2011年9月28日水曜日

宮間あや

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20110717(日本時間は18日) サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝戦は、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング4位の日本は2-2からのPK戦で、同1位のアメリカを3-1で振り切り、初優勝をした。

6度目の出場で初めて決勝に進んだ日本は、1点を追う後半36分、宮間(岡山湯郷)のゴールで追いつき、1-2の後半12分に主将の沢(INAC)が左CKから同点にした。右足アウトサイドのミラクルシュートだ。PK戦では、GK海堀(INAC)が、1、3人目を止めた。沢は5ゴールで得点王になり、また最優秀選手に選ばれた。選手一人ひとりをここでは限りがあって批評しきれない、スマン、ただ一言、素晴らしかった。サッカーをこよなく愛する私は大いに感動させてもらったことに、感謝している。

これからなんだ、感動の第二幕が始まったのは。このことを書き留めておかないと、私の人生は前に進まない。

日本チームが歓喜に酔いしれている、少し離れた所で、悔しさに打ちひしがれたアメリカチームの輪の中に、日本の宮間の姿が見えた。私は、がつ~んとやられた。

その前後の宮間の行動をカメラはちゃんととらえていた。その場面をYouTubeで繰り返し観た。

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宮間は同点シュートを決めた、これで1-1。

両国の選手は固唾を飲んでPK戦のキッカーとボール、キーパーを、祈るようににらみつけていた。

そして、日本の優勝が決まった。その瞬間、日本チームはピッチにいた者と、ベンチにいた者が、勝利の喜びで夢中に駆け出し、誰彼となく抱き合って喜んだ。寝っ転がって抱き合った。歓喜の坩堝(るつぼ)だ。満員の観客席は総立ちになって、両者の健闘を祝った。

その時、宮間は日本チームの歓喜の渦に入ることなく、一人だけ逆方向に微笑みかけ、静かに、静かにアメリカチームに近づいた。アメリカチームを気遣い、声を掛けに行った。アメリカチームの面々と肩を抱き合った。私には、アメリカにも友人が多いのだから、と言っていた。

この時、世界最強のキーパーと言われるホープ・ソロは、宮間に「アヤ、日本は初めてワールドカップで優勝したんだから、私たちのことはいいんだよ、、、、喜んでいいんだよ、、、、、お願いだから、、、、、」と言って、二人は抱き合った。この時の写真が、FIFAの公式サイトで世界で最も多く見られたそうだ。

かって、宮間とアメリカの女子のプロチーム=セントルイス・アスレティカでチームメイトでもあったソロは、このときの事を、「試合後、彼女が歩み寄ってきた時、彼女は喜びをあらわにしていなかった。彼女は、アメリカに敬意を表したかったのでしょう。なぜなら、私たちが負けて、どれほど傷ついたかわかっていたから。その出来事は、本当に日本が尊敬すべき国だということを表しています」と述べている。

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決勝戦の写真ではない。宮間と沢の感激のシーン。

私には、昔からサッカーの話を宴席などでする時、必ず話すフレーズがある。ペレーが言ったのか、誰が言ったのか、定かではない。もしかして、私自身が経験的に身につけた言葉かもしれないが、「サッカーは素晴らしい、でも友情はもっと素晴らしい」というフレーズだ。

私の人生がそうだったように、宮間の行動はまさしくそのフレーズ通りだった。感動をありがとう。

2011年9月26日月曜日

先生は、学校の先生だけ

私は、小学校から大学まで、担任の先生からクラブ担当の先生まで、いい先生に恵まれてきた。友人らにその話をすると、ヤマオカは稀有な奴だよ、そんなにいい先生に恵まれた奴なんて、そうはいないよ、と膠(にべ)もない。

だから、私の場合は、学校の先生に敬意を込めて先生っと胸を張って呼べる。でも、確かに、いい先生ばかりではない。ハレンチな先生、教育に不熱心な先生、法を犯した先生が停職や退職を命じられ、マスコミを賑わせることもしょっちゅうだ。そんな先生でも、教職についている時は先生と呼ばれる。

国会議員や県会や市会の議員、また作家、映画監督、弁護士、右翼の親分や部落解放団体の役員まで、何故か先生、と呼ばれている。

テレビの国会中継で、国会議員同士が、▲先生、いかがお考えですか、それでは●先生の質問に答えさせてもらいます、なんて、名前を呼ぶ度に、先生、先生とうるさい。この光景を、昔から可笑(おか)しい、怪態(関西弁で、ケッタイ)や、関東風に気どって言えば、滑稽だ?と思っていた。

