2月から、自宅で朝日新聞に加えて日経新聞もとるようにした。但し、購読料金の支払いは、朝日は私で、日経分は会社負担にしてもらった。
当然、朝日を読む時と日経を読む時は、心構えが違う。日経を読む時は、ビジネスモードに切り替えて、特に経済面には神経を研ぎ澄まし、会社の業務のヒントになる記事を見逃すまいと真剣だ。
朝日との付き合いは、小学校の高学年になって、スポーツ面で同郷の野村克也の活躍を追うことから始まった。中学1年生からは、天声人語を国語担当の小野先生の影響を受けて、辞書を片手に読む努力をした。お陰で、すっかり朝日新聞の癖まで解ってしまった。不思議なことに、朝日を手に取ると何だか安心するんだ。間違った方に感化されていなければいいのだが。朝日の宣伝マンでも、手先でもない、腐れ縁が出来てしまったようなのだ。
日経の経済記事はさすがに高度で、私のような非力な経済人の端くれには理解できないことも多い。専門的な記事も多いが、それでも、一般紙とは違った方法で表現されていて、解りやすく配慮されている。経済系大学を目指す学生にはいい教科書になると思う。
そんな経済紙の日経なのに、私にとって、最終ページの「文化」欄が、最高に楽しいのだ。購読料金を会社に払わせておきながら、この文化欄に力が入る。
新聞の購読者は、層が厚いので、誰もが読んで理解できるように書かれている。文化欄で扱う内容が多種多彩、多岐にわたっているのが、又、気に入っている理由でもある。
一つの題材を文化的に評論しているのだ。極めて日常的な事や、極めて芸術性や専門性の高い内容でも、我々(私)に解りやすく評論にまとめている。インタービューした内容を文章にしていることも多い。この編者らはなかなか心憎いお仁(ひと)たちだと推察、エールを送りたい。
今まで、日経は読んだことはあっても、文化欄を注意して読んだことはなかった。日経の長年の歴史がこの欄を、これほど興味をそそるものに磨かれてきたのだ。この欄を、日経のお宝ですぞ、と偉そうに言わしてもらいたい。朝日の天声人語と趣は異なるが、私には欠かせない「文化」欄だ。でも、夕刊の「文化夕刊」は、ちょっとサロン風だ。
上記の内容の文章を、日経さんのためにも書き留めたいと思いながら、なかなか書く機会がなかった。が、本日20120531、映画評論家の佐藤忠男さんが、先日亡くなった新藤兼人さんを悼む文章を「地道な労働への愛と誇り」と題して書かれていたのを読んで、この稿を起こすことにした。
濃い内容を、平易な筆致で書かれていて実に解りやすい。民衆的だ。
「一枚のハガキ」の撮影現場で指示する新藤監督(2010年、東京・日活撮影所)