2012年5月13日日曜日

小沢、ア・ラ・カ・ル・ト

20120427の朝日新聞から、小沢氏無罪判決に関する記事を抜き取って転載させてもらった。全て新聞記事のままです。

ところが、20120510、1審東京地裁で、無罪となった小沢氏について、検察官役の指定弁護士は東京高裁に控訴した。1審判決は元秘書らによる虚偽記載を認定し、元代表との間に「報告・了承」があったことも認めた。2審では、元秘書との共謀、故意の有無が焦点になる。

●3面 

「共謀」認定 高い壁

元秘書らの政治資金収支報告書への虚偽記載について、小沢一郎・民主党元代表との共謀が認められるかが最大の焦点だった26日の東京地裁判決は、元秘書らが土地取引や4億円の処理について小沢氏に報告したことや、小沢氏の説明の不自然さを指摘しながら、共謀までは認められなかった。

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虚偽記載の認識 証明不十分

判決は、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、元事務担当秘書の石川知裕衆院議員(38)と後任の池田光智元秘書(34)が、2004年分の政治資金収支報告書に小沢氏の4億円を記載せず、土地代金の支出の計上も05年分に先送りする虚偽の記載をしたーーーと明確に認めた。

仮に小沢氏と元秘書らの間に共謀が認められていれば、「共謀共同正犯」として小沢氏は有罪となった。

判決はまず、小沢氏が提供した4億円を04年分に記載せず、代金支出を05年分に先送りしたことについて「秘書が無断で行うはずがない」と述べ、「報告・了承」があったと認めた。

問題は、元秘書が小沢氏にどこまで具体的に説明していたかだった。石川議員は当初、土地の売買自体を05年に先送りするつもりだったが、実際は登記を遅らせただけで、代金は04年に支払っていた。判決は、具体的な手続きは「秘書の裁量範囲内」と考えた石川議員が、小沢氏に説明していなかった可能性を指摘した。

このため、代金支出の先送りや小沢氏が提供した4億円の不記載について、小沢氏が「適法に実現される前提で了承していた」などと考える余地が残った。元秘書らの行為が犯罪にあたるという認識が小沢氏にあったという証明が不十分なため、「共謀」は成立しないと結論づけた。

指定弁護士は、暴力団組長の警護役の拳銃所持について、組長の責任も認めるかが争われた最高裁決定(03年)を適用すれば、有罪を導けると主張した。明確な指示がなくても、上下関係がはっきりしていれば「暗黙の了解」だけで共謀共同正犯は認められるとした判例だ。

小沢氏の弁護側は「暴力団の拳銃所持事件とは全く違う」と猛反発したが、判決は「石川議員や池田元秘書が小沢氏の意向に反する事務処理 はできず、被告は元秘書らの行為を止める立場にあった」と指摘し、指定弁護士らの主張に「相応の根拠がある」と述べた。

南山大学法科大学院の丸山雅夫教授(刑法)は「小沢氏と秘書について、最高裁決定で示された支配従属関係は認めている。小沢氏に犯罪の認識があったと認定していれば、有罪にした可能性はあった」とみる。

一方で「背後に政治家の関与が疑われるような犯罪で、裁判所に共謀を認めさせるのは、相当ハードルが高い。自白がない限り、余程の客観証拠がなければ犯罪を証明するのが難しいだろう」と指摘した (久木良太 延与光貞)

 

小沢氏供述 不自然さ指摘

この事件で注目されていたのは、土地購入に充てられた小沢氏の4億円の原資だった。小沢氏側は2007年以降、「政治献金→銀行融資→個人資産」と説明を変えてきた。一方、東京地検特捜部は、公共工事受注をめぐって業者から小沢氏側に渡った裏金が含まれているとみて捜査した。

小沢氏は被告人質問で「事務所の金庫で保管していた親からの相続などの個人資産だ」と説明。この日の判決は「説明の変遷やあいまいな点を指摘しつつも、「大筋ではこの供述の信用性を否定するに足りる証拠はない」と判断した。

また、指定弁護士が「虚偽工作」と主張した4億円の銀行融資の書類に自ら署名した理由について小沢氏は公判で「石川から『サインしてくれ』と言われて署名しただけだ」と答えた。この点について判決では「4億円もの債務を負う書類に署名する者としては不自然な供述だ」と指摘。「収支報告書は一度も見ていない」「元秘書らから収支報告書の作成提出の報告を受けたことはない」などの発言も「信用できない」とした (其山史晃)

 

朝日新聞の天声人語より

政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。1983年秋、東京地裁は田中角栄元首相に有罪を言い渡し、闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派活動ともいえる創政会の旗揚げへと動く。