このように以前から、学校の先生以外にも先生という呼称を使われてきた。

最近、先生呼称問題で、可笑しいと思っている一つがこれだ。

昼間、11:30から13:00のニ・□・■・ン放送で、高▲文▲という放送作家が、女性アナウンサーや、日替わりで出演するタレントと、クイズや時の話題を面白おかしく話す番組の中でのことだ。番組名は「高▲文▲のラジオビバリー昼ズ」だ。

その番組で、女性や日替わりタレントが、この高▲文▲氏に話しかける度に、高▲先生、高▲先生と呼ぶのを聞くと、私は無性に不快感を覚える。これって私だけなのだろうか。放送作家は先生と、業界では呼ばれているようだ。

でも、高▲先生、ここでよく考えてみてくださいな。

放送作家ならば、ラジオの聴取者が、どんな気分で聞いているのか、それが分らないのですか、先生と呼ばれて気分を好くしている場合ではございませんぞ。聞き手の反応を誰よりも気にかけなくてはならない職業でしよう。この番組の構成から編成まで、先生?は参加されているのでしょう。

日常的に、打ち合わせなどで、先生と呼ぶのは、それはあなたたちの勝手だ。でも、公共の電波で流す場合は、先生、先生は避けるべきではないか、見苦しいぞ。

ディレクターもよく考えてくださいな。

2011年9月25日日曜日

日本酒をやめたぞ!

20110924、本日で拙者は63歳になりました。

1948(昭和23)年9月24日生まれ。干支(えと)は子(ね)。

学校を卒業して、安穏とサラリーマン人生を過ごす心算だった。ところが、学卒で入社した会社の都合、その会社を辞めて転職した会社の事情で、豈(あに)図らんや、独立することになってシモウタ。それからの30年、経済の荒波にもまれながらよく頑張ってきたと自画自賛している。マラソンランナーの有森裕子さんがゴール後、レースを振り返って、自分を褒めてやりたいと言ったけれど、私もこと仕事に関しては、充分褒めてやりたい。

でも、今、私は事業の矢表(やおもて)には立てない事情がある、が、中さんを先鋒(せんぽう)に、胎動はしっかり、再起のスタートが出来た。再三再四の復活。金融機関のバックアップは万全。スタッフ一同、気合が入っている。

学生時代は、サッカーの練習と読書と酒三昧だった。社会人になっても、夜は仕事の話ばかりの談笑と酒、酒、酒だった。自宅に帰っても、仕事と子どもの話以外は酒、酒、酒だった。今、この年になっても、量は減ったけれど、やはり酒は欠かせない。

そして、63歳の誕生日に、一切、断酒とはいかないけれど、日本酒だけは断とうと決意した。

日本酒こそ、私が一番好きな酒だった。

中学3年生の時、体育の吉岡先生に初めて日本酒を飲まされた。運動会の職員打ち上げの二次会で、職員室の天井がグルグル回った。特殊な?先生と中学生だったのだ。18歳の浪人時代に、ドカタ仕事で雇ってくれた李さんが、酒の嗜(たしな)みを教えてくれた。それから、ビールよりもウイスキーよりも、日本酒を好むようになった。

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   現在の黄桜

大学時代はサッカー部の部友と飲む時以外は、黄桜酒造の黄桜デラックスだった。ちょっと甘系だ。このデラックスは2級でも1級でもないデラックス級?で、金額は2級酒並みで酔いは特級だった。卓袱台(ちゃぶだい)の上には、鯖の水煮の缶詰と海老せん(ーべい)が必ずコップと並んでいた。

この日本酒の酔い心地こそが、私にさらなる一杯を誘い、それが、間違いなくもう一杯につながって、ヘベレケに酔うまで止められなくなる。日本酒を前にすると、気が急(せ)いて、盃を干すピッチが早まる。酔いにつれ、押し寄せる喜怒哀楽の揺れが大きく、激しく、その大津波に必ずと言っていいほど飲み込まれた。そんな危険な綱渡りを、夜な夜な、なんとか無事にやり過ごして参りました。

まるで、酒精の虜(とりこ)だ。

日本酒では、どうしても肴(さかな)が欲しくなって、その肴が酔いを加勢する。此の頃、自宅で飲んでもやはり度を越すことがあって、私の目の届くところには、日本酒を置かないようにした。老い始めた私の体は、翌朝、アルコールが抜けにくく、目が覚めても顔には赤味が残って、頭が重い。これが、不愉快なのだ。

