2018年12月3日月曜日

柚子(ゆず)のメイドリキュール漬け



「柚子のメイドリキュール漬け」なんて、聴き慣れないことをこのブログの題名にしたが、なんてことはない、柚子のリキュール漬けのことだ。
気を利かせて、柚子酒とでも書けば良かったのか。
酒好きならではのことかもしれない、と批判されるのが一番怖い。
恥ずかしいことでもある。

昨日、私の第二の故郷(ふるさと)まで愛してしまった保土ヶ谷・今井町の畑=イーハトーブに寄った。
会社からの帰途だ。
何も、イーハトーブに寄って何かをしなくちゃならないことなんて、何も無い。
でも、生臭(なまぐさ)な私に、暫しの心の楽しみを与えてくれるのは、イーハートーブをぼんや~り眺めることだ。
辺境な田舎育ちの私にとって、土、雑草、果樹、育てている野菜の育ち具合を眺めるだけのことだって、こんなにも楽しいものなんだ。
米や麦、茶などを観る目は、必死だ。

その畑に着いて何もすることはないのだが、少しばかりの雑草を刈り取り、抜き取りするだけで、幸せな気分になれる。
皆さん、私のそんな小さな喜びをご理解できますか。


柚子800グラム、氷砂糖100~200グラム、果実酒35%を1,8リットル。
柚子をよく水洗いして水気をふく。
皮をむき、蔕(へた)を取り、瓶に入れて氷砂糖と漬け込む。
お好みで柚子の皮を入れる。
1週間ほどで飲めるようになり、3ヶ月ほど熟成させるとより美味しくいただけます。
皮は1週間後に引き上げます。
炭酸割りや寒い日のお湯割りがおすすめです。
(メイドリキュールの販売用のケースに書いてあった通り)

ならば、幸せな飲み時は来年の2,3か月になる。
妻と娘から、美味しいのができますかね?なんて、疑問をもたれたが、お前ら、美味いか美味くないかなんてそんなことは知らないだろうが、内容は焼酎?と氷砂糖に柚子を漬けただけじゃないか。
美味いに決まっているよ。

たとえ、美味くなくったって、このジジイには何でもかんでも、オッケーだよ。
この発酵の期間、楽しみに溢れた好い年末年始になりそうだ。

2018年12月1日土曜日

この「朝」の気分好(よ)さ!!

先日、インフルエンザ予防接種をした病院で、いただいた本のなかに「朝」のことが書いてあった。
その本の著作者は京都で有名なお寺の貫主さんだった。
「日本の漢字文化に目覚める」だ。
この文章は下の方に、本に書かれたままに転載させていただいた。

朝のことが此の頃、凄(すご)く気になっていた。
それは、この数年間において腰痛の痛みから解放されて、日々の生活が快活になっているからだろう。
正確には腰痛の痛みが全くゼロまでにはなっていないが、多少なりの痛みはあることはあるが、痛さは極めて弱くなっている。
そんなことが、裏自信になっているのだろうか。

朝、目が覚めて、寝間着から出勤用の服に着替えて、義母にご飯を出し、私もそれから朝ご飯に入る。
そのとき、何か不思議な気?が、私とご膳の前に迫り来る。
その朝ご飯の一つ一つのメニューを前に、気分が頗(すこぶ)る好いのです。
このメニューの一つ一つが、何を私に示しているのだろうか。
家の外が雨天であろうが、晴れていようが、曇っていても、朝ご飯を前にして神経が澄み、一日のやる気が湧くのです。
この気分は何なのだろう?と朝ご飯を前にして思う。

夕ご飯、晩飯はどうなんだと思われるかもしれないが、晩飯の時は、気分ではなく、もう少し不思議さが込み入った雰囲気? 
この頃の私の仕事の量は、決して皆に喜ばれるほどのこともない。
会社に対する貢献度は、情けないほど少ない。
晩飯気分は、変なモノではなく持続的で躍動感か充実感が漲(みなぎ)る情趣?か情調?と言えば、判ってもらえるだろう。
私は幸せ!なんだ、ろう!!

