2019年1月24日木曜日

解からない!!三浦雄一郎さんの挑戦


20190122(火)の朝日新聞を読んでいる。

下山後に取材に応じる三浦雄一郎さん=21日午前、アルゼンチン・メンドサ

1面の中ほどに『登頂断念 86歳三浦さん「挑戦続けたい」』の記事があった。

下の方にこの新聞記事をそのまま転載させてもらう、が、この三浦雄一郎氏(この後、三浦氏と書く)が今回試みた事件(私にとっては、挑戦でも冒険でもなく、何でもないように感じられる)について、眉唾(まゆつば)を持ちながらウオッチングしていた。

皆さんが異常に興味を持たれるけれど、私にとっては、どうでもイイことだったのだ。
だって、「挑戦」だとマスコミは報じるし、三浦氏自身もこの言葉を使っているが、私には、挑戦と名を馳せるだけの条件がないではないかと思ってしまう。
この記事ほど痴(し)らけるモノはなかった。

三浦氏という有名で立派な人だからか?
今回の山登りを、よくぞここまで新聞、ラジオ、テレビなどで騒がれたモノだ。
モノ売り商売の会社だって、マスコミと同じように一緒に騒いだ。

確かに86歳の高齢者が、南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降を目指していたことについては、私には夢のようなことを気がした。
実現しようとした、そのことには感服する。
冒険家・プロスキヤーなら、当然なのだろうが!!
だが、それ以上の意味があるかなあ。

私が小学6年生だった頃から、大いに愛してきた朝日新聞だ。
字をまともに読めないにも拘らず、スポーツ面を中心に読んだ。
家に手配りされるまで、大いに待ち、手に入れたら誰にも負けないように自分の物の様に振舞った。
その後高校・大学・社会人になって、結構、この新聞を嫌う人が幾人もいたが、私はこの新聞の味方をして止(や)まなかった。

当日の新聞記事27面には、「勇気ある下山」として、その下山に至るまでの事情が書かれている。
この27面の記事にも面白く感じないことが「多(お)う多(お)う」にあった。
「本多勝一」の画像検索結果
30年ほど前に、私は、朝日新聞の編集委員だった本多勝一氏に惚(ほ)の字だった時期がある。

この後の文章では、本多勝一氏のことを本多氏とします。
ここで本多氏の「冒険と日本人」のなかの文章を思い出した。
この稿の最後に、堀江謙一氏のことは最も尊敬する海洋冒険家の一人であった。
石原慎太郎(元東京都知事)は、堀江謙一氏の単独無寄航世界一周(1974年)という偉業を完全否定した。
小型ヨットであの日数では不可能だと言い切った。
不人気だと言え、東京都知事の現役だった。
どこかの島影に隠れていて頃合をみて姿を現した、というような表現をしていた。
本多氏はこのことを捉えて石原批判を繰り返した。
この石原慎太郎という人は、俺こそ立派な冒険家で挑戦家だと、堂々と名乗っていた。
こんな事って、ありか?
誰もが直ぐに救難に参加できそうな海域で、航海することだって、立派な挑戦家だと言い張った。

冒険とか挑戦とか、誰もが思いつかないことを、やろうとする、その野心こそ世間は待っているのではないか。
ここで、冒険と挑戦の違いなどを討論する心算ではないが?
プロスキーヤーでもプロ山岳家でもいいが、そこまで名を立てたいならば、ちょっとは自分のやられていることを一、二、考えられたらどうか?

電話口コメントで、三浦氏は「自分ではまだまだ行けるつもりでいたが、大城先生の判断に従い、今回の遠征は自分としてはここで終わる。
僕自身、大丈夫だと、頂上まで行けるという自信はありましたけれど、やはり周りでみての状況、特に大城先生の判断ということで、それに従うということにしました」と。
この2日間の様子を見ていた三浦氏の次男=豪太氏も「この標高での生活がかなり肉体的、そして精神的に厳しいとみました」と語った。

こんな処で、本多氏の考えまで差し出してしまったが、今回の三浦氏の「挑戦」を報道される度に、又、上の三浦氏のコメントを聞いても、納得できない。
本多氏がイメージしていた冒険・挑戦とは随分違うと思った。

こんな本多氏だって、立派な朝日新聞の編集委員だったではないか。

私の頭は”本多・アタマ”になってしまったからか、世間さまとは多少思い違いや考え違いがあるかもしれない。
異論をお持ちの方は、今後の「挑戦」のために私も勉強したい。
思いを深めたいので、遠慮なくお便りください。

まさか? 朝日新聞がこの三浦事件に記者を同行させていることは紙面から知っているが、何ゆえに、朝日新聞がそのようなことをするの?

いつまでも朝日新聞を愛したい、たった一人の購読者に過ぎない私です。



★朝日新聞の1面記事を転載させてもらった。
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登頂断念 86歳三浦さん「挑戦続けたい」

三浦雄一郎さん(左)と次男豪太さん=15日、午前、アルゼンチン・アコンカグア、金子元希撮影


南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降を目指していたプロスキーヤー三浦雄一郎さん(86)が、登頂を断念し、下山した。
三浦さんの事務所が21日未明、発表した。
三浦さんの体調から、同行する医師がこれ以上標高の高いところに行くのは難しいと判断した。

三浦さんは現地時間の21日朝、下山後に滞在しているアルゼンチン・メンドサ市内のホテルで朝日新聞の取材に応じ、「これ以上は事故の可能性が大きいと説得されて、あきらめた。残念です。今までの応援をしみじみと感じた」と話した。

三浦さんは18日に標高約6千メートルのプラサ・コレラに入り、20日まで滞在していた。
断念後、20日夜にメンドサに到着した。
遠征隊の副隊長で次男の豪太さん(49)ら隊の4人は引き続き山頂を目指して、21日、登頂を果たした。

同行していたチームドクターの大城和恵さん(51)によると、三浦さんはプラサ・コレラに着いてから、持病の不整脈が出始めた。
これ以上高い標高での登山活動は心不全をおこす危険があると大城さんが判断したという。

ただ、三浦さんは前を向く。
「6千メートルまで登ってみて、鍛え直せば、不可能に近い夢である90歳でエベレストに登れるのでは、という感覚になった。さらにチャレンジを続けたい」と話した。

(金子元希)