それでは、これから何を飲んで酔うんですかって? そりゃ、日本酒は飲まなくても、アルコールは他にもあるでしょう。焼酎に泡盛り、ウイスキーにビールだ。

焼酎やウイスキーは、薄めて飲むことができる。私は、薄めたり、氷を入れたり、そのように時間をかけていると、何故か考えごとが生まれてきて、冷静さを維持できるのです。溺れることがない。つまみや肴にそれほど拘らなくて飲めるのも、有り難い。

そんなことで、20110924・63歳の誕生日に、日本酒を今後飲まないことを宣言する。

先日、友人と日本酒を飲みながら、そんな話をしていたら、その友人が、お前がそこまで言うならと、彼は「日本酒がわかる本」(三一書房 著者・蝶谷初男)を私にくれた。彼は、酒は飲まないんだが、日本酒全般の奥深さを知る本だよ、と言う。

その本を少し紐解いてみたら、オール日本酒の本で、第一部は米と水から酒ができるまでの醸造の詳しい工程、第二部は製造方法の異なった日本酒の種類の説明がぎっしり、私が日本酒に関して極めて狭い範囲内の知識しか持ち合わせていないことに、恥じ入った。

日本酒の、50年以上も続いた一級、二級等の級別制度は平成4年から全て廃止になった。それで、私の青春時代にこってりはまり込んだ、誇り高い二級酒という称号はなくなり、無冠になってしまった。

でも、その存在は、本醸造酒や普通酒として燦然と輝いている。このお酒をお燗して飲むのが一番。何故そこまでこのランクの酒に肩入れするのかと、他人(ひと)は不思議がるのだが、私にとっての日本酒といえば、このランクの酒が全てなのだ。このランクの酒に私は執着し、お返しに彼らは、私を保障するように付き合ってくれた。

それ以上の、純米酒、吟醸酒、大吟醸酒は、私の頭の中では日本酒のジャンルではない。この手の酒には余り興味が沸かなくて、ワインやスコッチウイスキー並みだ。

それは、生い立ちの環境、青春時代やオッサンになってからの価値観、そのような足取りから、幸か不幸か、このような趣向になってしまったのだろう。果てに、私は普通酒らの連帯保証人になってしまった。

その何とかダ・イ・ギ・ン・ジ・ョ・ウを飲めば、頂けば、それは美味しいと感じるのは当然のことだが、敢えて、冷やしてまでコップに注ごうとはしない、したくない。私には大吟醸っとかが、面映い。目の前では、まぶしくて見たくない。将来もずうっと、私は、この面映さからは逃れられないのだろう。この辺が、私の可笑しいところなのだ。

長らく、日本酒にはたっぷり酔わしていただきました。愛惜?哀惜のほうか。今まで何千斗、何万斗飲んだことだろう、痛く感謝しております。

今日20110925からは、日本酒は飲みません。

2011年9月24日土曜日

元気なオジサンがやってきた

先日、元気モンのオジサンの紹介で、横浜西区○△□の土地を買わしていただいた。

この土地は、間違いなく弊社の優良な商品になる。住宅用にも事業用にもなり得る土地で、商品化後は、様々な目的をもった購入希望者が現れることだろう。

今回は、この元気印二重丸のオジサンのことを書きたくなった。このオジサンの名前をこの稿では、失礼ながら縦でも横でもと思ったが、取り合えず横さん、ということにさせてもらった。

物件のインフラに多少問題はあるが、その程度の問題なら、何とか善処できると見込んで実行することにしたのは、物件の特徴もさることながら、何を隠そう、この情報を弊社に持ち込んでくれた横さんの意気によるのだ。横さん、日頃の元気ぶりに輪を掛けて、今回は一段と気合が入っていた。

この横さんは、わが社の若手のホープ・太と、何故か気が合うのだ。年齢差は40歳以上もあるだろうが、横さんは太を可愛がってくれている。横さんは、息子?ぐらいに思ってくれているのだろうか。今まではなかなか仕事が繋がらなかったが、やっとこの企画で仕事を果たすことができた。二人は、壁の向こうで、やっと、仕事が出来ましたねと苦笑しながら談笑しているのを聞いた。私は、二人のそんな会話で、十分心が解(ほぐ)れて幸せな気分になれた。

