2012年5月27日日曜日

東京スカイツリー

20120510東日本大震災 046

先日、金ちゃんと東北へ行った帰りに、首都高速を走行しながら撮影した。運転手さんは金ちゃん、カメラマンは山岡のオジサン。

 

20120522、自立式電波塔としては世界一の高さになる東京スカイツリー(東京・墨田区、高さ634メートル)が開業した。

開業した日の私の一日を記しておこう。私のスカイツリー記念日だ。

朝は4時に起きて、新聞を読み終え飯を食い終わり、さて出かけるまでに何をするかと思ったが、さりとて思いつくことがない。ならば、早朝出勤するしかない、会社に着いたのは6時だった。霧のような雨が降り出した。会社で、読み残しの日経新聞数日分を読み、コーヒーとお茶を飲んで、窓越しに外を見た。老人たちが公園でラジオ体操をしていた。7時半ころ、雨の量が少し増えてきた。

今までのブログの読み直しをした。誤字脱字はないか、て・に・を・は、に間違いはないかチェックした。拙文は止むを得ないが、イージーミスや基本的な誤りは少ない方がいい。

雨が止んだり、降ったりしていた。8時半ころには社員が全員出社してきた。今日は朝一番で、担当の佐と、鎌倉・十二所の中古住宅の周囲の木を切る作業の予定になっていた。隣地の木が、弊社の物件内に覆いかぶさってきているのを切り取る作業だ。

佐よ、雨のことを考えていたら、身動きがとれないので、雨天決行、ばあ~とやってこようよ、ということにした。雨合羽を用意した。作業そのものは慣れたもので、鋸(のこぎり)や、鎌などを手にすると、俄然、元気がでるのだ。佐は、都会育ちのオッサン、一所懸命働いているがまだまだ不慣れだ。それでも、二人、協力しあって11時には予定の作業を修了できた。物件は、すっかり整頓され、別嬪(べっぴん)さんになった。売れ頃だ。

午後は、経営責任者の中さんと、横浜、平塚、津久井の物件を見て回った。弊社は中古住宅を仕入れて、構造補強、間取り変更、設備の交換、表装の模様替えをして、市場に商品として提供するのが生業(なりわい)にしている。仕入れ情報が日々、弊社に持ち込まれ、担当者が事前に調査して、商品化ができそうな物件を、二人で最終のチェックのために見て回るのだ。

此の日、見る物件の最後は津久井で、弊社からは随分遠い。神奈川県のファーノースだ。貰った地図ではどうしても見つからず、その地図を無視して、不動産屋として長年培ってきた習性と勘で、見つけることができた。頂いた地図からは2~3キロも離れた場所に目的物件はあった。情報元の不動産屋はどうしてこんな地図をくれたのだろう。

話は東京スカイツリーに戻る。

併設の商業施設「東京ソラマチ」と合わせて、東武鉄道の子会社が運営する。20110311に起こった東日本大震災から、建物が揺れる、壊れるには、異常に敏感になってしまった。その惨状を金ちゃんと見て回ってきた帰り、12日のことだ。フロントガラス越しに、東京スカイツリーの完成した全貌が見えた。

その時、こんな物を作って大丈夫なのかなあ、と地震やその他の天災、人災のことを思うと不安になった。でも、昨年の大震災の際には建築中だったけれど、何も聞くことはなかった。このタワーを施工したのは大林組だ。21世紀ニッポンの匠の技がうんと詰まっているらしい。狭い敷地に頑丈な基礎を埋めた構造、高硬度の鋼管、秒速120メートルの風に耐えるガラス張りに展望台、照明はすべて発光ダイオードによる省エネ仕様、、、〈20120522、日経新聞、1面、春秋より〉

金ちゃんの大阪にある通天閣も、大林組の施工だ。坂田三吉が、吹けば飛ぶような将棋の駒に命を懸(か)けて、東京に出かける決心をしたとき、愚痴を言わなかった女房の小春。空に燈がつく通天閣に三吉の闘志がまた燃えた。その通天閣だ。

東京タワーは昭和34年の完工だ。戦後日本の高度成長のシンボルだ。その姿は、安定的で優美だ。大地には長いドレスの裾のように接していて、実に女性的だ。私の兄(長兄)が中学の修学旅行で土産に買ってきてくれた、東京タワーの高さ10センチほどのプラスチィックの模型は、長く私の机の上にあった。美しいと思った。長兄は15歳で中学3年生、次兄が13歳、私が11歳のときだとすると1960年、昭和35年のことになる。

今度の東京スカイツリーは近未来を思わせる風貌だ。東京タワーが女性的ならば、方(かた)やスカイツリーは攻撃的で男性的だ。基礎は、地中の何処までも深く刺さっているようで、高さは何処までも宇宙に向かって背伸びしている。デザインを監修した彫刻家の澄川喜一さんは、スカイツリーのイメージを「貴婦人の立ち姿」と仰っているが、私はどうしても、男性の精と種のイメージを受ける。

 

 

20120523

朝日朝刊

天声人語

幸田露伴の「五重塔」は、名人気質の頑固な大工が五重塔を独力で建てる物語。心魂を傾けた塔は落成式を前に大暴風雨に見舞われるが、嵐が去ると「一寸一分(いちぶ)歪みもせず」に見事に立っていた。工事中に東日本大震災に耐えた東京スカイツリーと、どこか重なり合う。

地震の1週間後には高さが634メートルに届いた。日本中が騒然、暗然となるなかで、、ともしびのような話題だった。聞けば耐震性を高める設計は、伝統建築の五重塔の知恵を生かしているのだという。

「心柱(しんばしら)」と呼ばれる柱が、五重塔の中心を貫いている。似た構造をツリーも持つ。地震だけでなく、瞬間風速が毎秒110メートルという超暴風も想定しているそうだ。ツリーの地元で長く暮らした露伴翁は天上でご満悦なことだろう。

着工から完成へ、淡々かつ黙々と空へ伸びていった。爪の垢を煎じて政治家に飲ませたくなるようなプロの仕事師ぶりだ。基礎工事をはじめ照明や塗装、アンテナなどまで、総身が日本の最新技術の結晶という、ものづくりの底力を思うと、じんとくる。

設計に際しては「威圧感を持たせないようにした」そうだ。巨大建築は往々に国威や権勢を誇り、象徴する。それをすらりと脱ぎ捨てた「雅(みやび)」と「粋(いき)」は江戸の下町によく似合う。

きのうの開業初日。前の日の天体ショーに晴れ間を譲ったのか、東京は雨になった。だが樹下から仰ぐと、、上半分を雲が流れてなかなか幻想的だった。雨のち晴れの日本の明日を、ツリーとともに歩みたい。