だれの時事漫画だったか、元首相が「ああせいこうせいとは言ったが、そうせいとは言っとらん」と嘆く傑作があった。田中は心痛と深酒で脳梗塞で倒れ、失意のうちに影響力をなくしていく。

さて、この判決は政治をどう動かすか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の、無罪である。大まかな経理処理の方針は承知していたが、うその記載を巡る秘書との共謀までは認められないと。

小沢氏は折にふれ、「今後は一兵卒で」と殊勝な言を重ねてきた。

くびきを解かれた兵卒が見すえるのは、秋の代表選か、集団離党か新党か。消費増税の前途多難といい野田首相は頭が痛かろう。

民主党は、各自の当選を目的とした非自民の選挙互助会でもある。にわか作りの公約が破れ、政策や手法が敵方に似てくるほど、小沢流の原点回帰は説得力を増す。首相の使い捨てが続く中、「なれたのになれない」政治家の凄みも無視できまい。だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった。

若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を。蓄財術とともに聞いてみたい。

 

勝者なき無罪判決   社会部長・山本季広

小沢一郎氏に対する無罪判決は、そのまま検察に対する有罪宣告と読むべきである。検察官数十人を投入した小沢一郎氏との「全面戦争」に敗れたうえ、強引で危うい取調べの実態まで暴かれた。ロッキード事件以来の疑獄操作で培われた検察の威信は地に落ちた。

今後は検察が、事実と反する捜査報告を書いたと認めた検事の責任を追及し、取調べのありようを全庁で改めない限り、不信の声はやみそうもない。

この事件で検察が骨を断たれたとしたら小沢氏は肉を切られたと言うべきだあろう。判決は、小沢氏の政治資金の操作ぶりを最後の最後まで不審視している。政治資金規正法を軽視する小沢氏本人の姿勢に憤り、限りなく有罪に近い無罪判決を突きつけた。この裁判に勝者などいないのだ。

検察審査会に対しては、「特定の人物を狙い撃ちする暗黒裁判だ」という批判が渦巻いている。この批判は的を射ていない。審査会は、無作為に選ばれた有権者11人が証拠に即して起訴すべきかどうか話し合う場だ。誰かを狙い撃ちする私刑場にはなりようがない。

むしろ強制起訴によって明らかになった事実の重さに目を向けるべきだろう。小沢氏が国会喚問や政治倫理審査会への出席を避けたことを思い出してほしい。強制起訴がなければ、小沢氏自身が法廷で屈辱をこらえつつ、億単位の現金を自ら出し入れする日常を説明する機会はなかった。検察のきわどい取り調べも露見しなかったはずである。

日本の刑事司法はあまりに長い間、検察官と裁判官という「官」に独占されてきた。20年ほど前、検察頼みの取材に明け暮れた私の偽らざる実感である。だが官の支配する司法は深刻な制度疲労を起こした。だからこそ「民」の声が起訴に反映される仕組みが導入されたのだ。審査の場に容疑者本人か弁護士が参加できる道を開くなど、むしろ制度を強化していきたい。

この事件で一線の記者たちは、検察内部に全面戦争派と慎重派があることをつかみ、悩みつつも慎重な報道に徹した。それでも政界内外から「検察寄り」「有罪視だ」などと批判を浴びて、また悩んだ。

批判を正面から受け止めたうえで、政界や捜査当局を含むあらゆる権力機構に監視の目をいっそう光らせる。それこそが、私たちに託された課題である。

 

市民感覚に根ざした政治を  政治部長・曽我豪

20年以上、政局原稿を書いてきた。正直、「反小沢」といおう言葉も何度も使った。表の役職がなくても隠然たる力をもつ「実力者」が政局に多大な影響を与える現実を書いてきた。

だがもうそんな時代ではない。そもそも、一裁判で司法が下す無罪か有罪かの判断で、国家運営の基盤をなすべき重要法案の行方が変わったり、時の政権の力が浮き沈みしたり、つまりは立法と行政がふりまわされてしまう現実の方がおかしい。ふつうの感覚ならそうなるだろう。

だから政治の側がめざすべきは、司法と同様、「市民感覚」に根ざした「合理性」である。

新たな潮流は生まれている。国会に原発事故調ができ、事業仕分けの仕組みもできた。独自の検証が政治の信頼回復につながるとの思いからだ。

そこで大事なのは合理の行動である。判決後の与野党の政治家たちのふりまわされぶりをみる限り、不安でならない。野党が小沢氏の証人喚問を材料に消費増税審議を引き延ばしをもくろむとしたならば、そんな非合理はまさに市民感覚を逆なでするものだ。他方、野田政権が反主流派の反抗をおそれて法案審議の先送りへと流れるのならば、それもまた、非合理の極みである。