この朝ご飯にしても晩ご飯にしても、義母へのベッドへの配達は私がやっている。
膳をベッドの側に置いた時に、何かを話す。
外の天気模様やら、ご飯の一つ一つのメニューについて、私のそれなりの感想を述べることにしている。
それらのささやかな会話でも、義母には微笑みが見られ、高齢で体はなかなか言うことを聞いてはくれないが、なんとか頑張ってもらいたい。

★お寺の貫主さんの書いた文章より。
私はこのところ皆さんに繰り返し言っている事柄があります。
「朝、起きた時は感動しないといけない」ということです。
「朝」という漢字は「十月十日(とつきとおか)」と書きます。
お母さんの胎内に十月十日宿って、そして生まれてきた時が「朝」です。
私たちは毎朝、生まれ変わっているのです。
皆さんは子供や孫が産まれた時は大喜びし感動しています。
ところが、自分が毎朝、起きて生まれ変わっているのに、どうして感動しないのでしょうか。
慣れているからです。
「朝、目が覚めるのは当たり前や。決まっている」。
本当にそうでしょうか、夕べ寝て、今朝目が覚めるかどうか、誰にも保証はできません。皆さん、明日の朝は気を付けないといけません。
ですから、私は毎朝、「ああ、目が覚めたなあ」と感動しているのです。




嗚呼(ああ)、そうなんだと納得していたら、下のような文章も知ってしまった。


★ID非公開さん
2004/9/1923:22:35
全然関係ないです。

「朝」は、「幹」+「舟」で、太陽がぬけ出るようにのぼる時の意。です。

「幹」は、旗が高く上がるように日が昇るの意。
「舟」は、本当は「月」に似た字で、音を表す記号+抜け出るの意。

「朝」「幹」に共通の左部分は、「日が昇る」様子を表しています。

このように意味を表すパーツと音を表すパーツを組み合わせて作られた
漢字を「形声」「諧声」と言います。漢字の9割がこの「形声」です。
4344531さんの「親」も「形声」で、左側は「シン」という音を表す記号で、
元を辿れば「辛」、「新」の左側です。 
(立+木ではないけど、「いつも見ている」→「おや・したしい」の意です) 

「躾」は、国字=日本で漢字を真似て作られた文字で、こちらは仰る通り
身の立ち居振る舞いを美しくする意。
このように、意味のある漢字の組み合わせで作られた文字を「会意」と
言います。 国字には、この会意で作られたものが沢山あります。

2018年11月29日木曜日

インフルエンザ予防接種に行く


本日(20181129)13:00に育成会横浜病院で、インフルエンザ・ワクチンの予防接種をした。
それも、横浜市が実施する「高齢者インフルエンザ予防接種」という。

注射器
今まで、勤めていた会社が行うものなら、何の躊躇(ためら)いもなく接種したであろうが、今回は、誰の指図(さしず)を受けた分けではなく、自らの意思で接種した。
それほど、私の環境は緊張気味なのです。

私の家族には長老の義母〈92歳)が居て、保育園に通っている子(3歳)がいる。
そして我々夫婦は70歳前後、娘夫婦は30歳の始まり。

我が家には、お客さんが彼是(あれこれ)多くて、我が家では伝染するような病気を持つことはどうしても避けなければならない。
公衆用衛生は当然、家庭内感染なんて、あってはならないことだと、腹を決めている。
公衆衛生で大事なことの大一番は、先ず自分が間違いなく手を洗い、且つ病気、それも伝染病にはなってはならない、ことだ。
そんなことで予防接種することを決意した。

ところで知識の薄い私には、こんな予防接種をしたら、まずインフルエンザに罹(かか)ってしまうのではないかと疑いをかける。
でも、そんなアホのようなことはないだろうとは思う。
そこで調べたら、インフルエンザは不活化ワクチンなので感染力はないとネットで知った。

