2015年2月20日金曜日

モミジバフウの実?

昨年9月に、4か月の病院での治療を終えて、自宅に戻った。事故は5月16日正午。

久しぶりの自宅での寝起き。身の回りについて気をつかわなくてならないものはなく、頭と手足は兎も角、脳内だけはギンギン、ギラギラ、痛みの強さは変わらない。

事故後1年間の君への症状については私が面倒診ますからと、仰ってくれている医師は明日の21日、どんなことを発言されるのだろうか。

退院して一番嬉しかったのは、会社に出社できることだった。暫らくは、奥さんか誰かに送り迎えしてもらうことですよ、と言われたものの、私の足は元気で5キロメートルぐらいドー?てことなかったので、一日目から徒歩だ。往還と言えども、たかだか10キロメートルだ。最初のうちは、旧東海道をメインに歩いた。ところが、正月を過ぎたころから、その道にも飽きて、今は神奈川県立保土ヶ谷公園を縦断している。徒歩する距離と時間は大幅に伸びた。若い頃には、この公園によくきた。さそりの水辺だ。

この通勤の過程で面白いことが2つ見つけた。1つは下のモミジバフソウの発見。紅葉葉楓と書くそうだ。どんな木の実にも自信をもってあれこれと知識を披露できるのだが、この実は初めての発見だった。山や野、田畑の中で大きくなるまで過ごした私だ。弊社の近くのビジネスパークの庭から実を拾ってきて、スタッフに話しても答えは得られず、コンピューターのお世話になって、そして、それがモミジバフソウであることを知った。まだまだ、努力が足りないわい。

 

モミジバフウ

 

もう1つは公園にある幼稚園のことだ。昭和23年生まれの私には、幼稚園に通った経験がない。宇治茶の貴重な産地のために、茶の芽を摘む時期には、学校の授業ははやびきになった。そして、作業に参加できる者は嫌な顔をせず、言われたままの作業をやった。褒めてくれる言葉が有難かった。朝飯は一緒に食べることはできなかったが、晩飯は楽しかった。そんな私が、先生から教えをこうる子供たちのことが羨ましかった。先生は必至で教えてくれた。私はいい子になろうと励んだ。

そこで習ったことは、教える先生たちの不思議さ、教えられる生徒たちの建設的な思慮。親子ではなかなか身に付けられない工夫を、この幼稚園では、何とも気楽に進めていく。今、孫がいくつもの分野において励んでいる。そこで、ジジイは大きな理想を持つ。孫たちの修練に輝く微風の艀(はしけ)が欲しいものだ、と。

2015年2月17日火曜日

高次脳機能障害とは

知りたい!! 高次脳機能障害の行政的な定義については、
国立障害者総合リハビリテーションセンターのサイト内の
高次脳機能障害支援モデル事業のページで学習しよう。 

 

高次脳機能障害について

帝京平成大学健康メディカル学部臨床心理学科
中島恵子

1.高次脳機能障害とは
 認知(高次脳機能)とは、知覚、記憶、学習、思考、判断などの認知過程と行為の感情(情動)を含めた精神(心理)機能を総称する。病気(脳血管障害、脳症、脳炎など)や、事故(脳外傷)によって脳が損傷されたために、認知機能に障害が起きた状態を、高次脳機能障害という。
2.障害の臨床像
 注意力や集中力の低下、古い記憶は保たれているのに新しいことが覚えられない、感情や行動の抑制が利かなくなる、よく知っている場所や道で迷う、言葉が出ない、ものによくぶつかる等の症状が現れ、周囲の状況に見合った適切な行動がとれなくなり、生活に支障をきたすようになる。
3.高次脳機能障害の種類とその症状
1)注意障害

病巣
右半球、広範囲の脳損傷

生活での観察
ぼんやりしていて自分の周りの人や事象に関心を示さない
気が散りやすい
簡単なミスが多い
二つ以上のことを同時にできない
他のことに関心を転換できない

神経心理学的検査
数唱
Trail-Making Test(TMT)
PASAT

2)記憶障害

病巣
視床、前脳基底部、側頭葉内側面(海馬)

