ホテルの女主人と夜カフェに出かけ、楽しく過ごした。
この映画を観にいくことには、切っ掛けがあった。
同居している三女夫婦、その婿が10日ほど前に観て来た映画で感動したことを話し、そして三女も負けずと観て来て、我が家は、その素晴らしさに火が付いた。
この感動したというのは洋画で、何とかかんとか?と題名を言った。
この私とは感性が随分違うようで、その映画を観に行く気にはなれなかった。
が、俺だってこの3連休、何かを観なくちゃイカンワイと思い、新聞広告に出ていた「家(うち)へ帰ろう」を観に行くことにした。
今回は、その映画についてのブログだ。
映画の内容とはちょっと違うが、京都出身の私は「自分自身のことをうち」と言い、関東の人は「自分が住んでいる家のことをうち」と言っているのではないか。
そんなことも考えて、まずは映画の題名「家(うち)へ帰ろう」に興味をもった。
映画館内は私の年齢以上の人が8割、90%の入り具合に吃驚した。
まさか、こんなに人気がある映画だったとは想像していなかった。
娘夫婦には負けてはおれないなんて、ちょっと嫌なジイジイだ。
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家(うち)へ帰ろう
監督・脚本=バブロ・ソラルス
2017年、スペインとアルゼンチンの合作映画
監督・脚本を手掛けたバブロ・ソラルスは、本作が長編映画の監督2本目で、自身の祖父の家では「ポーランド」という言葉がタブーであった。
それが発想の原点。
自身のアイデンティーを確認するために避けて通れないテーマだった。
あらすじ
アルゼンチン・ブエノスアイリスに住む仕立屋のアブラハムは足が悪くし、娘たちに老人ホームに入れられることになっていた。
今後アブラハムのことを主人公と著す。
しかし、主人公はそれを嫌い、自分が仕立てた最後のスーツを、70年以上も会っていないポーランドの親友に渡すための旅に出た。
ユダヤ人である主人公は、70年前にホロコーストの際に、親友に命を助けられた。
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★ホロコーストとは
(2012-10-11 朝日新聞 朝刊 2外報)
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途中、飛行機の機内で雑誌を読む青年。
主人公が隣席のピアノを弾く音楽家志望の青年に何かと話しかけるが、青年はちょっと静かにして欲しいと考えて、空いている席に移動した。
主人公は空いた隣席と自分の席に横になって眠った。
飛行機から降りても、この青年は主人公のことが気になったのか、タクシーで町を彷徨った。
優しい男性だった。
途中、飛行機の機内で雑誌を読む青年。
主人公が隣席のピアノを弾く音楽家志望の青年に何かと話しかけるが、青年はちょっと静かにして欲しいと考えて、空いている席に移動した。
主人公は空いた隣席と自分の席に横になって眠った。
飛行機から降りても、この青年は主人公のことが気になったのか、タクシーで町を彷徨った。
優しい男性だった。
列車で移動中にも体の具合は段々悪くなっていく。
ゆっきりできそうな席はないかと、あっちこっち探し回った。
そして列車の連結部に行ったとき、きっとドイツ兵だと思ったのだが、そのグループに絡まれた。
何とか逃げ出すことはできたが、体の不調に併せて精神まで苦しみ、気を失って通路に横たわってしまった。
担ぎ込まれた病院での看護婦さん。
そして病院に担ぎ込まれた。
マドリードの病院の看護婦さんに、私の行く所へ一緒に行ってくれないか? の質問に、いいですよと承諾してくれた。
でも、その行き先を聞いてぎょっと驚いた。
だが、行き場所を聞いて断念するのではなく、主人公の状態を鑑み承諾した。
ホテルの女主人。
この女主人も、なにやら、付き合いがよかった。
主人公の状態をよく聞いてくれた。
そして、夜には、近所のカフェに主人公を誘って出かける。