問題はかくの如しだ。
インフルエンザは、インフルエンザウイルスに感染することによって起こる急性ウイルス性疾患である。
38度以上の発熱、頭痛、関節炎、筋肉痛など全身の症状が突然現われるので、風邪とは区別して考えるべき病気だ。
また風邪と同じように、のどの痛み、鼻汁、咳などの症状も見られる。
高齢者や免疫力の低下している方では肺炎や脳症を発症することもあって、重症になることがある。

インフルエンザ・ワクチンを接種すると、人間の体はインフルエンザウイルスに対する物質(抗体・免疫)ができ、感染症・インフルエンザにかかりにくくなる。
この働きを利用するのがワクチン接種である。

例年11月頃から徐々に患者が増え始め、1月頃に流行がピークに達し、4月過ぎに収束する傾向がある。
インフルエンザは自然治癒することもあるが、必ず抗インフルエンザ薬が必要な病気ではないが、それは無茶なことかも知れない。

私に新たな問題が思いついた。
一体全体、このインフルエンザというのは、いつの時代から発生したのだろうか?
機会ができたら、一発、調べておきたい。




「インフルエンザ予防接種済証」より

★予防接種を受けた後の一般的注意事項
1、接種後30分間は、急な副反応が起こることがあるため、医師とすぐに連絡を取れるようにしておきましょう。
2、インフルエンザ・ワクチンの副反応は24時間以内に多く出現するため、この間は体調に注意しましょう。
3、入浴は差し支えありませんが、注射した部位を強くこすることはやめましょう。
4、接種当日は激しい運動や大量の飲酒は避けましょう。

★インフルエンザ予防接種後の副反応
予防接種の注射の跡が、赤みを帯びたり、はれたり、痛んだり、また、熱が出たり、寒気がしたり、頭痛、全身のだるさなどがみられることがありますが、通常2~3日のうちに治ります。

また、過敏症としてまれに発疹、じんましん等が現われることがあるほか、非常にまれですがアナフィラキシー様症状、けいれん、肝機能障害、喘息発作等の報告があります。

接種後、接種した部位が痛みや熱をもってひどくはれたり、全身のじんましん、嘔吐、顔色の悪さ、低血圧、高熱などの症状が現われたら、医師の診療を受けてください。

★予防接種済証について
この「インフルエンザ予防接種済証」は、横浜市が実施するインフルエンザ予防接種を受けたことを照明する書類です。
 











2018年11月27日火曜日

東京五輪の公式記録映画は、河瀬直美監督

20181118 朝日新聞・総合3を転載させてもらった。
昭和39年に行われた東京オリンピックの記録映画は、高校3年の時に、通っていた城南高校の体育館で観せてもらった。

下の記事のようなことが、各界にて議論されていたなんて興味なかった。
そんなことよりも、よくぞここまで芸術的に作ったものだと感心してしまった。

当時、私はサッカーだけに興味があっただけだ。

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「政治家と俳優の丁々発止」
日曜に想う 編集委員・曽我 豪

東京オリンピックの公式記録映画を河瀬直美監督が撮ることになった。
あの静謐(せいひつ)なタッチで選手の躍動をどう描き、被災地との関わり合いをいかに物語るか、世界の映画ファンが心待ちにすることだろう。
ごたごた続きの後で下された英断をまずは寿(ことほ)ぎたい。

ただし、余計な口出しがなければの話だ。
昭和の東京五輪の際は混乱した。

五輪の翌1965(昭和40)年、市川崑監督が完成させた公式記録映画に対して、試写会で見た河野一郎国務相が「記録性をまったく無視した映画だ」と酷評し、扱いが宙に浮いた。
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記録か芸術か。
映画俳優高峰秀子さんが東京新聞に反論文を載せ世論は沸騰する。
細川隆元氏が間に入り「週刊サンケイ」誌上で2人の直接対決と相成った。

これがちょっと今日ない面白さだ。

河野氏はソ連と北方領土交渉をし五輪担当相も務め幾度も首相候補にあがった党人派の雄、高峰さんは「二十四の瞳」の主演で知られ、細川氏は元朝日新聞政治部長の政治評論家だ。