生活での観察
日時、場所、人の名前がおぼれられない(見当識)
一日のスケジュールがわからない

神経心理学的検査
WMS-R
三宅式記銘力検査
ベントン視覚記銘検査

3)失語症

病巣
左半球、前頭葉下部、側頭葉、角回

生活での観察
会話が困難

神経心理学的検査
標準失語症検査(SLTA)
老研版失語症鑑別診断検査
WAB(Western Aphasia Battery)失語症検査

4)失認(視覚失認、相貌失認、聴覚失認)

病巣
両側後頭葉

生活での観察
物品、物品の絵、図形を提示されても呼称できない
対象をひとまとまりとして把握できない
対象そのものが何であるかわからない
よく知っている人の顔がわからない
話、環境音が聞き取れない

神経心理学的検査
標準高次視知覚検査

5)失行

病巣
左半球縁回

生活での観察
簡単な動作が口頭命令、模倣、物品の使用など、
適切な状況下でうまくできない

神経心理学的検査
標準高次動作性検査

観念失行
(系列行為の障害・マッチを擦って煙草に火をつける等)
構成失行
(空間的形態を構成できない)
着衣失行
(着衣の障害、左右、前後を間違える、うまく着れない等)
肢筋運動失行
(手、足に触れるものを離そうとしない等)
頬-顔面失行
(舌、唇の運動、嚥下動作、顔の表情を指示通りできない等)

6)地誌的障害

病巣
右(両側)側頭葉から後頭葉

生活での観察
よく知っている道で迷う
家の近くの写真を見せてもわからない

神経心理学的検査
自宅の見取り図、近所の地図を見せてもどこかわからない

7)半側空間無視

病巣
右半球頭頂葉

生活での観察
食事の時、左側にある食事を残す
常に顎が右方向を向いている
歩行時に左側にある物にぶつかる

神経心理学的検査
抹消検査
模写検査

8)半側身体失認

病巣
右半球

生活での観察
左側の麻痺が存在していても、医師、療法士の質問に麻痺の存在を否定する
歩行できないにもかかわらず、歩けると言う
左側の身体の異物感や他人のものと思うことがある

神経心理学的検査
日常生活での観察記録

9)遂行機能障害

病巣
前頭葉

生活での観察
見通しの欠如
アイデアの欠如
計画性、効率性の欠如

神経心理学的検査
WCST(Wisconsin Card Sorting Test)
Tinkertoy Test

10)行動と情緒の障害

病巣
破局反応:左半球
無関心:右半球

生活での観察
依存的になる、年齢よりも幼くなる
周囲の状況に無関心になる
感情のコントロールがうまくいかない
欲求が抑えられない
状況に適した行動がとれない

神経心理学的検査
WOOD法(行動、情緒のチェック表)
ABS適応行動尺度

2015年2月10日火曜日

こんな息子に笑む!

昨年の5月16日事故を起こした私を、事故2、3日後に息子が見舞いに来てくれた。

在京の大学、オーストラリアのウーロンゴン州立大学の大学院を卒えて早10年。就職した会社では、国内での勤務はほとんどなく海外勤務ばかりだ。ところが、10年勤務を境に、今、青森八戸市内外1丁目のLNG(液化天然ガス)ターミナルに一時的な勤務状態にいる。健やかな心と体に恵まれた35才だ。4月からは、ヤッパリ、往年の海外勤務になる。

MX-3500FN_20150216_121344_001

       LNG(液化天然ガス)ターミナル

 

息子は賢妻と小さな女の子を連れてやってきた。病院のベッドに寝ころびながら、息子の顔を見るのは、ちょっと気恥ずかしい。この息子は私たち夫婦にとって、4人の子供たちのなかで唯一の男子だ。私とは、交わす話はなかった。ニコッと笑って、私の健全ぶりを確認して、それですべては終わった。私の身内から情報を得ていた奥さんも、ニッコリしたままだった。

