2018年12月1日土曜日

この「朝」の気分好(よ)さ!!

先日、インフルエンザ予防接種をした病院で、いただいた本のなかに「朝」のことが書いてあった。
その本の著作者は京都で有名なお寺の貫主さんだった。
「日本の漢字文化に目覚める」だ。
この文章は下の方に、本に書かれたままに転載させていただいた。

朝のことが此の頃、凄(すご)く気になっていた。
それは、この数年間において腰痛の痛みから解放されて、日々の生活が快活になっているからだろう。
正確には腰痛の痛みが全くゼロまでにはなっていないが、多少なりの痛みはあることはあるが、痛さは極めて弱くなっている。
そんなことが、裏自信になっているのだろうか。

朝、目が覚めて、寝間着から出勤用の服に着替えて、義母にご飯を出し、私もそれから朝ご飯に入る。
そのとき、何か不思議な気?が、私とご膳の前に迫り来る。
その朝ご飯の一つ一つのメニューを前に、気分が頗(すこぶ)る好いのです。
このメニューの一つ一つが、何を私に示しているのだろうか。
家の外が雨天であろうが、晴れていようが、曇っていても、朝ご飯を前にして神経が澄み、一日のやる気が湧くのです。
この気分は何なのだろう?と朝ご飯を前にして思う。

夕ご飯、晩飯はどうなんだと思われるかもしれないが、晩飯の時は、気分ではなく、もう少し不思議さが込み入った雰囲気? 
この頃の私の仕事の量は、決して皆に喜ばれるほどのこともない。
会社に対する貢献度は、情けないほど少ない。
晩飯気分は、変なモノではなく持続的で躍動感か充実感が漲(みなぎ)る情趣?か情調?と言えば、判ってもらえるだろう。
私は幸せ!なんだ、ろう!!

この朝ご飯にしても晩ご飯にしても、義母へのベッドへの配達は私がやっている。
膳をベッドの側に置いた時に、何かを話す。
外の天気模様やら、ご飯の一つ一つのメニューについて、私のそれなりの感想を述べることにしている。
それらのささやかな会話でも、義母には微笑みが見られ、高齢で体はなかなか言うことを聞いてはくれないが、なんとか頑張ってもらいたい。

★お寺の貫主さんの書いた文章より。
私はこのところ皆さんに繰り返し言っている事柄があります。
「朝、起きた時は感動しないといけない」ということです。
「朝」という漢字は「十月十日(とつきとおか)」と書きます。
お母さんの胎内に十月十日宿って、そして生まれてきた時が「朝」です。
私たちは毎朝、生まれ変わっているのです。
皆さんは子供や孫が産まれた時は大喜びし感動しています。
ところが、自分が毎朝、起きて生まれ変わっているのに、どうして感動しないのでしょうか。
慣れているからです。
「朝、目が覚めるのは当たり前や。決まっている」。
本当にそうでしょうか、夕べ寝て、今朝目が覚めるかどうか、誰にも保証はできません。皆さん、明日の朝は気を付けないといけません。
ですから、私は毎朝、「ああ、目が覚めたなあ」と感動しているのです。




嗚呼(ああ)、そうなんだと納得していたら、下のような文章も知ってしまった。


★ID非公開さん
2004/9/1923:22:35
全然関係ないです。

「朝」は、「幹」+「舟」で、太陽がぬけ出るようにのぼる時の意。です。

「幹」は、旗が高く上がるように日が昇るの意。
「舟」は、本当は「月」に似た字で、音を表す記号+抜け出るの意。

「朝」「幹」に共通の左部分は、「日が昇る」様子を表しています。

このように意味を表すパーツと音を表すパーツを組み合わせて作られた
漢字を「形声」「諧声」と言います。漢字の9割がこの「形声」です。
4344531さんの「親」も「形声」で、左側は「シン」という音を表す記号で、
元を辿れば「辛」、「新」の左側です。 
(立+木ではないけど、「いつも見ている」→「おや・したしい」の意です) 

「躾」は、国字=日本で漢字を真似て作られた文字で、こちらは仰る通り
身の立ち居振る舞いを美しくする意。
このように、意味のある漢字の組み合わせで作られた文字を「会意」と
言います。 国字には、この会意で作られたものが沢山あります。