小沢氏もいままでの「実力者」でいていいはずがない。

消費増税や原発再稼動に反対して政権を追い詰めた先に何があるのか。政権交代後4人目となる民主党代表・首相をつくりたいのか、政界再編か。判決後も記者会見さえしない小沢氏である。合理的説明のつかない政局優先の行動だと思われれば、人心は離れ、それこそ政局の主導権確保など望むべくもない。

同じことは私たちの政治報道にも問われている。既成政党が大事なことを「決められない」まま解散・総選挙へと突入するのなら、非合理的で感情的な政党否定論と救世主待望論の大波が世間で起きるかもしれない。小沢氏の動向より、もはや政党政治の行方を追うべき局面である。

 

● 社説

小沢氏無罪判決  

政治的けじめ どうつける

民主党の元代表・小沢一郎被告に無罪が言い渡された。

これを受けて、小沢氏が政治の表舞台での復権をめざすのは間違いない。民主党内には待ちかねたように歓迎論が広がる。

だが、こんな動きを認めることはできない。

刑事裁判は起訴内容について、法と証拠に基づいて判断するものだ。そこで問われる責任と、政治家として追うべき責任とはおのずと違う。政治的けじめはついていない。

きのう裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない。

 

「うそ」は認定された

 

私たちは強制起訴の前から、つまり今回の刑事責任の有無にかかわらず、小沢氏に政界引退や議員辞職を求めてきた。

「数は力」の強引な政治手法や、選挙至上主義の露骨な利益誘導などが、政権交代で期待された「新しい政治」と相いれない古い体質だったことを考えればこそだった。

3人の秘書が有罪判決を受けたのに国会での説明を拒む態度も、「古い政治」そのものだ。

そして本人への判決が出たいま、その感はいよいよ深い。

判決は、小沢氏の政治団体の政治資金収支報告書の内容はうそだったと認めた。それでも無罪なのは、秘書が細かな報告をしなかった可能性があり、記載がうそであると認識していなかった疑いが残るからだという。

秘書らの裁判と同じく、虚偽記載が認められた事実は重い。しかも判決は、問題の土地取引の原資が小沢氏の資金であることを隠す方針は、本人も了承していたと認定した。

資金の動きを明らかにして、民主政治の健全な発展をめざすという、法の趣旨を踏みにじったのは明らかだ。

小沢氏は法廷で、自分の関心は天下国家であり、収支報告書を見たことはないし、見る必要もないと言い切った。

 

説明責任を果たせ

 

これに対し私たちは、政治とカネが問題になって久しいのにそんな認識でいること自体、政治家失格だと指摘した。判決も「法の精神に照らして芳しいことではない」と述べている。

まさに小沢氏の政治責任が問われている。何と答えるのか。無罪判決が出たのだからもういいだろう、では通らない。

この裁判では争点とならなかったが、、秘書らに対する判決では、小沢事務所は公共工事の談合「天の声」を発し、多額の献金や裏金を受けてきたと認定されている。

小沢氏は一度は約束した国会の政治倫理審査会に出席し、被告としてではなく、政治家として国民への説明責任を果たすべきだ。

民主党にも注文がある。

輿石東幹事長はさっそく、小沢氏の党員資格停止処分を解除する考えを示した。だが、党として急ぐべき作業は別にある。

「秘書任せ」の言い訳を許さず、報告書の内容について政治家に責任を負わせる。資金を扱う団体を一本化して、流れを見えやすくするーー。

今回の事件で改めて、政治資金規正法の抜け穴を防ぐ必要性が明らかになったのに、対策は一向に進んでいない。マニフエストに盛った企業・団体献金の廃止もたなざらしのままだ。

こうした改革を怠り、旧態依然の政治の病巣の中から噴出したのが「小沢問題」だ。これを放置する民主党の姿勢が、政治と国民との亀裂を広げていることに気づかないのか。

小沢氏の強制起訴によって、人々の視線が司法に注がれ、刑事責任の有無ですべてが決まるかのように語られてきた。

だが、判決が出たのを機に、議論を本来の舞台に戻そう。これは根の深い政治問題であり、国会で論ずべきなのだ。

それを逃れる口実に裁判が使われるようなら、検察官役の指定弁護士は、控訴にこだわる必要はないと考える。

検察審査会が決めたのは、検察官の不起訴処分で終わらせずに、法廷で黒白をつけることだった。その要請は果たされた。さらに公判で明らかになったの小沢事務所の資金管理の実態などは、今後の政治改革論議に貴重な教訓を提供してくれた。