この息子にとって、私のことについての心配が多いようだが、私にはただ身に重いばかり! 、、、、驚いた。

私の先天的なサッカー熱をどうしても息子に埋めたかった。幼稚園頃から息子を練習場にどんなに嫌がっても、連れて行った。家を出て、先ずは1本目の電柱まで、行きたくないと強情を張った。それを何とか乗り切ると2本目の電柱だ。そんなことを小学校の5年生ぐらいまで、繰り返した。小学校の高学年になって、サッカーの遊びでさえも先生に嫌われていた。あの、何とか????野郎(先生の名前をこのような呼び方をした)、頭にきたので帰ってきちゃった。二度と、あいつとはサッカーをやるものか!! そんなに気の短い男だった。

ところが、この男、中学生になってから、サッカー仲間ではない友人がどんどん増えた。

横浜・保土ヶ谷の地域集団、”サッカー好きだ”。父親の私だって、上手いプレーヤーではなかった。部友に対しても、当然、相手チームの誰にも、負けないモノを持っていた。他人に、嫌味や負けん気や、苦しさ、嘆きの言葉を吐いたことはない。練習をド根性で、誰よりも大きく強く激しくすれば、それだけでイイノダと決め込んでいた。この魂だけは、息子に引き継がれたようだ。

MX-3500FN_20150216_122439_001  -162度cのって、どんななんだろう

 

新しい工場誕生の炎、それはー162度cの炎が上がる瞬間

八戸の寒空に、高く高く吹き上がるという

まだ誰も見たことのない炎 ―162度cの炎、私たちの目には何色に映るのだろう

(息子は、この装置の先端の円筒から炎を突き出すための、発射ボタンを押すそうだ)

2015年2月3日火曜日

薬の好悪の調査?を初めた。

昨年の5月16日、高い樹木の先端からアスファルト道路に頭から落ちた。

仕事の一部だけれど、悔しいだけでは済まされメー。
心身ともに、悲惨な大被害を受けてしまった。
枝を切っているうちに、阿仁(あに) ハカランヤ? 
こんなことになってしまった。
事故直後から、3、4日間の意識不明については、ワ・カ・ラ・ナ・イ?だ。

 それからの4か月、痛恨のリハビリテーションのための入院。
心身の回復は当然だけれども?会社に戻ることが、何よりもナニヨリモ、重要なことだった!! でも、頭脳活動はどうも可笑しい? 必死だった!!

薬局でいただいた説明書きには次のように書かれていた。 
名前=入院した病院で与えられた薬は、バルブロ酸Na徐放B状200mg「トーワ」          
「脳神経外科」 けいれん発作を抑える薬。 

気分をおだやかにする薬。
用法・用量=朝・夕食後1回3錠1日2回  注意事項=★組み合わせのできない薬や、組合せに注意が必要な薬があります。
他の医療機関で診療を受けたり、薬局で薬を購入する際には、この文書を見せて下さい。

シメチジン含有の市販胃腸薬にも、注意が必要です。★発疹・かゆみ等の過敏症状が現れた時は、お薬の中止を要する場合もありますので、医師または薬剤師にご相談下さい。
薬の作用により、眠気をもよおすことがあります。★眠気や注意力等の低下が現れることがありますので、車の進展や危険を伴う作業は控えて下さい。

何故、ここで、薬の内容なのかといえば、実は、今、薬の効能のことで苦しんでいる。
薬の飲み方について勉強したくなった。

学習して、学んだことをここに書き著しておく。
年明け早々、私の長女の家庭の晩飯に招かれた。
長女と旦那の家は我が拙宅より200メートルほど離れている。
彼らは、夫婦と小学生と幼稚園の女の子2人の幸せな4人暮らし。
私ら夫婦はよくよく招待してくれる。

この家は、私が基本的は軸組を考えて、30年の付き合いのある設計士が仕上げてくれた。
横浜市保土ヶ谷区では、これほどの特別な家を未だに見かけたことがない。
今回は、日本の航空会社からプレゼントとしてもらった美味い物があるので是非、来てくださいよとの甘言に、何のためらいもなかった!!

その時のことだ。調子に乗って、飲めや!食えや!喋れやの大騒ぎだった。
これが、どうも、私の体にははち切れないほどの量だった。
娘の家をいい加減な状態で玄関を出たときは、この世は俺のものだ!!と言わんばかり。

この飲めや歌えの大騒ぎのあとの、薬はよくなかった。
翌日の目覚めの際の、気分の悪さは、どうにも言葉では表現できない。
くらくらと目がかすみ、頭が痛くてすかっとしない?