その河野氏がまずぶつ。

自分はマラソン界では「相当の指導的立場におる男」だとした上で「将来記録として残されるべきものが、ぜんぜん残されていない」と評価を下す。
「市川さんは芸術家だろうけれど、競技についてはぜんぜん無知」だと指摘した。

聞くだけ聞いて高峰さんは「きょうはお願いに来たんですよ」と切り出す。

近くマレーシアで日本大使館が試写会を開く話に絡めて「フィルムが間に合いませんでしたなんて、第一みっともないですよ」と指摘、市川監督側が「みなさんのご満足のゆくように」海外版を「内緒で」作っていると明かし、「一ぺんそれを見てあげてくださいよ」ともちかけるのだ。

抜群の呼吸である。
これでは、河野氏も「いやいや、ぼくはいやなんて言わないですよ」と降りるしかなくなる。
「いまの映画を焼いて棄てちまえと言っているんじゃない。---とくわかりました、田口(助太郎・東京オリンピック映画協会長)にはすぐ連絡します」

細川氏は2人を握手させる。
河野氏が英国の映画俳優デボラ・カーさんと握手した際、手の柔らかさに惚れた話を持ち出して仲直りの儀式にしょうとしたが、高峰さんはその手に乗らない。
「あたしの手はカタくてつめたいでしょう」

政治談議に移っても主導権は俳優にある。
細川氏が河野厚生省はどうかと振ると高峰さんは「家をぶっこわしたりするほうが似合いますね」。
続けて、イタズラっぽい笑顔で「なに大臣をやりたいですか」と切り込むのだ。
まるで、首相以外に野望はなかろうと言わんばかりに。

事実、細川氏が、外相はどうか、蔵相は、と次々聞いても、河野氏は「やりたくない。だから無任所大臣で、こうやっているのがいいんだ」。

最後の大物大臣評はこう。
「するとおっしゃったことはチョッピリでもなさること、これは国民も認めてますよ、チョッピリね」

対談掲載の3か月後、河野氏は大動脈瘤破裂で急死した。
享年67。
今は孫の太郎氏が祖父がやりたくないと言った外相に就き、祖父と父洋平がなれなかった首相を目指す。
高峰さんは俳優引退後も名エッセイストで知られ、8年前に86歳で亡くなった。
往時(おうじ)茫々(ぼうぼう)である。

さて皆さん、今ならどうだろう?
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きっと、仲介者も含め当事者はネットの炎上とワイドショーの追及で身動きがとれない。
発言を撤回せよ、大臣を辞めろ、極論が横行して、肝心の映画の話はどこかへいってしまうに違いない。

10年以上たって高峰さんは市川監督と騒動を回顧した(斉藤明美監修「高峰秀子」 キネマ旬報社)。
実際会えばわだかまりも消え解決策を話し合えた河野氏を2人でしのび、高峰さんは言った。

「ああいうのを即時解決っていうんだ。大物だった」

国会の惨状や貧困なる言論空間を思えば、丁々発止と歩み寄りが共に成立した時代が、チョッピリ、うらやましい。

2018年11月26日月曜日

近藤啓太郎ー「微笑」








 近藤啓太郎の「微笑」(昭和49年 新潮社)を読んだ。

作家・近藤啓太郎さんの寿美夫人に異変が起こった。
この「微笑」は、近藤啓太郎氏の家族のみなさんと、近藤氏と寿美さんの個人的なお付き合いの人々とのことを書いた本だ。
診察を担当した幾多の医師たちとのお付き合いも、なかなか友愛に溢れたもので、ほのぼのとさせられた。
患者として見事に頑張った夫人と、夫人を看まもる家族たち、夫に長男に長女。

夫人に異変が起こった昭和46年8月25日からが、この話の始まりになる。
癌の発病から、闘病生活、さらにその壮絶な死までを追った辛く哀しい自伝小説になる。
夫人に対しては、この痛みが癌によるものだとは、病気で寝るようになってからも、話さなかった。
自宅は、千葉県の鴨川。

