2012年3月2日金曜日

ウリンって、アイアンウッド?

横浜市中区本郷町の中古住宅を、ウッドデッキを設置することを条件に購入していただいた。お客さんからは、いい買い物をさせていただいたと、感謝されている。

買って頂いた住宅のある場所は、中区の山手地区の小高い所にあって、強風を受けることは、前の住民からも聞いていたが、現場に立てば、海の方からの風が下から強く吹き上げるのは、容易に理解できた。

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風雨にさらされるので、アルミでは軽過ぎるし、腐りやすい木材では不経済で危険だ。使う材料を思案していた。その作業の中で、建築担当の桜がウリンという樹木を見つけた。

英語名はボルネオアイアンウッド(鉄木)、クスノキ科属の常緑広葉樹。原産地はインドネシア、マレーシア。インドネシアにおいては、従来、保護樹として輸出が認められていなかったが、1996年7月から日本への輸出が解禁になった。日本にとっては、今まで馴染みのない木材だった。

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ウリンの樹木らしい

 

昔から、耐水性としては、水中でも100年の耐久力がある木として、ヨーロッパでは長く使われてきたことで実証済み。他にも、防虫性、防腐性が優れている。材その物の安定性、特に収縮性は、同種の堅木に比較して際立って安定している。柾目挽きの製材により、直射日光にさらされる所で使用されても、材面の割れ、反り、あばれ等が出にくい。欠点といえば、重いことらしいが、今回の用途に使用する材としては重いこともいいことだ。

大工さんに聞いて、あらためて材質の硬さには驚かされた。世界最硬最強らしい。仕口や欠くことを極力避けて、硬くて加工し難いことが原因なのだが、金具を使って緊結する。

南洋材といえば、お馴染みのラワンのように目が粗く、軽軟な木質をイメージしがちだが、このような樹木があることを初めて知った。

さて、どのようなウッドデッキができることになりますか、購入者の方の承諾を得られれば、原価を含めて公開させていただきます。ウッドデッキの新設をお考えの方は、気楽に弊社に電話をいただければ、原価プラス弊社のマネージメント料でお請けいたします。マネージメント料は原価の15%です。

2012年3月1日木曜日

ためつすがめつ

矯(た)めつ眇(すが)めつ

本を読んでいたら、この慣用句にぶつかった。

話し言葉としては何度も聞いて、話の前後から何となく意味は理解していた。ところが、読書中にこの連語が出てきて読めなかった。何で、こんな字をあてがうのか、不思議な気がしたのだ。

この矯めつの「矯」という漢字は、矯正とかの漢字として知っていたが、この眇めつの「眇」の字は知らなかった。結構、本を読んでいる私なのに初めてのご対面だった。この際、もう少し詳しく知っておきたいと思って、今日20120301、会社にある辞典で調べた。

 

ためつすがめつ=【矯めつ眇めつ】は、講談社の日本語大辞典によると、以下のようだ。

(連語)《「矯めつ」は「矯む(矯める)の文語形」に接続詞の「つ」の付いた語、「眇めつ」は「眇む「(眇める)の文語形」に接続詞の「つ」の付いた語》。あちこちから念入りに見るさま。よくよく見るさま。

矯める=曲げて形を直す。改め直す。片目をつむって、ねらう。こじつける。

眇める=片目をつぶってねらいをつける。片目を細めて見る。

2012年2月29日水曜日

光母子殺害、元少年に死刑

山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し後の上告審で、最高裁は20日、殺人と強姦致死などの罪に問われた被告の上告を棄却する判決を言い渡した。死刑とした差し戻し後の二審・広島高裁判決が確定する。

この事件に関する下記の文章は全て、20120221の朝日新聞・朝刊の記事のままです。死刑が確定した元少年は、犯行時18歳1ヶ月だった。少年法では、犯行時18歳以上の場合は死刑判決を言い渡すことができる。

事件当時、18歳よりたった1ヶ月しか過ぎていない被告を死刑にしたことには、後年に大いなる問題を残したのではないか、と思っている。もう少し慎重でなければならないのではないか。私は死刑廃止論者だ。