体腔内での妖怪な活動で、下界では有害なものでも何とか害の少ないものに仕上げてしまう幾多の臓器や器官の為せる技とは思うのだが、不思議だ。

2015年1月24日土曜日

昔の写真を残して置こう


MX-3500FN_20150118_132759_001

   昭和48年度 関東大学サッカー選手権優勝後の記念写真
            賞状をもっているのが、私だ。

20140515から4か月は病院ぐらし。
10月に退院してから現在も療養に苦しんでいる。

弊害事故というのは、梯子に身を置いて高い木の枝を切っていた。
それからが大悲劇、発生。
4,5メートルの上からアスファルトの路面に頭から落下したのだ。
何日間の高次脳機能障害で意識不明。

それから、よくぞここまで頑張れたものだと、ナースさんたちは感心してくれた。私の悪態についても大目にみていただいたーーーー感謝。
退院後すぐに会社に通い始めた。会社に出ても、やれることは、ゆっくり、ボチボチ。それならば、と思いついたのが、自己使用の机を整理するのが精一杯だった。
目につくもの、どれもこれも馴染みの濃いものだが、これだけは残して置きたいと思うものが多々あった。

先ずは我々が大学4年生の時に撮ったサッカー部同期らの写真、それに加えて関東大学サッカー選手権に優勝して、入賞式を終えた後の我が大学の記念写真。
MX-3500FN_20150119_134011
            昭和44年入学した同期生たち


 MX-3500FN_20150120_114418_001
1972年の関東大学サッカー連盟の選手証だ。この選手証さえあれば、どこで試合があろうが、無償で入ることができた。

以下、インターネットでお借りした。



JFAシンボルマーク

ボールを押さえている三本足の烏は、中国の古典にある三足烏(やたがらす)と呼ばれるもので、日の神=太陽をシンボル化したものです。
旗の黄色は公正を、青色は青春を表わし、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現しています。(日本サッカー協会のサイトより)

 
 
JFAのエンブレム

三本足のカラスは、1931年(昭和6年)6月3日の理事会で採用されたもの。三本足のカラスは中国の古典では日の神(太陽)のシンボルといわれ、日本でも神武天皇東征の時、「ヤタガラス」が天皇の道案内をしたという伝説もあって、日中の故事から、ボールを押さえたカラスは日本のサッカーを統治指導するものと考えられた。

 
日本サッカー協会のシンボルに八咫烏(ヤタガラス)が使われているのはなぜだ?
日本代表の旗やユニホームに付けられているシンボルマークが3本足のカラスであることは皆さん知ってますよね。
 なぜ3本足のカラスなんでしょう?
 その理由をこれから説明します。
 日本にサッカーを紹介し広めた功績者に中村覚之助(かくのすけ)という人物がいます。
 東京高等師範学校の学生でありながら、米国の「アッソシェーション・フットボール」を翻訳(ほんやく)して明治35年ア式蹴球部(しゅ  うきゅうぶ)を設立しました。
 これが日本における現代サッカーの本当の始まりと言われています。
 もともと明治6年(1873年)には日本にサッカーが伝わっていたのですが、この当時はラグビーのルールが混在し、純然たるサッカー ではなかったようです。
 そしてこの中村覚之助は明治39年に29歳の若さで亡くなります。
 その後日本サッカー協会のシンボルマークは昭和6年に図案化されます。
 その発案者は、当時の東京高等師範学校の内野台嶺(うちのたいれい)教授を中心とする人たちなのですが、実は内野教授は明治39年頃の蹴球部員だったのです。
 中村覚之助は神様のように慕われたらしく、内野教授はマークの図案に中村覚之助の故郷である和歌山県那智勝浦町の渚の宮神社のシンボルである八咫烏を取り入れることにした。というのが現代では有力な説になっています。
 八咫烏の「咫」は長さの単位で1咫は約18cmになります。それ1字では「あた」と読み、「八咫(やあた→やた)」では「大きな」という意味になります。八咫烏とは、大きなカラスという意味で、3本の足を持つカラスとして描かれます。
 『古事記』や『日本書紀』には、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということが記されています。勝利へ導く縁起の良いカラスなんですね。
 カラスの足を三本足とするのは、陰陽五行思想によるものてで、二は陰数で太陽にふさわしくなく、陽数である三こそが太陽にふさわしいと考えられたことが理由のようです。八咫烏は太陽の象徴とされていました。