 

検察は猛省し謝罪を

 

この裁判は、検察が抱える深刻な問題もあぶり出した。

捜査段階の供述調書の多くが不当な取り調べを理由に採用されなかったばかりか、検事が実際にはなかったやり取りを載せた捜査報告書まで作っていた。あってはならないことだ。

法務・検察は事実関係とその原因、背景の解明をいそぎ、国民に謝罪しなければならない。

「検察改革」が本物かどうか、厳しい視線が注がれている。

気になるのは、小沢氏周辺から強制起訴制度の見直しを求める声が上がっていることだ。

ひとつの事例で全体の当否論ずるのはいかにも拙速だし、政治的意図があらわな動きに賛成することはできない。

5番目の孫だ

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そら、と、 ひな。

20120421。

私の長男夫婦に二人目の子どもが誕生した。名前は「ひな」だ。名付けの着想は、日〈陽〉向(ひなた)からのようだ。ひなの姉の名は「そら」で、これは空か、宙からきたのだろう、。本人から、真意を尋ねなくても容易に想像がつく。

長男の嫁は五島列島・宇久島出身で、彼女は常々、五島列島には広い海、大きな空、太陽がいっぱいあります、が口癖だ。そんな環境のなかで育った彼女から、名前が自然に湧き出たのだろう。息子は、それを嬉しく認めたのだ。

嫁の体は華奢で、まだまだ娘さんそのもの。でも、さすが二児の母になる前夜、産気に気づいて一人で歩いて産院に向かった。頼もしく、気丈夫な母親になったもんだ。深夜だったので、夫の翌日の仕事を気遣ったのだろう、子どもに添い寝する夫に行って来ますとだけ伝えて出かけた。

今回のひなの誕生で、驚かされたことがあった。ひなを病院から連れて帰ると、姉のそらには十分なことをしてやれない、とそらの処遇に周囲の者は気遣った。そこで、そらを権太坂の私の家族らのところで預かることにした。私だけは、独り暮らしだが。ところが、たかだか2歳半の子が母から離れて暮らすことに、何のわだかまりも示さなかった。母の傍から離れても、全然平気に何日も暮らした。小さな頭で、事情を全て理解しているようなのだ。

私にとって5番目の孫だ。健やかに育って欲しいと思う。

息子は、来年完成するマンションを予約したとも言っていた。年明けには、海外赴任も決まっている。繁忙・躍動しているのが、嬉しい。マンション購入のために組むローンや月々の生活費のことを話した際、この子どもたちにも、これから金がかかるしね、なんてことを真面目に話すその口ぶりは、いっぱしの2子の父親だ。すこぶる逞しく、頼もしいと思う。

私の頬が、自然に緩んだ。

2012年5月8日火曜日

ジジイと孫のクチボソ釣りだ

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狩場の児童公園の池

 

今年の春休みに孫の晴と、狩場にあるプールで1時間たっぷり泳いでその帰りに、隣接する児童公園にある池で、10人ほどの老人たちのグループが、交代しながらクチボソを釣っているのを見た。その光景が、私には非常~に羨ましくて、その感覚は褪(あ)せなかった。

30余年前に、私の子どもたちをこの公園に連れて来た。その時にも、クチボソを釣っている人がいた。子どもたちも妻も、その光景には関心を寄せなかったが、私は子どもたちに、釣りの面白さを教えてやりたかった。当時、バブル期のはじける少し前だったので、友人たちの多くは、海や川に魚釣りに出かけていて、その釣果を競っていた。私は、創業当初だったので、ひたすら仕事に励んでいた。

子どもの頃、夏は、近くの川で、魚を釣ったりザルですくったり、潜って捕まえたり、私の第一期の黄金時代に、「魚」抜きでは語れない。

会社は、5月の1、2、3、4日の4日間は営業部は全員休み。他にもう1日を好きな曜日に休みをとるようにした。そして、今日20120504、晴れて念願が叶って、孫の晴とクチボソ釣りに行ってきた。

実は、この日までが大変だったのだ。

釣具を揃えるために奔走した。前提条件が、お金をたくさん遣わないことだったので、問題はそう簡単ではなかった。先ず釣具の上州屋に行こうと会社を出たが、玄関を出て、即、考え直した。否、上州屋ではない、最近店を増やしている中古の釣具チェーン店を思いついた。ちょっとでも安い釣具を手に入れたかった。あれこれ考えながら、横浜駅近くの店に、釣竿や釣糸、釣針などを買いに出かけた。

