★下の文章も、ネットからいただいたものです。
悠木千帆の名を競売に出したことがある。
東京・青山のブテイックの店主が落札し、その落札価額はチャリティーとして寄付した。
落札した旧名は、この店主から無償で2004年に女優の2代目悠木千帆に譲渡された。
樹木希林の名前のいわれは、「樹や木が集まり希(まれ)な林をつくること=みんなが集まり何かを生み育てる」ということを連想し、自ら樹木希林に決めた。
★天声人語
亡くなってはや3ヶ月、樹木希林さんの出演した映画を立て続けに見ている。
「あん」「わが母の記」「日日是好日」。
どれも老境をさりげなく演じて、余韻が深い。
お目にかかったことはないけれど、取材依頼の返事を電話でいただいたことがある。
「マネージャーもメイクさんもいないのよ。取材応対も私ひとり」「ご存じかもしれないけれど、私もう全身病気だから」。
「老いや病気にブレーキをかけたいとは考えない」「病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はない」。
日ごろ心がけたのは、身の回りの始末である。
毎朝、ひとしきり掃除をする。
服はボロボロになるまで着る。
「長くがんと付き合っていると、『いつかは死ぬ』じゃなくて、『いつでも死ぬ』という感覚なんです」。
言葉は人々の胸にじんわりと染みこんだ。
この秋、本紙の「ひととき」欄に投書が載った。
「胃ろうなど延命治療は受けたくない」。
遠慮があって長く言えずにきた本心を、樹木さんの訃報に接して息子に伝えることができたという。
79歳の女性だった。
ともすれば長く生きることのみを是とする思考に陥りがちだが、人生に潮が満ちる年代ともなれば、病を隠さず、老いにあらがわず、死から目を背けない。
樹林さんにならい、「自分の人生を使い切りたい」と願うのみである。