その①は、ベトナムのフランスからの独立運動家=ファン・ボイ・チャウを支援した日本の医師=浅羽佐紀太郎の話だ。
私の中学生時代は、ベトナムの沼地に米軍の爆撃機から霰(あられ)のように爆弾を降下させる新聞の記事を見て、何と儚い夢の無いことを、いつまでも続けていることが、私の良心の芽をつむった。
子どもの心は繊細だった。
そんなベトナムでの戦争の内容を少しでも見聞きするだけで、アメリカ嫌いになり、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)たちを応援したくなった。
沖縄からも何百、何千の戦闘爆撃機がベトナムに向かって発射した。
ベトナム民主共和国の初代首席になったホー・チ・ミンさんのことも、尊敬の人となった。
かってサイゴンと言われていた市名は、ホーチミン市に変わった。
その②
大学受験に失敗、その浪人中のこと、何かの拍子で村山槐多の木炭画を観た。
作品のことは兎も角、作者の名前の「槐多」を「かいた」とは読めなかった。
その時の衝撃を、この新聞記事を観た瞬間思い出した。
決して技巧的ではないが、その特徴的な筆さばきに、私の胸の辛抱は50年前の私に戻ってしまった。
荒々しいが、でも筆致は心優しいものだ。
その③
宇宙のことには、なんでもかんでもニュースらしいものには興味がある。
難しいことは何も解らないが、ただ、興味を持っているだけだ。
アメリカ航空宇宙局(NASA)だけではなく、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)らが、発表するものには、気を使っている。
中学生の頃、太陽系の惑星の位置を、「水金地火木土天海冥」ー「すいきんちかもくどってんかいめい」と覚えた。
ちょっと気になることをテレビの報道番組で知った。
火星には、少しの大気と水があるらしいとこことだった。
今年の20180701に朝日新聞の記事をそのまま転載させてもらって、我がブログの記事にした。
「はやぶさ2 リュウグウに到着」だ。
探査機「はやぶさ2」が地球から約3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」に到着した。
今後1年半滞在し、3回着陸して生命の元となる有機物が含まれていると思われる小惑星の砂の採取に挑む。
地球に戻ってくるのは2020年の予定。
東京オリンピックが行われる年でもある、楽しみだ。
この程度の知識しかない、恥かしい限りだ。
■新聞記事をそのまま転載させていただいたので、それを読んでいただければ私の気持ちまで理解してもらえると思考した。
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★その①
日本とベトナムの交流
両陛下が思いをはせて
独立運動支援した浅羽医師の碑 訪問へ
天皇、皇后両陛下が27日、私的旅行で静岡県に入った。
午後に袋井市梅山を訪れ、ベトナムの独立運動指導者ファン・ボイ・チャウの活動を支援した医師浅羽佐喜太郎(あさば・さきたろう)の石碑を視察する予定だ。
今年は碑建立100周年の節目。
地元は盛り上がりをみせている。
袋井市梅山の常林寺。
境内に高さ約2,3メートルの碑が立つ。
100年前、フランスからの独立を目指して日本へ留学生を送る「東遊(どんずー)運動」を展開したチャウが、日本滞在中に世話になった佐喜太郎への追慕と、ベトナム独立への願いを込めて地元の人々と協力して建てたものだ。
両陛下は昨年のベトナム訪問でチャウの記念館を訪れており、佐喜太郎とチャウの交流に感銘を受け、今回の視察も両陛下の意向で実現した。
佐喜太郎がチャウを支援したことは、当時フランスと友好関係にあった日本の意向に反するものだった。
そのため子孫らは長い間積極的に語らず、功績が広く知られることはなかった。
「埋もれた歴史に光を当てて下さり、佐喜太郎も喜んでいるのでは」と中村真典住職(54)は話す。
住職となった約20年前は、碑の周囲も手入れが行き届いておらず、地元でもあまり知られていなかったという。
2001年ごろ、ベトナム人留学生が卒論で取り上げるため訪れたことをきっかけにベトナムと地元の人々との交流が始まり、03年にはチャウの孫やベトナム大使館幹部も出席して建立85周年記念式が開かれた。
その後市民の有志が「浅羽ベトナム会」をつくり、ドキュメンタリーの上映会などで交流を深めた。
12年には袋井商工会議所などを中心に市民訪問団を結成、現地の工業団地などを視察した。
人手不足の市内の企業はベトナム人技術者を受け入れ、日本語学校に通うベトナム人も増えた。
13年には佐喜太郎とチャウの絆を描いた両国共同製作のドラマも放映された。
両陛下は今年7月に常林寺を訪れる予定だったが、西日本豪雨で取りやめに。
それだけに地元の人々の期待も高まる。
原田英之市長は「佐喜太郎の存在、物語を多くの人に知ってもらうこの上ない機会」と期待する。
浅羽ベトナム会の安間幸甫代表(74)も「日越関係や両国の歴史を深く知るきっかけになればいい」と話す。
中村住職は「佐喜太郎の功績がさらに認められ、身内の方も肩の荷が下りるのでは。両国の新たなつながりの場になってくれれば」と話している。
(長谷川智 多田晃子)
★ネットの内容をそのまま転載させてもらった。