そこで、大いに驚かされた。

この類の店に行ったのは初めてなので、その驚きは相当なものだった。釣具の種類や量が多いことに、頭がクラクラするほどに圧倒された。狙う魚や、釣り場によって使う釣具は異なるので、種類が多くなったのだろう。それにしても、どの品も高価だった。冷蔵庫や掃除機、自転車やオートバイと同じ値段の品がずらりと並んでいた。吃驚した。なるほど、テレビやラジオの宣伝は華々しく、雑誌はいくつも出版され、街道には大型釣具店が多くできている。釣りを愛好する人が多く、その人たちのための釣具市場の膨大した規模に驚かされた。

考えあぐねた結果、釣竿は店で買うのを諦めた。

最後にたどり着いたのは、やっぱい上州屋だった。店に溢れた商品の山から、私が必要とするものを探しだすことができなかった。困り果て、店の人に話しかけた。昔、私の子どもの頃には、釣糸と浮(うき)、鉛の重し、釣針がセットになっているものがあったのですが、今もそのようなものはありますか?

竿は、店で買うのを断念した時に、自前で調達することを決意した。3日の夜、弥生台駅の裏山の竹薮に侵入して小さな竹1本を頂戴することにした、と友人に言うと、友人は怒り出した。お前、今は筍が生えている時季なので、竹を1本だけ貰いに藪に入っただけですと言ったって、筍泥棒だと疑われたらどうするんだ、窃盗罪などで捕まったら大変だよ、と戒められた。

友人の忠告を真摯に受け止め、雑木の小さい木1本ならばと、竹薮の隣接の山に行った。幸いに山の入口に転がっている木が適当に思えて、それを拾ってきた。

孫とクチボソを釣るのが、私にとっては、今年のゴールデンウイークの最大の目玉行事だった。

春休みに来た時に、老人たちが代わる代わる交代して沢山釣り上げていた場所が空いていた。しめしめ、ここが最良のポイントだということを、誰も知らないのだ。早速、釣針に食パンを、鼻くそほどに丸めてつけた。クチボソがちょこちょこ、餌を突っつく感触はあるが、ぐぐ~っと浮が沈むほどの引きがない。ちょこちょこ、突っついている様子が、ぼんやり見える。そのうちに餌はなくなっている。これの繰り返しだった。

カワセミが近くにやってきて、待ち構えていたカメラマンたちが一斉にシャッターを切った。カワセミは何かを感じたのか、それとも何気に、首をくるくる回していた。その度にオヤジカメラマンは緊張していた。

9時には会社に出たかったので、8時半には止めた。全員が休みだといっても、誰か一人は会社に居た方が何かといいことがある、と経験的に解っている。

残念無念、釣果はゼロだった。ジジイと孫のクチボソとの闘いは、あっけなく終わってしまった。

がっかりする私たち、ジジイと孫は、常連と思われる釣り人たちから、慰められるように今日は食いつきが悪いよ、なんて、言われた。そんなことを言われても、私にとって何の慰めにもなっていない。そうは言っても、釣り人たちのバケツには、何匹も釣った魚が泳いでいた。針につける餌も、私らの食パンとは違って、練りワサビのチューブ入りのようなものを使っていた。

空のバケツと曲がりくねった手製の竿を持って、池を離れた。

ヘミングウェイの「老人と海」の主人公は、クチボソならぬ巨大カジキを追う82歳の漁師だ、私の小さい頭の隅っこでチラチラ、63歳の此の俺、この屈辱は、近いうちに、必ず晴らしてみせるぞと決意した。

 

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上州屋で買ったセットの外袋だ。

2012年5月3日木曜日

明治三陸地震

 

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臨時病院の被災者たち

 

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がれきの山に打ち上げられている漁船

上下、いずれの写真も石黒敬章さん所蔵

 

20120503の日経新聞朝刊に、1896年(明治29年)6月15日に起きた明治三陸地震のときの写真が載っていた。上の二葉の写真のことだ。貴重な写真と記事をマイファイルさせてもらった。地震発生から30分後に大津波(明治三陸大津波)に襲われた。地震は5分間ほど揺れ、震度は2~3程度の弱いものだったが、大津波が発生して甚大な被害を出した。最も高い遡上高は、海抜38、2メートルを記録した。死者2万1915人。

 

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東日本大震災 上の写真は、ネットから拝借させてもらった。

 

昨年(2011)の3月11日に起きた東日本大震災は、地震による津波で東京電力福島第一原子力発電所事故を惹き起こし、この原発は当分収拾の目途がたたない。鎮まらないのだ。東北東日本にこの地震がもたらした被害は、私が今まで経験した中で最大の規模だ。新聞やテレビの報道に触れるたびに、私たちの心痛は増すばかりだ。地震発生時は、未曾有の被害を受けたと報道されていたが、ちょっと前、116年前にはこんな大震災が起こっていたのだ。私は現在63歳だから、祖父母の若かりし時代のことだ。物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は、天災は忘れた頃にやって来ると言ったそうだが、116年前なんて、ほんの一昔前のことだ。

また、必ず、やってくる。次にやってくるのは、いつ? どこだ? 今後30年以内に巨大地震の発生する確率は、東海地震は87%、東南海地震は60%、南海地震は50%だそうだ。首都圏直下型地震はいつ?