かって、1968、-69年に亘って、4人の連続ピストル射殺事件を起こして逮捕され、死刑判決を受けた永山則夫に関する本や、彼自ら著作した本を集中的に読んだ時期があった。逮捕されたのは、彼が19歳10ヶ月のときだ。永山則夫死刑囚から、私は色んなことを学んだ。永山は、生まれて一度も人に抱かれたことがなかった。

2009年から裁判員制度が実施されたことで、私は真剣に考えるようになった。特定の刑事裁判において事件ごとに、有権者からアットランダムに裁判員に選ばれて、法の裁きに加わることになった。私にだって、この大役が回ってくる可能性があるとなれば、この光母子殺害事件も傍観者ではいられない。ヤマオカ君、君ならどう裁くのか?

考えなくてはならん問題が余りにも多く、とりあえず、新聞で得た情報をこの際、大いに確認しておきたいと思った。

先ずは、新聞記事をそのまま転載させてもらう。問題は、余りにも重く、深い。

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1面

元少年の死刑確定

光母子殺害事件

最高裁が上告棄却

山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し後の上告審で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は20日、犯行当時18歳1ヶ月の少年で、殺人と強姦致死などの罪に問われた大月(旧姓・福田)孝行被告(30)の上告を棄却する判決を言い渡した。死刑とした差し戻し後の二審・広島高裁判決が確定する。

 

犯行時18歳1ヶ月

大月被告は最高裁に統計が残る66年以降、犯行時の年齢が最も若い死刑確定者になるとみられる。第一小法廷は「犯行時少年だったことなどを十分考慮しても、死刑をやむを得ない」と言及。判決を踏まえ、少年による凶悪犯罪の裁判では、犯行時の年齢や立ち直りの可能性よりも結果の重大さが重視される流れがさらに強まりそうだ。

少年法は18歳未満の少年への死刑適用を禁じており、主な争点は18歳になったばかりの少年に適用することの是非だった。当初の一、二審は被告が立ち直る可能性を重視して無期懲役としたが、2006年に最高裁が「少年であることは死刑を回避すべき決定的事項ではない」と述べ、無期懲役判決を破棄。差し戻し後の二審判決は死刑としたため、2度目の最高裁の判断が注目されていた。

第一小法廷はこの日の判決で、「冷酷・残虐で非人間的な犯行。心からの反省もうかがえず、遺族の被害感情も厳しい」と指摘。犯行時の年齢や立ち直りの可能性など、被告にとって有利な事情を踏まえても、「刑事責任は余りにも重大で、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。

裁判官4人中3人の多数意見。弁護士出身の宮川光冶裁判官は「犯行時の年齢に比べ、精神的成熟度が相当低かったことがうかがえる以上、改めて検討しなおす必要がある」として、審理を高裁に差し戻すべきだとの反対意見を述べた。最高裁が死刑と結論づけた刑事裁判の判決で、かかわった裁判官から反対意見が示されたのは、無人電車が暴走し6人が死亡した「三鷹事件」の大法廷判決(55年)以来とみられる。

被告は裁判が始まった当初、起訴内容を認めていた。差し戻し前の上告審で一転して殺意を否認。今回の上告審で弁護側は、犯行状況を再現した独自の鑑定をもとに「殺意はなかったという現在の主張が真実」と訴えていた。(山本亮介)

 

天声人語

13年前の不幸がなければ、本村洋さん(35)の名が知れ渡ることはなかった。大手製鉄会社の技術者として、同い年の妻と中学生の娘、もしかしたらその弟や妹と静かに暮らしていただろう。その人が記者団を見すえて語った。「日本の社会正義が示された」

山口県光市の母子殺害事件で、当時少年だった被告(30)の死刑が固まった。ひと月早ければ極刑を科せぬ若さだった。その未熟さ、立ち直る可能性をくんでなお、所業のむごさは死をもって償うほかない、との判断である。

妻子を奪われた本村さんは、自殺の願望を振り切り、悲運を糧に「被害者の権利」を世に問い続けた。独りで始めた闘いは、同情や共感だけでなく、重罪に厳罰を求める世論を揺り起こす。犯罪被害者への支援拡充にもつながった。