このオジサンは、私よりも5、6歳年上だろうが、元気なのだ。声が大きく張りがあって、身のこなしが実に機敏なのだ。私の会社に、頻繁に連絡くれるのだから、きっと他社にも随分営業をかけているのだろうと思われる。

2,3年程前に胃袋の全摘出をした。大手術だったことだろう。病気の詳しい内容は聞かされていないが、摘出しただけに重い病気だった筈だ。今の彼の挙動所作を見ている限り、心配の種はどっこにも見当たらない。完璧に健康体だ。でも、病巣のことを医師から告げられた時は、死を覚悟したとも言っていた。

このオジサン、仕事で横浜市内を走り回っているが、それがオートバイなのだ。どんなバイクなのか、仲間の話によると、原付自転車のようなちっちゃなバイクらしいが、その機動力たるや凄い。仕事上の移動は全てそのバイクで、横さんの出没は、あっちこっちで広範囲で見受けられる。横さんの東奔西走の活躍は病み上がり後加速を増し、千里の駒の如しだ。いや、これゃ、千里馬だ。千里馬は朝鮮の伝説の馬で、翼を持ち一日に千里を駆け巡るという。日本人はチョンリマと読むが、朝鮮語としての発音は「チョルリマ」が一般的らしい。

そんな横さんが、久しぶりに会った私に、ヤマオカさん、御社のホームページの「横浜一元気、、、」が気に入っているのですよ、共鳴しているんです、私もこの言葉のように頑張っています、と言った。

私、此の頃、元気がヘコムことがあったもので、横さんの言葉がまぶしかった。

2011年9月20日火曜日

パラダイムシフト

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20110910の朝日新聞・朝刊/金融情勢 、の記事を下に転載させていただいた。

弊社を設立の折、会社の創業の精神を追究し、会社の将来のイメージを描いた。楽しい日々だった。その時にずうっと捕らわれていたキーワードがパラダイムシフトだった。そういう訳で、社名を、パラダイムシフトを簡略して、住宅をメインに取り扱うのでハウスを付けて、パラディスハウスにしたのだ。

創立後、業務に関して、何かにつけて常に「パラダイムシフト」を意識している。

このパラダイムシフトを題名にした経済記事を新聞に見つけた。記事の内容は車に関することだが、我々も、業種は違えども、発想はこうでなくちゃ、と思ったので、興味深く読んだ。読んだら、書き写して残したくなるのが、私の習癖。

鳥渡(ちょっと)一息、脱線させてくださいな。

先日、横浜の馬車道を歩いていて、店のショーウインドーに、[PARADIS]と書かれているのを見つけた。店の中にはバッグやネクタイなどのブランド品らしき品物が整然と並べられていた。私には縁のない品々だ。咄嗟にわが社の社名と似ている、と気づいてしばしその場に佇(たたず)んだ。そのまま通り過ぎるわけにはいかない。店に入って、自分の名刺を差し出し、私の会社の社名がPARADI.Sであることを告げて、このウインドーに書かれているのは社名なんですか、と尋ねた。社名だとしたら、命名した動機や根拠を聞いてみたかった。

店長さんか社長さんか、英語ではPARADISE(パラダイス)をフランス語では、PARADIS(パラデイス)というらしいのですよ、と返ってきた。なあ~んだ、がっかりした。店長にとっては、余り愉快な話でもないわけで、これ以上の会話は生まれなかった。誰か、フランス語でPARADISは、どのように発音するのですか、教えてくださいな。私の周辺には、英語の達人はいても、フランス語を理解できる人がいないのだ。

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経済気象台

パラダイムシフト

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100年に一度の不況、千年に一度の大災害を受けた日本の製造業は、常識を見直し、成長戦略を再構築する機会を得た。

その好例を商用車ブームに沸くインドネシアで聞いた。2・4億人のこの大国で、小口物流用トラック需要も拡大している。

だが、インドネシアでは道路網の整備が遅れている。鉱山や農園地帯の道路は舗装されておらず、道幅も狭い。その悪路を石炭やパームヤシを満載したトラックが息つく暇なく走りまわる。

常識では考えられない使われ方も横行している。日本の規格で2トン積みのトラックに5トン以上積むのは当たり前。10トン積んで走行する場合もある。10トン積みに30トン以上の鉱物資源を積載するのも当たり前だ。

その状態で悪路を走行するとどうなるか。常識では、規格外の使い方はダメ。トラックが壊れた責任は使用者にあるとしてきた。しかし、「非常識」な使われ方が当たり前の国では、積載量に耐える荷台、サスペンションを備えたトラックへの改造が進んだ。独特の使用方法に合わせて修理体制を整備することが競争の焦点になった。

