2018年12月25日火曜日

さようなら 銀河鉄道




今日(20181223)は14:00からの「さようなら 銀河鉄道」を観に行って来た。
今までの「銀河鉄道の夜」に「さようなら」がついて、正式の演題は「さようなら 銀河鉄道」になった。
よくぞ付き合っていただいた! 東京演劇アンサンブル殿。

芝居小屋の改札口を入場すると、何はともあれ、代表の入江洋祐氏、共同代表の志賀澤子さんに挨拶した。
師走にあること、今日は劇団ご自慢の「銀河鉄道の夜」の上演、そしてブレヒトの芝居小屋の今後のことに就いてのお伺いもあって、代表らとは目を見入って話した。
何よりも「銀河鉄道の夜」を、私の脳波にガツ~ンと大量の知血を巡らさせてくれたことに、感謝。

作=宮沢賢治
脚本・演出=広渡常敏
音楽=林光
ブレヒトの芝居小屋=西武新宿線、武蔵関駅より歩いて10分
全席自由/当日4500円/前売一般3800円 
前売学生3000円
開場/12:30  開演/14:00


劇団のお陰で、これまでどれだけ愉しませてもらったことか、代表の入江さん、感謝しています。
代表の息子さんの龍太君にも感謝している。
私は長女と長女の子供(小2・女)と一緒に行った。
我が家に同居中の三女の子供は、未だ3歳なので、ちょっとお芝居を観るのは難しいだろうと考えて、200メート側に住んでいる長女と二人の娘を連れて行こうと考えた。
長女の二人の子どもは、姉が小6、妹が小2。
が、小6はお勉強があって無理、長女と小2だけを連れて行くことにした。
小2の観劇料は、ジジイの私が負担すると言って、その気にさせた。

予期しなかったが、入江さんの長女(ツム)と劇場でばったり会えた。
私が大学生だったころ、中学生だったり高校生だった。
大学を卒業後、東京演劇アンサンブルの劇団員になった。
その前からのお付き合いになるから、50年前後の付き合いになる。
この劇団とも仲の良かった脚本家の牛島さんの家で、ツムに始めて会った。
そういうことで、私と牛島さん、ツムとツムのお父さんである入江さんと劇団が、一串のダンゴ虫になってしまった。

飯尾昌克家族(奥さんのトンガさん、次女と三女、次女の夫)とは、偶然、西武新宿線・武蔵関駅で合流した。
昌克とは短期間だったけれど、同じ大学のサッカー部で練習した仲だ。
何がどうなって、どうしたのか、二人の仲はいつまでも睦まじいものになった。
昌克は、私に簡単に逃れられない支障が発生した時などには、必ず傍に来てくれた。

昌克とツムとも長い付き合いになったが、会えば、流石に嬉しいものだ。

これからも何度か、劇団に来させて貰うと思うが、今日のお芝居「銀河鉄道の夜」が、私と劇団の縁を作ってくれたようなものだ。
その時のジョバンニ役の入江さんの長女(ツム)も、縁結びの別格のもう一人だった。
座席ではツムと学生時代から今に至るまでのことを、アッチ行ったりコッチ行ったりしながら、話をした。
彼女は、元この劇団のスタッフだったせいか、何か物思いなところを端々見せながら、芝居のことも話してくれた。

この劇団がやるお芝居の題名に「さようなら」が付くだけで、何故こんなに私の心はセンチメンタルに揺らぐのか。
劇団と付き合い出して、40年以上経っただけで、頭の芯にブレヒト菌でもほじくられたのか。
怪我の後遺症なのだろうか? こんな心情に陥るのは、やっぱり可笑しくなりだしているのだろう。

お芝居の内容については、下記に転載させてもらったものを読んでいただければ、大体は解かってもらえるだろうから、触れていない。


★パンフレットより。
ケンタウルス祭の夜、ジョバンニは不思議な旅をする。
宮沢賢治の幻想四次元の空間へ、ジョバンニとともにぼくらは旅立つ。
銀河の夜の空をはしる軽便鉄道の彼方に、人間の愛の愛が、歴史の歴史が、
そして生命の生命が燃えているかもしれない。
現実世界は銀河の夜の彼方に広がる世界の世界の影らしいのだが・・・・・・
語り手 奈須弘子
ジョバンニ 山﨑智子
カンパネルラ 冨山小枝
車掌 浅井純彦
ザネリ 永濱渉
灯台守 川邊史也(劇団銅鑼)
赤ひげ 竹口範顕
尼僧/母 上條珠理
青年 篠原祐哉
男の子 藤廣果歩(イッツフォーリーズ)
女の子 重田めぐみ(イッツフォーリーズ)
サソリ 洪美玉
信号手 大橋隆一朗
影たち 雨宮大夢
 