死刑の宣告は難しい、というよりつらい。国民の生命を守るためにある近代国家が、法の名において一命を奪う。矛盾といえば矛盾、廃止論の根拠である。

他方、遺族の処罰感情は容易に収まらない。凶悪犯罪を抑える効果については異論もあろうが、この事件の結末が「より安全な社会」につながらねば、誰ひとり浮かばれない。

極刑ゆえ、被告の実名が広く知られることになった。裁かれしは生身の人間と実感する。「反省した状態で、堂々と刑を受け入れてほしい」。最愛の家族のために闘い抜いた人の言葉は重い。帰らぬものは多すぎるが、本村さんが残したものも多い。後半生で「無名の幸せ」を取り戻してほしい。

 

36面

少年でも「結果」重視

異例の反対意見も

〈解説〉

18歳と30日。犯行が1ヶ月前なら死刑選択が許されない年齢だった元少年への死刑もやむを得ないーーーー。最高裁の判決は、重視されるべきは犯行の「結果」であることを示し、司法が少年事件での「厳罰化」にかじを切ったことを改めて印象づけた。

日本が死刑を存続しながら18歳未満への死刑を禁じているのは、未熟な少年の刑事責任は大人より軽くすべきで、適切な教育を受ければ更生できるという理念に基づいている。では、18歳には達したが、成人でない場合はどう判断するか。4人を殺した当時19歳だった少年に対する死刑が問題になった「永山事件」で死刑を選択した際、最高裁は1983年、「永山基準」を示した。九つの要素を総合的に考え、「やむを得ない場合に死刑が許される」と述べた。あくまで「死刑は例外」との立場だった。

これ以降、刑事裁判の実務では、殺された被害者の数が重視されてきた。少年事件で死刑が確定したのは、92年に千葉県市川市で一家が殺害された事件と、94年に大阪、愛知、岐阜の3府県で起きた連続リンチ殺人事件の2件、いずれも殺されたのは4人だった。

成人の場合は、被害者が2人で死刑になる例は珍しくない。永山事件の判決確定後、少年が2人を殺して無期懲役が確定した例は2件あるが、死刑はない。裁判官たちは少年特有の性質を重視し、適用に慎重な姿勢を示してきた。

光市母子殺害事件の一連の裁判経過は、こうした流れを変えた。2006年の差し戻し前の上告審判決で最高裁は「特に斟酌すべき事情がない限り、死刑を選択するしかない」と指摘。「例外的に死刑を許容してきた最高裁が、原則と例外を逆転させた」とする受け止め方が広まった。

最高裁が永山基準を変えたわけではないが、06年判決は実務に影響している。宮城県石巻市で2人が殺された事件で、仙台地裁は10年、同じ表現を使って少年に対して裁判員裁判初の死刑判決を言い渡した。判決後、裁判員の一人は「人の命を奪うのは、大人と同じ刑で判断すべきだ」と語り、少年の特性よりも結果を重視したことをうかがわせた。

ただ、今回の判決は、死刑とする結論では極めて異例の反対意見が付き、最高裁の裁判官の間でも意見が分かれたことを示した。結果の重大性と少年の未熟さや立ち直る可能性をどう考え、刑罰を科すのか。裁判員裁判が行なわれている今、市民も判断を迫られるテーマだ。(山本亮介)

 

永山基準

1968年に東京などで4人をピストルで射殺した当時19歳の永山則夫元死刑囚=97年に死刑執行=の事件をめぐり、最高裁が83年に示した死刑の基準。死刑を選択するかどうかの判断項目として①犯行の罪質②動機③態様=特に殺害方法の執拗さや残虐さ④結果の重大性=特に殺害された被害者の数⑤遺族の被害感情⑥社会的影響⑦犯人の年齢⑧前科⑨犯行後の情状ーーーの9項目を挙げた。最高裁は、これらを総合的に考慮し、他の事件との刑のバランスや同様の犯罪を抑止するといった観点から「やむを得ない」ときに死刑の選択が許される、とした。

 