関係者はこれまでの常識が新しいビジネスチャンスの獲得を妨害してきたと反省する。市場が基準を作るのであって、先進国の基準は役に立たない。

従来の考え方が劇的に変わることをパラダイムシフトという。経済発展とともに需要構造は変化する。市場が求める製品を供給する製造業の役割も変わらない。常識に捕らわれた考え方こそパラダイムシフトすべきで、素直な市場変化への対応が問われる。

ムラサキツユクサの花

毎朝の散歩の楽しみの一つは、路傍の野花を摘むことだ。今朝はムラサキツユクサの花を摘んで机の上の花瓶に挿した。

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一年のうち早春の候は百花繚乱、野草から畑の作物まで、色んな花が咲き出し、寒い冬を越えてきた気楽さもあって、散歩は格別に楽しい。そして夏が過ぎ、今、昼間の気温こそ真夏並みだけれど、朝夕には秋が忍び寄る。朝の明けるのが少し遅くなった。私が今住んでいる泉区弥生台の家の周りには、1ヶ月前まではユリの花があっちこっちに咲いていた。神奈川県の県花だ。当然、失敬して、私の机の上にも咲いていた。でも、昨日までは、韮(ニラ)の花だった。相模鉄道が都市開発を手がけるまでは、この周辺はユリの群生があったのだろう。

だが、今の時季、路傍や畑に花が少ない。私の机の花瓶に、常に何らかの花を挿して楽しんでいるが、この2ヶ月は寂しい限りだ。そりゃ、花屋さんに行けば、満足以上の花が手に入るのでしょうが、田舎育ちの私はそんな下種(げす)なことはできない。外国からの輸入物などには、特別馴染めない。私の感性は、大和の国の和そのものらしい。やはり、畑も同様で秋にかけて収穫期に入った作物が多く、花モノは少ない。端境期なのだろうか、作物の植えていない露地のままの畑が目立つ。見える野菜はキャベツ、薩摩芋(サツマイモ)、蒟蒻(コンニャク)、牛蒡(ゴボウ)、人参らだ。

畑の隅っこに韮(ニラ)の花が咲いていた。白い小さな花が集まって、テニスボール並みの大きさには驚かされた。私の家のベランダの韮とは、えらい違いだ。

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ニラの花

今日20110916、ゴミ出しに家を出たら、刈り揃えられたツツジの垣根から、にょきっと顔を突き出しているムラサキツユクサの面々に、ニンマリした。懐かしいのだ。このように、並みの規範から突き出している奴には、親近感が湧くのだ。ムラサキツユクサを見て、頭の思考回路は、郷里で過ごした日々のあれやこれやにスウィッチ・オン。この草は、百姓にとっては格別な草なのだ。

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ムラサキツユクサの花

はっきり言って、この草は百姓には嫌(きら)われモノのなのだ。

私の生家は米と茶を作る生産農家。雑草は、作物の養分を横取りする。稲田の除草には除草剤や、除草する機械があるが、茶や野菜を育てる畑の除草は、広い範囲に除草剤を撒くわけにはいかないし、草1本づつを引き抜くこともできない。腰を折り曲げての作業は過酷過ぎるのだ。

百姓には百姓の知恵がある。どこの農家にも三日月形の鍬があって、広い部分の刃で草の茎を切って枯らす。これが百姓の除草方法だ。長い柄の鍬なら、腰を伸ばした状態で楽に作業が出来る。

一般的に、雑草の茎を切っただけで、そのまま放置しておけば、草は日照りを受けて枯れる。普通、植物は水分がないと生きられない。枯れた草は、そのうち土に化すのだろう。ところが、このムラサキツユクサだけは、茎を切っても、切っても、そう簡単には枯れない。切って放置して置くと、その切り離された茎ごとに、乾燥した地面に向かって新たな根を延ばす。そして乾いた接地部分でも根づくことができる。

いつ雨が降るかわからない、そんな異常な干天続きでも、ひたすら体力を維持しながら、雨が降るのをじっと待っている。そして、恵みの雨でも降ろうものなら、その時こそ、一気に根から水分を吸収するのだろう。俄然、元気になった彼は、今度は攻勢に出るのです、一気に繁茂する。そんなことで、父がこの草を見つけたときは、畑から遠くの原っぱに捨てに行くのだった。

