息子にあたえる歌」等々。

東京演劇アンサンブル版『銀河鉄道の夜』がいつまでも魅力を失わず、多くの観客に愉しまれているのは、広渡常敏や林光が劇に込めた提案や仕掛けを、役者やスタッフが、毎回、総力で舞台化しているからだと思う。

タリ(広渡常敏)さんもヒカル〈林 光)さんも銀河鉄道に乗って旅立ってしまったけれど、サダンクロスの彼方の銀河の底でケンジ〈宮沢賢治)さんとめぐり逢って、世界の世界、歴史の歴史、愛の愛などについて語らっているのだろうか。
私もこの暮は、移転間近な芝居小屋に出かけて、また幻想四次元の銀河の空を旅することにしよう。



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★脚本・演出家の広渡常敏さんが、1974年11月1日に書いた文章があったので、ここに転載させていただいた。

「プリオシン海岸の化石  -星のない夜に」
秋が深まった。
すだく虫の声にさそわれて、深夜戸外に出て星を仰ぐ。

降るような満天の星といいたいところだが、東京の空は濁っていて目を凝らして一分間は見あげていないと、星は見えてこない。
見えてきても三等星か四等星ぐらいの明るさでしかないのでほとんど見えないのだ。

東京の小学生はこのごろでは夜空を描いても星を書きこまないといって、先生をやっている友人を嘆く。

今年の夏、出雲の日御崎で眺めたものすごいばかりの星空の印鑑をたぐりながら、ぼくは高円寺の灰色の夜空を仰いでいる。

一昨年の十月八日、ぼくは徳島にいた。
真夜中に宿の下駄つっかけて外に出た。
あいにく雲がたれこめていて、なにも見えなかったのだが、雲のうえでは流星雨が地球めがけて降り注いでいるはずであった。

まだ開いている赤提灯などがあって、道端に躊っているぼくを通りかかった人は酔っ払いと間違えて声をかけた。

だがあの時、ぼくの網膜にはおびただしい流星群が降っていた。
それはこどもの時分に、玄界灘の海辺で眺めた流れ星のようでもあったし、またカリブ海のバルバドスあたりで見た小石のような星のようでもあった。

ケンタウルス、つゆをふらせ!
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のなかの声がきこえてくる。

そして星を想うとき、いつも浮ぶのは”プリオシン海岸の化石”の話である。

灼きたての鋼(はがね)のような夜の空にすっくりと、軽便鉄道にのって行くと、まもなくぼくたちはプリオシンの海岸につく。
車窓から化石を掘っている男たちが見える。

あれはなんの化石だ。

地上で人知れず流された、涙の化石かもしれない。
もしかしたらそっと掃きだされたタメ息の化石かもしれない。
果たされなかった約束だの、破られた希望だの、踏みにじられたこどもの心だの、人々の嘆きやのろい、悲しみやあきらめ、打ちのめされた心の化石かもしれない。

賢治はこの地上で実現されなかったもの、人間の歴史に記述されることのない、忘れられたものを、プリオシンの海岸に化石させようとした。

ぼくたちは銀河鉄道でそこに運ばれて、歴史をディングする男たちと共に化石を掘り起こし、化石を掌(たなごころ)にのせて耳を近づけるならば、いろんな音や声をききとることができるのである。
宇宙の海岸で化石のうたが聞こえてくるのである。

ぼくらが芝居をするということの意味も、考えてみると賢治の”プリオシンの化石”を掘ることなのではないだろうか。

「ジョー・ヒル」そして「かもめ」など、すくなくともぼくらはそんなつもりで仕事にとりかかったと思う。
『第三帝国の恐怖と真実』(ブレヒト)だって、それから『オットーと呼ばれる日本人』だって、ぼくらはプリオシンの化石のうたを聞きとるような気持ちで、稽古をするのだ。

プリオシンはぼくらの想像力が寄せては返す海辺なのである。