39 社会面より、妻子を奪われた遺族・本村洋さん(35)の判決後に関係者に話したコメントを拾ってみた。

*ずっと死刑を科すことについて考え、悩んできた13年間でした。

*遺族としては大変、満足しています。ただ、決して、うれしさや喜びの感情にありません。厳粛に受け止めなければならない。

*勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者なんだと思う。

*君の犯した罪は万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない。

*(被告)は眼前に死が迫り、自分の死を通して感じる恐怖から自ら犯した罪の重さを悔い、かみしめる日々がくるんだと思う。そこを乗り越えて、胸を張って死刑という刑罰を受け入れて欲しい。

*妻と娘の命を無駄にしたくない。事故が社会の目にさらされることで、司法制度や犯罪被害者の状況の問題点を見てもらいたい。

*もう一度、人並みの人生を歩みたい。

*まずは自分と家族が幸せになること。事件のことだけ引きずって生きるのではなく、前を向いて、笑って、自分の生活、人生をしっかり歩いていくことが大事だと思う。

*裁判が終わることが事件の区切りではない。毎日、ふとした瞬間に事件を思い出したり、考えたりしながら生きていくんだと思う。

*法制度や裁判への関心の高まりに影響を与えることができたよと、守ってあげられなかった罪滅ぼしの一つとして、報告してあげたい。

(斉藤靖史 高田正幸)

 

元少年 非難・反省揺れた心

大月被告は広島拘置所にいる。「〈死刑に対して)怖い気持ちがまったくないわけではない」。6年間で10回以上接見してきた記者に昨年12月、そう明かした。

裁判記録などによると、被告は幼少期から母親に暴力を振るう父親の姿を目(ま)の当たりにして、自身も父親から暴力を受けていた。

中学1年のとき、母親が自宅で首をつって自殺。後に父親が若い外国人女性と再婚し、異母弟が生まれたことで、より孤立感を深めていったという。高校を卒業後、水道設備会社に就職。すぐに無断欠勤をするようになり、事件を起こした。

裁判が始まると、法廷で謝罪した。だが、無期懲役とされた一審判決後、判決前後に被告が知人にあてた手紙の内容が明らかになる。《被害者さん(中略)ありゃーちょーしづいている》《犬がある日かわいい犬と出会った。---そのまま『やっちゃった』--これは罪でしょうか》

被告は手紙の内容については「遺族をたびたび傷つけたことは深く反省しないといけない」と記者に語った。

差し戻し後の控訴審の判決が出る直前の08年3月、26歳の大月被告に接見し、事件当時と今の認識を尋ねたことがある。「当時は自分中心で、相手がどう感じるのか度外視していた。自分に向かい合い、弱さに気付いた」

差し戻し後の控訴審で遺族の意見陳述を聞いた後には「胸に迫るものがあった」

08年4月、差し戻し控訴審で死刑が言い渡された。2週間後、記者に手紙を寄せた。

「つらくないわけではない。しかし、ぼくよりつらい御立場の方(遺族)がおられる以上、ますますつつしみながらかんじゅし、学ばせていただきたいとする気持ちも、またまぎれもない真実です」

上告後の09年3月には接見した記者に「支えてくれた人からいただいたものを胸に、なぜ悪くなったのかを見つめて改善する、大きな人間になりたい」と話し、続けた。「判決が自分に有利でも不利でも、死刑でも、そうでなくても」

2年ほど前から、母子の月命日に支援者に頼んで犯行現場に花を捧げてもらっているという。

(斉藤靖史)

天声人語20120229

毎朝、配られてくる朝日新聞の天声人語を、コーヒーを飲みながら読むのが、朝一番の私の楽しみだ。

文章の巧さには私ほどの者が言うことはない。いつも感心させられるのだが、何よりも嬉しいのは、今の世の中での出来事を、本紙の他の記事とは切り口を代えての論評、ウイットを混(ま)ぜての文章は、非常に勉強の材料になっている。中学生からのお付き合いだ。

さて、今朝の記事は、各所で各人が含蓄のある話をされたことをまとめたものになっている。こんな1話、1話もやはりマイポケットに仕舞い込みたい。

そういうことで、20120229の天声人語を下にそのまま転載させてもらった。

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冷え込む閏日(うるうび)は、春の到来を1日遅らせるいたずらっ子のようだ。7月には閨秒もあり、今年は平年より1日と1秒長い。長い余韻を引く2月の言葉から。

ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝した菅井円加(まどか)さん(17)がねだったのは、母賀子(よしこ)さん(48)の手料理だった。娘にバレエを勧めたその人は「親はドアを開くだけ。あとは本人が道を選択して最後に『よかった』と思ってくれれば」。

郵便不正事件で無罪の村木厚子さん。国が払った賠償金の約3千万円を、刑務所を出た知的障害者を支援する社会福祉法人に寄付する。「お金欲しくて提訴したのではない。税金は最も光が当たりにくい人々のために」と。

土下座ブームらしい。漫画「どげせん」を企画した板垣恵介さんは、土下座は相手を追い詰める「暴力」だと言う。被災地の東電社長がいい例だが、「土下座しなきゃならない状況は大抵、土下座では解決できません」。

〈首都直下型地震、4年以内に70%」の報道に、木造が密集する荒川区の西川太一郎区長が語った。「多くは『嫌だなあ』と思っただけかもしれないが、『何かしなければ』と思った人もいるはず。その割合が無事な数を決める」。

「森は海の恋人」の運動で知られる宮城県気仙沼市のカキ漁師、畠山重篤(しげあつ)さん(68)は「三陸で暮らす養殖業者は壊滅する宿命を背負っている」と話す。それでも続けるのは「この海が好きだからです。魚がとれるからだけではなく、空気とか風景とか、潮の香りだとか」。

2012年2月28日火曜日

天皇を元首に

昭和天皇

124代  昭和天皇

先週の土曜日20120225、朝一番に三井のリハウス東戸塚店に寄って書類を受け取り、弊社に向かうために東戸塚駅から横須賀線に乗った。私の座席の隣に、私よりも10歳程年上のオジサンが広げた新聞記事を見て驚いた。このオジサン、食い入るように読んでいた。自民党の憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔元政調会長)が作成した憲法改正原案らしい。

『天皇は「元首」憲法明記 自民原案』 こんな見出しだった。新聞は産経新聞で、記事は1面トップ。

そこで、ちょっと待てよ、ところで「元首」ってなんだったけ? と考えてみても、大日本帝国憲法下なら天皇が元首だと考えられるが、今、また此処で「元首」とは? 私には馴染みが薄過ぎて正確に理解できない。

元首、元老、元帥、元勲、どの言葉も埃(ほこり)を被ってかび臭い、生理的に嫌な気分を惹き起こす。その中でも元首は一番やっかいな言葉だ。こんな言葉を使わないで済むものならば、使いたくない。

先ずは講談社の日本語大辞典で調べたら、元首=「一国を代表する国家の最高機関または行政府の首長」とあった。そうと知れば、それほど忌み嫌う言葉ではない。ならば、元首は内閣総理大臣なのではないのか。それが、どうして天皇なんだ?

改正案全般の内容については、遅ればせながら、20120228の朝日新聞・朝刊に掲載されていたので、その記事を無断でそのまま下に転載したので、確認してもらいたい。

それにしても、こんなに保守的でいいの!!と思ったのが、第一印象だ。

後日、議論が賑やかに交わされるだろう、私も、理論武装しておかないと、イカンと思っている。かっての左翼学生も、世の中に随分もまれてきました。

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原案では「国民主権」をうたったうえで、「我が国は、長い歴史と固有の文化を持ち、日本国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家」と前文に明記。また、現行憲法に規定のない国旗、国歌について「日本国の表象として法律で定める」とし、「尊重しなければならない」と義務づけた。

安全保障分野については、首相を最高指揮権者とする「自衛軍を保持」と明記。現9条の「戦争放棄」は維持するものの、集団的自衛権の行使も念頭に「自衛権の発動を妨げるものではない」として「自衛権」を明確化した。

有事やテロ、大災害の際の緊急事態への対応も新設された。国会承認を前提に、首相は閣議で「緊急事態」を宣言。法律と同じ効力の政令を制定し、地方自治体の首長に指示ができるとした。「何人も国その他公の機関の指示に従わなければならない」と規定し、緊急事態宣言の効力がある間衆議院は解散されない」としている。