こんなことを、思い出しながら机の上のムラサキツユクサを見ている 20110916。

20110917 朝、花瓶を見ると、昨日まで咲いていた紫の花は散って、8個ほどの花の蕾が大きく膨らんでいた。

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アパートの周りのユリの茎は相変わらず、にょきっと突き出してその存在は目立つ。

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ユリの実

先っちょの花はすっかり落ちて、そこには実がなっている。もう少し熟せば、中身を確認しよう。食い意地の張った私は、実は根っこに関心がある。確か、ユリ根は高級な食材だ。でも、このユリの根がかって関内の「一福」で、お吸い物でいただいたものと同じなのだろうか。その味は上品だった。1本は引き抜いて、確かめなくてはイカン、、、、、、すまん!なあ

今朝は、机の上の花瓶のムラサキツユクサの花に、白い韮の花を添えた。

そして、夕刻に百日紅(さるすべり)の紅の花も加えた。

2011年9月19日月曜日

民主党、党内融和の底流

20110917の朝日新聞・朝刊に、興味深く楽しい記事が掲載されていたので、マイポケットにゲットした。政争に明け暮れる政治家、小沢一郎の心像風景が、ちょこっと垣間(かいま)見え、面白かった。そうだろうな、小沢って男はこういう奴だ。下の記事では、党費のうちの組織対策費等について、全てを明らかにするという方針を組み込んだ新しい契約を監査法人とし直したとあるが、岡田前幹事長の時に、全ての党費を明らかにして公開するようにした、と聞いている。

綱領もないこの民主党は何を目指して、何を目的に行動しようとしているのだろう。先の見えない党だ。未成熟、極まりない党だけれど、与党なのが怖い。要注意、あなどれないぞ。

今、暫くは野田佳彦首相の手腕をうかがうことにしよう。だが、民主党の鳩山、菅に続いての連続失政は許されない。

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政治/考

編集委員・星 浩

党内融和の底流

民主党対立、再燃の危うさ

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3週間前になるが民主党代表選で小沢一郎氏が西岡武夫参院議長の擁立で動いた。この「奇策」の狙いは何だったのか。ずうっと気になっていた。民主党の代表経験者に聞いたら、答えは「西岡氏で勝ったとしても、首相指名は別だろう」。小沢氏の描いた流れは、こうだったという。

代表選では、小沢グループが支援する西岡氏が反小沢の候補(野田佳彦氏、前原誠司氏)を抑えて勝利。続く首相指名を受けて、小沢氏は「民主党は鳩山由紀夫、菅直人両政権の失政を反省し、自民党に政権を渡す。民主党は首相に谷垣禎一総裁を推す」と表明する。参院議員を党代表に据えるのは、衆院には民主党の首相適格者がいないことを認める意味もあった。

反小沢勢力は反発し、谷垣氏以外の名を書くが、その議員たちは直ちに除名(民主党の規約で除籍)される。政権に復帰した自民党は、衆院の解散に踏み切る。小沢氏は民主党の事実上のトップとして選挙の後任や資金配分を取り仕切る。選挙後は政界再編の動きが出てくるーーー。

この代表経験者の見立てが正しいとすれば、権力奪取にかける小沢氏の執念は並大抵ではない。実際には、西岡氏の擁立は民主党の分裂につながりかねないとして鳩山氏らが反対し、幻に終わった。

一方、反小沢陣営では、こんな動きもあった。菅直人前首相が、党代表の最後の仕事として、党本部の資金をチェックする監査法人と新たな契約を結んだ。民主党内では、小沢氏が代表や幹事長などを務めた時に、自らに近い党幹部に多額の「組織対策費」が渡され、不明瞭だと批判されてきた。組織対策費は使途を明らかにする義務がなく、監査法人も、これまでは領収書などがそろっていれば、特に注文はつけなかった。2009年の組織対策費は5億4千万円にのぼる。

新しい契約では、組織対策費のような不透明な支出は認めないことを明記。「小沢氏に近い輿石東幹事長が、組織対策費で小沢氏らを支援しようとしても、簡単にできない仕組みを作った」(党役員の一人)というわけだ。

野田政権は、「党内融和」を掲げてスタート。党役員・閣僚人事では親小沢、反小沢のバランスに配慮した。だが、にこやかな握手の底流では敵意と警戒心が渦巻く。マニフェストを堅持するのか見直すのか、溝は深い。復興財源や消費税率の引き上げをめぐって対立が再燃するかもしれない。「ノーサイド」の足元は危うい。