スライド 三木元太
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2018 12/22(土)
19:00~
ブレヒトの芝居小屋

no,126
 a letter From the Ensemble(2018 1030)

「さようなら 銀河鉄道」




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★さようなら 銀河鉄道
入江洋佑(劇団代表)

1982年、宮澤賢治作『銀河鉄道の夜』初演から毎年年末クリスマス公演と名付けて36年間連続上演してきた武蔵関「ブレヒトの芝居小屋」の『銀河鉄道の夜』が、今年でついに終わることになってしまいました。
タイトルの「さようなら」はその想いです。
「さとうなら」とは「そうならねばならぬなら」という辛い別れの現在形だそうです。

もうご存知の方が多いと思いますが、地主さんの諸々の事情によってこの東京演劇アンサアンブルの「ブレヒトの芝居小屋」は来年3月の『クラカチット』を打ち止めにして閉じなければならないです。
勿論『銀河鉄道の夜』はアンサンブルの大切なレパートリーですから芝居はまだまだ、劇中のせりふのように「どこまでも、どこまでも」続けていくのですが。

「さようならブレヒトの芝居小屋」でもあるのです。

そして次なる新しい空間を決めるのも大変なことです。
そのための各委員会はもう動きだしているし、データも集め始めています。
でもその費用として皆様に「劇団移転・応援基金のお願い」をお知らせしている次第なのです。
よろしくご高配ください。

芝居は舞台上における俳優の精神行為なのだと僕は考えています。
俳優が舞台上で気を抜くことなど、どんなコンデションの時でも絶対にありません。
でも、ひとつうまくいかなかったなあという実感の日も事実あります。
俳優にとって公演は連続でもお客様はその日一回の出逢ひなのです。
でも今年の五回の最後の芝居はアンサンブル全員にとって、まして出演しているメンバーには特別ななにかが芝居の空間で閃くとぼくは思います。その一回限りの芝居に是非立ち会っていただきたいとお願いします。

『銀河鉄道の夜』は生きていく中で「ほんとうの幸いはいったい何だろう」を問いかける芝居だと思います。
その生きているジョバンニの問いに死者でありいまや天上に旅立つカンパネルラは答えず、空の孔石炭袋の闇を指して消え去ります。
その真っ暗などおんとした闇を責めてジョバンニは心の中で叫びます。
「あの闇の中にほんとうの幸いがつまっているかも知れないんだ」
そうかも知れないのです。
かも知れなのです。
宮澤賢治が妹とし子が亡くなった時、死というものを、そしてその死の自分に対する問いかけを考え続け、その闇の中から何かが見つかるかも知れない。
何かが生まれてくるかも知れない、かも知れないと考え続ける修羅が『銀河鉄道の夜』を生み出したのでしょう。

いま、ぼくたちの周りの世界は真っ暗闇です。
でも人間である以上何かが変わるかも知れないと仕事をつづけていきましょう。
変るかも知れないのです。






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★東京演劇アンサンブル版
『銀河鉄道の夜』の魅力
池田逸子(音楽評論家)



「’82 都民芸術フェスティバル/東京アンサンブル/76銀河鉄道の夜/1982年2月9日→22日/朝日生命ホール」と記された大判のプログラムが、いまも手元にある。
音楽=林光の名にひかれて、初日公演を観た私は、当時、発行していた手書きの同人誌に感想を書いた。
「音楽劇と呼んでもいいくらいに、全編、音楽が流れる。‐--『銀河の底でうたわれた愛の歌』は、ほんものの沖縄民謡かと錯覚させられるほどで、美しい。
『サウザンクロスの彼方で聞えた父が息子にあたえる歌』は――――心にしみるソングと。
以来、ブレヒトの芝居小屋で上演され続けて、ことしで36年目になる。

東京演劇アンサンブル版『銀河鉄道の夜』の魅力、それは何はともあれ広渡常敏の脚本と演出の素晴らしさであろう。
原作を大胆に整理し、語り手を登場させて、光と影、音楽を巧みに用いる演出が、異次元を行き来する幻想物語を可視化、可聴化した。

この広渡演出を支え、補強しているのが林光の音楽(広渡作詞の9曲のソング)である。
それらは時にの物語を中断して観客(あるいは演者たち自身)に問いかけ、語りかけつつ、メリハリをつけて場面を切り拓いてゆく。
音楽はこの劇の胆と言ってもよいだろう。

林光は少年時代から宮澤賢治に親しみ、”ケンジニア”を自称していたほどだが、82年当時はまだほとんど賢治ものの作曲に手を染めていない。
70年代に賢治詩をテキストにした歌曲(室内楽曲)を書き、1981年にオーケストラのための童話『セロ弾きのゴーシュ』を作曲したが、その『ゴーシュ』のオペラ化までにはさらに5年を要した。