政教分離原則については、国や地方自治体の宗教的活動について「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないもの」に限って容認。自民党は2005年10月の「党新憲法草案」で、首相の靖国神社参拝などを合憲とするため、こうした表現を使っている。

また、現憲法で衆参各院の3分の2以上の賛成が必要とされている憲法改正の発議について、各院の過半数の賛成に緩和することを明記。「結社の自由」を保障する一方で、公益及び公の秩序を害することを目的とした結社は認められないことを明記。公務員の労働基本権を制約することも盛り込んだ。

サンフランシスコ平和条約の発効から60年にあたる4月28日までに、新憲法案を決定し、国会提出を目指す。

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地域政党「大阪維新の会」代表の橋下徹大阪市長は24日、自身のツイッター上で憲法9条改正の是非について、2年間国民的議論を行なった上で国民投票で決定すべきだとの私見を明らかにした。次期衆院選の公約となる「維新八策」に盛り込む。憲法改正問題は、衆院選の争点になりそうだ。

(産経新聞20120225)

2012年2月27日月曜日

排泄機能障害の猫が、我が家に

先月201201の中頃、友人から猫を暫らくお世話になってもいいか、と言われて、良(い)いも悪いもないうちに、我が家に猫が持ち込まれた。友人が野良猫を保護したのだ。多分、頭の中では猫を迎える覚悟もないまま、友人から頼まれれば止むを得ないと半ば観念、半ば諦め、あいまいなままの承諾をしたのだろう。毅然と断っていたら、友人だって猫を持ち込まなかった筈だから。

 

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この仔の名前は、ミー。雄でお父さん、年齢は10歳前後と思われる。長後街道に面した、全国展開している回転寿司屋の「従兄弟寿司」を根城にしていた。この仔は、子供たち3頭と奥さんの5頭暮らしだった。家族の全頭は、友人が最寄の動物病院で、避妊、去勢して、お父さん以外はやはり寿司屋とその裏の猫愛好家の辺りで、今も暮らしている。

ミーは、排泄機能障害をもっている。

我が家にやってきたときには、後ろ足はウンコとオシッコまみれ。お尻の周りは汚くて異常に臭かった。肛門が開いていて、便が見える。濡れているから、座るたびに、床に便の跡が残る。早速、動物病院で、尿と便を絞(搾)りだしてもらった。連れ帰って、部屋の中を歩くのを見て、こりゃ、大変なことになったぞ、と恐れた。下半身というのか後半身というのか、拭いてその日はケージに入れて、動き回るのを規制した。お尻を触られると、シャーと怒る。猫が怒るときには、シャーと言うのを初めて知った。

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保護した当夜、ミーは一晩中泣いていた。隣の部屋で寝ていられないほど、大きな泣き声だった。自由奔放、放縦、好き勝手に暮らしていた。家族団らんを破壊されて悔しかったのか。寿司屋のにいさんが、休憩時間に寿司のネタの端切れを、ポイポイと投げてくれる。美味しいものばかりだ。塩分も猫にとっては過量だったのだろう。また、駐車場で寝そべっていると、近所の子どもが、何やら食べ物を持ってきてくれる。こんな結構な、暮らしを満喫していたのに、、、、、、、。それが良くなかった。

翌日も動物病院で、尿と便を絞りだしてもらった。排泄機能に障害があるだけで、それ以外はいたって健康体だということが検診の結果、判った。

何回か動物病院に通って解ったのだが、この仔は小動物の割には栄養価の高いものを食い過ぎたのが原因の一つかもしれない、が事故か何かで脊椎と脊髄に重大な損傷を受けているのではないか。想像したくないのだけれど、心無い人間様に危害を加えられたのではないか、と勘繰った。動物虐待のことを翳(かす)めた。下半身、肛門の括約筋や尿を押し出す筋肉、それを掌(つかさど)る神経系統が機能していないのでは、と獣医さんに尋ねたら、そうでしょうねと言っていた。尻尾に表情がないのだ。