恐ろしいことに、たった1年前の東日本大震災の渦中の宮城県沖は99%、三陸沖北部は90%の確率だと聞かされると、もうこれは避けられないと覚悟した上での、根本的な対策が必要なようだ。地震や津波は、防ごうたって、防ぎきれるものではないが、人命は防がなくてはならない。

住宅などの建物が、市街が、丸ごとなくなって、地面にはがれきだけになってしまった写真を、何度も繰り返して見た。かっての地震も全く同じだった。

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今でも、多くの市民たちが、ボランティアに参加していることを知っている。だが、私は、被害者の方たちから、軽薄な奴らだと軽蔑されても、このゴールデンウイークを終えた頃、此の目で確かめて来ようと思っている。この網膜に焼き付けておかないと気がすまない。学生時代の友人、銀ちゃんと一緒だ。決して、物見遊山(ものみゆさん)の心算ではない。

もうこの災害を風化させようとしている動きが、一部に見受けられる。媒体を通してではなく、此の生の目で確かめておきたい。

追記=その後、前の文章で使った地震の発生する確率の情報元を明記しておかなかった。今、再び詳細に調べようと思って気付いた。

 

以下は、20120503の日経新聞の社会面にあった記事をそのまま、転載させてもらった。

1896年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信は2日までに入手した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。

東京都在住の古写真収集家、石黒敬章さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳の遺品として入手したアルバムの中にあった。

当時の被害を伝える写真は米メデイアが報じたものなど他にもあるが、今回の写真は保存状態が非常に良好で「崎浜村(現・岩手県大船渡市三陸町越喜来の崎浜地区)被害の全景」などすべてに説明が付いている点で記録性が高い。

臨時病院での治療の様子や、救出された後、病院の床に布団を敷いて座る被災者など東日本大震災直後の被災地の状況と重なる写真も多く、専門家は「津波と防災の歴史を考える上で第一級の資料だ」としている。

マーマレードにチャレンジ

2012の5月1日。今日は、少し前までは働く者の祭典、メーデーの日だった。

昨日20120430 今度仕入れる横浜市旭区の中古住宅の庭に生っていた夏蜜柑を6個を貰って帰った。この中古住宅は空き家になっていた。此の頃、住宅街での空き家が目立つ。

しめしめ、これだけあれば、しばらくはビタミンCを楽しめるワイ、と満足だった。ところが、この夏蜜柑、採る時期を逸したようで、皮をむいて食ってみたら、房には水分がなくてカスカスだった。先住民は採り忘れ、食い忘れたようで、口卑(いや)しい私には考えられないことだ。自然の恵みをおろそかにしてはいけない。

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だからと言って、この男、捨てるような奴ではない。

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私が作り上げた、マーマレードだ

 

マーマレードを思いついたのだ。弊社の管理担当の荒波さんから、以前にマーマレードを貰ったことを思い出して作り方を聞いてみた。二人のそんなやりとりを傍で聞いていた中さんは、早速、インターネットで「マーマレードの作り方」を調べてくれた。

昔から、私の悪い癖なのだが、人の意見とかアドバイスを、素直にきちんと詳しく最後まで、聞くことができないのだ。大体、概要が把握できた程度で、もう人の話は耳には届かない。先ず、自分がやってみて、そこで、自分で考えて判断したいのだ。体育会の名残か。でも、結果において、もっと詳しく聞いておけばよかったのに、と後悔することの方が多い。今回も同じ轍(てつ)を踏むことになった。

ネットで知ったマーマレードの作り方は甘夏だったが、私が貰ってきたのは夏蜜柑だった。何も、そんなに変わりはないではないか、甘夏と夏蜜柑は従兄弟関係ぐらいの違いだろうが、出来上がりの風味は当然異なるだろう、ならば、使う砂糖の量は加減しなくてはイカンのだ。

4個の夏蜜柑を使った。表面の黄色い皮を、りんごの皮を剥(む)くようにして、剥いた。黄色い皮と中身の間にある白いふわふわした皮なのか層なのか、こいつは矢張り邪魔だろうと直感、取り込まなかった。これらと中身の房を細かく切って鍋に入れた。種を出した。

砂糖は、友人からもらった物を使った。北海道産のてんさい糖だ。忘れた頃にやってくる天災でも、アインシュタインのような天才でもないよ、この甜菜(てんさい)だ。自然でやさしい甘さ。おなかの中のビフィズス菌をふやすオリゴ糖が含まれています、と袋に書いてある。てんさいとは、どんな植物なのだろうか?砂糖大根とも言うの?