詳しくは、小田病院の院長や、国立東京第二病院(東二)の医師、亀田総合病院の若先生など、多くの方々が親身になって尽くしてくれたことが順を追って語られている。
それ以外に、近藤や寿美夫人の近親者だったり仲間だったり。
近藤の学校時代の同期生、近所の仲間たち。
近藤の気晴らしに、作家仲間も大勢出現したが、物語そのものには、余り影響なかったからここは、出現したことだけにしよう。

物語は、飽くまでも夫である作家・近藤啓太郎と妻の寿美さん、二人の子どもを含めての辛く哀しいが強く逞しい、愛情いっぱいの哀切な家族劇だ。

近藤は近藤で、作家の仕事をやりながらの妻を想う気持ちが、読む者に刺激を与える。
入院中の寿美夫人の病気の程度がなかなか良くならないことを確認して、娘にも付添い看護をさせた。
気の利く娘さんで、衷心、母の心までいたわっていたようだ。

亀田総合病院で近藤の子どもたちが生まれている。
夫人が癌に罹る前だが、吉行淳之介と阿川弘之が鴨川を訪れたとき、何故か、近藤が同病院で血液検査を受けるように誘い、三人で受けたこともあった。
何故、こんなことを近藤は企てたのか? それは解からない。

近藤が子どもの頃から最も仲良くしている、鴨川グランドホテルの鈴木政夫氏から電話があった。
「おれの出来ることなら、なんでもするから、もし困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれよ」と優しい言葉をもらっている。
この鴨川グランドホテルは恋の句を多数残した情熱の女流俳人・鈴木真砂女の実家である。
ホテルの地下1階には、「鈴木真砂女 ミュージアム」が設置されている。
近藤も鈴木真砂女に短歌を習うなど親しく交流していたようだ。
そんな関係もあってのことだろう、現在の社長さんのお父さんかおじいさんの鈴木政夫氏と、仲良くなったのだろう。

作家・丹羽文雄は近藤啓太郎の文学の師である。
近藤夫婦の結婚・披露宴において、丹羽文雄夫婦は仲人役の任を受けた。
寿美夫人の容態は、ときには良くなったり、ときには酷く辛そうな日もあった。
痛みの発覚当初は、後1か月持てば良いと言われていたけれど、何とか長期間伸びそうになってきている。
病状の変化は凄まじく変化、その変化のさまの報告書でもある。

気分の好かった日に、近藤啓太郎と寿美夫人に会話があり、その会話が次のようであった、
近藤=「あんまり好き勝手のことばかりしていたものだから、とうとうわたしにも罰が当っちゃいました」
と言ったら、
寿美夫人=「冗談じゃないわ。罰の当る方向が違ってますよ。罰は直接あんたに当ればいいのに…」と言われた。

卵巣癌は七転八倒するほど痛い。
激痛に唇が歪んで、縦になってしまうほど、苦しむんです。
地獄の責苦。
卵巣癌の母親の苦悶のさまを見て、頭が変になった娘がいるという話は聞いていた。
が、寿美夫人は常に微笑を浮かべていた。
そんなことから、この本の題名が「微笑」になったのだろうか。

2018年11月16日金曜日

玉箒(たまばはき)って何だ?

五木寛之氏の「知の休日」 副題=退屈な時間をどう遊ぶか(集英社新書)を読んでいて、初めて
「酒は愁(うれい)を払う玉箒(たまばはき)」という慣用句を知った。

いつものように知らない漢字や、珍しく経験のない読み方には、興味を持つのは変わらぬことだ。
今回は箒(ほうき)を、「ばはき」と読むことが面白い。
ネットで調査に入りました。
玉箒」の「玉」は、美称の接頭語。
箒はあくまでも「ほうき」。
酒は心配事や悩みなどを掃い去ってくれる美しいほうきのようなものだという意味から。
「憂い」は「愁い」とも書く。