便は、食べ物を食うと、限界までたまれば、否応なしに外に出る。尿もそれなりには出るのだが、異常にたまってくるのが外見から解る。、尿毒が怖いのだ。

保護1ヶ月経って、尿を絞りだしてもらいに行く頻度を少なくしても、大丈夫なように見受けられる。此の頃は中3日をとって、4日目に行くようにしている。獣医さんから、尿の絞りだし方をいくら教えてもらってもマスターできない。獣医さんは、膀胱を確かめて、このように押してやればいいのですと言うが、私にはその膀胱を手のひら、指の腹でどうしても確かめられないのだ。

ネットで調べたら、ちゃんと自宅で愛猫の尿を絞り出している人はいた。

ミーちゃんの膀胱の位置は確かめ難(にく)いですと獣医は言っていた。何度も獣医さんの手ほどきを見たが、真似できない。

ところが、先日尿を絞り出しにいつもの病院に行って、いつもの獣医に診てもらったら、尿のたまりが少ないとのことだった。獣医は、ウンコを絞り出すことによって、尿の出がよくなったのかもしれませんね、と言ってくれた。これって、私がミーの肛門を絞って便を出している成果なのだ。

ミーは気品高く、しぐさが実に上品なのだ。

その後のことは、又の機会に報告する。

2012年2月22日水曜日

クローズド・ノート

クローズド・ノート

 著者・雫井脩介(しずくい しゅうすけ)

 

思うところがあって、存命中の作家の本は、ここ暫くは読むまいと決めていたのに、私よりも20歳も若く現役バリバリの作家の本を読んでしまった!! 「クローズド・ノート」だ。

携帯サイトで、連載時から100万件のアクセスを突破した感動の恋愛小説だとの広告コピーを目にして、つい買ってしまった。これは間違いなく誇大広告だ。アクセスがあったからと言って、読者とはかぎらない。私たちの業界では誇大広告は厳禁だ。お店の名前は「何とか船」で、105円だった。携帯サイトで人気がある小説とは、どんなもんなんだろう、かと興味が湧いた。この類の本を今まで斜視的に捉えていたので、105円なら騙されたっていいや、そんな気になったのだ。

この作品は、文学的にはどの程度に評価されているのだろうか。唯、携帯サイトで、それほどアクセスされて、読まれていると知れば、穏かではない。たくさんの若者の読者に支持された。確かに、若い男女のなす清清(すがすが)しさや爽やかさ、気持ち良さは、多分アクセスで楽しんだ人たちと私も同感だ。

でも、私は年をとり過ぎてしまったのだろうか、がつ~んと私の心に響かない。

題材は今様で、ストーリー展開には工夫がみられる。この辺りが携帯サイトで好まれた原因なんだろう、とは理解できる。繰り返す、初老の私には、がつ~んとこないと満足しないのだ。

そんなことを言いながらも、前々回の私のブログ「紫煙と文士たち 林忠彦」の中で、40余年前のこと、私が夢中で田中英光の「オリンポスの果実」を読んだことを紹介した。この淡い恋愛小説もさほど評価されなかったが、私はハラハラ、ドキドキして読んだもんだ。主人公のような恋愛に強烈に憧れたのだ。

読み終わって、これは若者向きの映画にピッタリだと思ったら、やっぱり監督・行定勲、出演・沢尻エリカ、伊勢谷友介、竹内結子で映画化され、2007年9月に東宝系で公開していた。

 

ーーー後々のために、粗筋をここに著しておくことにしたーー

教育大学に通う堀井香恵は、小学校の先生を目指している。学校では、マンドリンのサークル活動、空いた時間は文房具屋さんでアルバイトに励む、普通の女子大生だ。

引っ越してきたアパートの部屋の収納の隅っこに、前の住民が置き忘れていった1冊のノートを見つける。手にとる心算はなくそのまま放置して置いた。

そんなある日、アパートに戻ってきた香恵は、自分のアパートを前面の道路から見上げている男に気付いた。白いシャツを着た若い男で、自転車に乗っていた。

そのうち、この若い男が、アルバイト先の文房具屋さんの万年筆フェアにやって来た。その後も何度か来店して、各種の万年筆を試し書きしているうちに、この若い男は新進のイラストレーターで、名前はリュウと知った。