ユキヒラ鍋に細かく切った皮と中身と砂糖を適当に入れてホットプレートのスイッチをオンにした。そうしたら、5分も経たないうちに、水が滲(し)みだした。滲みだした水の量が多くて、これって、どうなるんじゃ?と不安になった。

それでも荒波さんからのアドバイス、じっくりたっぷりのんびり、時間をかけて煮るんですよ、と言われていた言葉が、焦(あせ)る私を勇気づけた。それにしても、水っけがなくなるまで随分時間はかかった。新聞2紙を飛び飛びで読みながら、コーヒーを飲んで、みのもんたの朝ズバを観て、大体40分はかかった。

てんさい糖は薄いこげ茶色をしているので、出来上がりは、イメージ通りの黄色ではなく濃い橙色になった。ネットでは、真剣に工夫を凝らす人たちの労作が盛り沢山だけれども、仕上がりをまあまあ普通に食える程度ぐらいに考えておれば、そんなに苦労なく創れるものだ。

出来上がりは、それはそれは、美味でござんした。

2012年5月1日火曜日

尖閣諸島

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20120418朝日朝刊より。

東シナ海に浮かぶ尖閣諸島(手前から南小島、北小島、魚釣島)=10年9月25日、沖縄県石垣市、朝日新聞社本社機から、竹谷俊之撮影

 

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20120418朝日朝刊 ワシントンで講演する石原知事=釆澤嘉高撮影

20120417 石原慎太郎・東京都知事が米ワシントンで、突然、尖閣諸島をの購入計画を発表した。

都は、購入費を全国から募るという。当然、歳入の主たる税金をその購入資金には充てられないとの認識だろう。中国との領有権で争っているこの島を購入するとぶち挙げたのは、石原新党立ち上げの景気づけか?、自らの求心力を高めるための思惑か。島の所有者は知事の知己(ちき)で、所有者から打診を受けていたようだ。橋渡しは、山東昭子参院議員だ。

そしたら、今度は藤村修内閣官房長官が必要ならそういう発想のもとに国が進めることも十分あり得ると、記者会見で語った。国有地化だ。だが、政府内では足並みが乱れている。手続き上は混迷することは必至だろう。でも、所有を求めるなら、何も、遠く離れた東京都よりも、国が求めるのが本筋だ。

石原知事には、こんなことに手を煩わすことなく、早期にやってもらいたいことが山ほどある。先ずは防災、明日にでも、首都圏直下型地震に襲われるかもしれないではないか。弱く、年老いた、貧しい人たち対策は進んでいるのか。幸せな老後、若者に仕事。防犯、環境、ゴミ問題、至急に取り組まなければならない課題は多い。

中国外務省は、古来中国の領土であり、中国は争いのない主権を有していると従来の主張を繰り返したが、その発言は抑制的だったと記事にはある。

そんな記事を読んでいたら、20120418の朝日新聞に『教えて!尖閣諸島 その歴史と成り立ちは?』を見つけ、これは、今後の尖閣諸島問題の推移を見るに必要な基礎知識だと思ったので、マイファイルした。

この時系列の日本の実効支配の状況を読む限り、他国から領有権を脅かされることはない。日本国が実効支配している限りは、個人が所有しようが東京都が所有しようが、関係ないように思うのだが、果たして、中国側の主張の内容が如何なものか聞いてみたい。

以下は、新聞記事そのままを転載させてもらった。

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20120418朝日朝刊より。

 

外務省、沖縄県石垣市などの資料から

1872年  琉球王国が廃止され、琉球藩に

1879年  沖縄県の設置

1895年  内閣が魚釣島などに標杭設置を決定。領土に編入

1896年  民間人に魚釣島など4島を貸与。その後、カツオブシ製造などを始まる

1932年  民間人に4島を払い下げ

1940年  現地事業が閉鎖され、無人島に

1945年  沖縄戦。米軍占領下

1972年  沖縄返還

2010年  中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突

 

