2019年1月11日金曜日
紙オムツ①
女房の母、私にとっての義母は4年ほど前に、京都から我が家にやってきた。
何も京都での生活が嫌だった訳ではない、自分の長女の下で暮らすのも気分転換にでもなるだろう、と思ったのだろう。
義母が、自分の健康や生活を思う気持ちや、今後の思惑くというか思慕というか思情なんてものは何なんだろうか、と思うことはある。
何是(なんぜ)お前、そんなことを? と思われるかも知れないが、同居人としては当然のことだろう。
一家総勢で仲良く暮らしたい、まして義母にとっては尚更だ。
小さな子供が日々成長して逞しくなっていく、誰にも嬉しさが込み上げてくる。
逆に、年老いた人は、日々体のどこかから弱っていく。
この弱っていく人を前に、私は何をどう振る舞えばいいのか、どのように付き合っていけばいいのか、頭が痛くなるのも当然のことだ。
そんな生活を何とか楽しくありたい、と思いながら生き続けています。
私の家庭内での仕事と言えば、朝飯前にゴミを所定の集荷場に出すこと、義母のベッドに朝晩のご飯を出すことだ。
「おばあチャン、今日は御馳走やで!」と話しかけると、にこやかな表情で「おおきに、有り難う」と返ってくる。
義母に朝の挨拶をし、ご飯の内容を喋り、ささやかだけれども会話を楽しみたい。
そこで、先ず気づいて、今後どうなるのだろうと心配していたのはゴミの量の多さと、紙オムツの量が年々多くなっていくことだった。
我が家は、多分2、000世帯以上はありそうな大きな分譲地で、私が住み出してから40年は過ぎている。
だから、分譲当時から住みだした人は、50年から60年は過ぎ去っているから、その人たちは随分の高齢者だろう。
当然、家族の誰かの都合で引越しした人もいるだろう。
私の家の周りは、老人1人住まい、老夫婦2人住まいの家も多く、空き家になったままの家屋もある。
若い夫婦がいないから、小さな幼児、子供が少ない。
以前には、道路に白墨か石などで描いた落書きがあって、見た物に喜びを与えてくれた。
そんな状態だからだろう、大人用の紙オムツの入ったゴミ袋が、段々多くなってきて、それに私の家から出す紙オムツの量も多くなってきて、皆さまに悪いような気がする。
所定のゴミ集荷場の悲惨な未来が見えてくる。
ゴミ集荷場がゴミで溢れたらどうしよう? この数年間、非常に気になり出した。
横浜市では「横浜G30プラン」がある。
これは、平成22年度における全市のゴミ排出量を前年よりも30%削減すると言う行動のことだ。
今後、このプランを本格的に拡大したいと願っている。
減量、リサイクルの行動です。
このプラン通り、果たして、どれだけの家庭用の量が少なくなっているのだろうか、見た目には解らない。
そんなことが頭の中でギュウギュウしている時、年末の12月だったか11月だったか、朝日新聞で「使用済みの紙オムツを下水道に流せるかもしれない」、そんなタイトルの記事を見て、それなりの希望を持っていた。
同じことを心配している女房にも話した。
そして20190109の朝日新聞・朝刊(社会)に「紙おむつ 流して捨てる時代が来る?」のタイトルの記事を見た。
こりあ、紙中のどの選択であろうと、本当に本当ならこの新聞を捨てる訳にはいかない。
次回にその記事の転載をさせてもらう。