そんな折、リュウは香恵にモデルになってくれと頼む。それに部屋を見せてくれとも言う。今度の展覧会用の絵の創作のために、アパートのベランダにいる姿を、外の道から写真に撮らせて欲しい、と。

リュウとこのアパートには何らかの繋(つな)がりがあるようだ?と勘繰る。

香恵は、気になるノートを、見てはならぬものと思いながらも、垣間(かいま)見たい衝動にかられ、ついにそのノートを開いてしまった。ページをめくってみる。ノートは日記だった。書き手は、香恵にとって憧れの職業の小学校の教師だ。先生の名前は、真野伊吹。

自らの病気と戦いながら、新任として初めて担当したクラスの生徒たちとの充実した交流が書かれていた。子どもたちに囲まれた伊吹の写真に心が和む。不登校の女の子とその母親との微笑ましい交流など、ひたむきな伊吹の生き方に憧れる。持病の喘息にもめげずに奮闘する伊吹を励ました。

ノートには、大学時代の友人・隆との恋愛が思うように進展しないもどかしさも切なく記されていた。大学時代には、友人としての付き合いだったが、社会人になってからは、もう少し進んで恋愛の意思を伝えたいと思っているが、なかなか、巧く相手に伝わらない。ところが、春休みを前に急展開しそう。二人で旅行をしようなんて、話題に上りだしたのだ。恋に悩み恋に励む伊吹先生。

伊吹の恋の成就を願いながら、自分はリュウに魅(ひ)かれていく。が、一方では香恵に好意を寄せる男が近づくが、香恵はこの男を遠ざけ、リュウに寄せる思いが徐々に高じていく。

リュウから、香恵がモデルになった絵も出展するので、自分の個展に来てくれないか、と誘われる。リュウにとっては、イラストレーターとして、自分の作品を関係者がどのように評価するか、試される場でもある。

香恵は、リュウから個展会場で、マンドリンを弾いてくれと頼まれる。リュウのためになるならばと、快く承諾した。

リュウには、代理店の社員で星美という女性が、マネージャー役のように付きまとう。リュウと星美の関係に、香恵は嫉妬に似た感情を持ち始める。星美は、大人の色香をにじませた綺麗な女性だ。仕事における星美の発言は、実に要領がいい。リュウにとってどういう存在なのだろうか。二人は恋愛しているわけでもなさそうだが。

日記で、伊吹は、自分の気持ちが隆に向かってドンドン進んでいくのに、現実は足踏み状態だと嘆く。香恵もまた、同じようにリュウに恋心を抱くものの、なかなかうまく進まない。

星美から、香恵がモデルになって描かれたものだと思い込んでいた絵の人物は、実はリュウが今でも愛し続けている女性を描いたものだと知らされる。

そして、絵に添えられたサインが隆で、集まった人たちはリュウと呼んでいる。ノートの中の、伊吹が愛し続けていた石飛隆の、隆は香恵が勝手にタカシと呼んでいただけだったのだ。隆とリュウは同一人物だったことに、はっと気付く。

伊吹から、香恵さんやっと気付いたのね、と聞こえてくるようだ。

終業式の前の日、隆の誕生日に寄せる文章を書いてみる、と書かれたところで日記は終わっている。

読み終わった日記を伊吹に返そうと、勤務先の若草小学校を訪ねた。下校中の生徒に、終業式の日に伊吹先生は交通事故で亡くなったと知らされる。

個展の初日に、香恵ではなくリュウが愛した女性を描いた絵を、リュウが途中で失くしてしまった。駅のゴミ箱で見つけた香恵は、絵の中の真野伊吹に会った。感動が涙になって溢れた。

個展会場では、お祝いの挨拶が順番に行なわれ、香恵にも順番がまわってきた。これからお話しするのは、私の言葉ではありません、私の部屋に残されたノートに書かれていた言葉です、愛する人の誕生日に向けられたものですと前置きして、真野伊吹の言葉を石飛隆に、できるだけ一字一句間違いないように話した。

石飛隆は、絵の中の伊吹を見ながら、はらはらと涙を流した。