2012年5月1日火曜日

ペットの販売に物申す

 

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20120406の朝日新聞で、ネットによるペットの売買においてトラブルが続出しているとの記事を見つけた。

購入直後に死んだり、外見が紹介写真と違ったりするケースが後を絶たない。国民生活センターは「実際に業者やペットと対面してから購入を検討するように、また環境省も対面販売を義務付けるなど規制強化の検討を始めたとの記事だった。ここまでは、新聞の記事のままだ。

この記事に、私は触発された。

頭の隅っこで眠っていた考えが目を覚ましたのだ。といっても、全然、上の記事とは異なる内容だが、以前からずうっと考えていたことを吐露してみたい。

それは、以前から思い続けてきたのだが、ペットをお金で売買することに、どうしても納得できないのだ。

全ての動物においては、どうなんだ?と問われると、私の主張が容易に破綻することは、解り過ぎている。ここは、とりあえず、ペット動物について言及する。

他人さまの意見を聞かせて欲しい。

私の娘は、ペットショップの店頭で2年間も売れなくて、その結果なのか、自閉症になってしまった犬を只で貰ってきた。シー・ズーだ。娘の家から我が家にやってきて数年、やっと落ち着いて生活している。もう1頭の犬は、ミニチュア・ピンシャーだ。彼は、母親の出産後、1週間ほど経った後に、忘れたように生まれてきた。体重は超軽く、ちゃんと育つか不安だったのだろう、店の人から只でいいからあげるよ、と言われて貰ってきた。

2頭とも、今は老境、でもすこぶる健康だ。私たちとは縁があったのだろう。

そして、私は今、事情があってアパートで一人暮らしをしている。友人が猫を保護したので、面倒見てくれないかと頼まれ、内容を理解しないまま承諾してしまった。その猫には、排泄機能障害があった。私のアパートに来て1日目、2日目、部屋の床はウンコ、オシッコまぎれ。室内には悪臭が立ち込めた。それでも、3ヶ月後、なんとか極度の不愉快に至らないで共生できるまでに、猫の体も少しは快方、私の方は知恵と辛抱を身に付けた。この猫は、人間の虐待によって危害を受け、障害を持つことになったのだろう。元々、良家で暮らしていたようで、行儀良く、上品なのだ。それが、どうして? そこは謎だ。

今回の本論に戻る。ペット動物をお金で売買することに、どうしても抵抗を感じるのだ。

街で多く見かけるペットショップや、ネットによるペット動物の売買を、この世の異常事だ、と言い切るのは無謀なことだろうか。檻に入れられた動物に値札が付いて、お客さんは品定めをして買う。こんな取引って、お互い恥ずかしくないのか。実に、前近代的だ。

もうかると思えば何にでも手を出す銭(ぜに)ゲバ走狗は、何処にでもいる。そんな奴等をのさばらせてはいけない。お客さん、あなたの文化度の低さをさらしているようなもんだぜ

ペットと暮らしたい、ペットをお世話したい、と思ったときに成り立つ良好なシステムが欲しい。そのシステムが確立して、社会で広範に稼動することを願う。

もしも、もしも、私のこの気持ちを理解ができる方は、前の方で書き込んできた私の希望を、文章化してくださいな。