『銀河鉄道の夜』の音楽はこのような歩みの中で書かれたのだが、賢治のオリジナル詩ではない分、緊張(?)せず、かえって愉しんで作曲したのではないか。
「歴史の歴史のうた」なんて、ぜったいに面白がって書いたにちがいない。
そのほか、林光の独自な作曲語法となる沖縄旋法による「銀河の底でうたわれた愛の歌」、クルト・ヴァイル風なリズムを伴奏に用いた「傾く銀河のうた」、舟歌のリズムに乗せて林光的抒情をたたえた「サザンクロズの彼方できこえた父が息子にあたえる歌」等々。

東京演劇アンサンブル版『銀河鉄道の夜』がいつまでも魅力を失わず、多くの観客に愉しまれているのは、広渡常敏や林光が劇に込めた提案や仕掛けを、役者やスタッフが、毎回、総力で舞台化しているからだと思う。

タリ(広渡常敏)さんもヒカル〈林 光)さんも銀河鉄道に乗って旅立ってしまったけれど、サダンクロスの彼方の銀河の底でケンジ〈宮沢賢治)さんとめぐり逢って、世界の世界、歴史の歴史、愛の愛などについて語らっているのだろうか。
私もこの暮は、移転間近な芝居小屋に出かけて、また幻想四次元の銀河の空を旅することにしよう。



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★脚本・演出家の広渡常敏さんが、1974年11月1日に書いた文章があったので、ここに転載させていただいた。

「プリオシン海岸の化石  -星のない夜に」
秋が深まった。
すだく虫の声にさそわれて、深夜戸外に出て星を仰ぐ。

降るような満天の星といいたいところだが、東京の空は濁っていて目を凝らして一分間は見あげていないと、星は見えてこない。
見えてきても三等星か四等星ぐらいの明るさでしかないのでほとんど見えないのだ。

東京の小学生はこのごろでは夜空を描いても星を書きこまないといって、先生をやっている友人を嘆く。

今年の夏、出雲の日御崎で眺めたものすごいばかりの星空の印鑑をたぐりながら、ぼくは高円寺の灰色の夜空を仰いでいる。

一昨年の十月八日、ぼくは徳島にいた。
真夜中に宿の下駄つっかけて外に出た。
あいにく雲がたれこめていて、なにも見えなかったのだが、雲のうえでは流星雨が地球めがけて降り注いでいるはずであった。

まだ開いている赤提灯などがあって、道端に躊っているぼくを通りかかった人は酔っ払いと間違えて声をかけた。

だがあの時、ぼくの網膜にはおびただしい流星群が降っていた。
それはこどもの時分に、玄界灘の海辺で眺めた流れ星のようでもあったし、またカリブ海のバルバドスあたりで見た小石のような星のようでもあった。

ケンタウルス、つゆをふらせ!
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のなかの声がきこえてくる。

そして星を想うとき、いつも浮ぶのは”プリオシン海岸の化石”の話である。

灼きたての鋼(はがね)のような夜の空にすっくりと、軽便鉄道にのって行くと、まもなくぼくたちはプリオシンの海岸につく。
車窓から化石を掘っている男たちが見える。

あれはなんの化石だ。

地上で人知れず流された、涙の化石かもしれない。
もしかしたらそっと掃きだされたタメ息の化石かもしれない。
果たされなかった約束だの、破られた希望だの、踏みにじられたこどもの心だの、人々の嘆きやのろい、悲しみやあきらめ、打ちのめされた心の化石かもしれない。

賢治はこの地上で実現されなかったもの、人間の歴史に記述されることのない、忘れられたものを、プリオシンの海岸に化石させようとした。

ぼくたちは銀河鉄道でそこに運ばれて、歴史をディングする男たちと共に化石を掘り起こし、化石を掌(たなごころ)にのせて耳を近づけるならば、いろんな音や声をききとることができるのである。
宇宙の海岸で化石のうたが聞こえてくるのである。

ぼくらが芝居をするということの意味も、考えてみると賢治の”プリオシンの化石”を掘ることなのではないだろうか。

「ジョー・ヒル」そして「かもめ」など、すくなくともぼくらはそんなつもりで仕事にとりかかったと思う。
『第三帝国の恐怖と真実』(ブレヒト)だって、それから『オットーと呼ばれる日本人』だって、ぼくらはプリオシンの化石のうたを聞きとるような気持ちで、稽古をするのだ。

プリオシンはぼくらの想像力が寄せては返す海辺なのである。