 
MX-3500FN_20150124_090527_001

              私が4年生の時の全メンバー
 
早稲田大学の革マル
革マル派の学生組織は、長年にわたり早稲田大学が中心的な拠点校としてきたが、大学側は同派の影響力を排除するため、1995年7商学部自治会の公認を取り消し、2005年3には社会科学部自治会の公認を取り消した。

また、革マル派が主導する早稲田祭実行委員会が、長年にわたって早稲田祭の収入や助成金を同派系の偽装サークルに1000万円単位で横流しするなどの行為を行っていたことから、大学側は1997から2001まで早稲田祭の開催を中止し、同派系の偽装サークルの公認も取り消した(この際公認を失ったサークルの一つに早稲田大学新聞会がある)。

これにより同派は資金源を失った。
このため、革マル派が教職員の自宅を盗聴する事件を起こすなど、大学側と革マル派との対立が激しくなったが、対立は大学当局側の勝利に終わり、革マル派は一時期早稲田大学からほぼ排除された。

最近ではサークル活動などを通して学内で一定の活動を展開している。とはいえかつてのような影響力はほとんどない。
  MX-3500FN_20150124_110621_001


瘋癲(ふうてん)の革マルだった。
皆が就寝に入ったころに、デモの深夜組として出かけた。
指示の伝達仲間はクラスに何人もいた。
騒乱を終えた翌朝、東京の何処からでも友人A、友人Bを回って、寮の起床時間までには戻った。

私の主張は年間の授業料の値上げ反対、日本政府のへりくだりの無い政策を望んだ。 
1972年にはあさま山荘事件が起こった。私の頭にも雷が響いた。
在学の4年間は、左翼の政治思想、サッカー、貧乏や貧困に対する耐乏。
勉強の力不足は堪えるだけ耐えた。















2015年1月23日金曜日

ジイジイの体は、確実に好くなっている!!

退院後、9月中旬から月末までの半ヶ月、会社への出社時には妻が送ってくれた。

帰りは社長だった。
ところが、10月からは自分で歩きだした。
昨日20150119の毎週月曜の恒例の会議で、事故日より1年めの5月16日までは、私のサボリを許して欲しいとお願いした。

私の頭はそれほど緊張しているのだ。
自宅からの距離は5キロを上回る、所要時間は50分で徒歩数は8000歩。
往復だとその2倍になる。トコロガドッコイ、この2,3日に、不思議なことが突然にやってきた。

2015の1月中旬。朝、出社での道どりに足取りが急に早く軽くなったこと、帰途、自宅に着くまでの500メートルを、軽いステップ、速足で歩いても苦にならなくなったのだ。
ところが、この速足とかには気を使わなくてはイカン。
元々、運動好きの私にとって、天啓のプレゼントと思ったが、この感覚は危険なのだ。

それまでの出社は、国道1号線や旧東海道線を交えた手短いコースだった。
ところが、今年になって、県立保土ヶ谷公園を通り越すようにした。
会社への往(い)き帰りのありふれた寂しい街並みの散歩だけでは、面白くない。
生まれも育ちも、山や谷、田畑のなかで育った、山育ちの俺だ。

公園内だけでも1~2キロ、大小の樹木がたっぷり、プールやテニスコート、子供の遊び場の中を遊歩道がくねくねと整備されている。

権太坂とこの公園への坂を入れると、上り下りの激しさは横浜一番。
こんなに寒いのに、長く裸木だった枝に、小さな幼芽のふくらみが見える。白梅の花は大きな木に少しだけ咲いている、紅梅は満開だ。