彼女も、主人公の気持ちを考えてのことか、楽しくお酒やダンスを楽しんだ。
何故(なにゆえ)にそうなったのか? 私には解かり辛かったけれど、二人はとても楽しそうだった。
主人公の人柄だったのだろう。
下の写真は、パリからドイツを通らずポーランドへ列車で訪れることができないかと係員の人と折衝した時のものだ。
列車での行き方と乗車費。
ホロコーストで苦しんだ主人公は、どんなことがあってもドイツの地を踏みつけたくなかった。
ドイツの何処かで、列車を降りることに成った時だって、ホームに着衣を長く敷き詰めて、その上を歩いた。
ドイツ人の文化人類学者や旅の途中で出会う人たちは、主人公の力になろうと自然体で受け入れ、手助けをした。
そんな人たちに支えられながら旅を続けるが、アブラハムの病状は悪化していく。
そしてポーランド。
主人公が文化人類学者の援助を受けながら、たどり着いた場所は、70年前と同じ佇(たたず)まいをしていた。
残された主人公は、ぎゅうっと一人で車椅子を動かした家の窓に、老人を見つけた。
老人は主人公を見つめた。
じっと、互いに見つめ合ううちに、その老人こそ主人公がアルゼンチンから服を渡すために会いに来た人であることがわかった。
顏が緩やかな笑みに変わり、目が頬がどうしょうもなくウルウルしてきた。
長く見つめ合った後、二人は激しく抱き合った。
二人の間には、巡る、、巡る、、想いが湧き出してきたのだろ。
そこで、老人は主人公に言った。
「家(うち)へ帰ろう」。
車椅子の主人公と老人は静かに家に向かった。
ゆっきりできそうな席はないかと、あっちこっち探し回った。
そして列車の連結部に行ったとき、きっとドイツ兵だと思ったのだが、そのグループに絡まれた。
何とか逃げ出すことはできたが、体の不調に併せて精神まで苦しみ、気を失って通路に横たわってしまった。
担ぎ込まれた病院での看護婦さん。
そして病院に担ぎ込まれた。
マドリードの病院の看護婦さんに、私の行く所へ一緒に行ってくれないか? の質問に、いいですよと承諾してくれた。
でも、その行き先を聞いてぎょっと驚いた。
だが、行き場所を聞いて断念するのではなく、主人公の状態を鑑み承諾した。
ホテルの女主人。
この女主人も、なにやら、付き合いがよかった。
主人公の状態をよく聞いてくれた。
そして、夜には、近所のカフェに主人公を誘って出かける。
彼女も、主人公の気持ちを考えてのことか、楽しくお酒やダンスを楽しんだ。
何故(なにゆえ)にそうなったのか? 私には解かり辛かったけれど、二人はとても楽しそうだった。
主人公の人柄だったのだろう。
下の写真は、パリからドイツを通らずポーランドへ列車で訪れることができないかと係員の人と折衝した時のものだ。
列車での行き方と乗車費。
ホロコーストで苦しんだ主人公は、どんなことがあってもドイツの地を踏みつけたくなかった。
ドイツの何処かで、列車を降りることに成った時だって、ホームに着衣を長く敷き詰めて、その上を歩いた。
ドイツ人の文化人類学者や旅の途中で出会う人たちは、主人公の力になろうと自然体で受け入れ、手助けをした。
そんな人たちに支えられながら旅を続けるが、アブラハムの病状は悪化していく。
そしてポーランド。
主人公が文化人類学者の援助を受けながら、たどり着いた場所は、70年前と同じ佇(たたず)まいをしていた。
果たして主人公の願いは叶うのか?
車椅子の主人公を街路に残し、家を探すために文化人類学者は、アパートの階段に姿を消した。残された主人公は、ぎゅうっと一人で車椅子を動かした家の窓に、老人を見つけた。
老人は主人公を見つめた。
じっと、互いに見つめ合ううちに、その老人こそ主人公がアルゼンチンから服を渡すために会いに来た人であることがわかった。
顏が緩やかな笑みに変わり、目が頬がどうしょうもなくウルウルしてきた。
長く見つめ合った後、二人は激しく抱き合った。
二人の間には、巡る、、巡る、、想いが湧き出してきたのだろ。
そこで、老人は主人公に言った。
「家(うち)へ帰ろう」。
車椅子の主人公と老人は静かに家に向かった。