2012年5月3日木曜日

明治三陸地震

 

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臨時病院の被災者たち

 

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がれきの山に打ち上げられている漁船

上下、いずれの写真も石黒敬章さん所蔵

 

20120503の日経新聞朝刊に、1896年(明治29年)6月15日に起きた明治三陸地震のときの写真が載っていた。上の二葉の写真のことだ。貴重な写真と記事をマイファイルさせてもらった。地震発生から30分後に大津波(明治三陸大津波)に襲われた。地震は5分間ほど揺れ、震度は2~3程度の弱いものだったが、大津波が発生して甚大な被害を出した。最も高い遡上高は、海抜38、2メートルを記録した。死者2万1915人。

 

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東日本大震災 上の写真は、ネットから拝借させてもらった。

 

昨年(2011)の3月11日に起きた東日本大震災は、地震による津波で東京電力福島第一原子力発電所事故を惹き起こし、この原発は当分収拾の目途がたたない。鎮まらないのだ。東北東日本にこの地震がもたらした被害は、私が今まで経験した中で最大の規模だ。新聞やテレビの報道に触れるたびに、私たちの心痛は増すばかりだ。地震発生時は、未曾有の被害を受けたと報道されていたが、ちょっと前、116年前にはこんな大震災が起こっていたのだ。私は現在63歳だから、祖父母の若かりし時代のことだ。物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は、天災は忘れた頃にやって来ると言ったそうだが、116年前なんて、ほんの一昔前のことだ。

また、必ず、やってくる。次にやってくるのは、いつ? どこだ? 今後30年以内に巨大地震の発生する確率は、東海地震は87%、東南海地震は60%、南海地震は50%だそうだ。首都圏直下型地震はいつ?

恐ろしいことに、たった1年前の東日本大震災の渦中の宮城県沖は99%、三陸沖北部は90%の確率だと聞かされると、もうこれは避けられないと覚悟した上での、根本的な対策が必要なようだ。地震や津波は、防ごうたって、防ぎきれるものではないが、人命は防がなくてはならない。

住宅などの建物が、市街が、丸ごとなくなって、地面にはがれきだけになってしまった写真を、何度も繰り返して見た。かっての地震も全く同じだった。

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今でも、多くの市民たちが、ボランティアに参加していることを知っている。だが、私は、被害者の方たちから、軽薄な奴らだと軽蔑されても、このゴールデンウイークを終えた頃、此の目で確かめて来ようと思っている。この網膜に焼き付けておかないと気がすまない。学生時代の友人、銀ちゃんと一緒だ。決して、物見遊山(ものみゆさん)の心算ではない。

もうこの災害を風化させようとしている動きが、一部に見受けられる。媒体を通してではなく、此の生の目で確かめておきたい。

追記=その後、前の文章で使った地震の発生する確率の情報元を明記しておかなかった。今、再び詳細に調べようと思って気付いた。

 

以下は、20120503の日経新聞の社会面にあった記事をそのまま、転載させてもらった。

1896年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信は2日までに入手した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。

東京都在住の古写真収集家、石黒敬章さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳の遺品として入手したアルバムの中にあった。

当時の被害を伝える写真は米メデイアが報じたものなど他にもあるが、今回の写真は保存状態が非常に良好で「崎浜村(現・岩手県大船渡市三陸町越喜来の崎浜地区)被害の全景」などすべてに説明が付いている点で記録性が高い。

臨時病院での治療の様子や、救出された後、病院の床に布団を敷いて座る被災者など東日本大震災直後の被災地の状況と重なる写真も多く、専門家は「津波と防災の歴史を考える上で第一級の資料だ」としている。