写真:空から見た保土ケ谷公園
              県立保土ヶ谷公園


県立保土ヶ谷公園の概要

種別
運動公園
開設面積
34.0ヘクタール(都市計画決定面積 34.0ヘクタール)
設置年月日
昭和32年4月9日
所在地
横浜市保土ケ谷区花見台・明神台・仏向町
公共交通機関
  • 「横浜駅」西口から、「保土ヶ谷駅西口」行バス30分「保土ヶ谷野球場 前」下車
  • JR「保土ヶ谷駅」西口から、「横浜駅西口」行バス10分「保土ヶ谷野球場前」下車
  • 相鉄線「星川駅」又は「和田町駅」から、徒歩15分 主な施設
    硬式野球場 (収容14,817人)、軟式野球場、少年野球場、テニスコート(9面)、サッカー場(天然芝)、ラグビー場(人工芝)、体育館、プール(屋外)、運動広場(200メートルトラック)、オートテニス、ピクニック広場、梅園、かながわアートホール、噴水広場、植物見本園、駐車場
    問い合わせ先
  • 保土ケ谷公園管理事務所 : 電話 045(333)5515/ファックス (045)333-7901
  • かながわアートホール : 電話 (045)341-7657/ファックス (045)341-7617                                                                               頭?と言っても、脳のことだけれど、これはドーモ如何?? 白黒つくにはまだ時間がかかりそうだ。

  • でも、だ!! 頭以外の確実な回復が診られることを、この書で著したかった。
  • この他に、両手以外は100%オッケーだ。
  • 右手の肩辺りからの筋肉の痛みは、まだまだ残りそう。事故勃発が5月16日なので、1年目まではかかりそうだ、とお医者さんから言われている。
  • 大、中、小の筋肉があって、大と中の筋肉の痛みはなくなりつつあるのだが、小さくて細い筋肉だけは、いまだにチリチリと痛みが消えない。
  • チリチリだけれど、疼痛は強度。夜中、布団の中での寝返りにギクット起きてしまう。ところが、左手は大、中、小の大の筋肉が痛んだようだが、小、中の筋肉以外の痛みは既になくなったように感じている。
  • 2月28日の病院ではお医者さんによく聞いてみよう。この医師は、事故日の1年目までは私が責任をとると言ってくれている。 





  • 2015年1月15日木曜日

    孫の納骨を終えた

    20141220、15年か20年前に得た墓地に、二女夫婦にとって二番目の子供を納骨した。

    私にとって6番目の孫だった。
    お坊さんは横浜市南区の浄土真宗の寺院から来てもらった。
    保土ヶ谷区権太坂を最期の地と思っていたので、住宅以外にも墓地が必要だと妻は考えた。
    JR東戸塚駅から徒歩で20分足らずなので、私だけなら自宅から40分。墓の筋向いには、動物たちの霊園もあって、私が自宅で愛して愛したゴンもこの墓地にいる。

    少し前に、小さな命は星空に向かった。
    亡くなった人には戒名があるのだろうが、孫と書かせてもらう。
    私が幼少のころ、お世話になった人々のお墓参りを思いついて、孫の出産の少し前、京都府綴喜郡に出かけた。
    その時偶然にも、東山の峰の上空に、生まれてくる孫の名前に考えていた物が目に入り、直ぐ二女にメールした。
    二女は何だか、異常に不思議がってくれた。

    今日は、小さな骨を丁寧に扱うお坊さんの手ほどきに恐縮した。
    雨は朝からどんどん強く降ってきた。
    参拝客は猛烈に多かった。
    孫の父母、それに母の兄弟とその相手方とその子供たち。
    父の友人で長年の先輩。
    父の弟。私たちは祖父母になる。総勢は15、6人になろうか? お坊さんの説教の一言一言はよく理解できなかったけれど、嬉しかった。
    涙が流れた。

    墓前には、色とりどりのはち切れんばかりの花が添えられた。私の田舎では、葬儀に使われる花は、穏やかな緑っぽい物が多かったけれど、今日の孫の納骨は、そんなことは知るものか?と言わんばかりだった。
    僕は、涙を唯流すだけ、孫の名前を静かに呼び続けた。これしかできなかったのだ!!
    父母の悲しい表情は、当然と言えば当然なのだが、墓石に埋められた孫の兄の悲しみは、全ての人の心に響いた。小学4年生の長男・晴が、初めて見せた苦渋の涙だった。