沖縄本島、中国・福州からそれぞれ約400キロの距離にある尖閣諸島。面積3,82平方キロメートルと最大の魚釣島(うおつりじま)と、1平方キロメートルに満たない久場島(くばじま)、南小島(みなみこじま)、北小島(きたこじま)、大正島(だいしょうじま)の計5島と岩礁群からなる。

諸島のある沖縄県石垣市によると、1884年に福岡県出身の古賀辰四郎氏が魚釣島を探検。95年1月には明治政府が沖縄県の所轄として標杭を立て、日本領とすることを決定した。

翌96年、古賀氏は魚釣島など4島を30年期限で無償貸与を受ける認可を受け、古賀商店八重山支店を開設。羽毛やリン鉱石の採取、カツオブシ製造などの事業を展開。最盛期は約250人が暮らした。

古賀氏の死後、親族が事業を継承。1932年に魚釣島、久場島、、南・北小島の4島の有償払い下げを受けたが、40年に事業継続を断念。尖閣諸島は無人島となった。その後、4島は第三者に譲渡され、現在はさいたま市の男性とその親族が所有している。

このうち、魚釣島と南・北小島の3島には2002年度から政府が賃借権を設定。政府に無断で第三者が上陸することはできなくなった。「島の平穏かつ安定的な維持、管理」(内閣官房)を目的としており、年に計2450万円の賃料を支払っているという。

久場島については、1972年から駐留米軍が訓練に使えるような防衛省が男性の親族と賃貸借契約を結んでいる。米軍は射撃場として使用しているといい、同省は賃料を公表していない。大正島は国が所有している。

ペットの販売に物申す

 

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20120406の朝日新聞で、ネットによるペットの売買においてトラブルが続出しているとの記事を見つけた。

購入直後に死んだり、外見が紹介写真と違ったりするケースが後を絶たない。国民生活センターは「実際に業者やペットと対面してから購入を検討するように、また環境省も対面販売を義務付けるなど規制強化の検討を始めたとの記事だった。ここまでは、新聞の記事のままだ。

この記事に、私は触発された。

頭の隅っこで眠っていた考えが目を覚ましたのだ。といっても、全然、上の記事とは異なる内容だが、以前からずうっと考えていたことを吐露してみたい。

それは、以前から思い続けてきたのだが、ペットをお金で売買することに、どうしても納得できないのだ。

全ての動物においては、どうなんだ?と問われると、私の主張が容易に破綻することは、解り過ぎている。ここは、とりあえず、ペット動物について言及する。

他人さまの意見を聞かせて欲しい。

私の娘は、ペットショップの店頭で2年間も売れなくて、その結果なのか、自閉症になってしまった犬を只で貰ってきた。シー・ズーだ。娘の家から我が家にやってきて数年、やっと落ち着いて生活している。もう1頭の犬は、ミニチュア・ピンシャーだ。彼は、母親の出産後、1週間ほど経った後に、忘れたように生まれてきた。体重は超軽く、ちゃんと育つか不安だったのだろう、店の人から只でいいからあげるよ、と言われて貰ってきた。

2頭とも、今は老境、でもすこぶる健康だ。私たちとは縁があったのだろう。

そして、私は今、事情があってアパートで一人暮らしをしている。友人が猫を保護したので、面倒見てくれないかと頼まれ、内容を理解しないまま承諾してしまった。その猫には、排泄機能障害があった。私のアパートに来て1日目、2日目、部屋の床はウンコ、オシッコまぎれ。室内には悪臭が立ち込めた。それでも、3ヶ月後、なんとか極度の不愉快に至らないで共生できるまでに、猫の体も少しは快方、私の方は知恵と辛抱を身に付けた。この猫は、人間の虐待によって危害を受け、障害を持つことになったのだろう。元々、良家で暮らしていたようで、行儀良く、上品なのだ。それが、どうして? そこは謎だ。

今回の本論に戻る。ペット動物をお金で売買することに、どうしても抵抗を感じるのだ。

街で多く見かけるペットショップや、ネットによるペット動物の売買を、この世の異常事だ、と言い切るのは無謀なことだろうか。檻に入れられた動物に値札が付いて、お客さんは品定めをして買う。こんな取引って、お互い恥ずかしくないのか。実に、前近代的だ。

もうかると思えば何にでも手を出す銭(ぜに)ゲバ走狗は、何処にでもいる。そんな奴等をのさばらせてはいけない。お客さん、あなたの文化度の低さをさらしているようなもんだぜ

ペットと暮らしたい、ペットをお世話したい、と思ったときに成り立つ良好なシステムが欲しい。そのシステムが確立して、社会で広範に稼動することを願う。

もしも、もしも、私のこの気持ちを理解ができる方は、前の方で書き込んできた私の希望を、文章化してくださいな。