玉箒(たまばはき)とは。

玉を飾り付けた箒(ほうき)で、蚕室(さんしつ)を掃くのに用いた。

古代、中国の制に倣い、帝王が耕作をするのに用いる「辛鋤(からすき)」に対し、皇紀が養蚕ををする意味を表すものとして、正月の初子(はつね)の日に飾ったのち、臣下に賜い、宴を開いた。

この実物が現在正倉院に残っている。
「憂いを払う玉箒(たまはぎ)」といい、憂いを掃き除く意から酒の異名でもある。

ところで、
★この初子(はつね)の日とは何ぞや。
その月の最初の子 (ね) の日。
特に、正月の最初の子の日。
古く、野外に出て小松引きをしたり、若菜を摘んだりして遊び、子の日の遊びと呼んだ。

★小松引きとはーー平安時代、正月初めの子(ね)の日に、野に出て小松を引き抜いて遊んだ行事。子の日の遊び

こんな具合に、知らないことを知っていけば、知識は広がるようだ。






2018年11月15日木曜日

癇酒好きのやっかみ?

20181114の朝日新聞の「天声人語」を転載させてもらう。

今回の文章の最初は、「癇酒(かんざけ)好き」で始まって、「今年の気象状況」になり、最後には「ビール」だ。
私の好みと、今年の気象が余りにも激しかったことが原因だろう。
こんな文章なら、やはり私のポケットに仕舞いたいと思ってもしょうがない。

たまたま今読んでいる五木寛之氏の「知の休日」(集英社新書)で、酒に余り悪酔いしないで、それなりの気分を味わうためには、1杯の杯を3分かけて飲むと、その後の飲酒に好(い)いとあった。
五木氏は随分お酒好きの人だと思っていたが、それなりの知恵がお持ちだった。

今夏、始めの頃から終わりにかけて、激しい雨風の伴う台風に日本列島の彼方此方(あっちこっち)で襲われた。
夏の気温は圧倒的に暑く、今、秋の終わりにかけても、気温は下がらない。
出社帰社の徒歩で楽しみにしている保土ヶ谷公園の数々の樹木が、その風で枝は枝と喧嘩越しに叩き合い、葉は葉と殴り合った、結果、葉は枯れたように焦げ茶色になってしまった。
紅葉を楽しみにしていたのに、何とも情けない光景だ。

天声人語では、稚内でまだ初雪が見られないと書いてあったが、この天声人語を読んだ翌日に、偶然、初雪が北海道の各所で観測された。






★天声人語
癇酒(かんざけ)好きのやっかみかもしれないが、冷酒(ひやざけ)がもてはやされすぎている気がする。
だからこういう文章に出会うと、うれしくなる。
「『欄』という手数の加わることが、日本酒の席の気分を、何かフクザツな、味のあるものにしているのではないだろうか」。

作家の小田嶽夫(たけお)さんの随筆である。
コップでぐいぐい飲むのと違い、癇酒は「小さい杯でゆっくり飲むからこそ、酒を楽しむ時間が長く持てる」。
当方は夏でも燗を楽しむ口だが、やはり寒くなりかけの秋が一番いい。

例年ならそういうことなのだが、今年はどうも勝手が違う。
11月も半ば近いのに、あたたかな日が続く。
最近の1週間を平年と比べると、列島の広い範囲で平均気温が2度以上高かったという。
エルニーニョ現象の影響で暖冬も見込まれる。

北海道ではきのうの夕方までに、初雪が観測されていない。
稚内でまだ降らないのは、統計を取り始めた1938年以来初めてだという。
「暖房費の節約になる」という声の一方で、「スキー場はいつ開けるのか」との心配も聞こえてくる。

きのうの東京都心では、コートを着ている人をほとんぞ見かけなかった。
ワイシャツ姿の人もちらほらいた。
木枯らしのあとに訪れるとうれしい小春日和だが、今年は毎日のように、そんなあたたかさがある。

まだまだビール日和だという方もおられるか。
過ごしやすい日が続くのはありがたい。
しかし夏の異常気象を経験したばかりの身からすれば、少し心配にもなる11月である。